6-4 特安部外事課の事情
上司の波瀬ヨシカズが、ピッと音を鳴らして携帯電話を切った。
「波瀬さん、本部は何と?」
「議員と護国庁の官僚がミスティックレイスたちを巻き込んで、喧々諤々収集が付かない状態だとさ」問うタマミの前で、ヨシカズは椅子に座ると深く溜息をついた。「大きく二派に割れてるそうだ。一方はこのままブリタニア勢に任せて、殲滅に失敗すればあちらの責。成功すれば共同戦果ってことで収めようって派閥。まあ時間がない現状では現実的か。もう一方はC類起源体を刺激せず、できるだけ民間人を退避させて、有効な対策が決まるまでの時間を稼ぐって派閥。これもまあ、理解はできる。虎の子の特務部隊が壊滅した以上、ニホン側の認識では起源体相手に有効な手段がない。その状況下で、更に起源体に手を出して藪蛇になったら、な。現状維持で、不可触領域の拡大がどこかで止まる可能性だってなくはないんだ。ただその場合は間違いなく、トウキョウ圏はまた放棄されることになるが」
タマミは腕の時計を見た。時刻はちょうど21時を回ったところ。不可触領域がシェルターのある居住区画に到達するまで、推定で残り20時間程度だ。
「そんな、対立してる時間なんてないのに……」
「上を責めることは簡単だ。しかし実際に上に立てば、物事を決めるのはそう簡単じゃないことに気づく。組織がでかくなればなるほどな。その後のことも考えなきゃならんし」ヨシカズは自嘲の笑みを浮かべる。「ま、現場の末端要員の俺が言っても、説得力はないだろうが」
「それで、私たちはどうするんですか? 現状、まともな捜査なんてできないですよ」
トウキョウ圏各都市の民間人は、すべてがシェルターに退避している。銀鳩と黒鬼の案件を追う永井と嶋村たちも、思うように捜査は進んでいない。タマミ自身も、玖成姉妹の交わす言葉がわからずお手上げだ。少年のことは報告書に記載されたことしかわからない。これまで調べた限りでは、彼と彼女たちに組織的な背景はなさそうだ。玖成姉妹の違法行為については、特種害獣襲来時の緊急避難の側面もあり、悪質性が低いと判断され、二人は保護者への引き渡しが決まっていた。そもそもトウキョウ圏壊滅の危機を前にした今、他国の思惑を探る捜査などやっていられるものではない。
「退避だ退避」ヨシカズが腕時計を見ながら言った。「もうヘリがこっちに向かっている。あと一時間もすれば屋上に着く」
「え? 退避ですか?」
「そうとも。今は俺たちにできることなんてない。界獣退治は、海浜警備隊のヨロイ乗りの仕事。餅は餅屋だ。ここの連中は、上の判断なんか無視して再突入の方向で動き出してるしな」
タマミは驚いたものの、少し考えれば納得する他にない。自分たち特種安全管理部の保安官は、過激な排外主義者や、界獣を崇める狂信者、遺失知識を利用する犯罪者の取締りが主な職務だ。自分たち外事課はそれに加えて、他国の人間、他国のミスティックレイスが関わる案件を扱う。界獣、特種害獣の駆除・駆逐は領分ではない。
しかし人々の危機を前に逃げ出すことに、気が咎めるのを止められるものでもない。特安とて護国庁の組織。この国の人々を護るために在るのだから。
そんな思いが顔に出ていたのを見て取ったのか。ヨシカズは言った。
「『僕が選んだことだから』」
「何ですそれ?」
「昨日、目を覚ました御幡君と少し話をしたのさ」ヨシカズが温くなったブラックコーヒーを啜る。味が気に入らなかったのか、露骨に顔をしかめて。「課長から、彼から"ブリタニアのお嬢様に唆された"って言質を取れないものかって打診もされてたんでな」
ブリタニア連合のミスティックレイス〈湖の貴婦人〉ウルスラ・ル・フェイは、大海嘯後の世界を護る星辰装甲系武装祭器の開発者だ。彼女は最新の星辰装甲実験騎体、コードネーム〈夜明けの風〉の騎手に、ただのニホンの少年を選んだ。
そして無届で繰り返された、二人の戦闘行動。これは二国間に結ばれた防衛援助協定に違背している。事が明るみになると、当然のことながら護国庁上層部はアルビオンに対して抗議、事情の説明を求め、多くの譲歩を迫った。対するアルビオンは人的物的損害がほぼ皆無なこと、また二人の行動は緊急避難に当たるとしてこれに反発。そこまではタマミも聞いて知っている。護国庁は国益確保の駆け引きの材料に、少年が"アルビオンに利用された"旨の証言を求めたのか。
「彼は言ったよ。『僕が選んだことだから』ってな。損得の計算ができない年齢じゃない。無理やり乗せられたってことにした方が、後々何かと得なことぐらいわかってたはずだ。実際、俺も話の中でそう誘導した」語るヨシカズはどこか苦みのある笑みを浮かべた。「それでも彼は、頑なに自分の選択だと主張した。彼女の剣を手に戦ったことを。それなりの刑罰が下される可能性を理解して、な。若いってのはいいもんだ」
「そういう波瀬さんだって、まだ三二じゃないですか」
波瀬ヨシカズは勤続八年、特安部外事課のなかでも中堅どころの保安官だ。大海嘯直後の混乱期を経験しているせいか、言動を合わせると実年齢より五、六年は歳上に見えてしまう。本人はそのことを気にした風でもなく、むしろしょっちゅうおじさんぶる。顔だけ見れば、右目の下の一文字傷が荒事のにおいを出すものの、意外と若く見えるのも確かだ。
「嫁さんと子どもを抱えちまうと、人生、少なからず守りに入っちまうもんだ。だから時に、若さゆえの無謀さが羨ましくもなる」ヨシカズから、おどけた雰囲気が消える。「不可触領域への再突入、間違いなく彼も行くだろう。あの実験騎体、妖精のお嬢さんが切れる最強の手札だからな」
「その乗り手、騎手にどうして彼が選ばれたんでしょうか?」
「さっぱりわからんよ」ヨシカズは右手のひらを上向けてひらひらと振った。「異国のミスティックレイス、それも〈湖の貴婦人〉の考えることなんてな。伝説は語る。かの女は勇敢なるもの、騎士を育て、助け、時に破滅させる。彼もえらいもんに見込まれたもんだ」
「そんな……御幡君でしたっけ。彼、まだ一五歳ですよ」タマミには理解し難い考えだった。ブリタニアのミスティックレイス、妖精の助けがあったとて、訓練もまともに受けていない子どもが死地に赴くことに変わりはない。若さ故に自分の死というものが、よく理解できていないのではとさえ思う。それとも女には理解できない、男の浪漫的な考えなのか。だとしても無謀に過ぎる。「そういうものですか、男の子って」
「そういうものさ、男の子ってのは」ヨシカズはあっさり肯定した。「特に女の子に頼りにされちまったらな。今のこの国で、一五歳なんてまだまだ子どもの年齢だが、戦国の世ならば元服、武者として初陣に臨む年頃だ。侮ってかかるべきじゃあないのかもな」
ヨシカズはコーヒーの紙カップを置くと、話を続けた。
「で、だ。何となく、俺の勘なんて全くもって当てにならないんだが、彼なら、彼らならやってくれそうな気がするんだ。海浜警備隊の連中も、半壊の憂き目に遭っても妙に士気は高いしな。だから俺たちは俺たちで、しっかり……!?」
鳴り響くけたたましいサイレンの音が、ヨシカズの言葉を遮った。警報と同時に明滅するランプが示すのは、第三収監室。玖成姉妹のいる部屋だ。
何が起きたのか。弾かれるようにヨシカズが、続いてタマミは席を蹴って駆け出した。監視室の扉を抜けて、非常階段を駆け下って収監室のある下階へ。二人は駆けながら腰の電針銃を抜き、構える。ヨシカズが先行し、タマミが後衛につく。ヨシカズが曲がり角ごとに顔を少し出しては戻し、安全を確認して進む。
すぐに第三収監室が視界に入った。離れていても、その異常さがわかる。
「なに、これ……」
タマミは茫然と呟いた。質の悪いブリキのようにひしゃげ、廊下側に倒れた特殊鋼製の扉を前にして。




