6-5 そして、選択は再び
頭を打っているので検査が必要。ケイがそんなことを看護師の人に言われて、病室に留め置かれておおよそ一日半。学校の定期健康診断ではまずやらない、採血やCTスキャンやらの検査を幾つも受けて。ベッドに腰掛け、ふと気づけばもう夜だった。
不意に訪れた空白の時間に、ケイは今後のことを考えてしまって少し気が重くなった。やっぱり鑑別所かなあ。波瀬って人、もしもの話だと前置きしてはいたけれど。無免許で甲種方術甲冑に類する傀体を乗り回した上に、海浜警備隊の許可も届出もなしに界獣と戦闘、しかも乗り回した傀体は非登録で無国籍。高等部一年生の知識では、どんな罪になるのか計り知れない。
それでも波瀬と名乗る護国庁の人に、ウルスラとメイハとアヤハ、家族の無事を確認できたのは幸いだった。湾岸公園の戦いから二日ほどが経っている。今も皆が無事ならば、あの界獣の大群と〈落とし仔〉についても、きっと、自分が知らぬ間に決着がついたのだろう。そう、ケイは思っていた。
背後の扉がスライドして開く。近づく足音に振り向いて見れば
「やあ我が騎士。元気そうで何よりだ」キッチンカートを押して、ウルスラが病室に入ってきた。いつものパーカーにデニム、スニーカー姿で。「ディナーを取ってきたよ。キミの身体はモニターしてるからあまり心配はしてなかったけど。実際に顔を見たほうが安心できるね」
「ウルスラ!」ケイは思わず駆け寄ると、ウルスラの両肩に手を置いて無事を確かめる。「君こそ怪我は……ないみたいだね。よかった……」
ケイは安堵の溜息をついた。〈落とし仔〉の攻撃のさなかに海に落ちていく姿が、彼が彼女を見た最後の記憶だったから。
「あ、うん」珍しく歯切れの悪い返事を返すと、ウルスラはそっと目を閉じて額をケイの胸に預けた。「心配かけてごめんね、ケイ」
手と胸から伝わる体温に、ケイはひどく安心している自分に気づく。そして
「あ……」普段ならまずしない、大胆なことをしていることに思い至って、慌ててウルスラの肩から手を離した。「ご、ごめん!」
「む、つれないねぇ我が騎士」ウルスラは、いつものにまにました笑みを浮かべている。「もう少し再会の喜びに浸っていたかったんだけどな」
「それより界獣は、〈落とし仔〉はどうなったのさ?」
頬が熱いのを知られたくなくて、ケイは話題を変えた。ウルスラの顔も、ほんの少し赤くなってるように見えるのは気のせいか。
「食べながら話そうか」ウルスラは話しながら、キッチンカートから夕食のトレイを出す。エビピラフにコンソメスープ、デザートに小さなプリン。シェルター避難時のお決まりのメニューだ。「わかりやすくまとめるとだね。キミが一撃入れた後、ヤツは、クトゥルーの〈落とし仔〉は退却。海浜警備隊の精鋭が殲滅に向かって、敗けて潰走。ヤツは勢力を盛り返して、ボクらは再戦のための準備中」
ケイは夕食のトレイを、茫然となりながら受け取った。何てことだ。決着はおろか、何ひとつ終わっちゃいなかった。
「詳しくは後で説明するけど、ヤツは不可触領域を拡大しつつ、呼び出した界獣の群れと西に向かって進行中。その途上にはトウキョウ圏の都市部がある。不可触領域の到達予測時刻まで、残りはおおよそ20時間。到達すれば、街に甚大な被害が出る。界獣によって港や建物が壊されるだけじゃない。人間が壊される。シェルターにも多少の霊的防護はあるだろうけど、防ぎきれるものじゃない」
「人間が壊される、って」ケイは抑揚の少ない彼女の言葉に、それがものの例えではないことを悟る。「殺される、だけじゃないの?」
「ケイもアレに近づいた時、吐き気を感じたり気持ち悪くなっただろ?」ウルスラは自身の分のトレイを持つと、ケイのベッドに腰掛けた。「あれの百倍か千倍ひどいのが来ると思ってくれればいい。人にもよるけど、意識を失ったり精神に異常を来たすんだ。感受性が高い人間なんかは、身も心も人間の形をやめてしまうこともある。こうなるとD類やW類に喰われるほうがマシかもしれないね。知性も記憶も失って、高位の存在に奉仕を続けるだけの存在になり果てる。殺されない限り、永久に」
ウルスラは軽く手を合わせると「いただきます」と言ってピラフを頬張った。んぐ、ケイやケイの父君の炒飯に比べると今一つかなあとか何とか言いながら。
メイハとアヤハを助けようと駆けたあの日よりも、お婆さんとウルスラを抱えて駆けたあの日よりも、遥かに巨大で理不尽な困難が、ケイの目前にあった。それは普通に考えれば、海浜警備隊が対処すべき問題で、一介の学生がどうにかすべきことじゃない。そんなことはケイにもわかっていた。
ごくんとピラフを飲み込むと、ウルスラはケイを見つめた。剣を差し出したあの時のように。
「理不尽に抗う術は、もうキミの手にある」そして、選択も再び。「どうする、Sir Cai?」
しゃらん、とケイの右手首で銀鎖が鳴った。
* * * * *
田和良トウカ二等警士は、身じろぎもせずベッドに横たわっていた。ただ無表情に天井を見つめ、呼吸と瞬きをするのみで。ソウリが話しかけても何の反応もない。
彼女だけではない。ネリマ保安部の病室に横たわる隊員の内の半数ほどが、同じ容体を示していた。
「所謂、緊張病に似てはいますが、私にはどうにも異なる症状に思えるんですよ」ソウリの横で、真科田ヨウスケ医官は言った。「脳症も疑いましたが、CTで見ても脳の異常は見当たりません。食事や給水には反応します。これは推測なのですが、彼女たちの状態はある種の防御反応なのではないか、と」
「防御反応?」
ソウリが問い返すと、真科田医官はパイプ椅子から立ち上がった。彼は身長が2メートル近くあるため、それだけで迫力がある。黒い肌は、彼がアフリカ大陸の血を引く証だ。彼自身は、自分の容姿が周囲の人々に威圧的に見られることをかなり気にしている。当人はいたって温厚な人物だ。
そんな真科田ヨウスケ医官は右手を手刀の形にすると、おもむろにトウカに向かって振り下ろした。
「ちょっ!」
と待って、とソウリが言う間もなく、真科田医官の手刀はトウカの左手に防がれていた。
ね? とでも言うように真科田医官は小さく笑むと、椅子に座りなおす。
「ブリタニアの妖精の言葉どおり『異質で膨大な刺激』が脳に、意識に流れ込んだならば、その全てを受け入れたら意識が甚大な被害を受けるのならば、刺激に対して意識を遮断し自己の意識を守る。そんな機能が働いたのかもしれません。過電流でブレーカーが落ちるように。症状は全く異なりますが、その意味では解離性障害に近いもののように思えるのです」
真科田医官の専門は精神医学だった。異世界、異次元の怪物とも呼ばれる界獣、特種害獣を相手取る海浜警備隊員は、精神に病を抱え込む者が少なくない。生命の危険と未知の怪物に対するストレスに晒され続けるためだ。真科田医官はそんな隊員たちのケアに当たっている。
「先生、回復の見込みは?」
ソウリは問う。かつての快活な姿を知っているバディとして、このような姿はずっと見ていたいものではない。
「わかりません……」真科田医官は静かに首を横に振った。「20年前、C類起源体と交戦したなら似たケースがあったはず。そう思って本部のデータベースを当たりましたが、当時の年代の情報だけが抜けていました。ええ、露骨なほどに」
政権交代に伴って発生した大惨事。当然、表に出すわけにはいかず、証拠隠滅を謀ったのは議員か官僚か。
「ただ、人間に限りませんが、生き物は自身が意識している以上の情報を取得し識閾下で処理しています。彼女たちは今も異質な刺激の源、起源体の接近を感じ取っているのかもしれない。ならば……」
「起源体が消えるか去れば、元に戻ると?」
「あくまで可能性の話ですよ。未知の事例に私たちは無力だ」真科田医官は苦い笑みを浮かべた。「伊勢さん、そろそろ時間なのでは?」
言われてソウリは腕時計を見る。21時20分。再突入のための、コンゴウ改の改装が終わる頃だ。明日一六時に開始予定の、トウキョウ湾不可触領域への再突入作戦。ソウリは突入部隊に加わるよう瑞元隊長に言い渡されていた。早々に試験場に向かって、シミュレータで改装傀体を体に馴染ませねばならない。
「では、行ってきます。皆のことをよろしくお願いします」
ソウリは敬礼すると、病室の扉に向かって身を翻す。
「こんな時代です。祈る神は持ち合わせませんが」真科田医官も立ち上がると、ソウリを敬礼で見送った。「ご武運を」
* * * * *
シェルター間を繋ぐ地下連絡通路を、四人乗りの電気車両が走る。その後部座席で、御幡シグネは隣の父を見遣った。御幡コウ、四五歳。髪に白いものが混じりつつあるものの、いたって健康で冴えない独身の中年男だ。一般の同年代と異なるところと言えば、妻を亡くし、二人の子を育て、更に実子でない二人の子どもの未成年後見人になっていることくらいか。
そんな父は今、ひどく深刻な顔で頭を抱えている。
「なあシグネ、俺の育て方が悪かったのかな……」
幾度となく同じ問いを繰り返すので、うんざりしたシグネは言葉を返すのをやめていた。
シェルターに避難した際に、ケータイにかかってきた電話。それは海浜警備隊からのもので、ケイとメイハとアヤハがネリマ保安部に保護されていることを告げるものだった。三人とも連絡がつかずその身を案じていた時だったので、シグネは父と二人で安堵の溜息をついた。その後、三人の重大な違法行為の可能性を示唆されるまでは。
それから今に至るまで、父はあれこれくよくよと悩んでいる。最初こそシグネも「あの子たちが事情もなしに、違法行為に手を染めるはずないでしょ」と言ってはきた。しかし言うにつれてシグネも自信がなくなってきた。あの子たち、事情があればやりかねない。6年前にやらかしたケイは元より、メイハとアヤハもケイが関わると見境がなくなるところが確かにある。
それでも、とシグネは思う。あの子たちが大それたことをやらかすのは、相応の事情があってのことだと確信している。単に罪を犯しただけならば、わざわざ緊急事態宣言が出ているこの状況下で、こうして面会と引き渡しの連絡が入るはずもない。と思いたい。
推測も交えてそんなことを言ってきたものの、父の反応は相変わらずだ。
「あの子らが非行に走ったら、母さんに顔向けできんよ。誰に似たのか……」
メイハとアヤハはともかく、ケイは間違いなく母さん似ね。決めたことはどんな障害があってもやる。放たれた矢のように。シグネは思い出す。治療後の病み上がりの状態で、メイハとアヤハを引き取ることを決めた母は、児相の霧島女史と鬼神のように働いた。
そして父にも似ているのだ。鈍感で頑固なところなどそっくりだ。
「そろそろネリマ保安部に着きます」
前席で運転する海浜警備隊員が、振り返らずに告げてくる。
薄暗い地下通路の先に、ライトに照らされた入り口が見えてきた。




