≪9≫ 薔薇の騎士4
帰りの馬車に乗るまでに一悶着あった。
この快挙を祝いたいと晩餐会を薦められたのだ。
本来であれば、これはモンテローザにも強く影響力をもてる良い話だったが、ディシュルは頑として固辞した。
アシュガの震えが止まらないからだ。
すぐに王城に戻ると判断した。
蒼光院長はまさか断られると思わず、ならばお見送りを盛大にしたいと、客室で待機を余儀なくされた。
アシュガは今も黒い影と闘っていた。
ディシュルの唇をみて早くキスがしたいと考えていた。
帰りの馬車までなんとか保護がありますように、アシュガはまた彼にしがみつく。
ディシュルは優しく彼女の頬にキスをして囁いた。
「アシュガ、そんな顔をしちゃダメだよ。僕も耐えられなくなる。もう少しだから。」
そしてアシュガの頭を優しくなぜた。
見送りの準備が整い、楽団の華やかな演奏と蒼光の舞が披露され、2人は大歓声の中、馬車に乗り込んだ。
馬車の窓からディシュルは人々に手を振り応えている。
まだまだ何本もの影の手が矢に姿を変えてディシュルを射抜く、その内に一本が彼のロザにヒットした。
「?」と額に違和感を覚えたディシュルを押し倒し、覆い被さったアシュガは、彼のロザをいきなり嘗め出した。
体中が痺れて気を失いそうになりながら、アシュガはディシュルの中から黒い影を引っ張りだす。
そしてディシュルに熱い口づけをした。
「せっかちだな、アシュガは」と口では言うものの、素直に快楽に従うディシュル。
その後、歓声が遠くなって尚、黒い影が何本もディシュルを執拗に射抜いていた。射止められぬのが信じられないと焦りに変わったのが、アシュガには手に取るようにわかった。
アシュガはまだ震えていた。
「ディシュル、だめ、やめないで、キス」
アシュガの首筋に唇を落としていたディシュルは、キスに応じた。
ま、帰りの馬車旅は長いからな。
まずはアシュガの気がすむまでキスに応じるのも悪くない。
でもそれからは、こちらの期待にもちゃんと応えてもらわないとね。
もうキスだけじゃ我慢できないから。
「ア シュ ガ!アシュガったら!」
遠くでディシュルの声がする。
アシュガは目を開けた。
ディシュルはアシュガの胸に顔に沈めて抱きしめていた。
青い目に涙をたっぷり溜めた顔を上げてアシュガが目を覚ましたのを見ると
「やっと起きた。何でそんなに寝るんだよ!」
と怒っている様子だ。
「馬車に乗り込んで、自分の欲情だけ済ませたら、あとはぐっすりお休みなんて、僕の気持ちも少しは考えてよ!」
ディシュルは顔を真っ赤にしながら怒って言った。
帰りの馬車に乗り込んだ後、呪いから逃れる為に必死で、アシュガは後の事は全く覚えていない。
「もう王城が見えてきちゃったよ。せっかく、せっかく2人きりのチャンスだったのに」
ディシュルは最後は泣いていた。
「お、王城!」アシュガは外をみた。
まだ遠くではあるが、夜空の下に王城と城下町の人々の営みの光が綺麗に写し出されている。
「わあ!」アシュガは嬉しくなった。
やっと帰ってきた!ディシュルは無事だ!
私たちは魔女の呪いに勝った!
「わあ!じゃない!!」ディシュルは窓を乱暴に閉めてアシュガに詰め寄る。
「こんな自分勝手な奴、王城に帰っても、もう無視するから!可愛がってやらないから!」
とアシュガの胸でまた泣いた。
「ディシュル、離れてよ!恥ずかしいよ」とアシュガが言うと
「わかった。君がモンテローザで震えながら離さないでと懇願した時、僕は約束を守ったよ。つまり君は要がなくなれば、スッキリサッパリ切り捨てる人なんだな!」
と綺麗な青い目で睨む。
「ち、違うよ。」
アシュガは睨みに圧されていた。
「ふん、じゃ、これが最後のキスだから。君が謝罪しないなら、もう可愛がってやらない!」
とディシュルはその綺麗な顔をゆっくりアシュガの顔に近づける。
麗人の息がかかるほど、唇の動きがわかるほど近づいてきて
「いいんだね、最後のキス」
とディシュルは静かに凄みをかけた。
アシュガは石になったかのように固まった。こんなときどうすれば良いかなんて、彼女にそれだけの経験と引き出しはない。
ディシュルもそのまま動かなかった。
「そ、それか今ここで僕にモンテローザでしたような情熱的なキスをくれるなら考え直してもいいよ」
と麗人は何だかわからない質問に変更してきた。
アシュガは顔を赤くしながら、綺麗な青い瞳をみる。
それはモンテローザの館でみたような期待に満ちた青い瞳だった。
アシュガは彼を失わなかった、いや、彼を得たんだ。呪いから奪い取ってやったのだ。
そっとディシュルの唇にキスをした。
彼の体が一瞬震えたかと思ったが、そのまま押し倒されてしまった。
ディシュルの唇はやっぱり柔らかいな。
そんな事を思う。
呪いを気にしなくて良いキスはとても甘くて、そのまま体が溶けてしまいそうだ。
いや、こちらの方が魔女の呪いだろうか?
アシュガはディシュルになら、もう何をされても良くなっていた。
ディシュルのエスコートは実に優雅でスマートだ。
馬車から出るアシュガを支えて、出迎えの従者たちを前に自分の横に彼女を促し、腰に手を添えて長旅で疲れたアシュガの体を労っているようだ。
アシュガもそのままディシュルに身をすべて預けるかの様にして寛いでいる。
王城で出迎えた従者たちは目を丸くした。
60年ぶりの快挙を成し遂げた知らせにも、もちろん驚いたが、昨日の朝まで豚だの暴君だのとケンカばかりしていた2人が、まるで恋人同士の様に目の前に佇んでいる。
こ、これは魔女の呪いか?
呪いなら何の為の呪いだ?
しばらく従者の間で話題になる話である。
「お帰りなさいませ、ディシュル王子、アシュガ様」
従者一同が頭を下げた。
ディシュルが軽く手を上げた。
「お疲れのところ、大変申し訳ありませんが、王様が快挙のご報告をお待ちでございます。」と従者が言う。
「わかった。すぐに行こう。アシュガをとても疲れさせてしまったから、手短に調整してくれ」
ディシュルはアシュガをエスコートしながら歩き出した。
玉座の間で王が薔薇の騎士を出迎えた。
「ディシュル、よくやった。そなたはこの国の誉れだ。みんなに希望の光をもたらした。」
王は何度も何度もディシュルを誉め称える。
回りに集まっていた貴族や豪族、騎士もその栄誉を称えた。
「王子の白薔薇の凱旋祝いに舞踏会を開くことにした。本来であればすぐ祝うべきだが、如何せん準備不足だった。60年、私たちは白薔薇の凱旋を待ちすぎたに違いない」として
「今回の働きに、何でも願いをきいてやろう」
とまでおっしゃった。ディシュルは
「では明日にでも、王様と2人きりでご相談したい」
と言った。王様はにこやかに頷いた。
ディシュルはアシュガの部屋の前までエスコートしてくれた。
そして優しく引き寄せて、頬に挨拶のキスをしながら
「素敵な旅になった。モンテローザの出来事は一生忘れられない。アシュガ、側にいてくれてありがとう」
とアシュガの手を握りしめた。
「ディシュル、私も。ありがとう」
とアシュガは月夜に照らされる綺麗な青い瞳を見つめた。
アシュガは部屋のベッドでゆっくり体を休めた。
昨日の出発が嘘のように、長く部屋をあけていた感じがした。