尾張の農業改革
1536年 3月 信孝22歳 信秀26歳
【三河国 合歓木城 評定の間】
少し時間は戻って、信孝が滝で修業を始める3か月前……
信孝は、信秀との戦いで筋肉制御を開放したため、全身筋肉が断絶し絶対安静の状態だった。
そのため、信孝は井田野の戦いの後の会議で、自分が筋肉断絶から回復し、滝の修行を終えて帰ってくるまでの4か月ほどで、やっておいて欲しいことを信秀と康孝に伝えた。
それは、合歓木城から動けない信孝に代わって尾張の農民たちを指導し、農業改革を成功させることだ。
農業改革とは、未来の技術によって尾張の米収入と金銭収入を倍増する計画だ。
稲作分野では、稲作に塩水選・苗代作り・正条植えを取り入れること
新商品として、椎茸を栽培することと、石鹸を開発すること
を第一目標とした。
唐箕や千歯こきの開発、焼酎を作るための蒸留器の開発、大型投石器や種子島・火薬などの開発は一旦先送りにした。
とりあえず、本願寺とぶつかって耐え抜くために食料を優先したのだ。加えて、すぐできて真似しにくそうな新商品も作る。これも銭を確保して食料を買い占めることが第一目標だ。
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1536年 3月 信孝22歳 信秀26歳
【三河国 合歓木城 評定の間】
[康孝サイド]
「種選びに塩水選、苗植えに正常植え…それにシイタケの栽培法と石鹸ですか」
私は兄上の説明を受けて、愕然としていた。そのような技術があれば確かに米の収穫、銭の収入ともにけた違いになるであろう。
「しっかし、これを民衆に説明するのは骨が折れそうだぜ。とりあえず、配下の領主たちを読んで説明するしかねえか?」
信秀殿の言葉に同意しつつ私は考える。
兄上から聞いた技術は我々の理解の範疇を超えたものだ。よって人から人へと伝えるほど、間違った情報が入り込む恐れがある。
領主→村長→農民と段階を踏んでいては正しく実行されない恐れがあるのだ。
だからと言って、農民を全員一か所にあつめようというのは無理があるし、村長だけでも難しい。何せ尾張全体では500ほどの村があるからの。そうでなくとも、そろそろ農繁期だ。尾張中の村長を集めては苗代作りが間にあうまい。
私は仕方なく、そのことを寝たきりの兄上に相談してみたところ、兄上は少し考えて答えた。
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「うーん、じゃあしょうがないか。今年は合歓木城の付近、10村ほどにだけ塩水選、苗代作り、正条植えをしよう。」
「これらの村を”見本村”とし、今年はとりあえず見本村の収穫を増やすことにする。そして来年になったら見本村の住民に指南役として尾張各地に飛んでもらおう」
「故郷を離れることになるが…十分な報酬を出せばいいだろう。どうしてもなら村ごと、洗脳するけどね」
「ただ…見本村で農業改革を行っていることが、もし本願寺にばれたら、どうにかして技術を盗もうとするだろうね。今年のうちに攻めてくるかもしれない。
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兄上の言葉を受けて、私と信秀殿はとりあえず近隣の10村に声をかけ、村長と主だった農民を合歓木城に呼ぶことにした。
「よし、じゃあとりあえず近所の村に通達だな。あと、一応尾張の村にも来年から革新的な農業手法を取り入れると伝えておいた方がいいんじゃねえか?」
確かに、来年いきなり言うよりは今年のうちに宣言しておいた方がいいだろう。私たちは聖王家の家臣に命じて、500ある尾張の各村に来年からの計画を伝えてもらった。
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1536年 3月 信孝22歳 信秀26歳
【三河国 合歓木城 評定の間】
こうして合歓木城近隣の村から村長および主だった村民が集められた。
「聖王に従う聖なる民達よ!よくぞ集まってくれた。俺が前聖王の織田信秀だ!」
村長と村民たちがざわつく”あれが前の聖王様か”という声がちらほら聞こえる。
「この度は新聖王のありがてえ施策を皆に伝えるため、集まってもらった。この施策が成功すりゃあ、尾張の石高は二倍になる!もちろん、おめえらが真面目に取り組めばだがな!」
兄上が筋肉断絶により動けないため、今回は信秀殿に聖王代理として兄上の施策を伝えてもらうことになっている。
前聖王なのだから、民衆も良く話を聞いてくれるだろう。
村民からは2倍などあり得ん!という声が響き渡る。一方で、聖王の言葉ならば…という声も聞こえる。
「信じぬ信じないは勝手だが、こいつは事実だ。お前たちの村にはこの施策の見本になってもらい、実際に2倍になれば、見本村から指導員を尾張中に送ることになる。だから真面目に取り組んでくれ」
やはり村人達からはオラ達が見本?そんなのできるのか?という声が聞こえるが、やるしかないとわかって覚悟を決めたようでもある。
「じゃあ、実際にその方法を説明するぞ。まずは…」
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信秀殿は大桶に水を張り、これに大量の塩を溶かした。この塩水を桝ですくい、そこに種もみを浮かべる。そして少しずつ水を加えていく。
兄上の話では、この過程で沈んだ種もみは正常だが、沈まなかった種もみは中身が軽く、収穫量も少ないので使うべきではないという。
「つまり、これで浮かんでくる米はくず米ってことですきゃ?」
信秀殿の説明が上手いため、農民たちも積極的に質問をしてくる。どうやら塩水選についてはうまく伝わりそうだ。
「こりゃええだ!収穫の少ない種もみを無駄に植えずにすめば、確かに収穫量は増えますにゃ」
「ふはは!そうだろう。だが、新聖王の施策はこればかりじゃねえぞ!」
そう言って信秀殿は土を深めに入れた桶を持ってきた。苗代つくりのためのものだ。兄上の話によると、苗代作りはこの日ノ本で行われている地域もあるようだが、少なくとも私たちは知らなかった。
「まずはこの土に十分に水を入れる。その上に種もみをまいて、十分に成長させてから、田に植えなおすわけだ」
考えてみれば確かに、稲だって人間の赤子と同じように、種から芽が出て茎が伸びていく過程で最も病気や栄養不足に陥りやすい。
それらの危険を排除するために、この期間を田ではなく、集中して管理できる場所に隔離するというのは理にかなっている。
「なるほど。ひと手間かけるだけで、一粒の種から計り知れねえ米が採れるのでゃすにゃ!」
農民たちも苗代の価値を理解してくれているようだ。私と信秀殿も話を聞いた時にはとてつもなく感心したものだ。やはり兄上はこれまでの兄上とは違う…。
狐や物の怪が兄上に憑いたのか…。だとしても我らに対して害意はないようでもある。本物の兄上が消えてしまうのは悲しいが…。今の兄上がいなければ、松平家はもたないかも知れない。
少なくとも、私の知っている本物の兄上は聖王教の求める奇跡など起こせまい。
兄上には会いたい…。だが私は今の兄上についていくしかないのだ。家のため、自分の命のためにはそれしかない。今の兄上も大好きじゃしな…。
「よーし!とりあえずはこれでいいぞ。次の”正条植え”は苗が十分に育ってから教えることにしよう」
こうして兄上の目指す尾張農業改革の第一歩が踏み出された。




