伊納円香のキモチ
美鶴のヤキモチが、可愛かった。
上條は、相変わらず人にヤキモチを妬かせるのがうまい。
美鶴に、手紙を読んでもらった涙がとめられなかった。
キスをし続けて疲れて眠っている美鶴を見つめていた。
美鶴の寝顔は、とても綺麗。
先生の手紙を、美鶴が読んでくれた内容に私はあの日を思い出していた。
あれは、夏休みの終わりだった。
【先生、通過儀礼って何?】
【どうして?】
【ほら、この小説に載ってるの】
【どれどれ】
先生は、私が見ていた小説を覗き込んだ。
【これはね、成長過程って事だよ。例えば、円香がご両親にイライラしたりするだろ?思春期だよね。それだって、円香が成長してる証だろ?】
【私が、そこから羽ばたいて行くって事だよね?両親から、旅立つ準備って事だよね?】
【そんな感じかな】
【そう言うことなんだね】
【円香にとって、俺もその一部だったりするのかな?】
【先生、何でそんな変な事言ってるの?】
【いや、気にしないでくれ】
そう言って、先生はニコニコ笑った。
でも、その笑顔は暗かった気がする。
「ごめん、寝てたね」
美鶴が、目を覚ました。
「ううん」
「お酒でも飲もうか?」
「杏酒?」
「去年のがあるね」
「うん」
美鶴は、私の為に果実酒を作ってくれる。
中でも、私のお気に入りは、杏酒だった。
美鶴は、起き上がってお酒を用意してくれる。
お揃いで買った、高いロックグラスに丸い氷を入れてくれる。
そこに杏酒と少量の炭酸水をいれてくれる。
「はい」
「ありがとう」
おつまみには、レーズンバターとチーズとクラッカーが、私達の定番だった。
美鶴は、さっさっと用意して隣に座った。
「お水飲んだら生き返った。」
「よかったね」
「乾杯」
「乾杯」
私は、杏酒を飲む。
「美味しい、一年ものはめちゃくちゃいいです」
「よかった」
美鶴は、一つだけ私に、嘘をついてるのを知っている。
「どうしたの?円香」
そろそろ、その沼から美鶴を解放してあげたかった。
「美鶴」
「何?」
「私なら、全員を殺せたよ」
「何言ってるの?」
「ちゃんと、こっちみて」
私は、グラスを置いて美鶴の顔を両手で挟んでこっちに向けた。
「どうしたの?」
「美鶴、私なら包丁なんかよりスマートに殺せたよ」
美鶴の目から、涙が込み上げてくる。
「もう、心を解放してあげていいんだよ。美鶴」
私は、右手の人差し指で美鶴の胸をグリグリと差す。
「円香」
美鶴の目から涙がツゥーと流れ始める。
叫び声もあげない、ただ、静かに泣いてる。
「美鶴、大丈夫だよ」
私は、涙を拭う。
「ヌルッとした感覚の夢を見るんだ。それは、黒くてアメーバ状に広がってる。手につくと拭っても、拭っても、綺麗にならなくて…。目覚めた瞬間に、隣に円香が眠ってると安堵するんだ。円香が、夜勤の日にその夢を見るとね。膝を抱えて震えるんだ。それからは、眠れなくて…。そのまま、朝を迎えて仕事に行くようになった。」
「美鶴」
「円香、俺。よくない事ばっかり考えてるよな?」
「そんな事ないよ」
「円香、それでもやっぱり許せないんだよ。あの日、何が起きたのか知りたい。なぜ、車に飛び出したのか知りたい。でも、知れないのなんてわかってるから…。だから俺は、ずっとずっと苦しんでる。」
「私は、先生からの手紙が残ってたから。美花さんは、死ぬつもりなんかなかったんだよ。あの日だって、美鶴の元に帰ってこようとしてたんだよ。」
美鶴は、私を引き寄せて抱き締める。
「円香、俺ね。もう、失いたくないんだ。こんな気持ちいらない。円香と一緒に未来に進みたいんだ。心の隅にあるこの感情に支配されて欲しくないんだ。円香と生きていきたい。もう、なくしたい。」
「美鶴の心が軽くなる方法探そう。夜勤があるのが嫌なら、働き先返るから…。どうして欲しいか、言っていいんだよ。」
「目覚めた時に、円香がいないのは、嫌だ。円香が頑張ってるのわかってる。でも、帰宅して円香がいないのも。目が覚めて、円香がいないのも。耐えられない。怖くて、怖くて、堪らない。もう、俺の心は円香の形になってるから…。円香がいなくなったら、耐えられない。俺、先生の気持ちが凄くわかるよ。円香を失ったら生きられないんだよ。心がその人の形になるって事は、そういう事なんだよ」
美鶴は、私から少し離れて、私の頬を撫でる。
「私だって同じだよ。美鶴は、もう孤独を埋め合うだけの関係じゃない。美鶴が望むなら仕事をかえるね。」
「円香、ごめんね。ワガママを言って」
「ううん、いいの」
美鶴は、私の唇にキスをしてくる。
身体中を駆け巡る快感とこれ以上ない程の幸福感で全身が満たされていく。
私と美鶴は、キスをしながら同じ事を考えていた。
これからは、ずっとずっと美鶴【円香】の傍にいる。
もう、代わりなんかじゃない。
私【俺】には、必要な人だから…
愛してる。




