ラルトーナの花
馬車はゆっくりと目的地に向かっていた。長い間その中で揺られて、もう何度か浅い眠りについてしまっている。石でも乗り越したのか大きな揺れで目を覚ましたローデリアは、気の抜けている自分を戒めながら、椅子に深く座りなおした。
それから横に座るアレイズに目をやる。どうやら彼も眠りについているようだった。居眠りしたのが自分だけではないことに安堵しつつ、ローデリアはそっと、カーテンの隙間から外をのぞいた。日が昇り始めた時間に宿屋を出発して、今は丁度お昼を過ぎたあたりだろうか。告げられている到着時刻も近いのかもしれない、と頬を緩ませる。
二人は、ノーベラルト公爵領に向かっていた。
先日に王都にあるノーベラルト侯爵家で行われた大舞踏会は、大成功の内に終わった。二人の髪色を模したというそのドレスコードは恥ずかしかったけれども、しかしローデリアにとっては初めて、胸を張って出席することができた舞踏会だ。
その催しも終わり、社交界がオフシーズンとなるに合わせて、二人は侯爵家の領地に旅行にきたのだ。
長い休暇を取って公爵領に行こうと言いだしたのはアレイズだ。最初、ローデリアはその提案に驚いた。彼はまだ父親と仲互いしたままであり、その溝は欠片も浅くなっていない。せっかく父親である侯爵が田舎屋敷に引っ込んだというのに、それを追うかのように領地に向かうのはどうも不思議に思えたからである。しかし彼女にとっては公爵領を訪ねるのは何ら不都合なことではなく、反対する理由も見つからなかったので、二つ返事で了承した。
馬車がもう一度、がたりと大きな音を立てて揺れ、アレイズが目を覚ます。
「ああすまない、寝てしまっていたのか」
「いえ。私も、少し眠っていました」
意味も無い会話をした後、アレイズもローデリアがしたようにカーテンをずらし、外の様子を見た。もうすぐ着きそうだ、という言葉に、彼女ももう一度外を見やる。雲ひとつない晴天だった。気候の穏やかな季節、気持ちの良い日だろう。その空を眩しそうに見ていたアレイズは、笑顔をローデリアに向けた。
「ノーベラルトの田舎屋敷に行く前に、少し寄り道しても?」
「ええ、勿論」
ローデリアの返事を聞いたアレイズがドアを少し開けて、御者に一言二言命令をする。馬車はゆっくりと、三差路を左に折れた。
それから体感にして数十分ほど、馬車に揺られた後だろうか。アレイズが手を伸ばして、ローデリア側のドアにあるカーテンを閉めた。このままにしておいて、と言われて、不思議に思いながらも素直にそれに従う。進む馬車に身をまかせながら他愛も無い話をしていたとき、ゆっくりと馬車が止まり、御者が到着を伝えていた。
「ローデリア、ドアを開けて御覧」
アレイズが嬉しそうな顔をしてそう言う。その様子をなんだかおかしく思いながらも小さく頷いて、ゆっくりとドアを開け、そして目に飛び込んできた景色に、目を見開いた。
「わあ……!」
何て綺麗なの。ローデリアの口から、感嘆が零れる。
そこには、見渡す限りの蒼色が広がっていた。アレイズに手をひかれ、馬車から下りて一歩足を踏み出す。
世界を覆い尽くすほど咲き乱れる、ラルトーナの花。
それは空の中に立っているような、美しい蒼の景色。何処を見ても咲いているその花が快晴の空と繋がって、足の直ぐ側から空の天辺まで美しく染め上げている。
「この場所に昔から群生しているんだ。領地のシンボルになった由来だよ」
「すごい、本当に、すごく綺麗」
ローデリアの口からは、同じ言葉ばかりが飛び出した。それほどまでに目の前の景色は美しかったのだ。一面に敷かれた蒼の絨毯は、心を惹きつけてやまなかった。
「君に、どうしてもこれを見せたかったんだ」
ラルトーナの花が、好きなようだから。
そうアレイズに言われて、ローデリアは彼を見た。目の前に広がる蒼と同じ色が、アレイズの瞳にも輝いている。
「ありがとう」
胸が詰まってしまって、どうにかそれだけを口から絞り出した。目の前に広がる景色が、ローデリアから言葉を奪ってしまったようでもあった。そっと引き寄せられた力に、素直に身体を預ける。彼の力は弱く、近くに引き寄せられただけだ。けれどもその、ローデリアの肩を抱く指先からは、温かい熱が伝わってくる。
「アレイズ様、私」
言い掛けて、ローデリアは口を噤んだ。今は目の前にある美しい景色と肩にある温もりに、ずっと身を任せていたかった。
――――私、きっと貴方を好きになれる。
ローデリアの心で、そんな言葉が煌めいていた。
お付き合いいただきまして、ありがとうございました。




