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四門の奥義~鬼の哭く郷~  作者: 墨人
第一章 土
3/19

源川玄蔵

 訃流創始者の名をとって島崎郷と名付けられた町は、都や主要街道からも外れた田舎町だった。山間の平地に開かれた町であり、自給自足する以上の目立った産業もない。しかし昇陽最強剣術である訃流の町として、島崎郷の名は広く知れ渡っている。

 竹林での一件の数時間後、夜も更けて町は寝静まっているというのに、一軒だけ灯りの絶えない屋敷があった。

 屋敷の門には『源川』とある。

 島崎郷を取り仕切る四人の剣客の一人、土の奥義書を持つ源川玄蔵の屋敷だった。


 屋敷の庭には竹林で蒼次郎に斬殺された男が運び込まれていた。戸板に寝かされた死体の横には半ばから切断された刀も先端部と合わせて置いてある。

 その死体を運んできた家人達の視線の先には、縁側に仁王立ちするこの屋敷の主の姿があった。

 源川玄蔵。

 巨体の持ち主である。家人達よりも頭一つ半はゆうに背が高く、体の幅も厚みも倍近い。立っているだけで周囲に圧迫感を与えそうな頑丈そうな体の上には、これもまた頑丈そうな厳つい顔が乗っている。三十代も終わりにさしかかった年齢で脂ぎるほどに精力的な雰囲気を放っていた。

 そんな玄蔵が憤怒の表情を浮かべて仁王立ちしていると、側に近寄るのも憚られる迫力があった。


「誰だ……いったい誰がやりやがった!」


 そう言われても誰にも答えられない。


「源川様、これを見てください」


 家人の一人が死体の持っていた刀を源川に差しだす。玄蔵は刀を受け取って改めると、それが折れたのではなく、斬られたのだと瞬時に看破した。


「こいつは斬鉄か? しかもあいつは一太刀で斬られている。並みの……」


 そこで玄蔵は言葉を切った。「並みの使い手ではない」と言おうとして、それが言うまでもなく当然のことだと気づいたからだ。

 訃流は昇陽最強だ。奥義を知らない家人達にしたところで訃流の名に恥じない剣の使い手だ。それを一太刀で斬れるなら並みの使い手であるはずがない。そしてこの島崎郷には並みで無い剣客など履いて捨てるほどいる。


「仁志や瀬田が軽はずみな真似をするとは思えない。すると有馬の小僧か?」


 心当たりを順繰りに思い浮かべて行く玄蔵。

 技量的に可能か不可能かというだけでない。玄蔵の一党にちょっかいをかけてくる動機もある。

 玄蔵も含めた四人の奥義所持者は、現在は島崎郷を共同で取り仕切っているが、その仲はけして良いとは言えない。いや、はっきり言えば険悪でさえある。

 誰もが一冊の奥義書を持ち、他の三冊を欲している。訃流の奥義は四門のうちの一つでさえ強力であるが、四門の全てを修めてこそ訃流の奥義を極めたと言えるのだ。

 玄蔵にしてもいつかは誰かを斬って奥義書を奪うつもりでいる。ところが誰もが奥義の一つを持っている状況では互いの力が拮抗していて迂闊に手を出せない。逆に言えば、どうにかしてもう一冊でも奥義書を手に入れれば圧倒的な優位に立てるのだ。

 だから虎視眈々と隙を窺っているような状況だ。下手に仕掛ければ他の二人が介入してくるのは必然だから迂闊に動けず、長い四竦みの時間が続いていた。

 しかしもう二年だ。誰かが長い膠着に痺れを切らしてもおかしくない。


「問題はそれが誰かだが、やはり有馬か……」


 分家の有馬康信はまだ若い。一番最初に堪えが効かなくなるなら有馬だろうと玄蔵には思えた。

 とはいえ他の仁志や瀬田を無視するのも危険すぎる。


「おい、何人か分家の様子を探って来い。なにか動きがあるかもしれん。それと今日から不審番をたてるぞ」


 玄蔵としては有馬が怪しいと思うのだが確信がない。結局今の状況では受身に回るしかなかった。


 その夜半。

 玄蔵はふと目を覚ました。

 尿意を催したのではない。屋敷はしんと静まり返り物音一つしない。しかし剣客ならではの鋭敏な感覚は屋敷に漂う不穏な気配を感じていた。


「おい、異常はないか」


 襖の向こう側、縁側にいるはずの不審番に声をかけるが返事が無い。


「おい、聞こえないのか? まさか寝ちまってるんじゃないだろうな」


 寝てしまっていたら不審番の意味が無い。怒鳴りつけてやろうかと襖に手を掛けて、しかし玄蔵は弾かれた様に飛び退いていた。枕元に寝かせていた刀を引っ掴む。

 襖の外に感じた息づかいは眠ってはいなかった。玄蔵にとっては馴染みのある、気を練り上げるときに行う呼吸法『調息』を正確に刻んでいた。

 それは正確に整い過ぎている調息だった。

 特殊な呼吸法で体内の気を活性化させるのが調息だから、訃流を学ぶ誰でもがそれをできる。しかしただできるだけの初心者と、それを極めた熟練者の間には雲泥の差があるものだ。

 襖の向こうに感じた調息の気配は、間違っても家人達にできるものでは無かった。


「おい、有馬なのか?」


 問いかけに応えるように襖が音もなく横に滑った。警戒のために庭に焚いている篝火を受けて、細身の男の影が浮かび上がる。


「有馬じゃねえ……仁志、でもねえな。誰だ、てめえ」

「俺を忘れたのか?」


 襖がさらに大きく開かれると、篝火の赤い光が流れ込み、逆光ながらも相手の姿がはっきりと見て取れるようになった。


「お、お前は蒼次郎!」


 玄蔵は愕然として叫んでいた。


「さすがに憶えていたようだな。自分で目をつぶした相手のことは」


 隻眼の蒼次郎が底冷えのする声で言った。二年前、蒼次郎の左目は玄蔵によって潰されたのだ。


「本当に蒼次郎なのか?」


 その声は玄蔵の確信を揺さぶった。玄蔵の知っている蒼次郎の声とはあまりにも違う。

 宗家の嫡男として生まれ育ち、剣術においても天賦の才を持ちながら、その穏やかな性格の為に奥義の継承を危ぶまれていた蒼次郎。彼は殺人剣として「訃」の文字を冠した剣術を継承するには、あまりにも優しすぎたのだ。

 そんな蒼次郎の面影は微塵もなかった。向き合っているだけで身も凍らせるような冷たい殺意が吹き付けてくる。


「他の誰かに見えるのか? それとも俺の他にもこんな姿にした奴がいるのか?」


 淡々と蒼次郎が言う。影になりがちでも、恐ろしいほどに無表情なのがわかる。


「あれで生きていやがったとはな……二年も経って今さら何しに来やがった」


 玄蔵は蒼次郎が死んだとばかり思っていた。と言うよりも、川に飛び込んだ時の状況からすれば死んでいなければおかしい。


「何をしに、だと? 知れたこと。貴様を斬り、奥義書を取り戻す!」


 蒼次郎から吹き付けていた殺意がさらに強くなる。

 殺意に反応して玄蔵は抜刀していた。


「本気のようだな、蒼次郎!」


 玄蔵も剣客だ。己の獲物の重さを右手に感じれば一時の混乱など瞬時に振り払える。

 死んだはずの男が生きていて目の前にいるのなら、今度こそ確実に殺してしまえば良い。


「蒼次郎、俺を斬ると言ったな?」

「ああ、そう言った」

「できると思っているのか? 俺は土の奥義書を持っているんだぞ」

「奥義書を取り戻すとも言ったはずだ」


 血迷ったか? と思いつつ、玄蔵は調息を行う。すると気の充実とともに全身の筋肉が倍に膨れ上がったように感じた。それは錯覚なのだが、実際に力が増すのは現実の事だ。


「奥義書を持っている俺は、つまり奥義を使えるんだぞ!」


 言いざまに玄蔵は刀を振り下ろした。風を斬るどころか砕くような勢いで打ちおろされる刃。

 その剣圧に押されるようにして蒼次郎が下がった。中身の無い左の袖がはためく。

 目標を失った刀は轟音とともに畳や下の床板までを粉砕して大穴を開けた。


「どうだ、この破壊力! 俺の刀は斬るには向いていないが気にする必要もない!」


 言うように玄蔵の刀はあまり切れ味が良くない。はっきり言ってしまえばなまくらだ。

 その代わりというように大きく長く厚い。蒼次郎が持っている物と同じ「刀」の括りに入れるのが躊躇われるような代物だ。

 この巨大な刀の重さに玄蔵の膂力が加わった時、そこには恐ろしいまでの破壊力が生み出された。


「身につけてみて実感できだぞ。なぜ奥義が一子相伝とされたのかが。自分で言うのもなんだが圧倒的な力は……ぬうっ!」


 滔々と語りながら蒼次郎を負って縁側に出た玄蔵だったが、そこに広がる光景に言葉を飲んだ。

 不審番の二人が斬られ、縁側は流れ出る血に赤く染まっていた。


「お前がやったのか……」


 玄蔵は改めて蒼次郎を見やった。

 不審番はどちらも一太刀で斬られている。玄蔵が目を覚ました時の様子からすれば、ほぼ瞬時に斬られたのだろう。どちらも玄蔵が指名して不審番に立てた者達だから、相応に腕も立つ。

 それを一太刀で斬った、というだけなら玄蔵もここまで驚きはしない。二年前の蒼次郎であっても技量的な話をするのであれば、これくらいのことは可能だった。問題なのは技量ではない。昔の蒼次郎にはそれをできる腕があっても実行できなかった。

 人の斬れない剣客だったのだ。


「本当に変わりやがったな。あの蒼次郎がよ……」


 見た目が変わっただけでなく、もっと根っこの部分で、蒼次郎は既に玄蔵の知る蒼次郎ではない。斬ると言われ、明確な殺意を感じて、しかしそれらよりも目の前に転がる死体が蒼次郎の変化を実感させた。


「だが! 変わったのはこちらも同じ。俺とて二年前の俺ではない!」

「それがどうした。どう変わろうとも貴様では俺に勝てない。が、無駄な抵抗を止めろなどと言うつもりもない。貴様に対する恨みを全て晴らすには、一太刀では足りんからな」


 蒼次郎は刀を抜きながら庭に降り立った。隻腕なので当然ながら片手持ち。やや外側に構えて切っ先を玄蔵に向けている。

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