源川玄蔵の理由
「俺がおめえに勝てないだと? 奥義の力をわかっていないのか?」
「貴様は奥義奥義と言うがな……貴様は奥義の一つをしか知らんのだ」
「その一つがどれほどのものか見せてやろう!」
玄蔵は猛然と蒼次郎に斬りかかった。
蒼次郎は後ろに下がりながら、自らの刀を斬撃の前に滑り込ませる。
「馬鹿が! そんな貧弱な刀などへし折ってくれる!」
吠える玄蔵。しかし打ちおろされた大刀が轟音とともに砕いたのは、蒼次郎の傍らの地面だった。
「ぬうっ!」
地面にめり込んだ大刀を力ずくで引っこ抜いて蒼次郎を追う。
次の斬撃は石灯籠を、その次の斬撃は庭木を砕いていた。
「俺の打ち込みを受け流しているのか!?」
愕然として玄蔵は一歩を退いた。
相手の斬撃の力を正面から受けないようにして別の方向に逸らせるのが受け流しだ。単純に表せば直進しようとする攻撃の側面から力を加えて方向をずらす、となる。当然ながら攻撃側の力が強いほど受け流すのは難しい。特に玄蔵ほどの膂力となれば流そうとした刀を打ち砕いてそのまま相手も斬れるはずだった。
ふっ、と蒼次郎が酷薄な笑みを浮かべた。
「水は斬れず、砕けず……流麗なる太刀筋はいかなる攻撃をも受け流す……」
まるで朗じるように蒼次郎は言った。
「受け流しは角度が肝要だ。流れる水のように太刀筋を流麗にし、貴様の力を正面から受けぬようにすれば、土の剛力も意味を為さない」
「水!? 水だと!? 馬鹿な! 水の奥義書は有馬が持っているはずだぞ! てめえ、まさか有馬を……いや、そんなはずはねえ」
蒼次郎の言いように狼狽をあらわした玄蔵だが、少なくとも半日前までは有馬が無事だったのを思い出した。仮にその後に蒼次郎が有馬を斬って奥義書を入手したとしても、それからの短時間で奥義を修得するなど不可能だ。
「ふ……有馬か。いずれ奴の奥義書も取り返すがな」
いずれと言うからにはやはり有馬はまだ無事なのだ。
「ならばなぜお前が水の奥義を使える! 奥義書が無ければ無理だろうが!」
「そのとおり。これは水の奥義ではない」
言いながら、つつつ、と蒼次郎が前に出た。そしてほとんど振りかぶらずに、おもむろに斬り込んだ。
玄蔵は反射的にこれを受け止める。土の奥義が生む膂力は「受け止める」という使い方をするならば絶大な防御力を発揮するのだ。
蒼次郎の刀と玄蔵の大刀が噛み合い、玄蔵は両手に感じる重さに驚愕した。
「押し返せないだと!?」
土の奥義の膂力をもってして、蒼次郎の刀が押し返せない。それどころか少しずつだが逆に押し込まれている。
「この力、土の奥義じゃねえか!」
あり得ない事だった。四人で奥義書を分配した日から、玄蔵は片時も奥義書を手放したことはない。今も油紙を巻いて懐に押し込んであるのだ。それなのに蒼次郎は土の奥義を使っている。
「てめえ、どうやって土の奥義を」
「土の奥義でもないのさ。奥義書が編纂された経緯は貴様も知っているだろう」
鍔迫り合いを続けながら蒼次郎が言う。
風の字をあてた風流が、訃の文字をあてた訃流になり、そして四冊の奥義書が編纂された。それは宗家高弟だった玄蔵ももちろん承知している話だ。
「それがどうした!」
「玄蔵、訃となる以前、風の時代にも奥義書があったとしたらどうだ?」
「なん……だと?」
「奥義書というよりは指南書だがな。時代が移り無用となってからは寺に奉納されていた」
「するとお前は……!」
「いかにも。俺はその指南書を手に入れ、この二年間で完全に自分のものとした」
風流は訃流の原型だ。現在は奥義として分離した技の数々を内包している。土や水の奥義を使ったのも風流を修めたと聞けば納得できた。
「言っただろう。貴様は奥義の一つをしか知らん。それでは俺に勝てん」
なおも刀を押し込みながら蒼次郎が言った。
しかし言われた玄蔵は逆に余裕を取り戻していた。厳つい顔に獰猛な笑みが浮かぶ。
「へっ! タネが割れてみりゃそんなところかっ! 風流だと? そんなものは過去の遺物だ!」
玄蔵の全身の筋肉が膨張した。今までとは違う。本当に筋肉が一回り太くなったのだ。
「訃流、土の奥義『金剛』だ! おめえの古臭い『剛力』にこの力が出せるか!?」
玄蔵は強引に大刀を押し戻した。
支えきれずに蒼次郎が数歩後退する。そんな蒼次郎を玄蔵は蔑むような憐れむような目で見ていた。
訃流は風流の発展型だ。蒼次郎の持つ指南書が風流の物であるのなら、当然それ以降に編み出された技もあり、改良された技もある。風流の『剛力』が改良されて、より強い力を生み出す『金剛』となったように。そう考えれば、蒼次郎の使う風流は「土」「水」「火」「風」の全てを内包しているとしても訃流の奥義に数段劣ることになる。
「仕切り直しか……」
蒼次郎は緩やかな動きで間合いを計りながら言った。
「玄蔵、一つ聞かせろ。貴様、なぜ仁志の企てに乗った」
そう言う蒼次郎の声には少しだけ感情が乗っていた。幸せだった過去を懐かしみ、その幸せが失われてしまった事を悲しむように。
「宗家の師範代を分家の仁志に任されて……そんな屈辱的な状況でも貴様は不平を言うでもなく、己の未熟を恥じてひたすら修行に打ち込んでいた。そんな貴様を甲斐性なしだの愚直だのと言う者もいたが……俺はそんな貴様を尊敬してすらいた」
当時の蒼次郎と玄蔵の立場は、ある意味似通っていたと言える。
片や宗家の直系でありながら奥義の継承を危ぶまれ、対立候補として仁志を選ばれてしまった蒼次郎。片や宗家最高位の門弟でありながら、師範代の地位を仁志に奪われた玄蔵。
蒼次郎にとってはその状況も比較的受け入れやすかった。殺人剣としての訃流に疑問を持っていたこともあり、また仁志に対しては人格的にも剣客としての腕前でも一目も二目も置いていた。だから奥義書を継承するのが仁志になるのなら、それはそれで構わないとさえ考えていたのだ。
「甲斐性なし、愚直か。ふん、あの頃の俺はまさにそうだった。そんな俺を尊敬していただと?」
玄蔵は嘲笑を浮かべたが、それは自然と自嘲の笑みへと変化した。
「俺はいつか仁志を見返してやろうと思っていただけだ。だから修行にも打ち込んだ。実力で劣っている俺が何を言おうとも、負け犬の遠吠えにしかならないからな。だが足りない。俺が修行をするなら仁志だってしているんだ。白州斉は……いつになっても俺を認めることはなかった」
「それで御祖父様を殺したのか」
「そうだ! 確かに俺の腕は仁志に劣っていた! だからといって二十年も仕えた俺をないがしろにしやがって! 白州斉は死んで当然だ!」
玄蔵の声は怨嗟に満ちていた。黙々と修行を続けていた玄蔵の中にこれほどのどす黒い感情が渦巻いていたとは、当時の蒼次郎には想像もつかない事だった。
「今や俺は奥義書を手に入れた。いずれ仁志達の奥義書も奪ってやる。そうすれば俺が宗家だ!」
「愚かな……奥義書を分けあったのでは力は互角、昔となにも変わるまいに」
仁志も修行をするから追いつけないと玄蔵は言ったのだ。ならば双方に一冊ずつの奥義書が渡ったのでは状況は変わらない。結局は同じことだ。
しかし玄蔵は不敵に笑う。
「いいや、そうでもないぜ。土の奥義は俺にぴったり合ってる。相性が良いと言うべきかな」
不器用と言ってしまえばそれまでながら、玄蔵は昔から力に偏っていた。技術云々よりも圧倒的な膂力で相手をねじ伏せるような戦い方をしていた。その辺りが白州斉に認められなった理由なのかもしれないが、そんな玄蔵が究極まで力を強化する土の奥義を得たのだ。
「なるほど、土は貴様に合っているようだな……しかし安心したぞ。貴様の動機はあくまで私利私欲。御祖父様に対しても逆恨みだ。止むに止まれぬ事情でも語られたら貴様を斬った後で後味の悪い思いをするかもしれなかったからな」
蒼次郎の声が再びもとに戻る。復讐の剣鬼に戻ったのだ。
風流よりも訃流の方が強いと確信した玄蔵は、そんな蒼次郎の変化にももはや動じない。
「俺はおめえを斬って風流の指南書とやらを頂くとするぜ。俺達の力は拮抗しているからな。時代遅れの指南書でも土の奥義に加えれば俺が一気に有利になるからな」
「俺を斬れればそうなるな……斬れればな」
「さっきまでと同じだと思うなよ!」
玄蔵は大刀を担ぎあげ、大上段から振り下した。
繰り出した技は訃流土の奥義『山津波』だった。




