森宗維
深い眠りから目を覚まし、蒼次郎はしばし自分がどこにいるのかを見失っていた。
いや、「どこ」にいるのかは瞬時に理解していたから、「いつ」と言った方が正確かもしれない。
そこは良く見知った部屋だった。
仁志の屋敷の一部屋。幼い頃には分家にも出入りしていて、しばしば泊まることもあった。ここはその時に使わせてもらっていた部屋だった。古い記憶が呼び覚まされ、一時的に混乱する。もしや自分は夢を見ていたのではないか。あの忌まわしい出来事も、それに続く復讐劇も、目覚めの前の一時に見た夢だったのでは。
だが身を起こそうとして左腕の無いことに気がつけば、夢だと思いたかった全てが現実であると思い知らされる。
蒼次郎はぐしゃりと髪を掻き回し、大きく溜め息を吐くと布団を出た。痛みを訴える左腿は、昨夜自分で行った応急の止血帯ではなくきちんとした治療がなされている。障子を開けて縁側に出れば日は高く昇っており、もう昼近いのだと知れた。
「蒼次郎……」
縁側を伝って仁志早雲がやってきた。
どんな顔をしたらよいのか判らず、蒼次郎は顔を俯かせる。結局の所、森家の問題に巻き込む形で八雲は命を落としたことになり、直接手を下したのは蒼次郎だ。
そんな蒼次郎を気遣うように、早雲は「まあ、座れよ」と自ら縁側に腰を下ろした。躊躇いながらも蒼次郎は腰を下ろす。
「早雲、俺は……」
「おい、詫びの言葉なら口にするなよ」
蒼次郎の言葉を早雲は遮った。
「恨みは全て引き受ける。白秋斉の手紙にはそう書いてあった。だから俺もお前を恨まない。昨夜そう言っただろう」
それに、と早雲は続けた。八雲もまた蒼次郎に負い目を持っていて、事が終わって蒼次郎が生きていたら詫びておいてくれと言付かっていると。
「そもそも白秋斉は兄上一人に頼んだんだ。兄上が白秋斉を斬る。それを見たお前が兄上と戦うか否か、それだけで終わるはずだった」
「それは……」
それは確かにそうだった。白秋斉の手紙では源川など他の三人については全く触れられていなかったのだ。
「兄上は相当に悩んだのだ。白秋斉の依頼とは言え内容が酷過ぎる。しかし酷過ぎる内容でも主家たる白秋斉の依頼、兄上には断ることができない」
だから八雲は仲間を募った。白秋斉を殺して奥義書を奪う計画として、それが白秋斉自身の依頼だという点を伏せて源川らに話を持ちかけたのだ。
あるいは話を持ちかけられた三人の内、誰かが止めてくれるのではないかと期待したのかもしれない。誰か一人でも止めろと言えば、白秋斉に恨まれるのを覚悟してでも計画を取りやめることができただろう。結局誰も反対せず、それどころか積極的に計画に乗ってしまったのが八雲の誤算だという。
「彼らには彼らなりの事情があったようだ。白秋斉も人の子、恨みを買うこともあるのだろうが……まさか三人が三人ともとは、と兄上は嘆いていた」
その三人と戦ってきた蒼次郎は知っている。源川玄蔵は宗家の師範代を自分ではなく八雲が負かされたことに屈辱を感じていた。瀬田朱美は自分を一人の剣客ではなくただの女としか見ない白秋斉に失望していた。有馬康信は年齢の問題で奥義の後継者候補から外されて焦っていた。
「誰も反対せず、兄上はかえって自分を追い詰めてしまった。もう後戻りはできなかったんだ」
そうして白秋斉殺害は実行されたのだという。
「四人になったことで白秋斉の計画にも齟齬が生じた。その一つがお前の左腕と左目だ。兄上は上手く立ち回って他の三人を牽制するつもりだったようだが……」
齟齬というなら、白秋斉の計画を知らない三人の存在がそのまま齟齬になっていた。白秋斉の計画では復讐にもせよ蒼次郎が人を斬れるようになれば良かったのだから、最初の一人を斬った時点で終わりで良かったのだ。ところが計画を知っているのが仁志だけであるため、途中で幕を下ろせない。真相を知りながら早雲以外には話すこともできず、八雲はどんな思いで日々を過ごしてきたのか。
「自分の弱さが招いたことだと兄上は後悔していた。蒼次郎、お前には本当に済まなかったと、そう伝えてくれと言われたよ」
「……」
この二年間、一番苦しんだのは八雲なのではないか。
そう思い、蒼次郎には何も言えなかった。
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「蒼次郎、お前は宗家に戻れ」
しばらくの沈黙を早雲が破った。
「おかしな話ではないだろう。そもそもが冤罪だ。白秋斉の手紙があればお前に着せられた白秋斉殺しの罪は晴れる。お前にとっては不本意だろうが、お前は白秋斉の望むとおり一人前の剣客になった。立派に宗家を継いでいける」
「いや、しかし……」
蒼次郎の答えは歯切れが悪い。昨夜考えた通り、左腕を失ったために白秋斉が望んだ最強にはなれない。だがそれ以上に、蒼次郎を躊躇わせることがある。
「俺は殺し過ぎた。源川玄蔵、瀬田朱美、有馬康信……関わりのない者も多く殺した。今さらどんな顔で宗家に戻ればいいんだ?」
「全ては先代が与えた試練、として収めることもできる」
「……早雲、自分で納得していないことをいくら語っても、俺を説き伏せるのは無理だ」
「だろうがな。とは言えもっとも強い者が宗家を継ぐのに異議を挟める者はいないだろう」
「異議なら俺が挟む。残った門弟を束ねていくには人望が必要だ。いきさつがどうであれ……俺には誰もついてこないだろう」
蒼次郎はいかに自分が狂っていたのかを思い知っている。仇は八雲を含めて四人だけだったのに、源川や瀬田の屋敷では家人達を多く殺してしまった。仇に与しているとそう思ったから斬るのに躊躇いも感じなかったのだが、斬られた彼らにしてみれば宗家が閉門されれば四人の内の誰かに付くしかなかったのだ。それを斬られる理由にされてはたまったものではないだろう。
そんな彼らを蒼次郎は斬った。復讐の鬼と化し、人を斬れるようになった己に酔うようにして斬りまくったのだ。
「風の奥義は修める。訃流最強の剣士となる、その御祖父様の願いだけはせめて叶えよう……もっとも隻腕の俺が最強になれるかは判らないが……」
「いや、お前ならなれるだろうさ」
早雲は本心からそう言った。八雲達四人を倒してきた蒼次郎は隻腕とはいえ強い。奥義書が一代に一人しか継承されなかった過去には奥義所持者同士が戦うなど無かったことだが、それだけに蒼次郎がなしたのは訃流史上初の偉業とも言える。
「それでも俺は宗家を継がない。継ぐことなどできない」
蒼次郎の意思は固く、早雲もこの場で彼を翻意させるのは無理として諦めるしかなった。
「だがそうなると……棚からぼた餅……」
「なんだって?」
「棚からぼた餅、漁夫の利……いろいろと言い方はあるだろうが、今後俺が言われるだろう言葉さ。昇陽一と謳われる訃流剣術の宗家、剣を志す者としてこの上のない身分だ。お前が辞退してしまえば……順送りで俺が宗家になってしまう。複雑な気分なんだよ、俺も。しかも俺より強いお前がいてはな」
「早雲……」
早雲も剣客としての腕は一流だ。ごく身近に八雲がいたために目立たなかったものの、もしも別の世代に生まれていれば文句なく分家の当主に収まっていてもおかしくない。ともすれば過去にいた宗家には早雲以下の当主もいたかもしれない。それだけの腕を持ちながら、蒼次郎や八雲が争った結果として、その争いの外にいた自分が宗家を継ぐというのは、なまじ一流の腕とそれに相応しい矜持を持つだけに忸怩たるものを感じてしまうのだろう。
「もしも……」
「ん?」
「もしも俺の腕が必要になったら……早雲、あんたがそう思った時には俺を呼んでくれ。いついかなる時でも、俺は戻って来る」
言いながら、蒼次郎はなんと傲慢なもの言いをしているだろうかと自覚している。これでは早雲を見下していると取られても仕方のない言い様だ。しかしそんな蒼次郎の本心を感じ取った早雲は小さく、しかし確かに頷いた。
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やがて蒼次郎の傷も癒え、風の奥義修得も完了した。
ある日、仁志の屋敷の門前に旅姿の二人がいた。
一人は鮎、そしてその傍ら、編み笠を深々と被って顔を隠した隻腕の蒼次郎。
出立する二人を見送るのは宗家となった仁志早雲だった。
「蒼次……いや、宗維、本当に良いのだな? 今ならまだ……」
早雲の問いに、蒼次郎は頷きを返す。
「宗家嫡男の森蒼次郎は源川の屋敷で死んだ。俺は森の家系に遠く連なる宗維という男。もとより宗家を継ぐ資格無し。それで良い」
蒼次郎は名を変えることにしたのだった。
結局のところ、真相をそのまま公にするのは憚りがあった。先代宗家森白秋斉の執念と、蒼次郎の行った大量殺戮。いかに訃流のためとはいえ、それで誰もが納得できるわけではない。そこで蒼次郎たちは話し合い、嘘を嘘で覆い隠すことにした。
白秋斉を殺害して奥義書を奪取しようとして失敗した森蒼次郎が、二年経って再び現れ、奥義書を持つ者たちを次々に殺害、そして最後の一人、仁志八雲と相討ちになった。役所にはそのように届けられ、一般にも同様に公表された。
それが一番通りの良い説明だったのだ。
何しろ訃流だ。どこの誰とも知れない凶賊に殺されたとしても誰も信じないだろうし、もしも信じられたらそれは訃流の名が汚れることになる。犯人が後継者候補に選ばれていた蒼次郎であり、相討ちにしたのも同じ後継者候補だった仁志八雲だというなら、訃流の名を汚す事のない順当な組み合わせだ。
ただし、これによって森蒼次郎の名は永遠に汚辱にまみれることになる。
蒼次郎の名は訃流が存在する限り、祖父殺し、同門殺しの悪名として語り継がれるのだ。
それも含めて、それで良いと蒼次郎は考えていた。祖父に命を捨てさせたのは自分の愚かさのためであり、同門を殺したのも事実だ。そこにある程度祖父の意思が介在していたにせよ、自分は汚名を斬るべき理由を持っていると。
「では早雲、俺が言えた義理ではないが宗家をよろしく頼む」
言われ早雲は苦笑した。宗家を継ぐのは名誉なことなのだが、形としては押し付けられたようなもので、そうした本人から言われるのは確かに筋違いだ。
「そちらもよろしく頼むぞ。兄上を……皆を弔ってやってくれ」
「ああ。源川、瀬田、有馬……八雲さんも、門弟達も、俺が斬った皆は俺が風向寺で弔う」
蒼次郎が背負った荷物の中には彼が斬った全員の遺髪が収められている。その数は五十余りであり、それぞれが髪の一房なのだか実際の重量など高が知れている。しかし蒼次郎には途轍もなく重く感じられた。自分が奪った命の重さとして肩に圧し掛かってくるようだ。
よろしく頼む、と重ねて言う早雲の声を背に聞きながら、蒼次郎と鮎は歩き出した。
最強と称される訃流にあって、隻腕ながらも有数の使い手に数えられる「森宗維」が誕生したのはこの時のことだった。
―完―
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
終章で多少なりとも救いを残したつもりですが、やっぱりバッドエンドでしょう。補足すると蒼次郎は早雲と協力して訃流をしっかり後世に残します。そうして伝わった訃流は既に投稿済みの別作品の主人公に受け継がれるわけです。これに限らず訃流は幾つかの作品に登場することになると思います。今作はそんな訃流の設定を固めるために書いたという側面もありました。
また、この作品はとあるゲームから『復讐』『一人倒すごとに奪われたものを部分的に取り戻す』『最後に明かされる真実』という三つのキーワードを頂戴して書きました。とても凄いゲームだったので強烈に創作意欲を刺激されたのです。タイトルをそのまま上げるのはNGかもしれないので伏せますが、サブタイトルの『鬼の哭く郷』でピンとくる方もいらっしゃるかも知れません。
機会があればまた別の作品でお付き合いください。




