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四門の奥義~鬼の哭く郷~  作者: 墨人
第四章 風
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風の奥義

「まだ速くなるのか……」


 流水で守りつつ様子を見るべきかと蒼次郎は考えた。状況は康信と戦った時と逆になる。八雲の剣速が上を行くなら、止水と流水で守りを固めつつ、左の気の刃を使う機会を待つべきだ。


「速くなる、か。まあそうだが、お前が考えているのとは少しばかり違うだろう」

「違うとは……どう違う」

「剣速はこれ以上速くならんよ。そもそも風流が速度を突き詰めた剣術だ。訃流になってからも技を改良する余地はほとんど無かったのだろう。疾風を初めてとしてお前の知るそれらより多少は速くなっているだろうが、それだけだ」

「ならば、どう速くなる」


 八雲は答えずに構えた。

 命の遣り取りをしている相手に己の技を逐一説明するなど具の極み。後は実際にやって見せてやろうということだ。

 止水の感覚で見る八雲に特に気の流れの変化は無い。が、構える姿に妙な違和感を感じた。知らない技なのだから構えが初見なのは当然なのだが、そういうことではなく、どうにも剣術らしからぬ構えに見えるのだ。


 それはともかく、止水の予測では「突進してきてからの突き」と読み取れる。


 ――突きは確かに最速の攻撃だが……。


 大別すれば九種に分類される基本の太刀筋の中で、敵への最短距離を一直線に貫く突きが最速となる。が、「斬る」から「突く」に変えて、それで速くなるにしても、それだけでは風の奥義とは言えない。太刀筋の変化だけでなく、他に何かがあるはずだった。

 じりじりと八雲が重心を前に移してくる。疑問に思ったままの蒼次郎は打ち払いを狙った防御の構えになる。突きはただでさえ受け流しが難しいし、相手は八雲だ。流水頼みに受け流そうとするより、打ち払った方が確実だ。


「では……ゆくぞ!」


 そして動いた八雲は、予想通り「突進からの突き」を放ってきた。しかし突進の速度が予想を遥かに上回っている。なにしろ八雲が突きの間合いに到達した時、蒼次郎の耳には八雲が発した「ゆくぞ」の最後、「ぞ」の音がまだ残っていたほどだ。

 予想していなければ対処は不可能だっただろう。予想していてさえ、突きを打ち払うのはぎりぎりだった。

 しかし打ち払った感触が軽過ぎる。

 そして。


 ――な!? 後ろだと!?


 奇妙な感触に戸惑う暇もなく、止水の感覚は背後に八雲の気配を感知していた。


「うおっ!」


 反射的に前に飛び出した蒼次郎の背を銀光がかすめる。着物と、そして皮膚を薄く切り裂かれた。

 まさに紙一重。咄嗟に前に出たからこそ浅い傷で済んだところだが、もしも振り返って対処しようとしていたらばっさりと斬られていたに違いない。


「ほう……初見で神脚と鬼脚に対応したか。それは水の奥義のお陰か?」


 後退りながら八雲は心底感心したように言った。


「これが風の奥義……」


 慄然として呟く蒼次郎。八雲の言っていた意味が今なら判る。風の奥義とは剣速を速くするのではなく、移動速度を速くする技なのだ。


「神脚に鬼脚か……そうか、運足を」


 先ほど八雲の構えに感じた違和感の正体。それはその後の運足が普通でないために、足の位置が微妙に異なっていたからだった。

 八雲が微かに笑みを浮かべた。


「その昔、大陸から伝わった気功を剣術に取り入れて風流が生まれた。そしてもう一度、大陸から伝わった格闘術を取り入れて風の奥義、神脚と鬼脚が生まれた。速きを目指して編み出された風流が訃流となり、さらに速さを突き詰めた結果がこれだ」


 武術において「足」は重要な要素だ。これは蹴り技云々というような単純な話ではない。敵と戦うに際して自分の間合いを保つための円滑な移動、さらに使う技によって最適な足の位置も異なってくる。どれだけ上手に刀を振れても、運足がお粗末では話にならない。

 そして極限まで突き詰められた運足こそが風の奥義だった。


「だが、いかに運足を変えようと、俺に見えないはずがない」


 八雲の説明を受け入れた上で蒼次郎は言った。

 突進の速度、背後に回った動き。それらは未知の運足が可能としたとして納得できる。が、常人では見ることも難しい風流の高速剣を基本としている蒼次郎は、動体視力もまた鍛えられている。いかに速かろうとも人間一人がまるごと見えないなどあり得ない事だった。

 つまり、見えていても、結果的には見えていない状態になっていた。


「……虚、だな」


 言うと、八雲の笑みが深くなった。出来の良い弟子を見る師匠のような、そんな笑みだ。


「判るか。いかにも先刻の技には虚が用いられている。大陸の格闘術には虚を用いた技が多いそうだ」

「厄介な……」


 蒼次郎は忌々しげに吐き捨てた。

 それは盲点とも言う。一つのことに集中していると、他の物は見えていてるのに認識できない。見えているのに見えていない、それが虚だ。

 先ほどの攻撃を例に取れば、突進からの突きに蒼次郎の意識は集中していた。そこで八雲は特殊な運足を用いて素早く背後に回り込んだのだろう。


「さて、次も防げるか? 言っておくが最初の突きを囮と見て無視すれば、そのまま貫くぞ」


 再び構えた八雲を止水で読めば、先ほどと同じ突進からの突き。

 八雲が地を蹴り、『神脚』によって瞬時に最高速に達する。最高速度に達するまでに要する加速時間を極端に短くするのが神脚だ。

 そして繰り出される突きは、先ほど八雲が明言した通り、囮と判っていても無視できない。打ち払った突きはやはり感触が軽い。

 回り込まれる、そう思った蒼次郎の眼前に銀光が迫っていた。


「くうっ!」


 これを辛うじて受け流す蒼次郎。一撃が不発に終わったと知った八雲は後退して間合いを取り直す。


「これも虚か!」


 回り込まれると思っていたから正面への注意が散漫になっていた。それで回り込まずに正面にとどまるなら、それもまた虚だ。

 後退した八雲はまたもや神脚の構え。技の種を明かしたうえでそれを繰り返し使うのは絶対の自信を持っている証拠だ。運足で自分の速度を上げ、虚により相手の対応を遅らせる。確かに速さを極めた奥義と言え、反応速度を上げる水の奥義を持っていなければ、今頃蒼次郎は物言わぬ死体になっていただろう。


 ――だが、付け入る隙はあるはずだ。


 蒼次郎はそう考える。圧倒的な膂力を誇り山津波を使った源川玄蔵。極限まで練気能力を高め、最大の攻撃力である気の刃を使った瀬田朱美。絶対の防御力によって相手の攻撃を全て無効とした有馬康信。誰もが強敵だったが、それでも付け入る隙はあったのだ。

 もとより四門全てが揃って完全となるのが訃流の奥義。その内の一つをしか知らぬのであれば、隙があって当然だ。

 ならば風の奥義を使う仁志八雲にも隙は残されているはずだ。


 ――それを知るためには受けに回っていはいけない。受け身でいれば虚に惑わされるだけだ。


 思い定めた蒼次郎は、八雲の神脚に合わせて自らも突きの体勢で前に出た。

 八雲が驚愕の表情を浮かべる。双方から突進すれば相対的に速度が増す。ただでさえ神脚の速度に手こずっている蒼次郎が動くならば、後退して相対速度を落とすだろうと八雲は考えていたのだ。

 こうなると八雲自身の速度が蒼次郎にも与えられたようなものだ。

 双方の突きが互いの胸を貫こうとした時、八雲は『鬼脚』を用いて回避に動いていた。特殊な足運びによって高速かつ急角度な移動を可能にするのが鬼脚という技だ。神脚の速度をほぼ維持したまま、ほとんど直角に横に逸れる。

 その際に八雲が上げた「ぐっ!」という苦悶の声を蒼次郎は聞き逃さなかった。

 双方の突きは不発に終わったが、能動的に回避した八雲はいち早く次の攻撃に移っている。逆袈裟気味の斬撃が放たれ、仰け反って避けようとした蒼次郎の前に踏み出していた左足、その腿の辺りを切り裂いていた。


「まさか前に出るとはな。命がいらんのか」


 適度な間合いを取り直したところで八雲は数度の足踏みをした。

 調子を確かめるようなその動作に、蒼次郎は確信を持つ。相討ちを避けるための急激な方向転換に八雲は苦鳴を上げた。そして足踏み。


「見つけたぞ。それが風の奥義の隙か」

「ほう? 言ってみろ」

「神脚と鬼脚を合わせれば正に神出鬼没。だがそれこそが弱点でもある。あの早さで激しく動けば足腰への負担は相当なものだろう。先ほどから一撃ごとに間合いを取り直しているのも、続けて使えば体がもたないからではないのか?」


 恐らくだが、風の奥義もまた火の奥義の練気能力を前提にして作られている。最高速度を維持したままの無茶苦茶な移動がもたらす肉体への負担は、本来なら火の奥義が生み出す潤沢な気で軽減されるはずなのだろう。

 しかるに火の奥義を持たない八雲が神脚や鬼脚を使えば……。


「そのとおりだ。風の奥義は調子に乗って使えば自滅もあり得る諸刃の剣……今のように意図しない急な動きをすればなおさら負担は大きくなる。しかし……こちらの突進に合わせて前に出ることで虚を使わせず、なおかつ奥義の弱点を見抜くとはな」


 技の弱点を指摘されても八雲は動じず、なおかつ補足説明まで加えてくる余裕を残している。それもそのはず、弱点を見抜いたにしても蒼次郎の払った代償もまた大きかった。


「いずれ限界は来るのだろうがそれはまだまだ先の話だ。そこまでお前はもつか? 足を止めて迎え撃つしかできなくなったお前が」


 蒼次郎は左腿に傷を負った。身体操術の応用で出血こそ最小に抑えているものの傷は意外に深い。痛みは無視できてもこれまでと同じように動くのは無理だ。


 ――何とか糸口を掴まなければ……。


 切り札になるのは左腕に仕込んだ気の刃だ。ところが気の刃は間合いが狭い上に気を大量に消耗する。風流と水の奥義を同時に使っている今、気の刃の使用は短時間に限られる。

 不意打ちしかない。

 高速移動と虚からなる風の奥義を相手に、満足に走れない状態で立ち向かうのだ。このまま気の刃を発動して二刀状態になっても無意味だ。

 蒼次郎は軽く左足を引き摺りながら後退した。打つ手を失って下がるしかない、そう見えるように願いながら。一定の間合いを保って前進する八雲の見る中、蒼次郎が足を止めたのは、過日源川玄蔵の山津波によって生まれた陥没痕の手前だった。

 蒼次郎は止水の知覚によって背後の陥没痕の狙って移動したのだが、八雲からみれば陥没痕に突きあたって足を止めたように見えただろう。

 実の所、八雲は蒼次郎を極めて高く評価している。幼い頃から良く知っており、剣術の才能が自分以上であると承知している。だがそれでもなお、この状態で蒼次郎が風の奥義を破る方策を有しているとは思えなかった。風以外の奥義について、少なくともどんな技があるかを知っていればまた違った判断もできたかも知れないが、この二年間、互いを敵と認識していた奥義所持者だから、己の技を互いに教えるなどということは無かったのだ。


「これで終わりだ」


 必殺を期して突進する八雲。

 一発目の突きが蒼次郎を襲い、これを打ち払った拍子に体勢が崩れた。負傷した左足の踏ん張りが怪しいのかたたらを踏み、右足が陥没痕に踏み込んだのだ。

 八雲はこれを絶好の機会と判断した。右足を陥没痕に取られた蒼次郎は、これで両足の踏ん張りが効かなくなっている。膝に感じる痛みを物ともせず、蒼次郎の左側に回り込んだ。そして止めの一撃を放とうとしたその時、蒼次郎の左腕から気の刃による青白い輝きが閃いた。


 八雲もまた風の高速剣の使い手であり、鬼脚を用いた移動中であっても気の刃の一閃をしっかりと視認していた。が、だからと言って止まれるものではない。自分から気の刃の間合いに跳び込む結果になっていた。

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