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四門の奥義~鬼の哭く郷~  作者: 墨人
第四章 風
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仁志八雲

 蒼次郎は源川の屋敷の庭に一人で佇んでいる。最初の復讐劇を行った源川の屋敷は、もちろん死体こそ片づけられているものの、打ち砕かれた庭石や立ち木、そして地面に穿たれた陥没痕など、あの時の惨状をそのまま残していた。

 蒼次郎は目を閉じていた。その横顔はごっそりと肉が落ち、憔悴している。

 鮎が姿を消し、代わりと言うように森宗家には仁志からの手紙が投げ込まれていた。

 当初は鮎を救出するべく動こうとした蒼次郎だったが、それは思い止まった。手紙にある鮎の命云々の為もあるが、逆に仁志が鮎を害するはずは無いとも思っていた。この際は鮎の幼さが幸いだ。蒼次郎の知る限り、仁志八雲は嫌がる女人を無理やり手込めにするような男ではない。しかしそれを言うなら主家に刃を向けるような男でも無かったはずだ。なのに現状はこうなのだから、女人についてもどうだか知れたものではない。だから、まだ女として成長していない鮎の幼さが幸いなのだ。

 よもや幼女趣味などはあるまいと、そこだけは一抹の不安もあるが。

 そして不可解なのは、立会いまでに日数的な猶予が与えられた事だ。

 奥義書を手にした蒼次郎が日を追うごとに力を増すのは自明の理だ。潰すなら奥義を修得する前を狙うべきなのだから、敢えて日を置く意図が理解できない。

 だから理解しようとする事を早々に諦めていた。


 目を閉じた蒼次郎は水の奥義『止水』を使っている。

 水の奥義止水によって、蒼次郎は眼を閉じながらも周囲の状況を詳細に感得する。

 水の奥義書を読んで初めて理解したことに、人間以外の存在も気を持っている、というのがある。そもそも気功とは特別な呼吸法で気を増大させて効率良く操る技術を指す。逆に言えば修練を積んでいなくても人は気を宿している。それと同じように犬や猫の獣にも気はあるし、草や木などの植物、さらには岩や水、大気にさえ生物のそれとは異なるものの、やはり気はあった。

 自らの気を静まった水面のようにして周囲の気を感知する止水を使うと、それら周囲の気がはっきりと読めるようになる。これは単純に相手の攻撃を読むという以外の、止水のもう一つの使い方だった。

 今の蒼次郎でも、庭から門辺りまでなら辛うじて感知範囲に入っている。この範囲なら立ち木の一本一本、庭石の配置まで、建物の陰で見えない部分も含めて全て把握できた。

 そうして待つことしばし、正門脇の通用門を二人の人間が潜ってきた。


「来たか……」


 止水を解いた蒼次郎は片方だけの目を開いた。

 微かに砂利を踏む音がして、建物の陰から現れたのは忘れもしない仁志八雲だった。後ろ手に縛られた上に猿轡を噛まされた鮎を連れている。


「む、むうう……!」


 蒼次郎を認めた鮎が必死に何かを言おうとしているが、猿轡のためにくぐもった呻き声にしか聞こえない。


「仁志! 貴様……!」


 思わず一歩踏み出し掛けた蒼次郎に、八雲は片手を翳す。


「安心しろ。この娘に手荒な真似はしていない。それよりも奥義書は持ってきたのだろうな?」


 蒼次郎は無言で奥義書を取り出した。一纏めに紐で括ったそれを八雲に放る。受け止めた八雲は紐を切って真贋を確認すると縁側に置いた。さらに風の奥義書を取り出してその上に重ねる。

 四冊の奥義書が一つ所に集まるのは、実に二年ぶりの事だった。

 八雲は鮎を縛った縄の余りを短刀に括りつけ、壁の高い位置にがっちりと打ち込んだ。鮎は辛うじて爪先がついているだけの半ば吊られた状態になってしまう。何か言おうとしているがやはり呻き声にしかならない。


「しばらく我慢していくれ」


 そう言って八雲は一人で歩み出てきた。

 これは蒼次郎にとって予想外の行動だった。鮎という切り札が八雲の手にあるからこそ奥義書の引き渡しにも応じたのだし、その次には刀を捨てろと要求されると考えていた。

 それがなく、八雲は一人で歩いてくる。

 刀を捨てろと言われれば、蒼次郎は素直に従うつもりだった。実は蒼次郎の左腕には康信を倒した時の折れ刀の先端が装着されている。腕の内側に布で巻いて固定してある。これは袖に隠れていて見えないから実際に気の刃を発動するまでは気取られないだろう。もしも刀を捨てさせたことで八雲が油断すれば、気の刃で仕留める機会にもなるはずだった。鮎が囚われたと知った時から考えていた策だったが、八雲は蒼次郎の予想と異なる動きをしていた。


 ゆっくりと歩いてきた八雲は、蒼次郎と一定の距離をたもったまま円を描くように移動した。合わせて蒼次郎も体の向きを変えていく。そして八雲が足を止めた時、二人の位置は完全に入れ替わっていた。向かい合った蒼次郎と八雲。鮎と奥義書は蒼次郎の背後になる。


「貴様、これはどういうつもりだ」

「私はあの娘を人質にするつもりはない。あくまでもこの時、この場所にお前を誘き出すために捕らえたのだ。が、私がそう言ったところでお前は信じないだろう。だからこうした」


 この位置関係ではもはや八雲は鮎を人質にできない。自分からそのような位置に立ったのだ。


「……つまり貴様は、俺とまともに戦うつもりでいたのか?」

「まとも、と言えるかどうかはお前次第だがな」

「なに?」

「お前が、私とまもとに戦えるだけの強さを持っているかということだ」


 そう言って八雲が浮かべた嘲笑に、蒼次郎は強烈な既視感を覚えた。二年前、白秋斉の亡骸の前で浮かべた笑い。

 蒼次郎は胸を抑えた。脳裏をよぎった二年前の光景が、胸の奥深くでどす黒い憎悪を掻き立てたように思った。ところがそれは以前ほどに激しくない。以前なら呼吸が苦しくなるほどに胸を圧した憎悪なのに、今はそれを冷静に受け止めることができる。

 だから落ち着いた声で問うことができた。


「仁志……一つ教えろ。貴様は何故御祖父様を殺した」

「何故、と今さらそれを訊くのか?」


 心底意外そうに八雲は言った。


「奥義書を手に入れるため。それで納得できないのか? なにかもっともらしい事情を話せば信じるのか? それともいかにも悪党らしい理由なら満足するのか?」

「ふざけるな!」

「ふざけてなどいない。理由についてはとりあえず考えたいように考えておけ。この期に及んで言葉は不要だ。知りたければ……俺を倒すことだ」


 蒼次郎は舌打ちした。倒してしまったら話を聞くどころではない。矛盾した八雲の言い様は、つまりまともに話すつもりがないということだ。


「いいだろう、貴様が望むとおりにしてやる」


 蒼次郎は刀を抜いた。


「むうっ! むううっ!」


 鮎が激しく何かを訴えている。


「鮎、待っていろ。すぐに助けてやるからな」


 背後の鮎に声をかけると、彼女の呻きは一層激しさを増したようだった。


 *********************************


 蒼次郎は焔の調息を開始した。途端に膨れ上がった気を敏感に察して八雲が身構える。

 さらに止水を発動する。先ほどは索敵の為に効果範囲を広げていたが、今回は対象を八雲一人に絞って全知覚力を集中させる。研ぎ澄まされた止水の感覚は八雲の体内を流れる気の動きまでを蒼次郎に知らせていた。

 八雲の気の流れは円滑で、全身に均等に行き渡っている。全く無駄が無かった。

 無言で地を蹴り、放つのは風流の代名詞と言える高速剣『疾風』。瞬時に放つ連撃の数はこれまで最高の五発。もはや常人には見ることも叶わない速度である。

 しかし八雲は常人ではない。蒼次郎の疾風に瞬時に対応して、即座に自らも疾風を撃っていた。

 刀同士の激突は五回。しかし高速剣同士のぶつかり合いのため、金属の悲鳴は一度に繋がっていた。


「返すぞ!」


 今度は八雲から疾風が放たれ、これをまた蒼次郎が疾風で相殺する。またも一つになった激突音が響き渡った。お互い弾け合って半歩を退き、退いた足をそのまま踏み込んだ。

 仕掛けたのは八雲が先。地面すれすれから伸び上がる様な斬り上げは技名を『昇龍』という。これを止水で読んでいた蒼次郎は半身を開いて斬り上げを避け、上段からの打ち下しをかけた。こちらの技名は『降龍』。康信戦で山津波に偽装して出した技で、単発ながら風の技の中でも最高速に達する。

 八雲もこれに対応する。空振りに終わった昇龍を遅滞なく返して降龍につないだのだ。

 降龍の軌跡が空中で交差し、双方左右に弾かれた。

 蒼次郎は弾かれた勢いを利用して体ごと旋回し、遠心力を乗せた横薙ぎを放った。源川玄蔵との勝負を決めた『旋風』だったが、八雲は軽く後退して横薙ぎを避け、反撃に転じた。

 これも止水で読んでいた蒼次郎が迎え撃ち、そのまま息を止めての打ち合いに突入した。


 連撃は一呼吸の間に行わなければならない。普通は呼気とともに行うが、それで終わらなければ息を止めるのだ。途中で息を吸えば速度はがくりと落ちてしまうため我慢比べの様相を呈してくる。ただ呼吸を止めるだけでも限界がある上に、激しく動き続けるのだから堪らない。

 ところがこれが訃流などの気功を用いた戦いになると少し様相が変わる。

 呼吸を止めれば、すなわち練気ができない。新たな気を練れない状態で動き続けるのだから、k議られた気をいかに効率良く使うかという、その技量をも問われるのである。

 しかし今回は技量云々以前に焔で大量の気を用意していた蒼次郎に軍配が上がった。次第に八雲の動きが鈍くなり、不利を悟って大きく後ろに跳ぶ。蒼次郎の追撃は八雲の胸板に浅い切り傷を付けるにとどまった。


「……さすがだな。風の奥義を知らず、それでここまでやるとは」


 初撃をもらった衝撃をまるで受けていない口調で八雲。戦いのさなかに敵を称賛するような言葉を口にできるほどの余裕があった。

 片や蒼次郎にはそれほどの余裕は無い。初撃を入れた蒼次郎が優勢にも見える状況だが、実情はまるで違う。蒼次郎は焔で気を増量し、止水で反応速度を上げ、風流の高速剣を使っている。それでほとんど互角なのだ。そして八雲はまだ風の奥義を見せていない。高速剣とは言えもともと風流にも存在する技ばかりだ。


「さて、そろそろ様子見は終わりだ」


 八雲の言葉に、やはりそうくるかと、蒼次郎は思った。

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