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四門の奥義~鬼の哭く郷~  作者: 墨人
第三章 水
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水の奥義

「……」


 蒼次郎は何も言えなかった。

 奥義を交えてあれだけの猛攻を加えながら、一筋の傷さえも康信に付けられなかった。水の奥義が最強かどうかはともかく、剣の才あるを自称するに相応しい才能を持った康信が水の奥義を使えば、確かに源川玄蔵や瀬田朱美でも容易には攻めきれなかっただろうと思わされる。


「だが、貴様は何故攻めてこない。貴様の守りは確かに固いが、攻める剣が無いのではどうにもなるまい。奥義が水とはいえ貴様も訃流の使い手だろうに」


 奥義無しの普通の訃流であっても昇陽最強の剣術と謳われているのだ。所有するのが防御特化の水の奥義だとしても、康信に攻撃の手段が無いわけではない。


「……風流の水の技」

「なに?」

「水の奥義でいうところの『流水』だけは風流にもあるんだろう? 迂闊に攻めればこっちが危ないからね」


 康信が慎重な姿勢を崩さないのはそれが理由だった。仁志からの情報で蒼次郎が風流を修得していると知り、康信は「それでも」と考えていた。風流は名前のとおり、今で言う風の技主体の高速剣術だ。だがいかに速度があろうとも、源川玄蔵や瀬田朱美を相手にして一方的に攻められるはずがない。判りやすいのは源川の屋敷の惨状だろう。つまり風流には土や火の奥義の攻めを防ぐだけの防御技がある。康信はそう判断していた。

 その防御技が太刀筋を流麗にする『流水』だ。


「流水だけ……だと?」


 康信の言は蒼次郎にも思考のきっかけを与えていた。「だけ」と言うからには、当然康信は流水以外の技を使っている。一連の不可解な攻防を可能とする、水の奥義としての防御技だ。


「そうか……いかに流水が防御特化の技とはいえ、絶対的な速度差はどうにもできないはずだ。しかも山津波だけは避けたことといい、水の奥義とは……先読みを可能とする技か?」

「へえ、良く判ったね。ちなみに技名は『止水』っていう」

「止水……」


 口中でその名を繰り返す蒼次郎。止水とはさざ波一つなく静まり返り、鏡のようになった水面を指す言葉だ。


「止水はどんな微かな風にも波を立てる。絶対に見逃さずにね」


 つまり止水とは敵の動きを鋭敏に察知する技なのだ。敵が自分に向ける殺気や害意を感じ取り、相手の体内の気の流れを把握し、次の動きを予測する。自分の動きを速くするのではなく、敵の攻撃動作を予め知ることで対応速度を上げる。蒼次郎の高速剣に対応し、山津波を察知した秘密がこれだった。

 もちろん康信はそこまで詳細に説明したわけではない。

 だが気配を察する、殺気を感じるというのは、ある程度武道を修めた者なら身に覚えがある。高ずれば心眼とも呼ばれるその能力を、気の働きでさらに強化、精度を向上させたのが止水なのだろうと蒼次郎は考えていた。


「俺の攻撃は全てお見通しというわけか」


 呟き、蒼次郎は刀を収めた。代わりに半分になっているもう一振りを抜く。


「どういうつもりだい、それは」


 当初から不審に思っていた蒼次郎の二本差し。現れたもう一刀が折れ刀という事実に康信は戸惑う。蒼次郎は無言で刀に気を流し込み、気の刃を作り出した。

 康信の目が見開かれる。


「それは……火か!?」

「いかにも! ゆくぞっ!」


 これまでは余裕綽々だった康信も表情を改めている。気の刃を作るために大量の気を注ぎ込んでいる蒼次郎の動きは先刻までと比べて遅くなっている。しかし迎え撃つ康信は真剣だった。単に力を増す土なら流水で、剣速を増す風なら止水で対処できる。そのどちらでもない火の奥義は性質が判らないだけに、これまで以上の集中力を発揮していた。

 止水によって蒼次郎の太刀筋を完全に予測し、流水の流麗な動きで己の刀を滑り込ませる。左薙ぎの斬撃を下から掬い上げるようにして上に流しつつ、自らも腰を落として高さを節約し、斬撃を頭上に流した。


「ちいっ! まだ収束が甘いのか!」


 蒼次郎は舌打ちした。朱美の使った気の刃は薄紙一枚の厚みも無く、受け流そうにも接触の瞬間すら感じ取れないほどの切断力を持っていた。だが蒼次郎はそこまでの収束を行えない。普通の刀剣よりは遥かに鋭くなっているものの、防御技としてより完全な奥義を用いる康信には通用しなかった。

 が、全く効果が無いというわけではない。

 康信が自分の刀を見て息を飲んでいる。刃の部分がごっそりと削り取られ、もはや刀本来の斬るという目的には使えない状態になっていた。


「な、なるほど、そういう技か。さすが、最も攻撃的と言われる火の奥義だ」


 さすがに青ざめた顔をしていた康信だったが、見る間に余裕を取り戻していく。初見の技だけに慎重に対処し、その結果には度肝を抜かれたものの、性質が知れてしまえばどうということもない。要は途轍もなく良く斬れる刀を持っているというだけのことだ。


「確かに凄いと言っておくよ。でも凄いだけだね。僕じゃなければ流そうとした刀ごと斬られていたかもしれないけど」

「流しをしくじれば実際にそうなる」

「しくじるだって? 太刀筋は予測できるんだよ?」


 これには返す言葉も無く、蒼次郎は再び攻勢に出た。いかに康信の守りが固かろうとも、蒼次郎は攻めなければならないのだ。気の刃の打ち込みは流されたとしても康信の刀を消耗させていく。繰り返せばいずれ折れるだろう。迂遠なようだが、まずは地道に攻めて康信の刀を殺す。そう思い定めた蒼次郎だったが、一撃を受け流された直後、脇腹に衝撃を受けた。驚いて数歩後退してみれば、右脇腹で着物が裂け、僅かに血が滲んでいる。


「やっぱりいまいちだなあ。受け流しに集中しながらじゃあ満足に刃筋も立てられないか」


 ぼやく康信は左手に小刀を抜いている。

 蒼次郎は何が起こったのかを理解した。康信は蒼次郎の斬撃を受け流しざまに左の小刀を抜いて斬りつけてきたのだ。が、傷は浅い。刀の切断力は振る方向に刃が垂直に立っていて最大になる。この角度がずれると切断力はがた落ちになる。先ほどの康信の一撃は刃筋が立っていないどころか、ほとんど寝ていた。言ってみれば刀の腹で殴られたようなものだ。


「貴様どういうつもりだ!? こんな未熟な……」

「未熟な二刀を実戦で使うのかって? それでもあんたに傷を負わせたんだ。全部防がれちゃってるあんたよりはましだろ?」


 康信は笑う。極限まで防御力を高めていれば、攻撃力は低くても最強である。水の奥義を選んだ康信の持論だ。


「こんなもんだからあんたも二刀だったらやばかったけどね。こうなってみると二年前にあんたの左腕を落としておいて正解だったよ」

「くっ……」


 蒼次郎は歯噛みした。いかに康信の二刀が未熟とは言え、初撃が軽傷で済んだのは偶然に過ぎない。次に貰う一撃にも偶然を期待するのは危険すぎる賭けだろう。攻めあぐねて無意識の半歩を引いた蒼次郎は、左の腰から発する微かな音を聞いていた。その微かな音が蒼次郎に一つの閃きをもたらしていた。



 気の刃が一度揺らぎ、そして墨が水に溶けるようにして消えた。


「うん? もう終わりかい? まあ、あんな無茶な気の使い方をしてれば無理もない」


 気の刃消失を練気の限界と見て取った康信はにやりと笑う。気の刃の切断力は驚異だったが、それを失った蒼次郎などもはや単なる雑魚と変わらない。


「もう手は尽きたんだろう。観念しなよ」

「いいや、まだだ!」


 蒼次郎は言い捨てて、母屋に向けて疾走した。


「奥義書を!?」


 蒼次郎の走る方向、母屋の縁側には三冊の奥義書がある。さらって逃げるつもりかと追いすがる康信に蒼次郎は折れ刀を投げつけた。これを難無く叩き落とした康信の眼前で、蒼次郎は奥義書を横目に直進、襖を突き破って母屋に転がり込んでいた。


「なんだ? 何をするつもりなんだ? 逃げるならそのままどこへでも消えればいいものを」


 康信は舌打ちしつつ縁側に上がり、しかし直後に庭に飛び降りていた。一拍の間を置いて襖が一枚、横一文字に切れて倒れた。開けた視界には刀を振りきった姿勢の蒼次郎がいる。


「これも通じない……見えなくても読めるのか」

「目で見て読んでる訳じゃないからね。で、どうするんだい? くだらない不意打ちまでして、それも通じなかった。もう負けを認めなよ」

「……これが最後だ。受けてみろ」


 蒼次郎は康信との距離を保ちながら移動し、庭に降り立った。そして刀を肩に担ぐようにして構える。


「ふん?」


 康信は眼を細める。構えは先ほど土の奥義を出した時に似ている。流水で受け流せない唯一の技を切り札に持ってきたのか。否、それは見せかけだと康信は看破した。止水によって蒼次郎の体内の気の流れすら読み取る康信は、土の奥義は来ないと結論した。蒼次郎の気は左半身に集中しており、それでは同じ太刀筋であろうとも破壊の圧力を刀に纏わせることはできない。

 ならば何故左に気を集めているのかという疑問。これには止水の感覚を撹乱するためだと見当を付けた。いかに気を集中しようとも蒼次郎には左腕が無いのだ。

 風の高速剣での打ち下し。全てを総合して康信はそう予測した。山津波に見せかけているのは、受け流させずに回避させれば途中で太刀筋を変えて追撃できると踏んだからだろう。


「おおおお!」


 果たして蒼次郎が放ったのは『降龍』だった。構えも太刀筋も山津波に酷似しながら、強化されているのは速度という風流の技だ。それはこれまでで最速の打ち込みだったが、止水で読んでいた康信は余裕で受け流しの体勢に入る。流水の動きで刀を滑り込ませようとしていた。

 その時、蒼次郎の左腕から気の刃が生えた。康信は咄嗟に小刀で防ごうとするも、元より未熟な左では完全な流水は使えない。小刀はあっさり両断され、気の刃が康信の腹を深々と抉っていた。

 さらに負傷で動きが狂い、右の流水も乱れる。降龍は太刀筋を変えられながらも完全には流されず、康信の左腕を断ち切っていた。


「そんな……どうして左が……」


 よろよろと後退りながら、康信の顔に浮かぶのは何が起こったのか判らないという疑問だった。

 止水で左に気が集まっているのは読めていたのだ。読めていながら無視したのは、蒼次郎の左腕を落としたのが康信自身だったからに他ならない。


「これだ」


 蒼次郎は気の刃の消えた左腕の袖を捲くり上げた。

 肘の辺りで断たれて切り株のようになった左腕には、折れた刀の切っ先が突き刺さっていた。

 気の刃の為に持ってきた折れ刀。腰に差しての釣り合いをとるために切っ先部分も鞘に入れていた。蒼次郎に閃きをもたらしたのは、この切っ先が鞘の中で鳴る音だったのだ。


「襖に隠れたあの時か……そんな事をしていたとはね……」


 やられたよ、と康信は笑う。それは瀬田朱美が最後に浮かべた笑みに似ていた。

 既に死相を浮かべつつある康信に、蒼次郎は気になっていた点を問い質した。屋敷の主がこの有様になっているというのに、家人の一人も出てこないのは何故なのかと。


「あんたが人斬りだからだよ。瀬田や源川の所で関係ない奴らまで斬りまくったろ……だから暇を出したのさ……でも、もうでもいいや……とにかくあんたは僕に勝ったんだ。遠慮なく……天才を名乗るといい……」


 喋っている間にも腹や腕からの出血は続いている。未だに立っているのが不思議なくらいだった。


「天才などと名乗るつもりはない。それは貴様が持って行け」

「くくく……随分と気前が良いね……勝者の余裕ってやつかい……まあ、そう言うなら貰って……おくよ……」


 そう言って康信は崩れ落ちた。

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