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四門の奥義~鬼の哭く郷~  作者: 墨人
第三章 水
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有馬康信の理由

「だってそうじゃないか。あんたがしっかりしていれば白秋斉だってあっさりとあんたに奥義書を伝承させてた。仁志が付け込む隙なんて無かっただろうね。なのにあの頃のあんたは天才だなんて言われながら、情けないことに人の斬れない剣客だった。そんなんじゃあいくら宗家の嫡男だからって奥義を継承させられない。だから仁志が候補者に上げられたんだ」


 康信が語るのは真実だ。以前、仁志八雲自身が述懐したように、当時の剣の腕を比べるならば蒼次郎が八雲を上回っていた。人が斬れないという一点を除けば宗家門弟や分家衆を含めても最も優れていた。そしてその一点が一番の問題となっていたのだ。

 だが、と蒼次郎は考えている。その問題を押して継承者は自分に決まったのだ。祖父も訃流が単なる殺人剣ではないと、そう考えているのだろうと捉えていた。


「その点、お前や仁志は立派なものだな。躊躇いもなく御祖父様を斬ったのだろう」

「躊躇いねぇ。仁志はそうでもなかったようだけど、確かに僕には躊躇いなんて無かったね」

「何故だ! 御祖父様はお前を高く評価していた。次代の訃流を担う者として期待もしていたのだぞ!」

「らしいね。でも奥義の継承者候補に上がったのはあんたと仁志だ。僕には声もかからなかったよ。判るかい、その時の僕の気持が。白秋斉は確かに僕の腕を評価はしていた。なのに人を斬れないあんたなんかを候補にしておいて、僕を無視したんだ。だったら仁志の企みに乗った方が目があると考えたのさ」


 当時の屈辱を思い出して、康信の顔に微かな憤怒が浮かぶ。

 康信は己の剣の才を自称しているが、それに見合うだけの実力を持っている。蒼次郎の言うとおり、それは白秋州斉も認めていた。だが康信を正当に評価していた白秋斉も、継承者候補を選ぶ段になれば康信を除外した。


「理由は一つ。僕が子供だったからさ。腕は修行でどうにもなるけど、子供だからと言われちゃ僕にはどうしようもない。生まれる年なんて誰にも選べないんだ。そのどうしようもないことを理由に白秋斉は僕を無視した」


 武道においては体格が物を言う。体格が良ければそれだけ筋肉の量が多いという単純な理由だが、単純ゆえに修行してどうこうなるものではない。訃流は気功によってそう言った不利を補うこともできる。女性ながら練気能力を重点的に鍛えることで分家当主に相応しい実力を身に付けた瀬田朱美が良い例だ。が、それにも限度はある。子供だった康信は体格に劣り、年齢ゆえに練気能力の鍛錬も足りていなかった。

 白秋斉にしても康信を高く評価しつつ、やはり「子供にしては」という前置きがあったのだろう。

 当時康信は焦ったのだ。

 人を斬れないという致命的な欠点はあるものの宗家の嫡男であり天才と称される蒼次郎と、分家筆頭であり宗家の師範代に招かれる腕を持つ仁志八雲。二人の腕が際立っていたのは確かであっても、康信にとってそれは問題にならない程度だった。大人になれば、体が成長しさせすれば容易く追いつける。その程度の差でしかなかった。

 だが二人の内のどちらかが奥義を継承してしまえば、その差は絶望的なまでに開いてしまう。


「継承者があんたに決まったって聞いた時には正直驚いたよ。白秋斉も身内贔屓が過ぎると思ったね。あんたなんかに奥義を使いこなせるわけがない。いいかい? 使えないんじゃなくて使いこなせない、だよ。僕自身のことは脇に置いておくとしても、そりゃないだろって感じだった。だから仁志に話を持ちかけられた時も抵抗なく聞けたね。もしも仁志が継承者になっていて、あんたが同じような話を話しを持ってきたとしても、同じようには聞けなかったんじゃないかな」


 康信は一転して嘲笑を浮かべた。当時から蒼次郎を「天才とは名ばかりの未熟者」と考えていた。血筋と才能を兼ね備えながら、剣客としては半人前もいいところだった。


「それに、これが仁志と僕だけの話だったら危なくて乗れなかったよ。いきなり仁志にやられて奥義書を独り占めされてただろうね。でも四人なら大丈夫。あの頃の僕だって結構使えてたからね。仮に僕を斬っても相手だって無傷じゃ済まない。そうなれば他の二人が黙ってないだろう。そんなわけで誰も僕に手を出せずに膠着状態になった」


 そして二年の月日が過ぎた。世間的な基準で見れば康信はまだ子供の範疇に入るのだろう。だが体は二年の間に成長した。子供だからと候補者から除外されたあの頃とは明らかに違う。少々小柄ではあっても、同じく成長した練気能力と幼少時から白秋斉に認められた剣の才があれば問題ない。


「そろそろ始めようとしていた矢先にあんたが現れた。さてどうしようかと思ったものだけど、こうなってみれば僕の手間を省いてくれたようなものだ。そこは感謝しておこうか」


 縁側に揃った三冊の奥義書を見やって康信は笑みを深めた。


「貴様の狙いはあくまで奥義書か。なるほど、貴様は俺よりも遥かに剣客らしかったのだな。そんな理由で御祖父様を斬れたのだから」


 蒼次郎が言うと、康信の浮かべていた笑みが種類を変えた。どこか蒼次郎を哀れむように。


「やっぱり判ってないね。いいかい? 人を斬れない剣客に価値なんて無いけど、剣客だからって無暗に人を斬る必要は無いんだ。いざという時には人を斬れる、そういう覚悟があるかどうかなのに、あんたにはその区別ができてない。あんたは剣客っていうより、ただの人斬りだ」

「賢しげに……!」


 忌々しげに吐き捨てながら、蒼次郎は動揺を禁じ得なかった。

 剣客には人を切る覚悟が必要であり、しかし人を斬る必要はない。剣客と人斬りの違い。康信の指摘したとおり、蒼次郎にはその区別はできていなかった。

 だから剣術を学びながらも人を傷つけることを嫌い、結局は殺し合いの手段だと考え、そして斬り合いの中で得られる悦びを重視した。

 蒼次郎は剣客にはなれなかったのだ。

 区別できていれば二年前の時点で覚悟も定まっていただろう。そうなれば白秋斉は仁志ではなく蒼次郎を師範代に据え、奥義書もあっさり伝授されていたかもしれない。そうなれば、これも康信の指摘どおり、仁志の付け入る隙など無く、二年前の惨劇は起きなかったのだろう。


「だから、なんだ!」


 蒼次郎は意識的に大きな声を出した。


「貴様が語ったこと、一理あるとは認めよう。あるいは俺こそが全ての原因なのかもしれない。だが、だからなんなのだ! 貴様はそれで己には罪が無いと言うつもりなのか!?」

「僕に罪が無いなんて言わないさ。ただあんたにも罪がある。それだけは判らせておきたくてね。それに……僕に罪が無いなんて言って、それであんたが帰っちまったら困る。いや、奥義書を置いて行くなら帰ってくれた方がいいな。どうせ結果の見えている勝負だ。省ける手間は省きたいからね」

「いい加減に黙れ!」


 蒼次郎は一喝した。

 その一喝で自らの動揺を吹き飛ばし、猛然と康信に斬りかかった。

 火の奥義『焔』で気の総量を増した上で風流を使っているから、源川玄蔵や瀬田朱美と戦った時よりも速く、そして力強い。踏み込みざまに蒼次郎は疾風を放つ。袈裟懸け、左薙ぎ、左斬り上げの三連撃を繰り出す。しかし風流の高速剣を相手に、いっそ緩やかとさえいえる康信の刀が滑り込み、三連撃の全てを受け流していた。

 その結果に舌打ちを交えつつも蒼次郎は怯まない。相手は最高の防御力を誇る水の奥義だ。風流の水の技でさえあれだけの防御力を持っていたのだから、水の奥義がそう簡単に破れるわけがない。

 だから攻め続ける。

 あらゆる太刀筋を組み合わせ、叶う限りの最速の剣を繰り出し続け、土の剛力を振るう。

 そして康信はその全てを受け流し続けた。


 ――さすがにしぶとい。ならば!


 連撃の中、蒼次郎は自然な動作で刀を冗談に振りかぶった。


「ふっ!」


 呼気とともに打ち下す。前身の筋力を集約して放つ、圧倒的な破壊力を誇る土の奥義『山津波』だ。

 山津波ならば、いくら水の奥義でも受け流せまい。流そうとすればその刀ごと圧し潰すまでだ。

 そう考えて放った奥義だったが、康信はこの時に限って受け流そうとせず、後方に大きく跳躍していた。

 空振りとなった山津波は轟音とともに地面を陥没させる。


「ふう、危ない危ない、流石にそんなのは流せない。おっさんのところで跡だけでも見ておいて良かったよ。知らなかったらひっかかってた」


 陥没した地面を前にして康信は余裕の笑みを浮かべ、かたや蒼次郎は愕然としていた。

 そもそも水の奥義は防御強化。それは承知しているのだが、この一連の攻防は蒼次郎にとって不可解だった。

 太刀筋を流麗にして受け流しをしやすくするのは風流にもある技だ。見た所、康信の太刀筋もそれを踏襲している。しかしやっている事は全くの別物だった。そもそも蒼次郎と康信では剣速が違い過ぎる。風流の高速剣を使う蒼次郎の目から見ると、康信の刀の動きは緩慢ですらある。その流麗ではあるが緩慢な動きで高速剣全てを受け流し、あまつさえ山津波を使えばそれを察知して回避してしまった。


「こんなものなのかい?」


 康信が余裕の笑みを浮かべたまま言った。


「火と土の奥義、それに風流。そんなに持っていて、それでこの程度なのかい?」


 いかにも「がっかりしたよ」という口調だった。


「全然相手にならないじゃないか。水が最強っていう僕の考えはやっぱり間違ってなかったってことだろうけど……この程度なら、もっと早く僕自身で取りに行っても良かったな」


 生意気極まりない康信の発言に、蒼次郎は何も言い返せなかった。

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