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無銘の剣と灰色の制服  作者: 伊佐波瑞樹


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第七十二話 


 翌朝。


 王立グランセル魔導学園の空は、薄い灰色に包まれていた。


 雨は降っていない。


 けれど、空のどこにも青は見えない。


 雲は低く、校舎の尖塔の先を少しだけ霞ませている。


 石壁は朝日を受けても明るくならず、白く沈んだ色で静かに立っていた。


 中庭の芝には夜露が残っている。


 光を受けて輝くのではなく、湿り気を抱えたまま、ただ冷たくそこにあった。


 風は弱い。


 旗は動かず、木々の葉もほとんど揺れない。


 噴水の水音だけが、いつも通り響いている。


 跳ねて。


 落ちて。


 また跳ねる。


 レオン・ヴォルツは、寮の部屋で手帳を開いていた。


 昨日の最後の一文。


 もう足せないからこそ、あの日出した震えた声が、届くことを信じて待つ。


 正式報告書は、昨日送付された。


 ヴォルツ家へ。


 ローゼンベルク家へ。


 内容の要約は聞いた。


 公開評価課題、上。


 第五班は課題中、複数回の動揺および判断負荷の偏りを示したが、それらを隠蔽せず言語化し、班内共有および相互補正を通じて課題条件達成へ接続した。


 協力関係は、実技中の認知負荷分散、判断補正、護送安定、支援調整に寄与したと認められる。


 個人的感情または一方的依存のみと判断する根拠は薄く、教育的および実技的有効性を有するものと評価する。


 学園は、第五班の協力関係継続を妥当とする所見を添えた。


 硬い言葉。


 けれど、強い言葉。


 それが、家へ向かった。


 もう、レオンたちには足せない。


 報告書に直接触れることもできない。


 父がどの部分を読むか。


 どこで眉を動かすか。


 何を評価し、何を警戒するか。


 わからない。


 ローゼンベルク家がどう読むかもわからない。


 エリシアの所見を、家がどう受け止めるか。


 本人の認識を尊重すると言った一次返答から、どこへ進むか。


 それもわからない。


 今あるのは、沈黙だ。


 返答が来るまでの沈黙。


 声を送った後の沈黙。


 レオンは手帳に今日の最初の一文を書いた。


 声を送ったあとの沈黙は、いちばん長い。


 その下に、もう一行。


 届いたかどうかを確かめられない時間も、待つしかない時間として扱う。


 ペンを置く。


 待つことには慣れたと思っていた。


 だが、違う。


 何度待っても、待つことは楽にならない。


 ローゼンベルク家の一次返答を待った時。


 ヴォルツ家の正式返答を待った時。


 公開評価の日程を待った時。


 どれも苦しかった。


 けれど今回は、声を送った後だ。


 あれだけ声を出した。


 崩れたことも。


 戻ったことも。


 全部、報告書になった。


 その後に来る沈黙は、まるで大きな扉の前に立たされているようだった。


 向こうで何が読まれているのか、わからない。


 扉の内側から、何の音も聞こえない。


 だからこそ、長い。


 レオンは手帳を閉じた。


 制服へ袖を通す。


 今日は、何かが起きる日ではないかもしれない。


 むしろ、何も起きない日かもしれない。


 だからこそ、崩れないようにするのではなく、何も起きない重さを共有する。


 そう決めて、部屋を出た。


    ◆


 寮の廊下は、落ち着いていた。


 昨日の正式報告書送付の話は、もう学園内に広がっている。


 だが、公開評価当日や翌日のような熱はない。


 生徒たちも、第五班がまた待つ時間に入ったことを知っているのだろう。


 声は低く、慎重だった。


「報告書、昨日出たんだろ」

「返答はいつ来るんだろうな」

「ヴォルツ家とローゼンベルク家、両方だからな」

「すぐには来ないんじゃない?」

「でも、待つのきついよな」

「もう第五班にできることはないんだろ」

「だから余計にきついんじゃないか」


 もうできることはない。


 その言葉が、胸に沈む。


 できることはない。


 正確には、報告書に対して追加でできることはない。


 だが、今日を過ごすことはできる。


 状態を共有することはできる。


 日常へ戻る練習はできる。


 レオンは歩きながら、胸の内で確認した。


 事実。


 報告書は送付済み。


 返答は未着。


 返答時期は未定。


 状態。


 沈黙が重い。


 行動。


 中庭へ行く。


    ◆


 中庭には、フィーネ・ルークがいた。


 噴水のそば。


 彼女は手帳を閉じたまま、両手で抱えていた。


 今日は水面を見ていない。


 遠くの校舎の方を見ている。


 レオンが近づくと、彼女は少し遅れて気づいた。


「おはようございます」


「ああ。おはよう」


 フィーネは小さく息を吐いた。


「ぼんやりしていました」


「報告書か」


「はい」


 彼女は頷く。


「昨日、出ていったんですよね」


「ああ」


「今、どこにあるんでしょう」


「わからない」


「学園の封書として運ばれているのか、もう家に着いているのか、それともまだ途中なのか」


 フィーネは手帳を少し強く抱える。


「考えてもわからないのに、考えてしまいます」


「俺もだ」


 レオンは答えた。


 フィーネは少しだけ安心したように笑う。


「今日の共有です。届いているかどうかわからないことが怖い、です」


「良い共有だ」


「届いていなければ、まだ読まれていない。届いていれば、もう読まれているかもしれない。そのどちらも怖いです」


 レオンは頷いた。


 届いていない怖さ。


 届いている怖さ。


 どちらもある。


「今日、できることは少ない」


「はい」


「だから、少ないことを認める」


 フィーネはその言葉を手帳へ書いた。


 できることが少ない日。

 少ないことを認める。


    ◆


 アルト・レイヴンは、少し疲れた顔で来た。


 昨日までの涙の跡は引いている。


 だが、目元には寝不足の色があった。


「おはようございます」


「ああ」


「おはようございます、アルトさん」


 アルトは二人の前に来ると、少し苦笑した。


「夢を見ました」


「報告書のか」


「はい」


 彼は肩を落とす。


「夢の中で、報告書がすごく薄くて。俺の迷ったところだけ書いてあって、戻ったところが全部抜けていました」


 フィーネが悲しそうに目を細める。


 アルトは続ける。


「起きてから、そんなことないって思おうとしたんですけど、怖くなりました」


「昨日の要約を思い出せ」


 レオンが言うと、アルトは頷いた。


「班内共有と相互補正を通じて課題条件達成へ接続した」


「そうだ」


「支援調整に寄与した」


「ああ」


 アルトは息を吐いた。


「今日の共有です。悪い夢に引っ張られています」


「良い共有だ」


 フィーネが優しく言う。


「夢は事実ではありません」


「はい」


 アルトは手帳を開く。


 夢。

 迷いだけ書かれていた。

 事実。

 要約では、戻ったことも書かれていた。


 書くと、少しだけ表情が戻った。


    ◆


 ユーリス・ベルクは、今日は髪を少し乱したまま来た。


 眠そうだ。


 だが、表情はいつもより静かだった。


「おはよう」


「ああ」


「おはようございます」


「おはようございます、ユーリスさん」


 ユーリスは噴水の縁に片手を置いた。


「今日、何もできない感じがきつい」


 最初から本音だった。


 レオンは頷く。


「俺もだ」


「公開評価の前は、練習できた。崩れる練習も、削る練習もできた。でも今は、待つだけだろ」


「そうだな」


「待つだけって、動くより疲れるな」


 ユーリスは空を見る。


 曇った空。


 風のない朝。


「今日の共有。何かしたい。でも、足せない」


「良い共有だ」


 レオンは答える。


 ユーリスは少しだけ笑う。


「何かしたいから走る、みたいなのも違うんだろうな」


「違うな」


「だよな」


 彼は紙片を取り出した。


 そこには一言だけ書いてある。


 待つ。


 ユーリスらしくないほど簡単な言葉。


 だが、今日はそれが一番難しい。


    ◆


 四人は噴水のそばで、今日の状態を確認した。


 フィーネ。


 報告書が届いているかどうかわからないことが怖い。


 届いていない怖さ。


 届いている怖さ。


 アルト。


 悪い夢に引っ張られている。


 迷いだけ書かれて、戻ったところが抜けている夢。


 だが、事実の要約では戻ったことも書かれていた。


 ユーリス。


 何かしたい。


 でも足せない。


 待つだけがきつい。


 レオン。


 声を送った後の沈黙が長い。


 父が読んでいるかもしれない時間を想像してしまう。


 確認が終わると、フィーネが静かに言った。


「今日の課題は、待つことですね」


「ああ」


 レオンは頷いた。


「ただ待つんじゃなくて、待っている自分たちを共有する」


 アルトが頷く。


「待つことも状態共有する」


 ユーリスが紙片を軽く振る。


「待つって、めんどいな」


「そうだな」


 レオンは少しだけ口元を緩めた。


    ◆


 東棟へ向かう道は、思ったより静かだった。


 生徒たちも、第五班の空気を読んでいるのだろう。


 声をかける者は少ない。


 ただ、すれ違う時に軽く頷く者がいる。


 それだけで十分だった。


 言葉を増やさない見守り。


 それもあるのだと、レオンは思った。


 昨日までは称賛の言葉が多かった。


 今日は、沈黙の見守りがある。


 それは重すぎず、軽すぎない。


 アルトが小さく言う。


「今日は、声をかけられないことがありがたいです」


「わかります」


 フィーネが頷く。


 ユーリスも。


「昨日なら少し寂しいって思ったかも。でも今日は助かる」


 レオンも同じだった。


 静かな廊下。


 沈黙。


 だが、見捨てられている沈黙ではない。


 待つことを許されている沈黙だった。


    ◆


 教室に入ると、カイル・ローダンが本を閉じた。


 ハルト・グレイナーは窓際で腕を組んでいる。


 レオンたちが席へ向かうと、カイルが静かに言った。


「今日、返答は来ない可能性が高い」


 いきなりだった。


 だが、ありがたい言葉でもあった。


「なぜ」


 レオンが聞く。


「昨日午後に送付されたばかりだ。家側の確認、回覧、当主判断を考えれば、即日返答は考えにくい」


「そうか」


「もちろん、絶対ではない」


 カイルは淡々と続ける。


「だが、今日来るかもしれないと一日中構え続けるより、来ない可能性が高いと見て待機疲労を減らす方が合理的だ」


 レオンは頷いた。


 待機疲労。


 以前学んだ言葉が戻ってくる。


 ハルトが言う。


「ずっと扉見てるなよ」


「見ると思う」


 ユーリスが正直に言う。


「見てもいい。でも、見たら戻れ」


 ハルトの声は短い。


 ユーリスは笑った。


「それ、便利だな」


「便利に使うな」


 少しだけ空気が緩んだ。


 カイルは続ける。


「今日は“何も来ない可能性が高い日”として過ごせ。何も来ないことを失敗扱いするな」


 何も来ないことを失敗扱いしない。


 その言葉を、フィーネが手帳に書いた。


    ◆


 一限目。


 教師は黒板へ文字を書いた。


 送付後沈黙。


 教室が静かになる。


 教師は振り返り、淡々と話し始めた。


「昨日、公開評価課題の正式報告書が関係各家へ送付された」


 レオンの胸が少し鳴る。


「本日以降、返答を待つ期間に入る」


 一拍。


「この期間において重要なのは、何も起きない時間を失敗として扱わないことだ」


 黒板に書かれる。


 送った。

 届く。

 読まれる。

 返る。


「この四段階は、こちらの意思で速められない」


 その言葉は、まっすぐ胸に入った。


 速められない。


 どれだけ不安でも。


 どれだけ結果がほしくても。


 報告書は送られ、届き、読まれ、返る。


 その速度は、こちらでは決められない。


「ヴォルツ」


「はい」


 レオンは立ち上がる。


「送付後沈黙において、第五班が最も注意すべきことは何だ」


 レオンは答えた。


「何かを足そうとしないことです」


 教師は続きを待つ。


「報告書は送付済みです。今から追加で説明したり、修正したりはできません。その空白が怖くて、余計な行動をしたくなる可能性があります」


 一拍。


「ですが、今日必要なのは、送った声を信じて待つことです」


 教師は頷いた。


「良い」


 そして全体へ言った。


「待つことは消極的行動ではない。条件によっては、最も難しい維持行動である」


 維持行動。


 待つことが、行動。


 レオンはその言葉を手帳に書いた。


    ◆


 午前の課題は、軽い座学と短い確認演習だった。


 ただし、演習内容は不思議なものだった。


 標識が置かれている。


 しかし、開始の鐘がなかなか鳴らない。


 待機する。


 何も起きない。


 教師は言った。


「待機確認演習だ。開始指示があるまで動くな。状態共有のみ許可する」


 また、待つ練習。


 だが、今日には必要だった。


 四人は区画内で立つ。


 標識は見えている。


 敵はいない。


 障害もない。


 だが、動けない。


 フィーネが言う。


「動きたくなっています」


 アルトも。


「支援準備をしたくなっています。でも敵はいません」


 ユーリスも。


「標識取っちゃ駄目かなって思ってます」


「駄目だ」


 レオンが言う。


 ユーリスが苦笑する。


「だよな」


 レオンも共有する。


「俺は、何も起きないことを無駄に感じ始めている」


 フィーネが頷く。


「でも、待機も課題です」


「ああ」


 しばらくして、鐘が鳴った。


 課題は簡単だった。


 標識を取って、台座へ置くだけ。


 ユーリスが普通に走る。


 アルトは支援しない。


 フィーネは短く報告する。


 レオンは短く指示する。


 すぐ終わった。


 教師が言う。


「評価、良」


 短い評価。


「待機中に余計な動きがなかった。状態共有あり。良」


 地味だった。


 だが、今日の第五班には必要な良だった。


    ◆


 昼休み。


 食堂の空気は穏やかだった。


 昨日ほど祝福の声はない。


 だが、第五班の席へ向けられる視線は、以前より柔らかい。


 近づいてくる生徒は少ない。


 その代わり、少し離れた席から軽く会釈する者がいる。


 フィーネが言った。


「今日は静かですね」


「静かだな」


 レオンは答える。


 アルトが食事を前にして言う。


「静かだと、考えてしまいます。でも、騒がしいよりはありがたいです」


 ユーリスはパンをちぎりながら言った。


「沈黙にも種類があるな」


「種類?」


 フィーネが聞く。


「見捨てられた沈黙と、待たせてくれる沈黙」


 レオンは少しだけユーリスを見る。


 良い言葉だった。


 ユーリスは気づいて、少し照れた。


「今の、ちょっと良くない?」


「良い」


 レオンは正直に答えた。


 ユーリスは笑った。


「書いとけ」


 フィーネがすでに手帳に書いていた。


 見捨てられた沈黙。

 待たせてくれる沈黙。


 アルトも書く。


 レオンも手帳に書いた。


    ◆


 午後。


 何も来なかった。


 事務職員も来ない。


 封書もない。


 教師からの呼び出しもない。


 何もない。


 その何もなさが、だんだん重くなる。


 授業の途中で、廊下を職員が通る足音がした。


 フィーネの手が一瞬止まる。


 アルトが顔を上げる。


 ユーリスも廊下を見る。


 レオンも、胸が鳴った。


 だが、職員は通り過ぎただけだった。


 フィーネが小さく言う。


「足音を返答と結びつけました」


 アルトも。


「俺もです」


 ユーリスも。


「俺も。扉見た」


 レオンも。


「俺もだ」


 四人で、小さく戻る。


 何も来ない。


 それは失敗ではない。


 何も来ない日。


 待つ日。


    ◆


 放課後。


 中庭には、エリシアがいた。


 今日は一人だった。


 噴水のそばで手帳を開き、静かに何かを書いている。


 レオンたちが近づくと、彼女は顔を上げた。


「皆様」


「エリシア様」


 フィーネが返す。


 エリシアは少しだけ微笑んだ。


「今日は、何も来ませんでしたね」


「ああ」


 レオンは頷く。


「おそらく、来ない可能性が高かった」


「カイル様がそう言っていました」


「聞いたのか」


「はい」


 エリシアは手帳を見る。


「でも、来ないとわかっていても、音がすると反応してしまいます」


「俺たちもだ」


 アルトが頷く。


「職員さんの足音で全員反応しました」


 ユーリスが笑う。


「扉見た」


 エリシアも少し笑った。


「私も、事務棟の方を何度も見ました」


 フィーネが言う。


「今日の講義で、待つことは維持行動だと教わりました」


「維持行動……」


 エリシアはその言葉を手帳に書く。


「私も、今日はそれですね」


 一拍。


「待つことを、何もしていないと責めない」


 その言葉に、四人が頷いた。


 レオンは噴水を見る。


 跳ねて。


 落ちて。


 また跳ねる。


 水音は続いている。


 何も起きないように見える日にも、続いている。


    ◆


 夕方。


 第五班は、少しだけ中庭に残った。


 空は暗くなり始めている。


 雲の切れ間に、薄い橙がにじんでいた。


 フィーネが言う。


「今日は長かったです」


「ああ」


 アルトも。


「公開評価の日より長く感じました」


 ユーリスが頷く。


「動けない時間の方が長い」


 レオンも同じだった。


 剣を振る方が楽な時がある。


 標識を運ぶ方が楽な時がある。


 敵が出る方が、まだ対処できる。


 しかし、沈黙には剣を振れない。


 待つしかない。


「今日、俺たちは何をしたんでしょう」


 アルトがぽつりと言った。


 その問いに、少し沈黙が落ちる。


 レオンは考えた。


 そして答えた。


「待った」


「待っただけ、ですか」


「待った」


 一拍。


「そして、待っていることを隠さなかった」


 フィーネが顔を上げる。


 ユーリスも。


 アルトはゆっくり頷いた。


「それも、やったことですね」


「ああ」


 今日の成果は派手ではない。


 評価、良。


 待機確認演習。


 何も来ない一日。


 だが、待った。


 待っている苦しさを共有した。


 足したくなる気持ちを抑えた。


 それも、第五班の一日だった。


    ◆


 夜。


 学生寮の部屋。


 レオンは手帳を開いた。


 第七十二話。


 声を送ったあとの沈黙は、いちばん長い。


 朝。

 正式報告書送付後の翌日。

 報告書はヴォルツ家とローゼンベルク家へ向かった。

 返答は未着。

 返答時期は未定。

 声を送ったあとの沈黙は、いちばん長い。

 届いたかどうかを確かめられない時間も、待つしかない時間として扱う。

 待つことには慣れない。

 何度待っても、待つことは楽にならない。

 今回は、声を送った後の沈黙。

 扉の向こうで何が読まれているかわからない。


 廊下。

 報告書、昨日出たんだろ。

 返答はいつ来るんだろう。

 もう第五班にできることはない。

 だから余計にきつい。

 できることは少ない。

 だが、今日を過ごすことはできる。

 状態共有はできる。


 フィーネ。

 報告書が今どこにあるのか考えてしまう。

 届いているかどうかわからないことが怖い。

 届いていなければ、まだ読まれていない。

 届いていれば、もう読まれているかもしれない。

 どちらも怖い。

 できることが少ない日。

 少ないことを認める。


 アルト。

 夢を見た。

 報告書が薄く、迷ったところだけ書かれていて、戻ったところが抜けていた。

 夢は事実ではない。

 事実。

 要約では、戻ったことも書かれていた。


 ユーリス。

 何かしたい。

 でも足せない。

 待つだけがきつい。

 公開評価前は練習できた。

 今は待つしかない。

 待つ。


 教室。

 カイル。

 今日、返答は来ない可能性が高い。

 家側の確認、回覧、当主判断を考えれば即日返答は考えにくい。

 来ない可能性が高いと見て待機疲労を減らす方が合理的。

 何も来ないことを失敗扱いするな。

 ハルト。

 ずっと扉見てるなよ。

 見てもいい。でも、見たら戻れ。


 講義。

 送付後沈黙。

 送った。

 届く。

 読まれる。

 返る。

 この四段階は、こちらの意思で速められない。

 送付後沈黙で注意すべきこと。

 何かを足そうとしないこと。

 報告書は送付済み。

 今から追加で説明したり修正したりはできない。

 その空白が怖くて、余計な行動をしたくなる。

 今日必要なのは、送った声を信じて待つこと。

 待つことは消極的行動ではない。

 条件によっては、最も難しい維持行動である。


 午前課題。

 待機確認演習。

 標識がある。

 でも開始の鐘が鳴らない。

 動けない。

 状態共有のみ。

 フィーネ、動きたくなっている。

 アルト、支援準備をしたくなっている。でも敵はいない。

 ユーリス、標識取っちゃ駄目かなと思っている。

 レオン、何も起きないことを無駄に感じ始めている。

 待機も課題。

 評価、良。

 待機中に余計な動きがなかった。

 状態共有あり。


 昼。

 沈黙にも種類がある。

 見捨てられた沈黙。

 待たせてくれる沈黙。

 今日は、待たせてくれる沈黙。


 午後。

 何も来なかった。

 職員の足音で全員反応。

 足音を返答と結びつけた。

 扉を見た。

 何も来ない。

 失敗ではない。

 待つ日。


 放課後。

 エリシア。

 今日は何も来なかった。

 来ないとわかっていても、音がすると反応してしまう。

 事務棟の方を何度も見た。

 待つことは維持行動。

 待つことを、何もしていないと責めない。


 夕方。

 今日は長かった。

 公開評価の日より長く感じた。

 動けない時間の方が長い。

 今日、俺たちは何をしたのか。

 待った。

 待っていることを隠さなかった。

 それも、やったこと。


 レオンはペンを止めた。


 今日、何も来なかった。


 封書も。


 職員も。


 呼び出しも。


 家からの返答も。


 何も来なかった。


 だが、それは失敗ではない。


 今日、第五班は待った。


 待っていることを隠さなかった。


 届いているかどうかわからない怖さ。


 夢に引っ張られる怖さ。


 何かしたいのに足せない苦しさ。


 足音に反応してしまう自分。


 扉を見てしまう自分。


 全部、共有した。


 派手な成果はない。


 上評価でもない。


 でも、今日の良は、待つ良だった。


 待機中に余計な動きがなかった。


 状態共有あり。


 教師の短い評価が、今は少しありがたい。


 レオンは最後に一行を書く。


 声を送ったあとの沈黙は、いちばん長い。


 その下に、もう一行。


 それでも、沈黙の中で待っていることを隠さなければ、待つことも第五班の行動になる。


 ペンを置く。


 窓の外は夜だった。


 雲はまだ空を覆っている。


 星は見えない。


 返答は、まだ来ていない。


 明日も来ないかもしれない。


 明後日かもしれない。


 もっと先かもしれない。


 わからない。


 だが、報告書は出ていった。


 声は送った。


 あとは待つ。


 レオンは手帳を閉じた。


 灯りを落とす。


 暗闇の中で、噴水の水音を思い出す。


 跳ねて。


 落ちて。


 また跳ねる。


 水音は、返事を待たない。


 ただ続く。


 自分たちも、明日を続ける。


 返答が来るまで。


 待っていることを隠さずに。

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