第六十八話
第三訓練場の空気は、張り詰めていた。
朝の光は高い窓から斜めに入り、石造りの床に白い帯を落としている。
その光の帯の中を、細かな埃がゆっくり漂っていた。
普段なら気にも留めないようなそれが、今は妙に鮮明に見える。
広い天井。
反響する足音。
観覧席に座る者たちの静かな視線。
記録担当のペンが紙を走る微かな音。
すべてが、第五班を囲んでいた。
公開評価課題は、すでに始まっている。
課題形式は、救援護送・標識移送・複数障害複合型。
負傷者役二体。
指定標識二本。
初期配置の敵性魔法人形三体。
追加起動あり。
障害壁の起動条件は不定。
制限時間あり。
ただし、時間のみを最優先評価とはしない。
評価項目は、状況把握、優先順位判断、状態共有、相互補正、護送安定、標識回収、終了後報告。
レオン・ヴォルツは、そのすべてを頭の片隅に置きながら、正面の前衛型を受け流していた。
剣が重い。
魔法人形の剣に感情はない。
だが、今日の一撃は、観覧席の視線までまとっているように感じられた。
カイル・ローダンが見ている。
ハルト・グレイナーが見ている。
エリシア・フォン・ローゼンベルクが見ている。
教師団が見ている。
記録担当が書いている。
そして、その先で父が読む。
その考えが胸を押しつぶしかけた瞬間、レオンは声にした。
「家へ飛んだ。戻る。前衛流す」
声が反響する。
自分の弱さを、訓練場全体に響かせたような感覚があった。
だが、それで足が戻る。
剣を受け、流し、前衛型の体勢を崩す。
同時にフィーネの声が響いた。
「中央右護送まで、ユーリスさん五歩。前衛、レオンさん正面。軽量、土で足止め中。魔法型、詠唱乱れ。標識二本、未回収!」
声は震えている。
だが、情報は届いている。
項目が崩れていない。
レオンは短く指示する。
「護送確保。標識は後」
「了解!」
ユーリス・ベルクが走る。
普通に。
しかし、その普通は簡単ではなかった。
観覧席が視界の端にある。
エリシアの視線がある。
ハルトの視線がある。
カイルの視線がある。
ユーリスはそれを見た。
見て、言った。
「席見た。怖い。普通に走る!」
その声に、観覧席の空気がわずかに揺れた。
だが、誰も笑わない。
誰も遮らない。
見ている。
見張るのではなく、見ている。
ユーリスは中央右の負傷者役へ到達した。
負傷者役の状態札は、橙。
揺れが大きい。
支え方を間違えれば、状態悪化として評価に響く。
ユーリスは片膝をつき、呼吸を合わせる。
「中央右、橙。揺れ大。支えすぎると崩れる。速度落とす!」
レオンは頷く。
「護送安定優先」
短い指示。
その瞬間、右奥の標識付近で魔力が動いた。
フィーネが叫ぶ。
「右奥、追加起動気配! 標識二本目付近!」
アルト・レイヴンが息を吸う。
彼の手には、三枚の紙片。
土。
水。
風。
それだけ。
だが、本番の圧の中では、それだけでも多く感じる。
アルトは右軽量型を土で足止めしながら、右奥へ意識を向けた。
「右奥見ました。支援を増やしたくなりました!」
声に出す。
出したことで、手が止まらない。
「今は右軽量維持。追加は確認後!」
フィーネが即座に補足する。
「右奥、魔力反応あり。敵影未確認。標識周辺、注意!」
レオンは前衛型を押し返す。
観覧席のカイルが、わずかにペンを走らせるのが見えた気がした。
判断の根拠。
修正の速度。
共有の意味。
カイルが見ると言っていたもの。
その言葉が頭に浮かび、レオンはまた指示を整えたくなる。
しかし、言う。
「カイルへ飛んだ。戻る。今は護送」
観覧席のカイルの表情は変わらない。
だが、レオンには、ほんのわずかに彼の視線が深くなったように感じられた。
◆
ユーリスが中央右の負傷者役を支え、ゆっくり移動を始める。
速度は遅い。
だが、安定している。
フィーネが報告する。
「中央右護送、移動開始。状態橙維持。左奥護送、黄色で待機。標識二本、未回収。右奥魔力反応、継続」
その時だった。
奥の魔法型が再び詠唱を始めた。
先ほどアルトの水で乱されたはずだが、完全停止ではない。
フィーネが声を上げる。
「魔法型、再詠唱!」
アルトが水へ切り替えようとする。
だが、右軽量型の足止めも維持しなければならない。
土を離せば、右軽量がユーリスへ向かう。
水を出さなければ、魔法型の詠唱が通る。
一瞬、アルトの動きが止まった。
支援を増やしたい。
全部止めたい。
どちらも守りたい。
その迷いが、彼の肩に出る。
アルトは震える声で言った。
「迷いました! 土と水、両方やろうとして止まりました!」
その声は、訓練場に響いた。
隠さない。
レオンはすぐに判断する。
「土維持。水は遅らせる。フィーネ、詠唱時間」
フィーネが答える。
「詠唱完了まで四秒!」
四秒。
短い。
レオンは前衛型を流しながら叫ぶ。
「ユーリス、護送一歩止めろ!」
「了解!」
ユーリスが負傷者役を安定させる。
レオンは前衛型の攻撃をかわし、その反動で一歩奥へ踏み込む。
自分で魔法型の射線に入る。
フィーネが息を呑む。
「レオンさん、前へ出ています!」
「出すぎる。わかってる。魔法型止める!」
前に出た。
だが、隠さない。
出すぎていると認識した上で、必要な一歩として踏み込む。
レオンは前衛型の剣を弾き、短く叫んだ。
「アルト、水、今!」
「はい!」
土を維持したまま、アルトは水を細く放つ。
強くない。
派手ではない。
だが、必要な強さだった。
水が魔法型の詠唱陣の端を乱す。
魔法が暴発せず、消える。
フィーネが声を上げる。
「詠唱停止! 右軽量、足止め維持!」
アルトの肩が震える。
「止まった……」
「戻れ」
レオンが短く言う。
アルトははっとする。
「戻ります。土維持!」
観覧席で、ハルトが腕を組んだまま、ほんのわずかに頷いたように見えた。
弱い水。
必要な水。
派手ではない支援。
だが、それが止めた。
アルトは、強く見せるのではなく、必要な支援をした。
◆
中央右の護送対象が、橙から黄色へ戻った。
ユーリスが報告する。
「中央右、黄色へ戻った! 移動再開。速度低め!」
レオンは前衛型を押さえながら指示する。
「左奥護送へ移る。フィーネ、右奥確認」
「はい!」
フィーネが右奥を見る。
そこに、追加起動した小型魔法人形が現れた。
標識二本目のすぐ近く。
小さい。
だが、速い。
「右奥、小型一体起動! 標識二本目付近。速度高い!」
観覧席の空気がまた少し張る。
標識二本。
護送二体。
敵追加。
時間制限。
レオンは頭の中で全体を組み立てようとした。
全員の位置。
敵の動き。
護送状態。
標識回収順。
障害壁。
魔法型。
記録。
父。
全部が一気に押し寄せる。
まとめなければ。
自分が中心者として。
家名を背負う者として。
その瞬間、ユーリスの声が飛んだ。
「レオン、全部背負おうとしてる!」
声が、広い訓練場に響いた。
観覧席まで届いた。
記録担当のペンが止まったように感じた。
レオンの胸が刺されたように痛む。
だが、戻った。
「全部背負おうとした。戻る」
声に出す。
父へ届く記録に残るかもしれない。
それでも言う。
「分ける。フィーネ、右奥小型。アルト、軽量維持。ユーリス、中央右護送を安全位置へ。俺、前衛維持」
短く分けた。
全部を自分で持たない。
分ける。
フィーネがすぐに答える。
「右奥小型、標識へ接近。牽制可能。報告継続!」
アルト。
「右軽量維持。土、必要量!」
ユーリス。
「中央右護送、安全位置へ。あと三歩!」
レオンは前衛型を流す。
視界の端で、ハルトがこちらを見ている。
一人で背負おうとしたら、逃げだと思う。
昨夜の言葉が胸に残る。
今、言えた。
戻れた。
逃げてはいない。
◆
フィーネは右奥小型を見ながら、報告を続けていた。
だが、情報が多い。
右奥小型。
標識二本目。
魔法型の再起動。
障害壁。
護送対象。
前衛。
報告の項目が増えすぎる。
彼女の声が少し詰まった。
「右奥、小型、標識、魔法型、障害、えっと――」
止まりかけた。
観覧席のカイルが見ている。
正確に。
その意識が、フィーネの声をさらに硬くする。
彼女は目を閉じるように一瞬まばたきし、言った。
「報告、詰まりました! カイルさんを意識しました。項目へ戻します!」
声は震えていた。
だが、戻った。
「敵、右奥小型、前衛、右軽量、魔法型。護送、中央右黄色、左奥黄色。障害、中央壁起動、右壁未起動。標識、奥未回収、右奥未回収。状態、報告継続!」
届いた。
完璧な言葉ではない。
だが、必要な情報は届いた。
カイルは静かに見ている。
彼の表情は動かない。
けれど、レオンにはわかった。
今の報告は、見られた。
評価された。
そして、おそらく記録された。
詰まり。
自己申告。
項目復帰。
それが第五班の形だった。
◆
ユーリスは中央右の護送対象を安全位置へ置いた。
「中央右、安全位置。黄色維持!」
次は左奥の護送対象。
だが、同時に標識も回収しなければならない。
時間が進んでいる。
教師団の一人が小さく砂時計を見る。
その動きが、レオンの視界に入った。
時間。
制限時間。
急げ。
標識二本。
護送二体。
父。
記録。
時間。
時間。
レオンは指示を急ぎかける。
「ユーリス、左奥。標識――」
言葉が少し重なる。
短くない。
自分で気づく前に、フィーネが言った。
「レオンさん、時間で急いでいます!」
レオンは歯を食いしばる。
「急いだ。戻る。優先、左奥護送」
短く言い直した。
「ユーリス、左奥。アルト、右軽量維持。フィーネ、右奥小型の標識接触を見る」
「了解!」
「はい!」
「はい!」
ユーリスが左奥へ走る。
今度は速い。
だが、普通に速い。
格好つけではない。
怖さで平気なふりをしているわけでもない。
必要な速度。
彼は自分で言う。
「速度上げる。普通の範囲!」
その言葉に、アルトが少し笑いそうになる。
だが、すぐ戻る。
「支援維持!」
ユーリスが左奥護送対象へ到達。
「左奥黄色、安定。移動可能!」
レオンは判断する。
「左奥を中央へ。標識一本目、俺が取る」
言った瞬間、観覧席のハルトの視線が刺さる気がした。
一人でやるのか。
背負うのか。
レオンはすぐに言う。
「一人で背負う意図ではない。前衛位置が近い。標識一本目だけ取る」
説明しすぎか。
そう思ったが、これは必要な根拠共有だった。
フィーネが頷く。
「位置根拠確認。標識一本目、レオンさん近い。ユーリスさんは護送継続」
アルトも。
「標識一本目支援なしで可。右軽量維持します」
ユーリスも。
「了解。俺は護送」
レオンは標識一本目へ踏み込んだ。
前衛型の剣を流し、その横を抜ける。
標識へ手を伸ばす。
その瞬間、右奥小型が標識二本目を押し倒そうと動いた。
フィーネが叫ぶ。
「右奥小型、標識二本目へ接触!」
アルトが反応する。
右軽量を維持しながら、風を送ろうとする。
だが距離がある。
風を強くすれば届く。
しかし強すぎると、標識も揺れる。
アルトの手が震える。
「強く出したい! でも標識が揺れる!」
自分で言う。
レオンは標識一本目を掴みながら指示する。
「弱風で方向だけずらせ」
「はい!」
アルトの風が、細く走る。
強くない。
だが、小型の進路をわずかにずらした。
標識二本目は倒れない。
フィーネが声を上げる。
「右奥標識、維持! 小型、進路ずれ!」
観覧席で、エリシアが両手を強く握るのが見えた。
アルトも見たのだろう。
彼は小さく言った。
「エリシア様見ました。支えたい気持ちで強くしそうでした。弱風で戻しました」
その声は、確かに届いた。
◆
標識一本目を確保。
ユーリスは左奥護送対象を連れて中央へ。
中央右護送対象は安全位置。
右奥標識二本目はまだ未回収。
敵は前衛、右軽量、魔法型、右奥小型。
障害壁は中央起動、右未起動。
時間は残り少ない。
フィーネが項目報告を出す。
「標識一本目、レオンさん確保。護送、左奥移動中、中央右安全位置。敵、前衛正面、右軽量足止め、魔法型再起動なし、小型右奥。障害、中央起動、右未起動。標識二本目、右奥未回収!」
レオンは判断する。
標識一本目を台座へ置くか。
先に二本目へ向かうか。
護送対象二体を安定させるか。
ここで判断を誤れば、時間が足りない。
父へ届く。
記録される。
だが、そこへ飛ばない。
今の課題を見る。
「標識一本目、台座へ。ユーリス、左奥護送を中央右と合流。アルト、右軽量維持から小型牽制へ切替準備。フィーネ、右壁を見る」
少し長い。
だが、必要だった。
フィーネがすぐに返す。
「指示確認。右壁、起動気配あり!」
右壁が動く。
右奥標識への道が閉じられるかもしれない。
ユーリスが叫ぶ。
「右奥行くなら今!」
その声には焦りがある。
だが、正しい。
レオンは標識一本目を台座へ置く。
鐘のような小さな確認音。
一本目完了。
「ユーリス、護送合流後、右奥標識へ。アルト、風で道を空ける。フィーネ、護送二体状態」
「了解!」
「はい!」
「はい!」
ユーリスが護送対象を安全位置へ置く。
「左奥、中央右と合流。二体黄色!」
すぐに右奥へ向かう。
普通に走る。
いや、速い。
だが、普通の範囲。
「右奥へ走る。怖いけど普通!」
ユーリスの声が響く。
観覧席のハルトが、ほんの少し口元を動かしたように見えた。
笑ったのではない。
だが、認めるような、そんな小さな動き。
◆
右壁が起動し始める。
右奥への道が狭くなる。
アルトが風を送る。
弱すぎれば届かない。
強すぎればユーリスの足が乱れる。
アルトの指先が震えた。
「風、迷っています!」
隠さない。
フィーネが即座に言う。
「ユーリスさん速度高め。強風危険。弱風で足元補助!」
アルトが頷く。
「弱風、足元!」
風が床を撫でる。
ユーリスの足が滑らず、加速しすぎず、右壁の隙間へ入る。
小型魔法人形が標識二本目へ接近。
レオンは前衛型を押さえながら叫ぶ。
「ユーリス、小型より標識優先。接触したら言え」
「了解!」
ユーリスが標識へ手を伸ばす。
小型が横からぶつかる。
「小型接触! でも標識掴んだ!」
ユーリスの体勢が崩れる。
観覧席が揺れる。
エリシアが立ち上がりかけ、しかし座ったまま堪える。
見守る。
見張らず、見守る。
ユーリスは膝をつきかけた。
だが、言った。
「崩れた! 膝つきそう! 標識保持!」
アルトが叫ぶ。
「風弱、支えます!」
フィーネが報告。
「ユーリスさん、標識保持。右壁閉鎖進行。小型接触継続!」
レオンは前衛を流し、ユーリスへ向かいたくなる。
助けたい。
自分が行けば。
だが、前衛を離せば護送対象側へ抜ける。
一人で整えようとするな。
ハルトの声が胸に響く。
レオンは叫んだ。
「俺は前衛維持! アルト、支え。フィーネ、小型位置。ユーリス、自力で半歩戻れ!」
「了解!」
ユーリスが歯を食いしばる。
「半歩、戻る!」
膝が床すれすれで止まる。
標識を抱え直す。
アルトの弱風が背中を支える。
強くない。
倒れない程度。
ユーリスは体勢を戻した。
「戻った! 標識二本目確保!」
その声が、第三訓練場に響いた。
◆
残るは、二本目の設置と護送二体の最終確認。
だが、右壁は閉じかけている。
ユーリスが戻る道は狭い。
アルトの風支援。
フィーネの障害報告。
レオンの前衛維持。
全員が必要だった。
フィーネが声を出す。
「右壁、閉鎖まで三秒! 戻りは左斜め、狭い!」
アルト。
「風弱、継続。強めません!」
ユーリス。
「左斜め、行く。標識保持!」
レオン。
「前衛流す。道空ける」
前衛型を横へ流す。
同時に魔法型が再起動する気配。
フィーネが叫ぶ。
「魔法型、再起動気配!」
アルトが水へ行きたくなる。
だが風支援を切ればユーリスが崩れる。
彼は言う。
「水へ行きたい! でも風維持!」
レオンが判断する。
「風維持。魔法型は俺が射線切る」
前衛型を流した勢いで、レオンは魔法型の射線へ入る。
出すぎる危険。
自覚している。
「前へ出る。出すぎ注意。射線切る!」
フィーネが補足。
「レオンさん、射線内。魔法型詠唱、対象ずれ!」
魔法型の詠唱がレオンに向く。
その瞬間、レオンは横へ逃げる。
魔法は床を打ち、消える。
前衛型が迫る。
レオンの体勢が少し崩れる。
観覧席の空気が大きく動く。
ハルトの腕に力が入ったのが見えた。
エリシアの手が震える。
カイルの目が細くなる。
レオンは言った。
「体勢崩れた。前衛近い。戻る」
短く。
剣を低く構え、前衛型の追撃を受け流す。
間に合う。
ユーリスが右壁を抜けた。
「抜けた! 標識二本目、台座へ!」
アルトの風が弱く背中を押す。
フィーネが護送対象を見る。
「護送二体、黄色維持。移動不要。標識二本目、台座まで四歩!」
レオンが叫ぶ。
「設置!」
ユーリスが標識を台座へ置く。
確認音。
二本目完了。
だが、まだ終わりではない。
救援護送の最終確認が必要だ。
フィーネがすぐに言う。
「標識二本、設置完了。護送二体、黄色。敵、前衛正面、右軽量足止め弱化、魔法型再起動後硬直、小型右奥停止気配。障害、中央起動、右閉鎖」
レオンは指示する。
「護送最終確認。ユーリス、中央。アルト、軽量維持。フィーネ、状態」
ユーリスが中央へ戻る。
「護送二体、確認!」
アルトが土を維持する。
「右軽量、足止めあと二秒!」
フィーネが声を張る。
「護送二体、黄色維持。標識二本、設置完了。課題条件、達成可能状態!」
教師の鐘が鳴った。
終了。
◆
鐘の音が、第三訓練場に長く響いた。
誰もすぐには動かなかった。
レオンは剣を下ろす。
息が荒い。
手が震えている。
フィーネは膝に手をつきかけ、すぐ姿勢を整えた。
アルトは三枚の紙片を握りしめたまま、目に涙を浮かべていた。
ユーリスは標識台座のそばで、肩で息をしている。
観覧席は静かだった。
拍手はない。
歓声もない。
評価中だからだ。
だが、その静けさの中に、確かに何かがあった。
見られた。
すべて。
震えも。
迷いも。
崩れも。
戻る声も。
教師が一歩前へ出た。
「第五班、終了後報告へ」
まだ終わっていない。
終了後報告。
評価項目の一つ。
フィーネが息を吸う。
声が震えている。
だが、彼女は言った。
「フィーネ・ルーク。終了後報告。課題条件、負傷者役二体救援、黄色維持。標識二本回収、設置完了。障害壁、中央起動、右閉鎖。敵性魔法人形、前衛、右軽量、魔法型、小型を確認。状態共有、複数回実施。報告詰まりあり、項目復帰あり」
声が届く。
次にアルト。
「アルト・レイヴン。支援報告。土で右軽量を足止め。水で魔法型詠唱を妨害。風でユーリスさんの足元と体勢を補助。支援迷いあり。土と水で迷いました。風の強さでも迷いました。必要量へ戻しました」
次にユーリス。
「ユーリス・ベルク。移送報告。中央右護送、左奥護送を安全位置へ。標識二本目を回収。観覧席を見ました。怖くて格好つけそうになりました。途中、浮きと崩れあり。標識保持して戻りました」
最後にレオン。
観覧席の視線が集まる。
レオンは息を吸った。
「レオン・ヴォルツ。指揮報告。前衛型を維持しながら、護送優先で指示。途中、家へ意識が飛びました。カイルへ飛びました。時間で急ぎました。全体を一人で背負おうとしました。指摘を受け、分担へ戻しました」
一拍。
「第五班は、崩れました。ですが、崩れを隠さず共有し、課題条件達成へ戻りました」
その声は、訓練場に響いた。
崩れました。
隠さず共有しました。
戻りました。
それは、きれいな報告ではなかった。
だが、第五班そのものだった。
◆
教師団が小さく話し合う。
記録担当がペンを走らせる。
観覧席の生徒代表三人も、静かに座っている。
カイルは手元の紙に何かを書いている。
ハルトは腕を組み、まっすぐ第五班を見ている。
エリシアは、両手を胸の前で重ねていた。
目元が少し赤い。
だが、彼女は泣いていない。
見守ると決めたからだろう。
レオンは、ただ立っていた。
評価を待つ時間は、演習よりも長く感じた。
アルトの呼吸が浅い。
フィーネの手が震えている。
ユーリスは、いつものように軽口を言わない。
それでも、四人は立っていた。
教師が戻ってくる。
第三訓練場の空気が、さらに静まった。
担当教師が書面を手にし、第五班の前へ立つ。
「公開評価課題、暫定評価を伝える」
暫定。
最終報告は記録をまとめた後だろう。
だが、今ここで評価が出る。
レオンは息を止めかけた。
フィーネが小さく言う。
「息を」
その声に、四人が息を吸う。
教師が口を開いた。
「第五班、評価――」
言葉が、訓練場に落ちる。
その直前。
レオンは、噴水の水音を思い出した。
跳ねて。
落ちて。
また跳ねる。
落ちても、戻る。
その音を胸に置いたまま、評価を待った。




