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無銘の剣と灰色の制服  作者: 伊佐波瑞樹


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42/81

第四十二話 


 翌朝。


 王立グランセル魔導学園の空は、重い灰色に覆われていた。


 雨はまだ降っていない。


 けれど、雲は低く、今にも水を落としそうな色で校舎の上に垂れ込めている。


 尖塔の先は薄い靄に沈み、朝日もほとんど届かない。


 中庭の芝は湿り、風が吹かないせいで、空気そのものがどこか動きを忘れているようだった。


 噴水の水音だけが、今日も変わらず響いていた。


 跳ねて。


 落ちて。


 また跳ねる。


 その音は、昨日まで何度もレオン・ヴォルツを現実へ戻してきた。


 けれど今朝は、その水音でさえ少し遠かった。


 机の上には、ヴォルツ家からの返答が置かれている。


 深い青の封蝋はすでに切られ、父の直筆の書簡は丁寧に広げられていた。


 レオンは、そこに書かれた一文をもう一度見た。


 成果がある限り、学業上の協力関係を直ちに禁じるものではない。


 直ちに禁じるものではない。


 その一文に、昨日は安堵した。


 班変更ではなかった。


 解散でもなかった。


 呼び戻しでもなかった。


 アルト・レイヴンの名前も、第五班の関係も、学業上の協力関係として一応は認められた。


 最悪ではなかった。


 けれど、一晩が明けると、別の言葉が胸の奥で膨らんでいた。


 成果がある限り。


 成果。


 それが条件になった。


 昨日はまだ、協力関係が残されたことに意識が向いていた。


 だが、今朝になって、その残された関係の足元に置かれた条件が、静かに重くなっている。


 成果がある限り。


 ならば、成果がなければ。


 評価を落とせば。


 課題で崩れれば。


 第五班が、ただの仲良しだと見られれば。


 アルトが支援担当として機能しないと判断されれば。


 フィーネの状態共有が成果に繋がらないと思われれば。


 ユーリスの調整がただの軽さだと見なされれば。


 レオン自身が、私情で班を維持していると見られれば。


 その時、協力関係は認められなくなるのか。


 直ちに禁じない、という言葉は、いつか禁じる可能性を含んでいる。


 状況を注視する。


 必要があれば面談を求める場合がある。


 父の文字は、怒っていなかった。


 冷静だった。


 だからこそ、逃げ場がなかった。


 レオンは書簡を閉じた。


 胸の奥に、硬いものが沈んでいる。


 成果を出さなければならない。


 そう思った瞬間、手帳の別の言葉が蘇る。


 成果を出すことは必要だ。


 だが、成果のために第五班を壊してはいけない。


 昨夜、自分で書いた言葉。


 なのに、朝になっただけで、その言葉が少し遠くなる。


 成果。


 成果。


 成果。


 その言葉が、灰色の空のように胸の上へ広がっていく。


 レオンは深く息を吸った。


 今日も学園へ行く。


 成果を出すために。


 いや。


 それだけではない。


 第五班でいるために。


 その違いを見失わないようにしなければならない。


 そう思いながらも、鞄を持つ手にはいつもより力が入っていた。


    ◆


 寮の廊下に出ると、空気は昨日とは違っていた。


 ヴォルツ家から返答が来たことは、すでに広がっている。


 内容までは知られていないはずだ。


 だが、生徒たちは断片を拾う。


 封蝋を見た者。


 レオンたちが小控室へ向かったのを見た者。


 教師たちの動きを見た者。


 そうした小さなものが組み合わさって、また噂の形を作る。


「ヴォルツ家から返事来たんだろ?」

「禁止はされなかったらしい」

「でも監視されるんだって」

「成果が条件らしいぞ」

「成果出せなかったら班変更?」

「アルト、プレッシャーやばそう」

「第五班、これから失敗できないな」


 失敗できない。


 その言葉が、レオンの背中に落ちた。


 足を止めるほどではない。


 だが、歩幅が少しだけ固くなる。


 失敗できない。


 そうではない。


 失敗してはいけないのではなく、失敗から戻れることも成果だ。


 教師もそう言った。


 記録は、失敗と修正を残すためにもある。


 わかっている。


 頭ではわかっている。


 だが、周囲の声は単純だ。


 成果が条件。


 なら、失敗できない。


 その単純さは、強い。


 レオンは廊下を歩きながら、自分に言い聞かせた。


 今ここ。


 まだ課題は始まっていない。


 まだ何も失敗していない。


 成果という言葉だけで、自分を追い込むな。


 だが、胸の奥は簡単には戻らなかった。


    ◆


 中庭へ出ると、フィーネ・ルークがいた。


 噴水の近く。


 今日はいつもより背筋が伸びている。


 しかし、その姿勢は自然なものではなかった。


 少し硬い。


 肩に力が入っている。


 レオンが近づくと、彼女はすぐに頭を下げた。


「おはようございます」


「ああ」


 声を返した瞬間、フィーネはレオンの顔を見た。


「レオンさんも、ですか」


 その言葉だけで、何を指しているか分かった。


「成果、か」


「はい」


 フィーネは小さく頷いた。


「昨日は、禁止されなかったことに安心しました。でも今朝になって、成果がある限りって言葉が……」


 彼女は胸元で教本を抱え直す。


「私、今日の課題で失敗したらどうしようって、朝からずっと考えてしまって」


「ああ」


「状態共有が遅れたら。見落としたら。声が詰まったら。そうしたら、私たちは成果がないって見られるのかなって」


 レオンは黙った。


 同じことを考えていた。


 だからこそ、軽く否定できない。


「私、昨日はエリシア様の誠実さの話をしました」


 フィーネは言う。


「でも今朝、自分が誠実でいられているかはわかりません。成果を出さなきゃって思ったら、急に怖くなりました」


「俺もだ」


 レオンは正直に言った。


 フィーネの目が少し揺れる。


「レオンさんも」


「ああ」


「そうですか」


 少しだけ、彼女の肩から力が抜けた。


 レオンは続ける。


「成果は必要だ」


「はい」


「だが、成果だけを見れば、たぶん崩れる」


 フィーネは静かに聞いている。


「今日は、それを忘れないようにする」


「はい」


 一拍。


「でも、忘れそうになったら」


「言え」


 レオンが答える。


「俺も言う」


 フィーネは小さく頷いた。


    ◆


 アルト・レイヴンは、いつもより早く来た。


 そして、誰が見てもわかるほど顔色が悪かった。


 手帳を抱えている。


 指が白くなるほど強く握っている。


 レオンとフィーネを見るなり、無理に笑おうとした。


 だが、うまく笑えなかった。


「おはようございます」


「ああ」


「おはようございます、アルトさん」


 フィーネの声が柔らかい。


 アルトは二人の前で立ち止まり、少しだけ口を開けた。


 しかし、言葉が出ない。


 何か言いたいのに、喉で詰まっている。


 レオンは待った。


 フィーネも待った。


 噴水の水音だけが、その沈黙の間を満たした。


 やがて、アルトが小さく言った。


「成果がある限り、って」


 それだけで十分だった。


 レオンは頷く。


「ああ」


「俺、昨日は……直ちに禁じるものではないって言葉で、安心しました」


「ああ」


「でも、寝る前に何回も読み返して、朝起きたら、成果が出せなかったら俺が第五班から外されるのかなって思って」


 手帳を握る手が震える。


「俺の名前が書いてありました。平民特待生アルト・レイヴンって。嬉しいとかじゃなくて、怖くなって」


 フィーネが目を伏せる。


 アルトは続ける。


「俺、今日、絶対失敗できないって思いました」


 その言葉は危険だった。


 レオンはすぐに言った。


「違う」


 アルトが顔を上げる。


「失敗できない、ではない」


「でも」


「失敗した時にどう戻るかも、成果だ」


 アルトの目が揺れる。


「でも、家はそんなふうに見てくれるんでしょうか」


 鋭い問いだった。


 レオンはすぐに答えられなかった。


 父が、失敗と修正まで見てくれるのか。


 学園の記録があれば、見るかもしれない。


 だが、家の視点は学園と同じではない。


 確実な答えはない。


「わからない」


 レオンは正直に言った。


 アルトの表情が少し強張る。


「だが、俺たちが先に“失敗したら終わり”と決めたら、その時点で崩れる」


 アルトは黙る。


「成果を出すために、お前が潰れたら意味がない」


 フィーネも静かに言う。


「アルトさん。私も怖いです」


「フィーネさんも」


「はい。でも、今日一緒に戻りましょう。失敗しないように、じゃなくて、失敗しそうになったら戻れるように」


 アルトはしばらく二人を見ていた。


 そして、震える息を吐いた。


「……はい」


 まだ完全には戻っていない。


 だが、言葉は届いた。


    ◆


 ユーリス・ベルクは、今日も少しだけ遅れて来た。


 だが、表情を見た瞬間、レオンは彼も同じだとわかった。


 軽い笑顔はある。


 しかし、その奥が硬い。


「おはよう」


「ああ」


「おはようございます」


「おはようございます」


 ユーリスは三人の顔を見て、苦笑した。


「全員、成果って言葉にやられてる顔だな」


「お前もだ」


 レオンが返す。


「うん。否定できない」


 ユーリスは噴水の縁に手を置く。


「昨日は、まあ最悪じゃなくてよかったなって思ったんだけどさ。朝になったら、成果がある限りって、なかなかきついなって」


「そうだな」


「俺、今日いつもよりちゃんとしようって思った」


 ユーリスは言う。


「でも、それって俺の場合、たぶん良くない」


 フィーネが首を傾げる。


「良くない、ですか」


「うん。俺が“ちゃんとしよう”って思いすぎると、軽さが消える」


 一拍。


「で、空気が固まる」


 それは、ユーリス自身をよく理解した言葉だった。


 彼の軽さは、逃げにもなる。


 だが、支えにもなる。


 昨日、教師にも問われた。


 軽さは逃げか。


 ユーリスは答えた。


 使い方次第です。


 今、成果を求められて、その軽さを失えば、彼自身の役割が崩れる。


「なら、無理に消すな」


 レオンが言う。


「でも、ふざけすぎてもまずいだろ」


「必要な軽さにしろ」


「難しいこと言うな」


「お前が言ったことだ」


 ユーリスは少し笑った。


「そうだった」


 その笑いで、中庭の空気がわずかに緩む。


 だが、全員の胸の重さはまだ消えていなかった。


「今日は」


 レオンは三人を見る。


「成果を出すことだけを見るな」


 三人が頷く。


「成果を出すために、今の役割を見る」


「はい」


「了解」


「はい」


 言葉にすると、少しだけ輪郭ができる。


 だが、今日それを実行できるかは、まだわからない。


    ◆


 東棟へ向かう道。


 声は昨日より小さい。


 だが、内容はさらに重くなっていた。


「第五班、これから結果出し続けないといけないんだろ」

「成果が条件ってきついな」

「アルト大丈夫かな」

「フィーネもプレッシャーすごそう」

「レオンは平気そうだけど」

「いや、レオンが一番重いだろ」

「ユーリス、今日は軽口言えるのかな」


 誰かが心配している。


 誰かが面白がっている。


 誰かが予想している。


 全部が混ざって、第五班の背中へ落ちてくる。


 アルトの歩幅が少し狭くなる。


 フィーネの呼吸も浅い。


 ユーリスは、いつもなら軽く何か言うところで黙っている。


 レオン自身も、胸が硬い。


 まずい。


 全員が“成果を出さなければ”へ引かれている。


「今ここ」


 レオンが言った。


 三人が顔を上げる。


「今日の課題はまだ始まっていない。声だけで先に崩れるな」


 ユーリスが小さく笑う。


「先に言われた」


「言え」


「今ここ」


 フィーネも。


「今ここ」


 アルトも、少し遅れて。


「今ここ」


 四人の声が、朝の廊下に小さく重なった。


 周囲の生徒が少し振り向く。


 だが、もう気にしない。


 今ここへ戻る。


 まず、それだけだ。


    ◆


 教室に入ると、ハルト・グレイナーがすぐに眉を寄せた。


「顔が硬い」


「お前もな」


 レオンが返すと、ハルトは少し不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「俺は関係ない」


「第七班も記録対象だ」


「それはそうだが」


 ハルトは腕を組む。


「成果が条件という話、広がっているな」


「ああ」


「面倒な言葉だ」


 その言い方に、ユーリスが少し笑う。


「ハルトが言うと、全部面倒で済みそうだな」


「実際面倒だろ」


 カイル・ローダンが近くから言う。


「面倒で済ませるには危険な言葉だ」


 ハルトが顔をしかめる。


「わかっている」


 カイルはレオンを見る。


「成果がある限り、という条件は、正しく扱えば客観評価を重んじるという意味になる」


「ああ」


「だが、受け取る側が歪めれば、常に成果を出さなければ存在を許されない、という圧になる」


 まさに今の第五班だった。


 カイルは続ける。


「今日、最も危険なのは、成果を急ぎすぎることだ」


「急ぎすぎる」


「そうだ。早く結果を出そうとして、確認を飛ばす。失敗を隠す。迷いを共有しない。評価を取りにいって、課題の目的を見失う」


 レオンは黙って聞いた。


 胸に刺さる。


 今日、自分がやりかねないことだった。


「対処は」


 レオンが聞く。


 カイルは少しだけ考えてから言った。


「成果の定義を班内で揃えることだ」


「定義」


「ああ。今日の成果は何か。上評価を取ることなのか。課題目的を見失わないことなのか。迷いを共有することなのか。それを先に揃えろ」


 ハルトが横から言う。


「それは使えるな」


「珍しく素直だな」


「良いものは良い」


 ハルトは少し不機嫌そうに言った。


 レオンはカイルを見る。


「助かる」


「礼はいい。崩れるな」


「努力する」


「努力ではなく、共有しろ」


 カイルの言葉は厳しい。


 だが、必要だった。


    ◆


 一限目。


 教師は教室へ入ってくると、いつものように黒板へ向かった。


 今日の空気は、教師も当然把握している。


 黒板に書かれた文字は。


 成果。


 その二文字だった。


 教室の空気が、明らかに重くなる。


 レオンだけではない。


 多くの生徒が反応した。


 成果。


 評価。


 家。


 条件。


 それらは、上位クラスの生徒にとって常に近くにあるものだ。


「成果とは何か」


 教師が言った。


 静かな声。


「点数か」

「評価か」

「勝利か」

「結果か」

「他者からの承認か」


 一拍。


「すべて、成果の一部だ」


 チョークが黒板を軽く叩く。


「だが、それだけではない」


 教師は教室を見渡す。


「迷いを共有できたこと」

「前回の失敗を修正できたこと」

「目的を見失わなかったこと」

「自分の限界を言えたこと」

「必要な役割を果たしたこと」

「無理に成功を取りにいかなかったこと」


 レオンは息を止めた。


 教師の言葉が、今朝の胸の硬さを少しずつ解いていく。


「これらも成果だ」


 教室は静まり返っている。


「外部評価は、しばしば成果を単純化する。上か下か。勝ったか負けたか。役に立ったか立たなかったか」


 一拍。


「だが、学園でお前たちが学ぶべき成果は、もっと複雑だ」


 教師はレオンを見る。


「ヴォルツ」


「はい」


 レオンは立ち上がる。


「今日、第五班にとっての成果は何だ」


 重い問いだった。


 カイルの助言が蘇る。


 成果の定義を班内で揃えろ。


 まだ、班内で話していない。


 だが、今ここで答える必要がある。


 レオンは少し沈黙した。


「上評価を取ることだけではありません」


 教師は続きを待つ。


「成果を求められている状況で、成果だけを見て崩れないことです」


 教室が静かになる。


「役割を見失わない。失敗しそうになったら共有する。誰か一人が成果を背負わない」


 一拍。


「それが今日の第五班の成果です」


 教師はしばらくレオンを見ていた。


 そして、頷いた。


「良い」


 短い言葉。


 だが、その評価は重かった。


「全員、覚えておけ。成果を求められた時ほど、成果だけを見るな」


 その言葉は、今日の中心に置くべきものだった。


    ◆


 午前の課題は、成果圧対応演習だった。


 名前からして直接的だった。


 班には通常より少し高難度の標識移送が与えられる。


 ただし、演習中に“評価条件”が追加で提示される。


 迅速達成なら加点。


 制圧数が多ければ加点。


 標識損傷なしで加点。


 班員全員の魔法使用回数を抑えれば加点。


 いくつもの成果条件が提示される。


 しかし、全てを狙えば崩れる。


 班として何を選び、何を捨てるかを見る課題だった。


 第五班は区画の入口に立つ。


 フィーネの顔は硬い。


 アルトは手帳をしまったが、指先が震えている。


 ユーリスは軽く肩を回しながらも、目が真剣だ。


 レオンも、自分の呼吸が浅くなっていることに気づいた。


「始まる前に決める」


 レオンは言った。


 三人が見る。


「今日の成果は、上評価だけではない」


 フィーネが頷く。


「成果圧の中で、目的を見失わないこと」


「はい」


 アルトも。


「誰か一人が背負わないこと」


「そうだ」


 ユーリスが言う。


「全部の加点を取りにいかないこと」


「ああ」


 レオンは頷いた。


「標識移送が目的だ。加点条件は選ぶ。全部は追わない」


 三人の表情が少し落ち着く。


 完全ではない。


 だが、定義は揃った。


 教師の手が上がる。


「開始」


    ◆


 鐘が鳴る。


 標識は中央奥。


 魔法人形四体。


 前衛型二体、軽量型一体、魔法型一体。


 開始直後、魔法装置が声を出す。


『迅速達成で加点』

『魔法人形三体以上制圧で加点』

『標識損傷なしで加点』

『魔法使用回数抑制で加点』


 アルトが反応する。


「魔法使用回数……」


 支援を抑えようとしたのだろう。


 レオンはすぐ言う。


「抑制は捨てる」


 アルトがはっとする。


「はい!」


「支援優先」


 フィーネが声を出す。


「前衛型二体、正面と右。軽量型、標識付近。魔法型、奥で詠唱準備」


「ユーリス、標識へ。俺が正面。アルト、右前衛の足元。フィーネ、魔法型を見ろ」


「了解」

「はい」

「はい」


 動き出す。


 レオンが正面前衛を受ける。


 アルトの土が右前衛の足元を止める。


 ユーリスが標識へ向かう。


 魔法装置が続ける。


『制圧数が不足』

『迅速達成猶予減少』

『魔法使用回数増加』

『加点条件から遠ざかっています』


 声が焦りを誘う。


 アルトの顔が揺れる。


 フィーネの報告が少し早口になる。


「魔法型、詠唱開始! 軽量型、標識に接近! 右前衛、足止め継続、でも長くは持ちません!」


 情報が多い。


 成果条件も多い。


 全てが押し寄せる。


 ユーリスが標識へ手を伸ばすが、軽量型が先に回り込む。


「制圧した方が早いか?」


 ユーリスが聞く。


 レオンは一瞬迷う。


 制圧数加点。


 軽量型を倒せば加点にもなる。


 だが、標識確保が遅れる。


「制圧加点は捨てる。流せ!」


「了解!」


 ユーリスが軽量型を倒さず、標識から引き離すように動く。


 アルトが風で補助する。


『制圧数不足』

『評価低下の可能性』

『成果条件未達』


 その声に、アルトの支援が強くなりすぎた。


 風がユーリスの足元を押しすぎる。


「っと!」


 ユーリスが体勢を崩しかける。


「アルト!」


 レオンが声を出す。


 アルトの顔が青くなる。


「す、すみません!」


「謝罪より調整!」


 フィーネが叫ぶ。


 その声が鋭かった。


 アルトははっとして、風を弱める。


「調整しました!」


「良い!」


 ユーリスが標識を確保する。


 しかし、標識を持った瞬間、魔法型の詠唱が完了しかける。


 フィーネが叫ぶ。


「魔法型、足止め魔法来ます!」


 レオンは正面前衛を流しながら判断する。


 倒しに行けば制圧加点。


 だが、距離がある。


 アルトに水で乱させるか。


 魔法使用回数はもう捨てた。


「アルト、水で魔法型の足元。弱く、詠唱だけ乱せ!」


「はい!」


 アルトの水が走る。


 詠唱が乱れる。


 足止め魔法は不発。


 標識を持ったユーリスが戻る。


 魔法装置がさらに声を出す。


『迅速達成猶予、残りわずか』

『加点条件未達が続いています』

『成果不足』

『成果不足』


 成果不足。


 その言葉が、四人に刺さる。


 フィーネの声が詰まる。


 アルトの水が揺れる。


 ユーリスの足も一瞬止まりかける。


 レオンの胸にも熱が走った。


 成果不足。


 父の言葉と重なる。


 成果がある限り。


 成果が不足すれば。


 協力関係は。


「今ここ!」


 レオンが叫んだ。


 自分にも向けた声だった。


「成果不足じゃない! 標識は進んでる!」


 フィーネが顔を上げる。


「標識、台座まで八歩! 右前衛、まだ足止め中! 正面前衛、レオンさんが保持!」


 ユーリスが笑う。


「八歩なら行ける!」


 アルトも叫ぶ。


「風、弱く支えます!」


 四人が戻る。


 成果条件ではなく、現在の進捗へ。


 標識が台座へ置かれる。


 鐘が鳴った。


 課題達成。


    ◆


 訓練棟には、静かなざわめきが広がった。


 派手な成功ではない。


 加点条件も全て取ったわけではない。


 だが、崩れなかった。


 教師が近づいてくる。


「第五班」


 四人が整列する。


「評価、上」


 アルトが小さく息を呑む。


 フィーネも目を開く。


 ユーリスが静かに息を吐いた。


 レオンも、胸の奥の硬さが少しだけ緩む。


「加点条件の一部は未達」


 教師は淡々と言う。


「魔法使用回数抑制、制圧数加点、迅速達成の一部を捨てた」


「はい」


「だが、標識移送の目的を見失わなかった。成果条件に引かれ、崩れかけた場面もあったが、班内で戻した」


 一拍。


「今日の課題においては、それが最も大きな成果だ」


 その言葉が、四人の胸に落ちた。


 成果。


 今日の成果。


 全ての加点を取ることではなかった。


 成果不足という声に飲まれず、標識を届けることだった。


「レイヴン」


「はい!」


「風が強くなりすぎた場面あり。だが、調整に戻った。謝罪より調整、というルークの声も良い」


 フィーネが少し驚く。


「はい」


「ベルク。制圧加点に引かれかけたが、指示を受けて流した点、良」


「はい」


「ヴォルツ。成果不足の外圧に反応したが、進捗へ戻した点、良」


「はい」


 教師は全体へ向く。


「成果を求められた時ほど、目的を確認しろ。成果条件は、全て満たすためにあるのではない。何を選ぶかを見るためにある」


 その言葉は、今日の第五班にとって救いだった。


    ◆


 訓練後。


 第五班は端に集まった。


 アルトが最初に深く頭を下げた。


「風、強くしすぎました」


「戻した」


 レオンは言う。


「でも、ユーリスさんが危なかったです」


「危なかったけど、戻った」


 ユーリスが言う。


「俺も制圧加点に引かれたしな。人のこと言えない」


 フィーネが小さく言う。


「私も、成果不足って声で詰まりました」


「でも、標識まで八歩って言えた」


 レオンが言う。


 フィーネは少しだけ息を吐く。


「はい」


 ユーリスが笑う。


「謝罪より調整、良かったぞ」


 フィーネは顔を赤くする。


「あれ、少し強く言いすぎました」


「いや、助かった」


 アルトが言う。


「あれで戻れました」


 フィーネは目を伏せ、少しだけ笑った。


「なら、良かったです」


 レオンは三人を見る。


 全員、疲れている。


 だが、朝より少しだけ呼吸ができている。


「今日の成果は」


 レオンが言う。


 三人が見る。


「全加点ではない。目的を見失わず、戻れたことだ」


 フィーネが頷く。


「はい」


 アルトも。


「はい」


 ユーリスも。


「それで行こう」


    ◆


 昼休み。


 食堂では、成果圧対応演習の話がすぐに広がっていた。


「第五班、上評価だったって」

「でも加点全部取ったわけじゃないらしい」

「それでも上?」

「成果条件に飲まれなかったからだって」

「成果不足って音声あったらしいぞ」

「きつすぎる」

「アルトの風が強くなったけど戻したって」

「フィーネが謝罪より調整って言ったらしい」

「それ、いいな」


 謝罪より調整。


 その言葉まで広がり始めている。


 フィーネは食堂の席で顔を赤くしていた。


「そんな広がらなくても……」


 ユーリスが笑う。


「いい言葉だったからな」


 アルトも頷く。


「俺、助かりました」


「本当に咄嗟だったんです」


「咄嗟だから良かったんだろ」


 レオンが言うと、フィーネは少しだけ目を伏せる。


「そうですか」


「ああ」


 フィーネは照れたように、でも少し嬉しそうに手帳へ書いた。


 謝罪より調整。

 強く言いすぎたかもしれない。

 でも戻る声になった。


 アルトも書く。


 風が強すぎた。

 謝罪より調整。

 成果不足に飲まれかけた。

 でも標識は進んでいた。


 ユーリスは短く。


 加点より目的。


 レオンも手帳へ書く。


 成果条件は選ぶもの。

 全て取ろうとすれば崩れる。

 成果不足という声に対して、現在の進捗を見る。


 食堂の空気は、朝より少しだけ落ち着いていた。


 だが、まだ終わっていない。


 ヴォルツ家の返答は来た。


 ローゼンベルク家への対応も続いている。


 そして、成果という条件はこれからも残る。


    ◆


 放課後。


 レオンは中庭を歩いていた。


 今日は事務棟へ向かう必要はない。


 返答はもう来た。


 だが、だからといって落ち着いたわけではない。


 むしろ、次に何をすべきかが重くなった。


 成果がある限り。


 状況を注視。


 必要があれば面談。


 その言葉は、これからの日々へ影を落とす。


 フィーネたちは少し離れた場所で話していた。


 今日の演習の反省だろう。


 アルトが何度も頷き、フィーネが手で動きを示し、ユーリスが笑いながら補足している。


 その光景を見て、レオンは少しだけ息を吐いた。


 成果のために第五班を壊すな。


 そう思ったばかりなのに。


 あの三人が自分たちで話している姿を見ると、これこそが成果ではないかと思う。


 誰か一人が引っ張るだけではない。


 互いに声を出し、戻し、修正する。


 それは、家が求める成果の形とは違うかもしれない。


 だが、学園で積み上げている本当の成果だ。


 その時、回廊の方から声がした。


「レオン様」


 エリシア・フォン・ローゼンベルクだった。


 今日も一人。


 ただし、昨日より少しだけ表情が落ち着いていた。


「エリシア様」


 レオンは向き直る。


 エリシアはゆっくり近づいてきた。


「ヴォルツ家から返答が来たと聞きました」


「はい」


「差し支えなければ、内容を伺っても?」


 レオンは少しだけ考えた。


 どこまで話すべきか。


 だが、エリシアは関係者だ。


 何より、彼女は昨日、自分の不安と事実を両方書くと言った。


 レオンも、必要な部分は共有すべきだ。


「協力関係は、直ちに禁じるものではないと」


 エリシアの表情がわずかに緩む。


「そうですか」


「ただし、成果がある限り、です」


 その瞬間、彼女の目が少し揺れた。


「条件付き、ですね」


「はい」


「状況を注視する、とも?」


「書かれていました」


 エリシアは小さく息を吐いた。


「ヴォルツ伯爵らしいお返事ですね」


「そう思います」


「認める部分は認める。でも、線は残す」


「はい」


 レオンは少し驚いた。


 エリシアは、父の言葉の質を理解している。


 家同士の付き合いがあるから当然なのかもしれない。


 だが、その理解は妙に深かった。


「成果がある限り、という言葉は」


 エリシアは静かに言う。


「人を追い込む言葉にもなります」


「はい」


「今日、第五班は大丈夫でしたか」


「崩れかけました」


 レオンは正直に答えた。


「でも、戻りました」


 エリシアは静かに頷いた。


「それなら、良かったです」


 一拍。


「私も今日、返答を書きました」


「ローゼンベルク家へ」


「はい」


 レオンは黙って待つ。


 エリシアは少しだけ目を伏せる。


「不安はある。けれど、見た事実を理由なく否定することはできない、と書きました」


「はい」


「そして、第五班の関係については、学園側の評価記録を確認した上で判断してほしい、と」


 レオンは少し目を開く。


 エリシアは続ける。


「私の感情だけで擁護するのではなく、記録と照らしてほしいと書きました」


 それは、とてもエリシアらしい答えだった。


 感情だけではない。


 だが、感情を消すわけでもない。


 記録へ繋げる。


 学園で積み上げたものへ。


「ありがとうございます」


 レオンは言った。


 エリシアは少しだけ微笑む。


「必要だから、ですね」


「はい」


「私も、必要だから書きました」


 沈黙。


 中庭の風が少しだけ動いた。


 灰色の雲の隙間から、淡い光が落ちている。


 エリシアはその光を見上げる。


「成果がある限り、という言葉に、第五班が飲まれないことを願っています」


「努力します」


「レオン様」


 エリシアは少しだけ強い声で呼んだ。


「努力、だけではなく」


 一拍。


「周りの声を聞いてください」


 レオンは静かに頷いた。


「はい」


「成果を求められた時ほど、一人で成果を背負わないでください」


 その言葉は、フィーネたちと同じだった。


 レオンは少しだけ苦笑しそうになった。


 同じことを、何度も言われている。


 つまり、それだけ自分が危ういということだ。


「わかりました」


 今度は、そう答えた。


 努力します、ではなく。


 わかりました、と。


 エリシアは、その違いに気づいたように少しだけ目を細めた。


「はい」


    ◆


 夜。


 学生寮の部屋。


 レオンは手帳を開いた。


 今日の記録を書く。


 第四十二話。


 成果を求められた日、第五班は成果だけを見失いかけた。


 朝。

 ヴォルツ家の返答を読み返す。

 直ちに禁じるものではない、に安堵。

 だが、成果がある限り、が重くなる。


 フィーネ。

 成果が出せなかったらどうしよう。

 状態共有が遅れたら、見落としたら、声が詰まったら。

 自分が誠実でいられるかわからない。

 怖い。


 アルト。

 自分の名前が書かれていたことに震える。

 成果が出せなかったら第五班から外されるのでは。

 失敗できない、と思ってしまう。

 失敗した時にどう戻るかも成果。


 ユーリス。

 ちゃんとしようと思いすぎると軽さが消える。

 必要な軽さを残す。


 カイル。

 成果が条件という言葉は、常に成果を出さなければ存在を許されないという圧になる。

 成果の定義を班内で揃えろ。


 講義。

 成果。

 点数、評価、勝利、結果、承認だけではない。

 迷いを共有できたこと。

 前回の失敗を修正できたこと。

 目的を見失わなかったこと。

 自分の限界を言えたこと。

 無理に成功を取りにいかなかったこと。

 それらも成果。

 成果を求められた時ほど、成果だけを見るな。


 午前課題。

 成果圧対応演習。

 迅速達成、制圧数、標識損傷なし、魔法使用回数抑制など加点条件。

 全ては追わない。

 魔法使用回数抑制と制圧数加点を捨てる。

 アルトの風が強くなりすぎる。

 フィーネ、謝罪より調整。

 成果不足の音声に全員が揺れる。

 今ここ。

 標識は進んでいる。

 評価、上。

 今日の成果は、全加点ではなく、目的を見失わず戻れたこと。


 昼。

 謝罪より調整、が広がる。

 加点より目的。


 放課後。

 エリシアと会話。

 ヴォルツ家の返答を共有。

 条件付きですね、と言われる。

 エリシアもローゼンベルク家へ返答。

 不安はある。

 だが見た事実を理由なく否定できない。

 学園側の評価記録を確認した上で判断してほしい、と書いた。

 成果を求められた時ほど、一人で成果を背負わないでください。


 レオンはペンを止めた。


 今日は、成果という言葉に振り回された。


 朝は、成果がなければ第五班が許されないように思えた。


 アルトも、フィーネも、ユーリスも、それぞれの形で成果に追われた。


 午前の課題では、加点条件に引かれた。


 全部を取ろうとすれば、きっと崩れていた。


 実際に、何度も崩れかけた。


 アルトの風は強くなった。


 フィーネの声は詰まりかけた。


 ユーリスは制圧加点に引かれた。


 レオン自身も、成果不足という言葉に胸を掴まれた。


 だが、戻った。


 標識は進んでいる。


 その事実へ。


 今日の成果は、全ての加点を取ることではなかった。


 成果不足という声に飲まれず、目的へ戻ったこと。


 それを、教師は評価した。


 レオンは最後に一行を書く。


 成果を求められた日、第五班は成果だけを見失いかけた。


 その下に、もう一行。


 だからこそ、成果の中身を自分たちで確かめ続けなければならない。


 ペンを置く。


 窓の外は夜だった。


 灰色の雲はまだ残っている。


 月は見えない。


 だが、学園の灯りは静かに揺れている。


 ヴォルツ家は第五班を直ちに禁じなかった。


 ローゼンベルク家への返答も、エリシアが書いた。


 学園の記録は整理されている。


 外部の目は、これからも続く。


 成果がある限り。


 その言葉は、きっと明日も胸に残る。


 けれど、今日もう一つ増えた言葉がある。


 謝罪より調整。


 加点より目的。


 成果の中身を確かめる。


 レオンは手帳を閉じた。


 灯りを落とす。


 暗闇の中で、エリシアの声が残る。


 一人で成果を背負わないでください。


 何度も言われている。


 それだけ、自分は一人で背負おうとするのだろう。


 だから、明日も思い出す。


 成果を出すために第五班があるのではない。


 第五班で積み上げてきたものが、成果になる。


 その順番を、間違えてはいけない。

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