表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
無銘の剣と灰色の制服  作者: 伊佐波瑞樹


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

35/37

第三十五話 


 翌朝。


 王立グランセル魔導学園の空は、薄く曇っていた。


 雨の気配はない。


 けれど、晴れているとも言い切れない。


 光はある。


 ただ、その光は弱く、校舎の石壁に触れても跳ね返らず、灰色の中へ静かに沈んでいく。


 中庭の噴水は、今日も変わらず水を跳ね上げていた。


 水音は一定で、乱れがない。


 だが、レオン・ヴォルツには、その音が今朝だけ少し遠く聞こえた。


 机の上には、昨夜届いた封書が置かれている。


 ヴォルツ伯爵家の封蝋。


 深い青に、銀の鷹。


 もう開封済みだ。


 中の文面も、何度も読んだ。


 読むたびに、胸の奥へ同じ重さが落ちる。


 王立グランセル魔導学園における近頃の合同課題演習での活躍について、報告を受けた。


 特別評価課題において高評価を得たことは、ヴォルツ家としても喜ばしい。


 しかしながら。


 しかしながら。


 その言葉から先が、昨夜から何度も頭の中で繰り返されている。


 平民特待生および下位・中位層の生徒と過度に距離を縮めているとの話。


 上位貴族の子弟として、交友と指導の区別を誤らぬよう留意せよ。


 ローゼンベルク家令嬢との婚約関係に支障を来すような軽率な振る舞いは慎むこと。


 近日中に、学園での状況を簡潔に報告する書面を提出せよ。


 簡潔に。


 その一語が、妙に重かった。


 簡潔に書けるはずがない。


 第五班で積み上げてきた時間を。


 フィーネの声を。


 アルトの支援を。


 ユーリスの軽さを。


 ハルトの妨害を。


 カイルの敗北と変化を。


 救援護送型総合演習で、怖いまま救おうとしたあの時間を。


 簡潔に。


 家へ。


 貴族の言葉で。


 誤解されないように。


 軽率ではないと示すために。


 レオンは机の前に座ったまま、まだ筆を取れずにいた。


 報告書を書かなければならない。


 だが、何を書いても、何かが削ぎ落とされる気がした。


 交友ではない。


 指導でもない。


 では何だ。


 仲間。


 そう書けば、家はどう受け取るだろう。


 上位貴族の子弟が、平民特待生を仲間と呼ぶ。


 それは、学園内では少しずつ受け取られ始めている。


 だが、家は。


 ヴォルツ伯爵家は。


 レオンは手紙を折り直した。


 指先に、紙の硬さが残る。


 剣より軽いはずの紙が、今朝は剣より重かった。


    ◆


 寮を出ると、廊下の空気はいつもと変わらないように見えた。


 生徒たちは朝の準備に追われ、教本を抱え、雑談を交わし、階段を下りていく。


 だが、レオンの耳には、その全てが少し遠く聞こえた。


 昨日までなら、周囲の声を拾っていた。


 第五班への称賛。


 期待。


 歪曲。


 嫉妬。


 だが今朝は、それらよりも封書の文面が強かった。


 家名。


 婚約。


 上位貴族としての距離。


 学園外の秩序。


 それらが、静かに肩へ乗っている。


 誰かに怒鳴られたわけではない。


 教師に叱責されたわけでもない。


 決闘を申し込まれたわけでもない。


 ただ、一枚の紙が届いただけ。


 それなのに、足取りが重い。


 レオンは階段を下りながら、自分の中にある苛立ちにも気づいていた。


 何に苛立っているのか。


 家にか。


 噂を家へ届けた誰かにか。


 それとも、家からの言葉ひとつで揺れている自分にか。


 わからない。


 ただ、胸の奥に硬いものがあった。


    ◆


 中庭へ出ると、フィーネ・ルークが待っていた。


 噴水の近く。


 彼女は教本を抱えていたが、視線はずっと東棟の方を向いていた。


 レオンに気づくと、少しだけ表情を変える。


「おはようございます」


「ああ」


 いつも通り返したつもりだった。


 だが、フィーネはすぐに眉を寄せた。


「……レオンさん」


「何だ」


「何かありましたか」


 即座に見抜かれた。


 レオンは一瞬、返答に詰まる。


 言うべきか。


 まだ言わないべきか。


 家のことだ。


 自分の問題だ。


 第五班へ持ち込むべきではない。


 そう思った瞬間、昨夜の彼女の言葉が胸に戻る。


 一人で抱えないでください。


 レオンは視線を噴水へ向けた。


 水が跳ねる。


 落ちる。


 また跳ねる。


 しばらく沈黙した後、短く言った。


「家から書簡が届いた」


 フィーネの表情が固まる。


「ヴォルツ家から、ですか」


「ああ」


「内容は……」


 彼女はそこまで言って、口を閉じた。


 踏み込んでいいのか迷ったのだろう。


 レオンは、その迷いを見た。


 以前なら、そこまでで話を終わらせていたかもしれない。


 家の問題だ。


 関係ない。


 そう言って。


 だが今は違う。


「特別評価課題の成果は喜ばしい、とあった」


「それなら……」


「だが、平民特待生や下位・中位層の生徒と距離を縮めすぎているとも書かれていた」


 フィーネの顔が白くなる。


 その反応で、レオンは少し後悔した。


 だが、もう言葉は戻らない。


「交友と指導の区別を誤るな。婚約関係に支障を来す軽率な振る舞いを慎め。学園での状況を報告書として提出せよ」


 フィーネは何も言わなかった。


 ただ、教本を抱える手に力が入る。


「……私たちのこと、ですね」


「そう受け取られている可能性が高い」


「ごめんなさい」


 すぐに出た言葉だった。


 レオンは眉を寄せる。


「謝るな」


「でも」


「謝るな、フィーネ」


 少しだけ声が強くなった。


 フィーネが息を呑む。


 レオンも、自分の声に気づき、息を整えた。


「……悪い」


「いえ」


「お前たちが悪い話ではない」


 レオンは言う。


「俺が選んだことだ」


「でも、レオンさんの家からそう見られているなら、私たちがレオンさんを困らせているのは事実です」


 フィーネの声は震えていた。


 だが、逃げていなかった。


「私、昨日言いました。一緒に選んでいる責任を覚えておきたいって」


「ああ」


「なら、これも知らないふりはできません」


 レオンは黙った。


 フィーネは目を伏せる。


「怖いです」


「……ああ」


「自分が誰かの立場を悪くするかもしれないって、怖いです」


 一拍。


「でも、だから離れますとは言いたくありません」


 その言葉に、レオンは顔を上げた。


 フィーネの目は揺れていた。


 けれど、真っ直ぐだった。


「レオンさんが選んだなら、私も選びました。第五班でいることを」


 朝の空気の中で、その言葉は静かに響いた。


 レオンは、すぐには返事ができなかった。


    ◆


 そこへ、アルト・レイヴンが来た。


 いつもより少し早い。


 しかし、二人の空気を見て、足を止める。


「あ……おはようございます」


「ああ」


「おはようございます、アルトさん」


 フィーネの声が少し硬い。


 アルトはすぐに気づいた。


「何か、ありましたか」


 フィーネがレオンを見る。


 言うかどうか。


 レオンは少しだけ沈黙した。


 だが、ここで隠せば、結局一人で抱えることになる。


「家から書簡が届いた」


「家……ヴォルツ伯爵家から、ですか」


「ああ」


 アルトの顔が強張る。


 レオンは簡潔に内容を伝えた。


 特別評価課題の成果は喜ばしい。


 だが、平民特待生や下位・中位層との距離を縮めすぎている。


 交友と指導の区別。


 婚約関係。


 報告書。


 話し終える頃には、アルトの顔色は明らかに悪くなっていた。


「俺のこと、ですよね」


 小さな声。


「平民特待生って」


「お前だけではない」


「でも、俺が一番……」


 アルトは手帳を握りしめた。


「俺が第五班にいるから、レオンさんが家に言われてるんですよね」


「違う」


 レオンは即答した。


 だが、アルトは首を振る。


「違わないです」


「アルト」


「俺、嬉しかったんです」


 アルトの声が震える。


「第五班にいられるのが。レオンさんに戦力だって言われて、フィーネさんやユーリスさんと一緒に考えて、支援が役に立って」


 一拍。


「でも、それでレオンさんが困るなら……俺、どうしたらいいのかわからないです」


 フィーネが目を伏せる。


 レオンは、アルトの震える手を見た。


 手帳。


 戻る場所。


 だが今、その手帳ごと揺れている。


「アルト」


 レオンは静かに言った。


「お前は第五班の戦力だ」


 アルトの目が揺れる。


「家から何と言われようと、それは変わらない」


「でも」


「変わらない」


 今度は強く言った。


「俺が報告書に書くべきことは、お前を遠ざける言葉じゃない」


 アルトが息を止める。


「第五班として、お前が何をしたかを書く」


 沈黙。


 アルトは、泣きそうな顔でレオンを見ていた。


「……書いて、いいんですか」


「書く」


「俺のことも」


「当然だ」


 アルトは手帳を握ったまま、何度も頷いた。


    ◆


 ユーリス・ベルクが来た時には、中庭の空気はかなり重くなっていた。


 彼は三人を見るなり、苦笑もせずに言った。


「何かあったな」


「ああ」


 レオンは答えた。


「家から書簡が届いた」


 ユーリスの表情が変わる。


 いつもの軽さが消えた。


「内容は?」


 レオンは同じように説明した。


 ユーリスは最後まで黙って聞いた。


 聞き終えると、深く息を吐く。


「来たか」


「予想していたのか」


「いつかは」


 ユーリスは空を見上げる。


「第五班が目立てば、学園の外にも話が行く。レオンの家や、エリシア様の家にも」


「ああ」


「で、交友と指導の区別ね」


 ユーリスは少しだけ皮肉げに笑った。


「便利な言葉だな」


「ユーリスさん」


 フィーネが少し困ったように言う。


 ユーリスは肩をすくめた。


「悪い。でも、そう思った」


 彼はレオンを見る。


「報告書、書くんだろ」


「ああ」


「一人で?」


 その問いは鋭かった。


 レオンは返答に詰まる。


 ユーリスは続ける。


「家に出す正式な書面なら、最終的にレオンが書くしかない。でも、内容を一人で抱える必要はない」


 フィーネが頷く。


「私も、そう思います」


 アルトも、少し震えながら言う。


「俺も……俺も、自分が何をしたのか、ちゃんと言えます」


 ユーリスは軽く言った。


「第五班の報告なら、第五班で材料出せばいい」


 レオンは三人を見る。


 一人で抱えるな。


 朝から何度も突きつけられている。


 そして、逃げる理由が少しずつ消えていく。


「……わかった」


 レオンは静かに言った。


「今日の放課後、報告書の内容を整理する」


 三人の表情が変わる。


「一緒に?」


 アルトが聞く。


「ああ」


 フィーネが小さく息を吐いた。


 ユーリスはようやく少し笑う。


「よし。じゃあ、貴族向けに言葉を整えるのはレオン担当な」


「当然だ」


「俺が書いたら軽くなりすぎる」


「自覚があるのか」


「ある」


 少しだけ笑いが生まれた。


 重い朝の中で、ほんの少し。


 だが、その笑いに救われた。


    ◆


 東棟へ向かう道で、いつもの称賛や期待の声が飛んだ。


「第五班、おはようございます」

「昨日の話、先生から聞きました」

「次も頑張ってください」

「レオンさん、報告とか大変そうですね」


 最後の声に、レオンは少しだけ反応した。


 もう話が広がっているのか。


 家からの書簡までは知られていないはずだ。


 だが、特別評価課題の成果が家へ届く可能性くらいは、誰でも想像できる。


 フィーネが横で少し硬くなる。


 アルトも。


 ユーリスは小声で言った。


「拾うな」


 いつもなら、レオンが言う言葉だった。


 今日は、ユーリスが言った。


「今は教室へ行く。報告書は放課後」


「ああ」


 レオンは頷いた。


 誰かの声で戻れる。


 それが、今朝はありがたかった。


    ◆


 教室に入ると、ハルト・グレイナーがすぐにレオンを見た。


 表情が少し変わる。


「何かあったな」


「お前もか」


「顔に出ている」


 ハルトは腕を組む。


 カイル・ローダンも近くにいた。


 二人とも、昨日から少し距離が近い。


 レオンは一瞬迷ったが、簡潔に説明した。


 ヴォルツ家からの書簡。


 成果は喜ばしい。


 しかし、距離を縮めすぎている。


 報告書提出。


 ハルトの眉が深く寄る。


「面倒だな」


 それが第一声だった。


 カイルは静かに言う。


「当然来る圧だ」


「カイル」


「責めているわけではない」


 カイルはレオンを見る。


「上位貴族の子弟が、平民特待生や他クラスと強く結びつけば、家は確認する。良し悪しではなく、そういう世界だ」


「わかっている」


「だからこそ、報告書は重要だ」


 カイルの声は落ち着いている。


「感情だけで書けば、軽率と受け取られる。逆に、距離を置くような書き方をすれば、第五班で積んだものを自分で否定する」


 鋭い。


 レオンは黙った。


 ハルトが横から言う。


「なら、事実を書けばいい」


「簡単に言うな」


 カイルが返す。


「いや、事実だろ」


 ハルトは不機嫌そうに続ける。


「アルトは支援で役に立った。フィーネは状態共有で役に立った。ユーリスは護送で役に立った。レオンは道を作った。第五班で成功した。第七班は手を抜いていない」


 一拍。


「それ以上に何を書く」


 カイルは少し黙る。


 そして、小さく息を吐いた。


「乱暴だが、芯は正しい」


「乱暴は余計だ」


「事実だ」


 レオンは二人を見ていた。


 不思議だった。


 ハルトとカイルまで、報告書のことを考えている。


 少し前なら、こんな光景はなかった。


 フィーネたちだけではない。


 上位クラスの中にも、少しずつ変化がある。


「助かる」


 レオンが言うと、ハルトは顔をしかめ、カイルは少しだけ肩をすくめた。


    ◆


 一限目。


 教師は黒板にこう書いた。


 外部評価。


 レオンの胸が少し沈む。


 今日の題目は、まるで今朝のためにあるようだった。


「学園内での評価は、学園内だけで完結しないことがある」


 教師が言う。


「家、派閥、婚約関係、将来の所属先。様々な外部評価が、生徒の行動へ影響する」


 教室は静かだった。


 貴族の子弟が多い上位クラスでは、この話は身近だ。


「外部評価は悪ではない。家名を背負う者にとって、当然の責任でもある」


 一拍。


「だが、それに飲まれれば、自分が実際に見たものを見失う」


 レオンは手元を見た。


 まさに、今自分が直面していることだった。


「ヴォルツ」


「はい」


 レオンは立ち上がる。


「お前に問う。外部から、自分の班の関係性について疑義が出た場合、中心者としてどう応じる」


 教室の空気が変わった。


 教師はおそらく、書簡のことを知っている。


 いや、直接知らなくても、外からの圧が来ることを見越しているのだろう。


 レオンは少し沈黙した。


「事実を整理して応じます」


「感情ではなく?」


「感情もあります。ですが、それだけでは伝わりません」


 一拍。


「誰が、どの課題で、何を担い、どう成果へ繋がったか。それを明確にします」


 教師は頷かず、続きを待った。


「その上で、関係性が軽率な交友ではなく、課題達成のための信頼と役割分担に基づくものだと示します」


 教室が静まる。


「ただし」


 レオンは続けた。


「家や外部の評価を完全に否定するつもりはありません。自分の立場があることも事実です。だから、軽率に見られないよう行動を見直す必要はあります」


 一拍。


「でも、それは第五班で得たものを否定することとは違います」


 教師はしばらくレオンを見ていた。


 そして、静かに頷く。


「良い答えだ」


 短い。


 だが、重い評価だった。


「全員、覚えておけ」


 教師は教室全体へ向く。


「外部評価に応じる時、相手を敵と決めつけるな。だが、自分が見た事実まで捨てるな」


 その言葉は、レオンの胸に深く残った。


    ◆


 午前の課題は、軽い連携確認だった。


 だが、レオンの集中は少し乱れていた。


 報告書のことが頭から離れない。


 前衛型の動きは見えている。


 フィーネの声も聞こえている。


 アルトの支援も感じている。


 ユーリスの位置も把握している。


 それでも、思考の隅に家の文面が残る。


 交友と指導の区別。


 婚約関係。


 軽率な振る舞い。


「レオンさん!」


 フィーネの声で戻る。


 前衛型の一撃が、思ったより近い。


 レオンは木剣で受け流した。


 危険ではない。


 だが、明らかに反応が遅れた。


 課題は達成した。


 評価は良。


 教師は言った。


「ヴォルツ。今日は意識が外に引かれている」


「はい」


「自覚は」


「あります」


「なら戻せ。戻せないなら、班へ共有しろ」


「はい」


 その言葉は厳しかった。


 だが、必要だった。


    ◆


 訓練後。


 第五班は端に集まった。


 最初に口を開いたのはレオンだった。


「悪い。報告書のことに意識が引かれた」


 三人は驚いた顔をした。


 レオンが自分から不調を言ったからだ。


 フィーネがすぐに首を振る。


「言ってくれてよかったです」


 アルトも頷く。


「俺、途中で少し違和感ありました。でも言っていいか迷って」


「次は言え」


 レオンが言う。


「はい」


 ユーリスが軽く息を吐く。


「外部評価、強いな」


「ああ」


「剣より厄介だ」


「そうだな」


 レオンは認めた。


 フィーネが静かに言う。


「放課後、整理しましょう」


「ああ」


「第五班として」


 レオンは頷いた。


    ◆


 放課後。


 四人は図書室の奥の小さな閲覧席に集まった。


 騒がしい場所では話せない。


 訓練棟でも落ち着かない。


 図書室の奥なら、人も少なく、静かだった。


 窓の外には夕暮れの光。


 机の上には、白紙とペン。


 レオンは封書の内容を、改めて三人へ見せた。


 フィーネは丁寧に読み、表情を引き締める。


 アルトは何度か読み返し、唇を結ぶ。


 ユーリスは一度読んで、深く息を吐いた。


「言葉が硬いな」


「家の書簡だ」


「まあね」


 ユーリスは白紙を見る。


「まず、何を書くかだな」


「学園での状況を簡潔に報告しろ、とある」


 レオンが言う。


 フィーネが考えながら言う。


「なら、感情ではなく、課題と役割を中心にした方がいいと思います」


「同意」


 ユーリスが頷く。


「“仲良くなりました”じゃなく、“合同課題演習において役割分担が必要になった”みたいな」


 アルトが小さく手を上げる。


「俺のことは……平民特待生としてじゃなく、支援担当として書いてほしいです」


 言ってから、少し恥ずかしそうにする。


 だが、その言葉は重要だった。


 レオンは頷く。


「書く」


 フィーネも言う。


「私も、状態共有担当として書いてください。あの、もし書くなら」


「書く」


 ユーリスが笑う。


「俺は護送・標識保持・状況調整かな」


「軽口担当ではないのか」


 レオンが言うと、ユーリスは肩をすくめた。


「正式書面に書いたら怒られるだろ」


「当然だ」


 少しだけ笑いが生まれる。


 その笑いで、空気が和らぐ。


 フィーネが白紙へ視線を落とす。


「レオンさん」


「何だ」


「“距離を縮めた”のではなく、“課題上必要な信頼関係を構築した”と書くのはどうでしょうか」


 ユーリスが指を鳴らす。


「それ、いい」


 アルトも頷く。


「すごく、ちゃんとしてます」


 レオンはその言葉を書き留めた。


 課題上必要な信頼関係。


 確かに、貴族の書面としても通る。


 だが、それだけでは足りない気もした。


 信頼。


 その言葉には、本当の温度がある。


 しかし報告書では、温度を削ぎ落とす必要がある。


 それが少し寂しかった。


 ユーリスがそれに気づいたように言う。


「寂しいか?」


 レオンは少しだけ目を向ける。


「顔に出てた?」


「少しな」


「……ああ」


 レオンは正直に言った。


「この言葉だと、少し冷たい」


「でも、家に出すなら必要です」


 フィーネが静かに言う。


「私たちが大切にしているものを守るために、外へ出す言葉は整えた方がいいと思います」


 その言葉に、レオンは黙った。


 大切にしているものを守るために、言葉を整える。


 なるほど。


 それは、偽ることではない。


 守るための形だ。


「そうだな」


 レオンは頷いた。


 それから、四人で内容を整理していく。


 合同課題演習における第五班の編成。


 各自の役割。


 アルトは支援魔法による移動補助、足止め、負担軽減。


 フィーネは状況観察と状態共有。


 ユーリスは標識保持、護送補助、班内調整。


 レオンは前衛制御、進路確保、最終判断。


 特別評価課題での成果。


 救援対象二名の護送完了。


 第七班の妨害を受けながら、班として目的を達成。


 関係性は、私的な軽率な交友ではなく、課題達成に必要な信頼と役割分担に基づくもの。


 婚約関係への配慮として、学園内での節度ある行動を継続する。


 ただし、課題上必要な協力関係は維持する。


 その最後の一文で、アルトが顔を上げた。


「維持、していいんですか」


「する」


 レオンは答えた。


「家にそう書く」


 アルトは泣きそうな顔で笑った。


「ありがとうございます」


 フィーネも目を伏せる。


 ユーリスは小さく息を吐き、笑った。


「よし。だいぶ形になったな」


「ああ」


 レオンは白紙に並んだ言葉を見る。


 一人では書けなかった。


 たぶん、もっと硬く、もっと自分を守るだけの報告になっていた。


 あるいは、家へ反発するだけの文になっていた。


 だが、四人で整理したことで、少しだけ見えた。


 守るための言葉。


 外へ出すための形。


 それでも中身を捨てない方法。


    ◆


 夜。


 学生寮の部屋。


 レオンは机に向かい、正式な報告書を書き始めた。


 丁寧な言葉。


 家へ送るにふさわしい形式。


 感情は抑える。


 だが、事実は削らない。


 アルトの支援を、平民特待生という属性だけでなく、役割として書く。


 フィーネの声を、単なる生徒の感想ではなく、状態共有能力として書く。


 ユーリスの軽さを、班内調整力として書く。


 第五班の距離を、軽率な交友ではなく、課題上必要な信頼関係として書く。


 レオンは筆を進めた。


 途中、何度も止まった。


 言葉を選んだ。


 削った。


 戻した。


 そして最後に、こう記した。


 以上の通り、当該生徒らとの関係は、学園課題における役割遂行および成果達成のために形成された協力関係であり、私的軽率に基づくものではありません。


 また、ローゼンベルク家令嬢との婚約関係およびヴォルツ家の名に対する配慮を欠く意図はなく、今後も節度を保ちながら学園内での責務を果たす所存です。


 ただし、合同課題演習において確認された有効な協力関係については、学業上必要な範囲で維持し、さらなる成果へ繋げることが適切であると判断しております。


 書き終えた瞬間、長く息を吐いた。


 重い。


 だが、逃げなかった。


 家の言葉にただ従うのでもなく、反発するのでもなく。


 自分が見たものを、整えた言葉で返した。


 レオンは手帳を開いた。


 今日の記録を書く。


 第三十五話。


 家名の重さは、剣より静かに肩へ乗る。


 ヴォルツ家からの書簡。

 成果は喜ばしい。

 しかし、距離を縮めすぎている。

 交友と指導の区別。

 婚約関係。

 報告書。


 フィーネ。

 私たちも一緒に選んでいる。

 何かあった時、レオンだけが背負わないようにしたい。


 アルト。

 自分が原因だと揺れる。

 支援担当として書いてほしい。

 第五班の戦力。


 ユーリス。

 一人で書く必要はない。

 第五班の報告なら、第五班で材料を出す。


 ハルト。

 事実を書けばいい。


 カイル。

 感情だけでも、距離を置く書き方でも駄目。

 事実と役割を整理する。


 教師。

 外部評価。

 相手を敵と決めつけるな。

 自分が見た事実まで捨てるな。


 放課後。

 図書室で報告書整理。

 課題上必要な信頼関係。

 外へ出す言葉を整えることは、中身を捨てることではない。


 報告書。

 協力関係は維持する、と書いた。


 レオンはペンを止めた。


 胸の重さは消えていない。


 報告書を出したところで、家がどう受け取るかはわからない。


 むしろ、これでさらに何か言われるかもしれない。


 だが、今日一つだけ変わった。


 家名の重さを、一人で抱えなかった。


 フィーネがいた。


 アルトがいた。


 ユーリスがいた。


 ハルトとカイルも言葉をくれた。


 教師の講義も背中を押した。


 それらを使って、書いた。


 レオンは最後に一行を書く。


 家名の重さは、剣より静かに肩へ乗る。


 その下に、もう一行。


 だが、その重さを理由に、自分が見たものまで捨ててはいけない。


 ペンを置く。


 窓の外は夜だった。


 学園の灯りが、いつもより少し遠く見える。


 報告書は完成した。


 明日、提出する。


 それで終わりではない。


 むしろ、ここからだ。


 家がどう動くか。


 エリシアの家がどう受け取るか。


 学園内の視線がどう変わるか。


 まだわからない。


 だが、レオンは手帳を閉じながら思った。


 今日、自分は一人で背負わなかった。


 それだけは、確かに前進だった。


 灯りを落とす。


 暗闇の中で、紙の重さがまだ手に残っている。


 剣より軽いはずの紙。


 けれど、剣より静かに重いもの。


 その重さを抱えたまま、レオンはゆっくり目を閉じた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ