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無銘の剣と灰色の制服  作者: 伊佐波瑞樹


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三十四話


 翌朝。


 王立グランセル魔導学園の空は、静かに晴れていた。


 昨日ほど眩しくはない。


 けれど、雲は薄く、朝日が校舎の石壁を柔らかく照らしている。


 中庭の芝は乾き、風が吹くたびに、淡い緑の匂いがほんの少しだけ立った。


 噴水の水音は、今日も変わらない。


 跳ねて、落ちて、また跳ねる。


 その繰り返しは、学園でどれだけ噂が流れようと、誰が評価されようと、何かが少しずつ変わっていようと、関係ないように続いていた。


 レオン・ヴォルツは寮の部屋で、机の上の手帳を見下ろしていた。


 開いてはいない。


 閉じたまま、そこに置いてある。


 昨日の夜、最後に書いた言葉。


 称賛の声は、時に傷口より深く染みる。


 だからこそ、痛みも成果も、どちらかだけにしないで受け取る。


 その言葉を、今朝は読み返さなかった。


 読む必要がなかったからではない。


 読んだら、また深く沈みそうだったからだ。


 昨日の称賛は、確かに温かかった。


 第五班全員が声をかけられた。


 アルトは戸惑いながらも、自分が認められたことを受け取ろうとしていた。


 フィーネは、自分の声が役に立ったと言われ、少しだけ胸を張れた。


 ユーリスは、真面目だったとからかわれながら、それでもどこか嬉しそうだった。


 エリシアは、怖かったと言いながら、誇らしいとも言った。


 誇らしい。


 その言葉は、今もレオンの胸に残っている。


 嬉しい言葉だった。


 けれど同時に、どこか重かった。


 誇らしいと言われた瞬間、自分は何を誇れるのかを考えた。


 救援護送型総合演習を達成したこと。


 第五班で怖いまま進めたこと。


 負傷者役を置いていかなかったこと。


 それは誇っていい。


 だが同時に、誇れないものも見え始めている。


 周囲の視線。


 貴族側の違和感。


 上位クラスの中に混じる、薄い反発。


 自分が平民特待生や他クラスの生徒と近づきすぎているという声。


 称賛が強くなるほど、その裏側の影も濃くなる。


 レオンは制服の袖を整えた。


 今日も学園へ行く。


 第五班として。


 レオン・ヴォルツとして。


 そして、昨日より少し重くなった剣を抱えたまま。


    ◆


 寮を出ると、廊下の空気は昨日とは少し違っていた。


 称賛の熱は、まだ残っている。


 けれど、昨日ほどまっすぐではない。


 噂は、一日経つと形を変える。


 昨日は、すごかった、成功した、という声が多かった。


 今日は、その後に別の言葉が続く。


「第五班、すごいよな」

「でも、あれだけ評価されると次が大変だろ」

「レオン、完全に学園の注目集めてるな」

「伯爵家にも話行くんじゃない?」

「エリシア様も見てたんだろ」

「婚約者としてはどう思うんだろうな」

「平民特待生とあそこまで近いの、家の方は気にしないのか?」


 最後の言葉。


 レオンは歩みを止めなかった。


 だが、胸の奥で何かが重く沈む。


 家。


 伯爵家。


 レオン・ヴォルツは、ただの生徒ではない。


 ヴォルツ伯爵家の次男だ。


 上位クラスの優等生であり、貴族社会の一員であり、エリシア・フォン・ローゼンベルクの婚約者でもある。


 第五班での変化は、学園内だけの話では済まないかもしれない。


 昨日までは、学園の評価が中心だった。


 だが、特別評価課題を達成したことで、レオンの名はさらに外へ届く。


 そうなれば、家の耳にも入る。


 父はどう受け取るだろうか。


 母は。


 兄は。


 ヴォルツ伯爵家は、レオンの変化を誇るのか。


 それとも、危ういと見るのか。


 レオンは階段を下りながら、無意識に拳を握っていた。


    ◆


 中庭へ出ると、フィーネ・ルークが先にいた。


 最近、彼女は本当に早い。


 噴水の近く。


 今日は教本を持っていなかった。


 両手を前で重ね、少しだけ空を見上げている。


 レオンに気づくと、静かに頭を下げた。


「おはようございます」


「ああ、おはよう」


 フィーネは少しだけ微笑んだ。


 昨日より顔色は良い。


 だが、まだ疲れは残っている。


「眠れたか」


「昨日よりは」


「そうか」


「レオンさんは?」


「同じだ」


「少しは眠れたんですね」


「ああ」


 そこで会話が一度途切れた。


 噴水の水音が響く。


 フィーネは少し迷ったように唇を開いた。


「昨日、エリシア様が言ってくれたこと」


「誇らしい、か」


「はい」


 フィーネは目を伏せる。


「嬉しかったです」


「ああ」


「でも、少し怖くもなりました」


 その言葉に、レオンはフィーネを見る。


「なぜ」


「私たちが、レオンさんの立場に影響しているのかもしれないって思ったからです」


 声が小さかった。


「昨日の演習を、エリシア様はちゃんと見てくれていました。でも、同時に怖いとも言っていました」


「ああ」


「私たちがレオンさんと一緒にいることで、レオンさんが重い場所へ行ってしまうなら……」


「フィーネ」


 レオンは短く呼んだ。


 フィーネの言葉が止まる。


「それ以上は違う」


 フィーネが顔を上げる。


「俺が選んだことだ」


 一拍。


「第五班で動くことも、特別評価課題を受けたことも、変わっていくことも。お前たちに引っ張られただけではない」


「でも」


「俺も選んだ」


 はっきり言う。


 フィーネは黙った。


 その目が少し揺れている。


「レオンさんは、いつもそう言ってくれますね」


「事実だ」


「はい」


 フィーネは小さく頷く。


「でも、私もちゃんと覚えておきます。レオンさんが選んだことだとしても、私たちも一緒に選んでいるんだって」


 レオンは少しだけ目を細めた。


 フィーネは続ける。


「だから、何かあった時に、レオンさんだけが背負わないようにしたいです」


 その言葉は、静かだった。


 だが、強かった。


 レオンはすぐには返せなかった。


 少し前まで、フィーネは自分が誰かの負担になることを恐れていた。


 今も恐れている。


 だが、それだけではない。


 共に選ぶ責任を持とうとしている。


「……そうか」


 レオンは短く答えた。


 それ以上は、うまく言葉にならなかった。


    ◆


 アルトが来たのは、その少し後だった。


 今日は走っていない。


 だが、いつもより少し緊張している。


 手には手帳を持っていた。


 ただし、開いてはいない。


「おはようございます」


「ああ」


「おはようございます、アルトさん」


「おはようございます」


 アルトは二人を見てから、少しだけ周囲を気にした。


「今日、すごく見られますね」


「ああ」


「昨日より、ちょっと違う感じがします」


 アルトは落ち着かないように手帳を持ち替える。


「昨日は、すごかったって言われました。でも今日は……次もできるの? みたいな感じがします」


 その感覚は正しい。


 称賛は一日で期待へ変わる。


 期待は圧へ変わる。


 圧は、いつか失敗を待つ視線へ変わる。


「それが評価だ」


 レオンが言う。


「評価……」


「受け取れば、次が来る」


 アルトは少しだけ息を呑む。


「でも、昨日言われたことは嬉しかったです」


「それも事実だ」


「はい」


「嬉しいことと、怖いことを分けろ」


 アルトは頷く。


「はい。書きました」


「何と」


 アルトは手帳を開きそうになり、少し迷ってから閉じたまま答えた。


「褒められて嬉しい。でも、次が怖い。両方ある」


 フィーネが柔らかく笑う。


「良いですね」


「はい」


 アルトは少し照れた。


 その時、ユーリスがやってきた。


「おはよう。朝から全員重い話してる?」


「している」


 レオンが答えると、ユーリスは苦笑した。


「隠す気ないな」


「隠しても意味がない」


「まあ、それはそう」


 ユーリスは三人の横へ並ぶ。


「俺も朝から言われたよ。昨日の救援、かっこよかったって」


「良かったな」


「うん。普通に嬉しかった」


 ユーリスは少しだけ笑う。


「でも、その後に“これから第五班すごいことになりそうだな”って言われてさ」


「それが引っかかったか」


「ああ」


 ユーリスは空を見る。


「すごいこと、って何だよって思った」


 軽い言い方。


 だが、その奥には本音がある。


「俺たちは昨日、ただ必死に運んだだけなんだけどな」


 その言葉に、四人の間に沈黙が落ちた。


 そうだ。


 昨日、第五班は英雄になろうとしたわけではない。


 評価を取りにいっただけでもない。


 ただ、救援対象を運ぶために必死だった。


 それが今、周囲には“すごい第五班”として見られている。


 ズレがある。


 小さな、しかし確かなズレ。


 そこに、今日の息苦しさの正体があった。


    ◆


 東棟へ向かう途中、称賛と期待はさらに濃くなった。


「第五班、おはよう」

「昨日すごかったです」

「次の課題も頑張ってください」

「また特別評価受けるんですか?」

「レオンさん、最後の障壁突破すごかったらしいですね」

「アルトさんの水も見たかったです」

「フィーネさん、声すごく通ってたって聞きました」

「ユーリスさん、負傷者役を支えたんですよね」


 一つ一つは悪意ではない。


 むしろ好意だ。


 それなのに、受け続けると少しずつ息が詰まる。


 アルトは何度も頭を下げる。


 フィーネも丁寧に返す。


 ユーリスは軽く笑って流す。


 レオンは短く礼を言う。


 だが、歩く速度が少しずつ落ちた。


 四人とも、見られることに疲れている。


 それに気づいたのは、カイル・ローダンだった。


 教室前の廊下で、彼は腕を組んで立っていた。


 レオンたちを見ると、少しだけ眉を寄せる。


「大変そうだな」


「そう見えるか」


 レオンが返す。


「見える」


 カイルは淡々と言った。


「称賛も数が多いと疲れる」


 意外な言葉だった。


 ユーリスが少し目を細める。


「経験者?」


「上位にいる者なら、誰でも多少はある」


 カイルは視線を逸らす。


「ただ、君たちの場合は急だ。昨日までは疑われ、今日は期待されている」


 その言葉は鋭かった。


 疑いから期待へ。


 急な変化。


 それが第五班を疲れさせている。


「対処は」


 レオンが聞く。


 カイルは少し考えた。


「全て受け取ろうとしないことだ」


 一拍。


「称賛も、期待も、批判も、全てに応じれば潰れる。必要なものだけ持て」


 カイルらしい、簡潔な答えだった。


 レオンは頷く。


「助かる」


 カイルは少し顔をしかめる。


「君は本当に最近、礼を言うのに躊躇がないな」


「言うべき時は言う」


「……調子が狂う」


 そのやり取りに、フィーネが少し笑った。


 アルトも。


 ユーリスは肩をすくめる。


「カイルまで第五班の相談役みたいになってきたな」


「やめろ」


 カイルは即答した。


 だが、以前のような刺々しさはなかった。


    ◆


 教室に入ると、ハルトがこちらを見た。


 彼もまた、昨日から多くの声を浴びているのだろう。


 顔には少し疲れが見えた。


「お前たちもか」


 ハルトが言う。


「何がだ」


 レオンが聞く。


「称賛疲れだ」


 言い方は雑だが、的確だった。


 ユーリスが笑う。


「ハルトも疲れてる?」


「うるさい。俺は疲れていない」


「顔に出てるぞ」


「出ていない」


 ハルトは不機嫌そうに言う。


 しかし、少し間を置いてから、低く付け加えた。


「……面倒なだけだ」


「それを疲れてるって言うんだよ」


 ユーリスが言うと、ハルトは睨んだ。


 だが、否定はしなかった。


 レオンはハルトを見る。


「第七班も注目されているな」


「ああ」


「妨害役として評価された」


「評価されたのは悪くない」


 ハルトは腕を組む。


「だが、“手加減したのか”と言われた」


 その言葉に、レオンの目が少し鋭くなる。


「誰に」


「何人かにな」


 ハルトは吐き捨てるように言った。


「第五班を成功させるために、第七班は空気を読んだのか、と」


 空気が少し重くなる。


 それは、第七班への侮辱であり、第五班への侮辱でもある。


 ハルトが昨日どれだけ真剣に妨害したか、レオンは知っている。


 通路で、分断壁の前で、ハルトは本気だった。


 潰すためではなく、課題として。


 それを“手加減”と見る者がいる。


 やはり、評価は歪められる。


「違う」


 レオンは短く言った。


 ハルトが見る。


「第七班は手を抜いていない」


「……わかっている」


「必要なら、俺が言う」


 ハルトは少し驚いた顔をした。


 それから、目を逸らす。


「いらん」


「そうか」


「だが」


 一拍。


「その言葉だけは受け取っておく」


 不器用な返答。


 レオンは頷いた。


    ◆


 一限目。


 教師は黒板へ書いた。


 称賛と歪曲。


 教室が静まった。


 今日の空気そのものだった。


「評価が出ると、称賛が生まれる」


 教師が言う。


「同時に、歪曲も生まれる」


 チョークが黒板を叩く。


「成功した者を過剰に持ち上げる声」

「失敗しかけた点だけを抜き出す声」

「手を抜いたから成功したのだと言う声」

「誰か一人の功績にまとめようとする声」

「逆に、誰か一人を不要だったと言う声」


 教室は重く静まっている。


 思い当たる者が多いのだろう。


「称賛も批判も、事実そのものではない」


 一拍。


「それをどう受け取るかで、次の動きが変わる」


 教師はレオンを見る。


「ヴォルツ」


「はい」


 レオンは立つ。


「第五班への称賛が増えている。中心者として、どう扱う」


 レオンは少し考えた。


 今朝の声。


 アルトの戸惑い。


 フィーネの怖さ。


 ユーリスの息苦しさ。


 カイルの助言。


 ハルトへの歪曲。


「全て受け取ろうとしません」


 レオンは答えた。


 教師は黙って続きを待つ。


「必要な評価は受け取り、過剰な称賛や歪んだ見方は整理します」


 一拍。


「特に、第五班の成功を誰か一人の成果にまとめることと、第七班の妨害を手加減と見ることは違います」


 教室の空気がわずかに動く。


 ハルトが少しだけ目を開いた。


「昨日の課題は、第五班だけでは成立しませんでした。第七班が適切に妨害したから、判断が必要になった」


 レオンは続ける。


「だから、第五班の成果と第七班の役割を分けて受け取る必要があります」


 教師は静かに頷いた。


「良い」


 短い評価。


 次に、教師はハルトを見る。


「グレイナー」


「はい」


 ハルトが立つ。


「妨害役への称賛と歪曲を、どう受け取る」


 ハルトは一瞬だけ面倒そうな顔をした。


 だが、すぐに真剣になる。


「手を抜いたと言われても、俺たちが何をしたかは変わりません」


 一拍。


「ただ、もしそう見えたなら、妨害の意図をもっと明確に示す必要があると思います」


 教師の目が少し細くなる。


「続けろ」


「潰すためではない妨害と、手加減は違います。その違いを、行動で見せる必要がある」


 教室が静まる。


 ハルトは言い切った。


 以前の彼なら、こんな分析はしなかったかもしれない。


 教師は頷く。


「良い」


 その声には、少しだけ満足があった。


    ◆


 午前の演習は、称賛後の再確認課題だった。


 第五班と第七班は別々の区画で、昨日の役割を軽く再演する。


 ただし、今回は低負荷。


 目的は、昨日の成功を過剰に再現しようとして崩れないかを見ること。


 第五班の課題は、軽量人形を負傷者役に見立てた短距離護送。


 敵は少ない。


 妨害なし。


 だが、見学者が多い。


 称賛のあと、見られる中で基本を丁寧にできるか。


 レオンたちは区画に入った。


 周囲が静かに見ている。


「昨日みたいにやるのかな」

「アルトの水、また見たい」

「フィーネの声も」

「レオンの障壁突破はないのか」

「今日は軽い課題らしいぞ」


 アルトが少し硬くなる。


 フィーネの肩にも力が入る。


 ユーリスは息を吐く。


 レオンは三人を見る。


「昨日を再現するな」


 三人が頷く。


「今日の課題を見る」


「はい」


「了解」


「はい」


 演習開始。


 負傷者役の軽量人形を確認。


 フィーネが状態を言う。


「軽傷想定。移動負担少。右側固定不要」


 アルトが水を出そうとして止まる。


 昨日の成功をなぞりかけたのだ。


 だが、自分で気づく。


「水、不要です。風で少しだけ補助します」


「良い」


 レオンが言う。


 ユーリスが軽量人形を支える。


「今日は軽いな」


「軽いから雑にしないでください」


 フィーネが即座に言う。


 ユーリスが笑う。


「はいはい」


「はいは一回です」


 フィーネが少し真面目に返す。


 アルトが笑いそうになり、支援を乱しかける。


「アルトさん」


「あ、はい!」


 小さな笑い。


 だが、課題は崩れない。


 レオンは前で道を作る。


 敵が少ない。


 だから剣を振る場面も少ない。


 昨日の派手さはない。


 それでいい。


 今日の課題は、昨日の再現ではない。


 軽量人形を丁寧に護送し、安全地点へ。


 鐘が鳴る。


 課題達成。


 評価は良。


 教師が頷く。


「第五班。昨日を無理に再現しなかった点が良い。低負荷課題を低負荷のまま扱えた」


 それは地味な評価だった。


 だが、今の第五班には必要な評価だった。


    ◆


 演習後、四人は端に集まった。


 アルトが最初に言う。


「俺、水を出しかけました」


「ああ」


 レオンが頷く。


「昨日の成功を引っ張ったな」


「はい。でも、今日はいらないって気づけました」


「なら良い」


 フィーネも言う。


「私は少し厳しく言いすぎました」


「軽量人形でも雑にしない意識は良い」


 ユーリスが言う。


「ちょっと先生みたいだったけど」


「す、すみません」


「いや、悪くないって」


 ユーリスは笑った。


 レオンは三人を見ながら思う。


 昨日の成功を、そのまま今日へ持ち込まない。


 それは思ったより難しい。


 成功体験は強い。


 特に、称賛された後は。


 だが、今日の第五班は少し戻れた。


 昨日ではなく、今日を見た。


    ◆


 昼休み。


 食堂の空気は昨日より落ち着いていたが、第五班への視線は続いていた。


 ただ、少しずつ学園全体が慣れ始めてもいる。


 称賛の波は、やがて日常へ溶けていく。


 その前に、自分たちが飲まれないことが大事だった。


 第五班の席で、四人は食事を取りながら話していた。


「低負荷って、逆に難しいな」


 ユーリスが言う。


「昨日のあとだと、物足りなく感じる人もいるかもしれませんね」


 フィーネが答える。


「俺、昨日の動きを使おうとしました」


 アルトが正直に言う。


「水膜が評価されたから、また使わなきゃって」


「でも使わなかった」


 レオンが言う。


「はい」


「それが今日の成果だ」


 アルトは少しだけ笑った。


 ユーリスがパンを割りながら言う。


「レオンは?」


「何がだ」


「昨日の称賛、どう受け取ってる?」


 レオンは少し考える。


 食堂のざわめき。


 視線。


 エリシアの言葉。


 家のこと。


「重い」


 正直に答えた。


「けれど、悪いだけではない」


 フィーネが静かに聞いている。


「ただ、学園の外へ広がる可能性を考えている」


 ユーリスの顔が真面目になる。


「家?」


「ああ」


 アルトが少し緊張する。


「伯爵家、ですか」


「話が届くかもしれない」


 フィーネが目を伏せる。


「レオンさんの家は、どう受け取ると思いますか」


「わからない」


 レオンは答えた。


 それは本心だった。


「評価を喜ぶかもしれない。だが、平民特待生や他クラスとの距離を問題にするかもしれない」


 空気が少し重くなる。


 ユーリスが小さく言う。


「来たな、次の圧」


「ああ」


 学園内の課題ではない。


 家と立場の圧。


 それが、少しずつ輪郭を持ち始めていた。


    ◆


 放課後。


 レオンは呼び出された。


 学生寮の管理室を通じて、封書が届いたのだ。


 ヴォルツ伯爵家の封蝋。


 黒に近い深い青の蝋。


 家の紋章。


 銀の鷹。


 その封書を見た瞬間、胸の奥が冷えた。


 早い。


 思ったより早い。


 管理室の職員は丁寧に言った。


「ヴォルツ様、ご実家より至急確認の書簡です」


「受け取ります」


 レオンは封書を手にした。


 廊下へ出る。


 そこで、フィーネたちと鉢合わせた。


 偶然だった。


 いや、彼らはレオンが呼ばれたことを聞いて待っていたのかもしれない。


 フィーネが封書を見る。


 表情が固まる。


「ご実家から、ですか」


「ああ」


 ユーリスも顔を引き締める。


「早いな」


 アルトは何も言えずにいる。


 レオンは封書を見下ろした。


 開けるべきだ。


 だが、この場で開けるには重い。


「部屋で読む」


 レオンは言った。


 三人は頷く。


 だが、フィーネが小さく言う。


「レオンさん」


「何だ」


「一人で抱えないでください」


 朝と同じ言葉。


 共に選んだ責任。


 レオンは封書を握る手に力を込めた。


「……わかっている」


 そう答えた。


 完全にそうできる自信はなかった。


 だが、答えた。


    ◆


 夜。


 学生寮の部屋。


 レオンは机に向かい、封書を開いた。


 中には、短い文面があった。


 父の筆跡ではない。


 家令による代筆だ。


 だが、内容は父の意向だろう。


 レオン・ヴォルツへ。


 王立グランセル魔導学園における近頃の合同課題演習での活躍について、報告を受けた。


 特別評価課題において高評価を得たことは、ヴォルツ家としても喜ばしい。


 しかしながら、学園内にて平民特待生および下位・中位層の生徒と過度に距離を縮めているとの話も同時に届いている。


 上位貴族の子弟として、交友と指導の区別を誤らぬよう留意せよ。


 また、ローゼンベルク家令嬢との婚約関係に支障を来すような軽率な振る舞いは慎むこと。


 近日中に、学園での状況を簡潔に報告する書面を提出せよ。


 以上。


 短い。


 だが、重かった。


 喜ばしい。


 しかしながら。


 その二つの言葉が、全てを表している。


 評価は喜ばしい。


 だが、距離は危うい。


 交友と指導の区別。


 婚約関係に支障。


 軽率な振る舞い。


 レオンは手紙を机に置いた。


 しばらく、何もできなかった。


 ついに来た。


 学園の外からの圧。


 家の視線。


 ヴォルツ家の名。


 上位貴族としての距離。


 第五班で積み上げてきたものが、別の言葉で評価され始めた。


 過度に距離を縮めている。


 それが、家から見た第五班なのかもしれない。


 レオンは手帳を開く。


 しかし、すぐには書けない。


 何を書けばいい。


 誇らしいと言われた。


 だが、家からは留意せよと言われた。


 自分が誇れるものが、誰かにとっては誇れないものになる。


 その現実が、目の前にある。


 ようやく、ペンを取る。


 第三十四話。


 誇らしいと言われた日から、誇れないものが見え始める。


 称賛の翌日。

 称賛は期待へ変わる。

 期待は圧へ変わる。


 フィーネ。

 レオンの立場に影響しているのではないかと不安。

 共に選んでいる責任。


 アルト。

 褒められて嬉しい。

 でも次が怖い。

 両方ある。


 ユーリス。

 すごいことになりそう、という声に違和感。

 ただ必死に運んだだけ。


 カイル。

 称賛も批判も、全て受け取るな。

 必要なものだけ持て。


 ハルト。

 第七班が手加減したと言われる。

 潰すためではない妨害と手加減は違う。


 講義。

 称賛と歪曲。

 評価は事実そのものではない。


 午前課題。

 昨日を再現しない。

 今日の課題を見る。


 ヴォルツ家からの書簡。


 評価は喜ばしい。

 しかし、平民特待生および下位・中位層との過度な距離。

 交友と指導の区別。

 婚約関係への支障。

 報告書提出。


 レオンはそこでペンを止めた。


 胸が重い。


 第五班で得たものは、自分にとって確かなものだ。


 だが、家はそれを別の目で見る。


 エリシアは不安を抱えながらも、少しずつ受け取ろうとしている。


 だが、家同士の関係はどうだ。


 ローゼンベルク家はどう見る。


 ヴォルツ家は、どこまで許す。


 今まで、学園の中で積み上げてきた成長が、急に外の秩序へ接続された。


 レオンは最後に一行を書く。


 誇らしいと言われた日から、誇れないものが見え始める。


 その下に、もう一行。


 だが、誰かに誇れないと言われたからといって、自分が誇ったものまで捨てていい理由にはならない。


 ペンを置く。


 窓の外は夜。


 学園の灯りが遠く揺れている。


 明日、どうする。


 報告書を書かなければならない。


 家へ。


 ヴォルツ伯爵家へ。


 第五班のことを、どう説明する。


 平民特待生アルトのことを。


 フィーネの声を。


 ユーリスの支えを。


 ハルトや第七班の妨害を。


 救援護送型総合演習で得たものを。


 ただの交友ではない。


 ただの指導でもない。


 それを、家に理解させられるのか。


 レオンは手紙をもう一度見た。


 重い。


 昨日の剣よりも、今日の紙の方が重く感じる。


 それでも、逃げるわけにはいかない。


 レオンは手帳を閉じた。


 灯りを落とす。


 暗闇の中で、フィーネの言葉が蘇る。


 一人で抱えないでください。


 できるだろうか。


 まだ、わからない。


 けれど少なくとも、今夜だけは思った。


 第五班で得たものを、家の言葉一つでなかったことにはしない。


 それだけは。


 絶対に。

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