第二十三話
朝の学園は、今日も美しかった。
王立グランセル魔導学園の尖塔には淡い光が差し、灰色の石壁は朝露を含んだ空気の中で静かに輝いている。
中庭の噴水は、いつもと同じように水を跳ね上げていた。
芝生を渡る風は柔らかく、遠くの訓練棟からは、早朝練習をする生徒たちの木剣の音がかすかに聞こえる。
何もおかしくない。
何も壊れていない。
昨日までの温かさは、まだ確かに続いている。
けれど。
レオン・ヴォルツは寮を出た瞬間から、空気の中に混じるわずかなざらつきを感じていた。
それは、はっきりした悪意ではない。
誰かが正面から何かを言ってきたわけでもない。
ただ、小さな声。
目が合った瞬間に逸らされる視線。
廊下の角で消える会話。
笑い声のあとに落ちる、短い沈黙。
そういうものが、少しずつ混ざっている。
合同課題演習が始まってから、レオンは周囲を見る目が以前より鋭くなった。
剣筋だけではない。
魔法の発動兆候だけではない。
人の表情。
声の温度。
空気の変化。
フィーネが見ていたものを、自分も少しだけ見るようになった。
だから気づいた。
今日の学園は、昨日と同じではない。
温かい日常の隙間に、別のものが入り込んでいる。
◆
東棟へ向かう途中、アルト・レイヴンが合流した。
彼は昨日買ったばかりの手帳を鞄の外側に入れていた。
すぐ取り出せるようにしているのだろう。
少し誇らしげでもあり、少し気恥ずかしそうでもある。
「おはようございます」
声量は、もうかなり安定している。
レオンは短く頷いた。
「おはよう」
アルトは少しだけ目を丸くした。
「……今、レオンさんからおはようって」
「挨拶だろ」
「そうですけど」
アルトは嬉しそうに笑う。
その笑顔は、相変わらず真っ直ぐだった。
周囲から小さな声が聞こえた。
「また一緒にいる」
「最近ずっとだな」
「アルト、完全にレオンに懐いてない?」
「レオンも妙に面倒見いいし」
「上位クラスが平民特待生にそこまでやるか?」
最後の声。
小さい。
だが、確かに聞こえた。
アルトにも聞こえたらしい。
彼の笑顔が少しだけ止まる。
手帳を持つ指に力が入った。
レオンは歩みを止めずに言う。
「課題を見る」
アルトが顔を上げる。
その言葉は、もう第五班の合図に近い。
周囲の視線や声に引っ張られそうな時、自分たちを戻すための言葉。
「……はい」
アルトは頷いた。
だが、その声には少しだけ硬さが残っていた。
そこへユーリス・ベルクが合流する。
「おはよう。朝から空気が微妙だな」
開口一番、それだった。
レオンは横目で見る。
「気づいていたのか」
「そりゃね」
ユーリスは軽く肩をすくめる。
「俺は社交性が武器だから」
「便利な言葉だな」
「実際便利なんだよ」
ユーリスは周囲をさりげなく見渡す。
「昨日あたりから、少し噂の種類が変わった」
アルトが不安そうに見る。
「噂、ですか?」
「第五班は強い、から、第五班は近すぎる、に変わり始めてる」
ユーリスはあっさり言った。
だが、言葉の中身は軽くない。
近すぎる。
それは、昨日のエリシアの言葉にも通じる。
距離。
上に立つ者の距離。
レオンが平民特待生や周囲へ寄りすぎているのではないか。
そういう空気が、少しずつ生まれている。
「俺のせいですか」
アルトが小さく言った。
すぐに、レオンは答えた。
「違う」
短く。
迷いなく。
アルトが顔を上げる。
「俺が選んでいる」
昨日、フィーネに言った言葉。
今日も必要だった。
「第五班として動くことも、お前に指示役を任せたことも、支援を使うことも、俺が必要だと判断した」
アルトは黙った。
ユーリスも静かに聞いている。
「だから、お前のせいにするな」
アルトの目が少し揺れた。
そして、ゆっくり頷く。
「……はい」
その時、フィーネが小走りで追いついてきた。
「おはようございます」
「ああ」
「おはよう、フィーネ嬢」
「おはようございます」
フィーネはすぐに空気の硬さに気づいたようだった。
彼女の視線が、アルトの表情、ユーリスの目、レオンの口元を順に見る。
「何かありましたか」
レオンは短く答える。
「噂だ」
フィーネは少しだけ目を伏せる。
「……やっぱり」
「聞いたのか」
「少し」
フィーネの声は小さい。
「レオンさんが、第五班に寄りすぎているって」
アルトがまた肩を硬くする。
レオンはその反応を見た。
この噂は、ただレオンだけを刺すものではない。
アルトも刺す。
フィーネも刺す。
ユーリスにも届く。
班が近づけば近づくほど、外からの声は班全体を揺らす。
温かい日常ほど、失う前には眩しく見える。
昨日書いた言葉が、胸に戻る。
今日は、その温かさへ小さな影が落ち始めていた。
◆
教室へ向かうまでの道で、第五班はいつもより少し静かだった。
会話がないわけではない。
ユーリスが軽く話題を振る。
アルトが答える。
フィーネが相槌を打つ。
レオンも短く返す。
だが、その下に薄い緊張がある。
誰もはっきり口にしない。
しかし全員がわかっている。
自分たちは見られている。
評価だけではない。
距離を測られている。
近すぎるのではないか。
上位クラスとしてどうなのか。
平民特待生をそこまで受け入れていいのか。
そういう視線。
それは、戦闘中の魔法人形よりずっと面倒だった。
正面から斬れない。
受け流すこともできない。
ただ空気としてまとわりついてくる。
上位クラスの教室に入ると、さらにそのざらつきは濃くなった。
何人かがレオンへ声をかける。
「おはよう、レオン」
「今日も第五班で朝集合か?」
「仲いいな」
「アルト、かなり馴染んでるよな」
言葉だけなら普通だ。
だが、少しだけ探るような響きがある。
レオンは短く返す。
「ああ」
「演習期間だからな」
「班として動く必要がある」
それ以上は言わない。
言えば言うほど、弁解に見える。
席へ向かう途中、ハルト・グレイナーと目が合った。
彼は腕を組み、少しだけ眉を寄せていた。
「……面倒な空気だな」
ハルトが低く言う。
「お前も感じるか」
「感じる」
彼は不機嫌そうに答えた。
「第五班ばかり話題になるのは気に食わないが、今の噂は別だ」
「別?」
「ああ」
ハルトは少しだけ視線を逸らす。
「合同課題で班が近くなるのは当然だ。それを妙な方向へ言い出すのは、気分が悪い」
意外な言葉だった。
ハルトが、第五班側の空気を擁護するようなことを言う。
少し前なら考えられなかった。
「珍しいな」
レオンが言う。
ハルトはすぐ睨む。
「何がだ」
「まともなことを言う」
「喧嘩を売っているのか」
「半分は褒めている」
「半分しかないのか」
ハルトは呆れたように息を吐いた。
だが、その表情には以前ほどの棘がない。
「お前が平民特待生をどう扱おうが、俺には関係ない」
一拍。
「だが、課題で使える戦力を使って何が悪い」
その言葉は、ハルトらしい。
感情論ではなく、実力と課題の話。
けれど今のレオンには、それが少しありがたかった。
「そうだな」
レオンは頷いた。
「その通りだ」
ハルトは少しだけ驚いた顔をした。
「素直に受け取るな」
「受け取るべき時は受け取る」
「……本当に変わったな」
その言葉に、レオンは少しだけ黙る。
また、変わった。
だが、ハルトの声には嘲笑はなかった。
むしろ、どこか認めるような響きがあった。
◆
一限目。
教師は黒板へ大きく書いた。
外圧。
その文字を見た瞬間、教室の空気が変わった。
誰もが、今朝の学園の空気を感じていたのだろう。
噂。
視線。
評価。
対抗心。
それらが、演習の外から班へ入り込んでいる。
「合同課題演習は、訓練棟の中だけで行われるものではない」
教師が言う。
「班として評価されれば、外からの視線が変わる」
「失敗すれば噂になる」
「成功すれば期待される」
「距離が近づけば、それを面白がる者もいる」
教室が静まり返る。
「外圧とは、そういうものだ」
チョークが黒板を軽く叩く。
「戦場では、敵の攻撃だけが圧ではない。味方の不安、周囲の期待、上官の命令、民の視線。それらも判断を鈍らせる」
一拍。
「今日の課題は、外圧下での基本行動だ」
レオンは手元の紙に書き留めた。
外圧下での基本行動。
今朝からの流れそのものだった。
「ヴォルツ」
「はい」
レオンは立ち上がる。
「班に対する噂が流れた時、中心者が最初にすべきことは何か」
教室の視線が集まる。
難しい問いだった。
噂を否定することか。
無視することか。
班員を集めて確認することか。
レオンは少し考えた。
「班員がそれをどう受け取っているか確認することです」
教師は目を細める。
「噂そのものではなく?」
「はい」
一拍。
「噂を完全に止めることは難しいです。ですが、それで班員の動きが変わるなら、先にそちらを見るべきです」
教室が静かになる。
「特に、噂の対象が一人に寄っている場合、その者が自分のせいだと思う可能性があります」
アルトの顔が頭に浮かぶ。
「そこを放置すると、演習中の判断が小さくなります」
教師はしばらく黙っていた。
そして頷く。
「良い答えだ」
短い評価。
「噂を相手に剣は振れない。だが、噂で乱れた味方は見える」
教師は全体へ向けて言う。
「外圧を消すことより、外圧で何が変わるかを見ろ」
その言葉は、レオンの胸に深く残った。
◆
講義後。
第一訓練棟へ向かう前に、レオンは第五班の三人を呼び止めた。
廊下の端。
人通りはあるが、少し声を落とせば話せる場所。
フィーネはすぐに意図を察したようだった。
ユーリスも真面目な顔になる。
アルトは少し緊張している。
「今朝の噂について話す」
レオンは言った。
アルトの肩がわずかに動く。
「最初に言う。第五班の距離が近いことを、俺は悪いとは思っていない」
三人がこちらを見る。
「演習で必要だから近づいた。反省を共有し、役割を変え、互いに指摘する必要があるからだ」
一拍。
「それを外がどう見るかは、外の問題だ」
ユーリスが小さく頷く。
フィーネは少しだけ目を伏せている。
アルトは唇を結んでいた。
「アルト」
「はい」
「お前のせいではない」
朝にも言った。
だが、もう一度言う必要があった。
「俺が平民特待生に寄っていると言われようが、俺が選んだことだ。お前が責任を背負うことではない」
アルトの目が揺れる。
「でも、俺が第五班にいるから」
「それは教師が決めた班だ」
「でも」
「アルト」
レオンは少しだけ声を強めた。
「お前は戦力だ」
その言葉に、アルトが息を止める。
「戦力として必要だから使っている。そこを間違えるな」
沈黙。
アルトは、ゆっくり頷いた。
「……はい」
今度の返事は、弱くなかった。
フィーネが静かに言う。
「私も、噂を気にして少し動きが硬くなるかもしれません」
「言え」
レオンは答える。
「硬いと思ったら、そう言え」
「はい」
ユーリスが続ける。
「俺は、たぶん軽く流すけど、空気は見る。まずそうなら言う」
「ああ」
四人の間に、短い沈黙が落ちる。
重いが、悪くない。
見ないふりではない。
ちゃんと見た沈黙だ。
「今日も課題を見る」
レオンが言う。
三人が頷く。
◆
第一訓練棟。
今日の課題は、まさに外圧下での基本行動だった。
演習内容は単純。
魔法人形二体を制圧し、標識を確保する。
ただし、班の周囲には見学役として他班の生徒が配置される。
その生徒たちは、演習中に声を出すことを許可されている。
妨害ではない。
直接攻撃でもない。
だが、声による圧をかける。
教師は淡々と説明した。
「実戦では、周囲の声を完全に遮断できるとは限らない。混乱した民、焦る味方、挑発する敵、命令を飛ばす上官。声は判断へ入り込む」
一拍。
「今日は、その中で課題を達成しろ」
生徒たちがざわつく。
見学役が声を出せる。
それはかなり嫌な課題だった。
特に今日の第五班には。
レオンは三人を見る。
「声は聞こえる」
短く言った。
「だが、拾う声を選ぶ」
ユーリスが頷く。
「班の声だけ拾う」
フィーネも頷く。
「見えたものを言います」
アルトは手帳を握りしめてから、鞄へしまった。
「課題を見ます」
「それでいい」
◆
第五班の番。
区画へ入ると、周囲に他班の生徒たちが立っていた。
その中には、第七班のハルトもいる。
ただし、彼は腕を組んで静かにしている。
見学役として声を出してもいいが、無闇に何かを言うつもりはないようだった。
それ以外の生徒たちは、どこか興味津々だ。
レオンとアルト。
フィーネ。
ユーリス。
第五班が外圧の中でどう動くか。
見たがっている。
開始前から、小さな声が飛ぶ。
「今日はアルトが乱れるかな」
「レオンが庇いすぎるかも」
「フィーネ、声出るかな」
「ユーリスは平気そうだけどな」
「第五班、近いから逆に崩れるんじゃない?」
アルトの肩が硬くなる。
フィーネも少し息を吸う。
ユーリスの表情から軽さが消える。
レオンは全員を見る。
「開始前に崩れるな」
短い言葉。
三人が頷く。
教師の手が上がる。
「開始」
◆
魔法人形二体が起動する。
前衛型と魔法型。
標識は中央奥。
基本的には難しくない配置だ。
だが、周囲の声が入る。
「アルト、強く出しすぎるなよ」
「また声大きくなるんじゃない?」
「レオン、今日は全部自分でやるなよ」
「フィーネ、見落とすなよ」
悪意というより、面白がり。
だが、十分に邪魔だった。
レオンは前へ出る。
前衛型を受ける。
倒せる。
だが、今日は標識確保が目的。
アルトの支援を見る。
「アルト、前衛型の足元へ風。細く」
「はい」
アルトの声は少し硬い。
風が出る。
細い。
だが、少し弱すぎる。
前衛型の足元はほとんど揺れない。
周囲から声。
「弱い弱い」
「怖がってるぞ」
アルトの顔が歪む。
次の風が強くなりかける。
レオンはすぐに言った。
「俺の声だけ聞け」
アルトがはっとする。
「細く。だが、さっきより少し強く」
「はい」
風が調整される。
今度は良い。
前衛型の踏み込みがずれる。
「良い」
短く評価する。
アルトの目が少しだけ落ち着いた。
フィーネが声を出す。
「右奥、魔法型、詠唱です!」
周囲からまた声。
「フィーネの声、ちょっと遅い?」
「昨日より硬いな」
フィーネの肩がわずかに揺れる。
だが、彼女は続けた。
「詠唱、短いです。次、すぐ来ます!」
声が強くなる。
レオンはそれを拾う。
「ユーリス、標識へ。フィーネは魔法型。アルト、水を薄く」
「了解」
「はい」
「はい」
動きが繋がる。
魔法型の光弾が飛ぶ。
フィーネの風が軌道をずらす。
アルトの水が足元を乱す。
ユーリスが標識へ走る。
だが、見学役の一人が大きめに言った。
「ユーリス、そのままだと狙われるぞ!」
味方の声に似た余計な声。
ユーリスが一瞬、反応しかける。
レオンが叫ぶ。
「ユーリス、無視」
「了解」
ユーリスは迷わず進む。
標識を確保。
残るは制圧と帰還。
前衛型がレオンへ来る。
魔法型が二射目を構える。
アルトが自分から言う。
「魔法型、俺が水で遅らせます!」
「やれ」
水が飛ぶ。
少し広い。
だが、許容。
魔法型の詠唱が乱れる。
フィーネが叫ぶ。
「今なら行けます!」
「ユーリス、戻れ。俺が前衛型を落とす」
「了解!」
レオンが前衛型の核を打つ。
一体制圧。
フィーネが魔法型の次の詠唱を読む。
「次、遅れます!」
「アルト、火を薄く」
「はい!」
火が薄く揺れる。
魔法型の感知が乱れる。
レオンが入る。
二体制圧。
ユーリスが標識を到達地点へ置く。
鐘が鳴る。
課題達成。
◆
訓練棟に拍手が起きた。
大きくはない。
だが、確かに。
第五班は外圧の中でも崩れなかった。
完璧ではない。
アルトは一度弱くなりすぎた。
フィーネも一瞬揺れた。
ユーリスも余計な声に反応しかけた。
レオンも、声を強める場面があった。
それでも、戻した。
教師が近づいてくる。
「第五班」
四人が整列する。
「評価は上寄りの中」
上ではない。
少し空気が揺れる。
だが、教師は続ける。
「外圧への初動に乱れあり。特にレイヴン、声に反応して支援が弱くなった」
「はい」
アルトが頷く。
「ルークも一瞬硬い。ベルクは外部の声に反応しかけた」
「はい」
「はい」
「ヴォルツ」
「はい」
「班員を戻す声は良かった。ただし、声で押しすぎれば逆に依存を生む。次は、班員自身が戻れるようにしろ」
「はい」
難しい課題だ。
戻すだけでは足りない。
自分の声で引き戻すだけでは、結局レオン頼りになる。
班員自身が戻れるようにする。
それが次の段階。
教師は全体へ言う。
「外圧下で重要なのは、揺れないことではない。揺れた後、戻れることだ」
一拍。
「今日の第五班は戻れた。次は、自分で戻れ」
その言葉は、四人全員に残った。
◆
演習後、第五班は訓練棟の端に集まった。
アルトが最初に頭を下げた。
「すみません。声に反応しました」
「反応はした」
レオンは言う。
「だが戻った」
アルトは顔を上げる。
「次は、自分で戻ります」
「そのためにどうする」
アルトは少し考えた。
「周りの声が聞こえたら、手帳に書いた言葉を思い出します」
「何を書いた」
「敵と課題を見る」
「それでいい」
フィーネも言う。
「私は、遅いって言われた時に少し怖くなりました」
「でも、次の声は出した」
ユーリスが言う。
「はい」
「なら次は、自分で『見えてる』って言えばいい」
フィーネが少し頷く。
「見えているものを、自分で確認するんですね」
「そうそう」
ユーリスは軽く言ったが、内容は的確だった。
レオンはユーリスを見る。
「お前は」
「俺は余計な声を拾った。あれは反省」
「どう直す」
「班の声に合図を決める。外部の声じゃなくて、レオンかフィーネかアルトの声だけ拾う場面を作る」
「良い」
レオンは頷く。
「俺は、戻す声を強く出しすぎた」
三人がこちらを見る。
「次は、お前たちが自分で戻れるようにする」
アルトが少し不安そうに笑う。
「難しいですね」
「ああ」
レオンは答える。
「だが、やる」
その言葉に、三人が頷いた。
◆
昼休み。
食堂では、午前の外圧課題の話が広まっていた。
「第五班、上寄りの中だって」
「上じゃないのか」
「でも外圧ありで達成したんだろ?」
「アルトが少し乱れたらしい」
「フィーネも硬かったって」
「でも戻したらしいぞ」
「やっぱ第五班、崩れきらないな」
崩れきらない。
その言葉が、レオンの耳に残った。
今の第五班をよく表している気がした。
完璧ではない。
毎回どこか揺れる。
だが、崩れきらない。
戻る。
直す。
また進む。
それが、第五班の形になりつつある。
食堂の席で、アルトは手帳を開こうとして、レオンを見る。
「食後だ」
「はい」
すぐに閉じる。
フィーネが少し笑う。
「定着しましたね」
「食事中に書くのは良くない」
レオンが言う。
ユーリスがパンをかじりながら言う。
「じゃあ食後に全員で一言ずつ書く?」
「ここでか」
「軽く」
アルトの目が輝く。
「いいですね」
フィーネも頷く。
「私も、忘れないうちに書きたいです」
レオンは少しだけ考える。
周囲の視線はある。
だが、別に隠すことでもない。
「食後ならいい」
そう言うと、アルトが嬉しそうに頷いた。
食事を終えた後、四人はそれぞれ短く手帳や紙に書いた。
アルトは、外の声より課題を見る、と書いた。
フィーネは、見えていると自分に言う、と書いた。
ユーリスは、拾う声を選ぶ、と書いた。
レオンは、戻すのではなく、自分で戻れる場を作る、と書いた。
周囲の生徒たちが、それを見ていた。
また噂になるかもしれない。
第五班は食堂で反省を書いている、と。
だが、今日はそれでいいと思った。
必要なことだから。
自分で選んでいることだから。
◆
午後。
外圧課題の再演。
今度は、レオンの指示なしで戻ることを意識する。
教師もそれを見ている。
見学役の声は、午前より少し強くなった。
「アルト、また弱くなるなよ」
「フィーネ、遅れるな」
「ユーリス、そっち違うんじゃない?」
「レオン、言ってやらないのか?」
嫌な声。
だが、訓練だ。
アルトが一瞬揺れる。
しかし、自分で小さく言った。
「敵と課題」
そして風を出す。
細い。
良い。
フィーネも外の声に揺れかけた時、自分で言った。
「見えています」
その声で、自分を戻した。
ユーリスは外部の声を聞いても、班員の声だけを拾った。
レオンは、何度か声を出したくなった。
だが、待った。
三人が自分で戻るのを待った。
怖い。
戻れなかったら崩れる。
けれど、戻った。
課題達成。
教師の評価は、上。
「午後は良い」
教師が言う。
「班員が自分で戻った。ヴォルツも声を抑えた」
四人は息を吐いた。
午前より、明らかに良かった。
外圧に揺れなかったのではない。
揺れて、戻った。
それができた。
◆
放課後。
訓練棟を出る頃には、朝のざらつきが少しだけ薄れていた。
噂が消えたわけではない。
周囲の視線もまだある。
だが、第五班の中では少し整理できた。
外の声は消せない。
でも、拾う声を選べる。
その感覚が残った。
アルトは分かれ道で言った。
「今日、少し戻れました」
「ああ」
レオンは頷く。
「自分で戻った」
「はい」
「覚えておけ」
「手帳に書きます」
「食後ではないから今書いてもいい」
アルトが笑った。
「帰ってから書きます」
少し余裕が出てきた。
それがわかる。
ユーリスも軽く手を振る。
「今日は外圧に勝ったということで」
「勝ったわけではない」
レオンが言う。
「戻れた、だな」
「そうそう。それ」
ユーリスは笑って去っていった。
フィーネと二人、中庭を歩く。
夕暮れの光が、今日は少し淡かった。
「噂」
フィーネが小さく言う。
「消えませんよね」
「すぐにはな」
「でも、今日少しわかりました」
「何が」
「消えなくても、戻れるって」
レオンは頷く。
「ああ」
「それは、少し心強いです」
フィーネはそう言って笑った。
その笑顔は、朝より柔らかかった。
◆
夜。
学生寮の部屋。
レオンは手帳を開いた。
今日の記録を書く。
噂。
第五班は近すぎる。
レオンが平民特待生に寄りすぎている。
アルトが自分のせいだと思いかけた。
外圧。
噂を相手に剣は振れない。
だが、噂で乱れた味方は見える。
午前。
外の声に揺れる。
レオンが戻した。
評価、上寄りの中。
午後。
アルト、自分で「敵と課題」。
フィーネ、自分で「見えています」。
ユーリス、拾う声を選ぶ。
レオン、待つ。
評価、上。
ハルト。
噂に対して不快感。
課題で使える戦力を使って何が悪い。
レオンはペンを止めた。
今日、噂は消えなかった。
たぶん明日も残る。
エリシアの不安も消えていない。
貴族側の違和感も、これから増えるかもしれない。
だが、第五班は戻った。
外の声に揺れながらも、自分たちの声へ戻った。
それは、大きい。
レオンは最後に一行を書く。
噂はいつも、笑い声の隙間から入り込む。
その下に、もう一行。
だが、どの声を拾うかは、自分たちで選べる。
ペンを置く。
窓の外は夜。
学園の灯りが静かに揺れている。
温かい日常に、今日は小さな影が落ちた。
けれど、影が落ちたからこそ、灯りの場所もわかった。
フィーネの声。
ユーリスの軽さ。
アルトの手帳。
ハルトの不器用な言葉。
それらは、外の噂よりも確かに近くにあった。
レオンは手帳を閉じる。
まだ、何も壊れていない。
だが、壊れる前の音は少しずつ聞こえ始めている。
そのことに気づきながらも、彼は目を逸らさなかった。
今はまだ、選べる。
拾う声を。
進む道を。
そして、守りたいものを。




