第19話 魔物も慄く主の姿
煙幕が晴れると、そこには漆黒の毛並みを持つ、巨大な狼が座り込んでいた。
……は?
デカい。俺の背丈以上ある。
ただ、あんなに不吉な紫の稲妻を放っていた魔方陣から出てきたとは思えないほどかわいいんだが。
「リーゼ、なんだかかわいいやつが出てきたぞ」
「あはは!可愛いい!」
確かにかわいいが、この巨体で、鋭い牙を持つ。
まずは様子を見た方がいいだろう。
そう思ったときには、もう遅かった。
リーゼは、もうその狼に心を許していたのだ。
「見てよタナカ、このモフモフした毛並み! ちょっと、こっち向いて?」
「……いや、リーゼ。よく見ろよ。その狼、牙の長さが俺の腕くらいあるぞ?」
確かに、表情は従順そのものだ。
撫でて欲しそうに、はぁはぁと湿った息を吐きながらリーゼを見つめている。
「ん~、いいのよそんなこと! ねぇ、おいで?」
リーゼが両腕を広げると、巨体が勢いよく覆いかぶさった。
……ヒヤリとしたが、襲っているわけではないらしい。
巨体をリーゼに擦り付け、子犬のように甘えている。
「ふふっ、本当に可愛いわねぇ。ね、タナカ?」
これだけ懐いているなら、もう安全ってことでいいのか。
俺は安堵の息を吐き、そろりとその巨体に手を伸ばした。
さて、俺も……。
「……ガルルゥ……ッ」
低く、地を這うような唸り声。
さっきまでの愛くるしさはどこへやら、狼の目が一瞬にして殺気混じりの漆黒に変わる。
……は?
「おい、なんでだ! 召喚したのは俺だぞ!」
「ガルゥゥゥッ!!」
俺が声を荒らげると、狼はさらに牙をむいて威嚇してくる。
それが召喚主に対する態度か。
リーゼには腹を見せて甘えるくせに、俺にはこの仕打ちか。理不尽にも程がある。
召喚獣は召喚主に似るのかな?
◇◇◇◇◇
俺は先ほどから、この大型狼を『ローゼウス』と呼んでいる。
……名前の由来? かっこいいからに決まっているだろう。
響きがいいだろ、ローゼウス。英雄っぽいじゃないか。
だが、その見た目に反して、こいつの戦闘スタイルは英雄というよりは……そうだな、ただの狂犬だ。
可愛い顔をして、目の前の魔物を容赦なく噛みちぎっては、血の跡を残して前へ進んでいく。
「ローゼウス! あなた本当に強いわねぇ。よしよし……」
「クルゥ~」
リーゼがその巨頭を撫でると、あんなに凶暴だった狼はまるで子犬のように喉を鳴らした。
おい、その喉の鳴らし方は何だ。
俺には「ガルルゥ」しか言わなかったくせに。
「タナカ! あんたは遅すぎるわ! ちゃんとついてきなさい!」
「ゼ~、ゼ~……。わ、わかってるよ……」
前を歩く二人(一人と一匹)は余裕しゃくしゃくだ。
一方、俺はすでに足が鉛のように重い。
洞窟の湿気と、ローゼウスが撒き散らす血の匂いで頭がクラクラする。
……畜生。前世でデスクワークばかりしていたツケが、今になって回ってきている気がする。
しかし、そこからは魔物の数が急激に減り、やがて気配すら消えた。
あんなに湧き出ていたのに、なぜだ?
「私とローゼウスに恐れおののいたのね! やっぱり、私たちって最強かも!」
リーゼは自信満々にそう言って笑うが、そんなわけがない。
あいつらにそんな理性と知性があったとは思えない。
……静かすぎる。
洞窟特有の、湿った空気が張り付くような静寂が、むしろ俺の心音を大きく響かせる。
ローゼウスの耳も、不自然なほどぴくりとも動かない。
こいつも、何かを警戒しているのか?
その後、答えはすぐに出た。
「タナカ!開けてきたわよ!」
俺たちは、洞窟の出口――いや、ここは出口じゃない。
広大な地底湖が広がる、巨大な空洞だった。
そこで目にしたのは、衝撃的な光景だった。
ローゼウスの巨体ですら、目の前の存在に比べれば子犬に過ぎない。
全身を覆うのは、地底湖の水を湛えたかのような瑠璃色の鱗。
その巨体がわずかに動くたびに、空間が騒めく。水竜が眠っているではないか。
間違いなく、こいつがこの洞窟の主だ。
「……あれは、水竜」
リーゼの声が、極限まで低くなる。
彼女の目には、恐怖よりも先に『獲物を見つけた狩人』の光が宿っていた。
ダメだ、この人、ここで抜刀しようとしてる。
「待て、リーゼ。戦うのは最後の手だ」
「でも、この水竜を倒さなければ……」
「目的を思い出せ。俺たちはこの洞窟の最奥にある鉱石さえ手に入れれば、勝ちだ」
俺の言葉に、リーゼは納得いかない様子で唇を噛んだが、結局は短く頷いた。
だが、何度見回してもそれらしき鉱石は見当たらない。広すぎるのだ、この空洞は。
「リーゼ。手分けして探すぞ。ローゼウスは頼んだ」
「了解……。逃げないでよ、この臆病者」
俺はローゼウスの首元をポンと叩き、リーゼの側へ追いやった。
こいつに今暴れられてはまずい。
彼女には懐いているし、大丈夫だろう。
そう判断して、二手に分かれた。
……それが間違いだった。
鉱石探しに熱中するあまり、背後の異変に気づくのが遅すぎた。
「待ちなさいってば! ローゼウス!」
視界の端で、ありえない光景が飛び込んできた。
水竜へと一直線に突っ走る巨大な影。
それを止めようと、必死の形相でその太い尾にしがみつくリーゼ。
だが、彼女の抵抗も虚しく、まるで引きずられるようにして水竜の元へと運ばれていく。
待て、待て、待て。正気か、ローゼウス!?
俺が必死に戻った時には遅かった。
ローゼウスはすやすやと眠る水竜の正面に立ち、あろうことか、その巨大な鼻先を大きく開いた口でガブリ、と噛みついた。
……あ。終わった。
俺の思考は、その瞬間に停止した。
――グァオオォォオ!!
鼓膜が破れるかと思うほどの咆哮が洞窟内に炸裂した。
衝撃波だけで足元がよろめく。水竜が激昂し、地底湖の水面が荒れ狂う。
……終わった。マジで終わった。
「見て!タナカ!あれ!」
リーゼが指さした先、荒ぶる水竜の胸元で、青い宝石のような鱗が禍々しい光を放っていた。
あれが……ヴァルストラム?
よりにもよって、そんな『急所』みたいな場所に埋め込まれているのか。
「もしかして、あれがヴァルストラム?」
「やるしかないわよ! タナカ! ローゼウス!」
「ガルルゥ!」
リーゼの瞳は戦闘狂のそれだった。
ローゼウスに至っては、あんなに噛みついたくせに、今や嬉々として水竜をロックオンしている。
おい、お前ら。正気か? 相手は竜だぞ? 伝説の生き物だぞ?
俺はため息をつきながら、ルミナ・オーブを掲げ直した。
逃げ道はない。背後は洞窟の壁、目の前には伝説級のモンスター。
とんでもないトラブルに巻き込まれたもんだ。
――だが、もうやるしかないんだ......。




