縁談1
怜司と共に過ごすようになってから、椿は様々なことに気が付いた。
たとえば、真面目でストイックな彼には、悪戯好きな少年のような一面がある。初めて会った日のように、椿が緊張している時や不安な時は、ユーモアのある冗談で肩の力を抜いてくれた。
学校で嫌なことがあって落ち込むと、不思議と察して気遣ってくれた。彼の方から何があったのか聞いてくることはなかったが、屋敷で穏やかな時間を過ごせるよう取り計らってくれた。
悩みを打ち明けた時は、大人にとっては取るに足りない内容でも決して笑わず、解決に力を貸してくれた。
人見知りで何かと屋敷に引きこもりがちだった椿を、上手い口実で気分転換に連れ出してくれたのも怜司だった。
「お嬢様。こちらは安全かと思いますが、念のため私から離れないでくださいね」
「ええ、分かったわ」
自分の前で優しい微笑を絶やさない彼が、周囲に危険がないか気を配る時に見せる真顔と、鋭い眼差しのギャップ。
それに何度ときめいたか、もう分からない。
彼が側にいるだけで、世界中のすべてから守られているような安心感に満たされていた。
怜司と過ごす時間が増えるほど想いは募り、根雪のように積み重なっていった。それでも椿は想いを胸に秘め続けた。
(鷹野が側にいてくれるのは、仕事だから。私はただの警護対象で、この想いは彼を困らせてしまう。それにどの道、一回り近く年齢差があって相手にされないわ。まともな大人なら、子どもが恋愛対象になるはずないもの)
このまま過ごしていれば、父が椿の結婚相手を見繕い、見合いを勧めてくることは分かっていた。それでも悲観はしなかった。
一条家は、歴史を遡れば公家にあたり、旧華族制度では公爵位を賜った名家だ。
子どもの頃から何不自由なく、大切に育てられた椿は、両親への恩返しをしたかった。愚かにもひとり相撲の恋に溺れて、家族を困らせるつもりは毛頭なかった。
そして時は流れ、18歳になった春――
父に執務室へ呼ばれて顔を合わせた瞬間。いつになく改まった表情の父を見て、タイムリミットを迎えたのだと悟った。
聞くまでもなく、何の話かは見当がついていた。体中に緊張が走り、心臓が嫌な音を立てた。平静を装って入室すると、後ろからついてきた怜司が静かに扉を閉めた。
「お待たせしました。お父様、大切なお話とは何でしょうか?」
「おお、椿か。よく来たな。まぁまずは座ってくれ」
父に手差しで促され、テーブルを挟んで対面に着席する。怜司は姿勢よく立ったまま、椿の背後に控えた。
父が使用人に目を遣ると、ほどなくして紅茶が運ばれてくる。テーブルに置かれた温かい紅茶から芳しい香りが立ち上ってきたが、楽しむ余裕はなく、口をつけずに残しておいた。
父はまだ湯気の立つ紅茶を一口含むと、優雅な仕草でカップを置いた。
「朗報だ。ついにお前の結婚相手が決まったぞ。一条家の娘に相応しい家柄の嫡男で、爽やかな好青年だ。なかなかの男前で人柄、能力ともに申し分ない。きっとお前も気に入るだろう」
(ああ、やっぱり縁談の話なのね……)
椿は深い落胆と胸の痛みをひた隠し、いつか訪れるこの日のために練習していた笑顔を浮かべた。
「お父様。お忙しいところ私のために良い夫候補を探していただき、ありがとうございます。お父様のお眼鏡に適ったというならば、素晴らしい人物なのでしょう。私としても異論ありません」
「そうか。それはよかった。此度の縁談は両家の間でほぼ決まった話だが、本人同士で顔を合わせる機会が必要だろう。近いうちに見合いの席を設けることになっている。その時に率直な感想を教えてくれ」
「色々とお心遣いありがとうございます。先方にお会いできる日を、楽しみにしていますね」
心にもない言葉を告げ、微笑みを浮かべた。胸の中では不安が大きく波打ち、悲しみがうねりとなって渦巻いた。
とてもではないが、怜司を振り返ることができなかった。