縁談2
椿の憂いに気付かず、父は感慨深そうに言う。
「可愛いひとり娘のために結婚相手を探し続け、長い時間をかけて吟味していたが……これでようやく一安心だな。――鷹野。約束通り七年間、椿の専属ボディガードをよく勤めてくれた。おかげで無事に椿を嫁に出せる」
「身に余るお言葉でございます」
「ははっ。どこまでも謙虚な男だ。だが、椿が嫁げばお前も肩の荷が下りるだろう。これまでの報酬に上乗せして十分に謝礼を弾むつもりだ。期待していてくれ」
機嫌の良い父に応える怜司の態度は落ち着いていて、僅かな動揺も見られなかった。
(やっぱり鷹野にとって私は恋愛対象外なんだわ。年齢を重ねて成人しても、少しも変わらない……)
はじめから分かり切っていたことなのに。しっかりと傷付いてしまう自分が、情けなかった。
俯いて足元に視線を落とすと、怜司が椿に気遣わしげな眼差しを向けた。
「旦那様。どうやらお嬢様のご気分が優れないようです。大切なお話の最中に申し訳ございませんが、離席の許可をいただけますでしょうか?」
「何? 椿、具合が悪いのか? 気付かずにすまなかった」
焦った父が眉を下げ、申し訳なさそうに表情を曇らせる。大丈夫だと――平気だと笑って答えたいのに。胸が痞えて言葉にならなかった。
「話はこれで終わりだ。部屋に戻ってゆっくり休むといい。鷹野、椿を部屋まで送ってくれないか? そのまましばらく付き添って様子を見てほしい。もし体調が悪化するようなら、すぐにでも医者を呼んでくれ」
「かしこまりました。ではお嬢様、少しの間失礼いたします」
「え? ――!?」
傍らに来た怜司は背を屈めると、椿の背中と膝裏に腕を回し、造作もなく抱き上げた。
瞬く間の出来事だった。
戸惑いを露わに顔を上げると、労わるような、とても優しい笑みが返ってきた。父は穏やかな表情でこちらを見守っている。怜司が部屋を出る際、使用人が気を利かせて扉を開け、二人で廊下に出た。
「あの、大丈夫だから。もうおろして? 私、自分で歩けるわ」
「おや。嘘はいけませんね。先ほどはご自分で立ち上がることさえお辛いご様子でしたよ」
「それは――」
怜司に複雑な心情を吐露することなどできず、やむなく口を噤む。唇を結んで言葉を飲み込むと、怜司は特に追及せず、柔らかに言う。
「お嬢様。差支えなければ、私の首に腕を回してください。その方が安定して、歩く際の振動が伝わりにくくになります。より楽にしていただけるかと」
「……!」
予想外の提案に心臓が跳ね上がる。遠慮するべきだと理性が囁いたが、この機会を逃せば二度と自分から彼に抱き着くことなどできないだろう。
欲望が勝った椿は小さく頷き、躊躇いがちに腕を伸ばした。しかし、思った以上に距離が近い。
あまりに鼓動が逸って無言になると、耳にふっと笑みが降ってきた。理由が分からず顔を上げた時、悪戯な雰囲気を纏う怜司と視線が交わった。
「すみません。お嬢様らしく、触れ方がずいぶん控え目だな、と。もしや照れていらっしゃいますか?」
「!! か、からかわないで!」
「申し訳ございません。お嬢様が可愛らしくてつい、軽口を」
「……そうは言っても重いでしょう? 面倒な役目を押し付けてしまってごめんなさい」
「いいえ、全く。むしろ役得ですよ」
蠱惑的に微笑む怜司が恐ろしく魅力的で、危うく呼吸困難に陥るところだった。頬に熱が集まってきたのを隠すため、彼の胸に顔を埋めた。
「あの……ひとつお願いしてもいい?」
「何なりと」
「部屋に戻る前に寄ってほしい場所があるの」
「どちらでしょうか?」
「庭に行きたいわ。今は桜が見頃でしょう? 来年からはもう見られないだろうから、今のうちに目に焼き付けておきたいの」
「承知しました。では、行先を変更しましょう」
怜司は椿のささやかな願いを、二つ返事で叶えてくれた。




