122 ありがとう
シルヴァが目を覚めますと、そこは病室だった。ぼーっと木製の天井を眺めていること数秒、何となく体を動かしたくなって、左肩に激しい痛みが走る。思わず体全体が震えあがり、掛布団がせり上がった。
それを合図に、がたんと椅子の音がすぐ隣から聞こえた。シルヴァは不意を突かれびっくりして、音がした方と逆の方に転がって――。
「シルヴァ!」
「――いっってぇええええええ!!!!」
左肩の断面が床に激突し、すぐ前の激痛とは比べ物にならない大きな痛みが、叫びとなってシルヴァの喉を裂いたのだった。
◆
「とりあえず命に別状はないのですが……」
そう言いにくそうに眼鏡をかけた初老の男がベッドにいるシルヴァへ語り掛けた。大きな枕に腰をかけるシルヴァの隣では、少し居づらそうにしてシアンが椅子に座っている。
さっきシルヴァが驚いた音の正体はシアンだったのに加え、二人はシルヴァの千切れた腕の話を医者である初老の男から聞かされていた。それゆえ、シルヴァシアン共々、間には微妙な雰囲気が漂っている。
「……腕を繋げることはできない、と?」
「……ええ。はっきりと申しますが……」
シルヴァの小さな言葉に医者は申し訳なさそうに小さく顎を引いた。それは肯定を示している。
シルヴァは黙ってうつむいた。シアンも同調して彼へ謙虚な瞳を向ける。
こんな時、どういう声をかければいいのか。どういう反応をすればいいのか。両者とて、それを分かる由もなく、三人だけの小さな個室は沈黙が流れる。
と、そんな中ドアを大きくぶち明ける音が静寂をぶち壊した。
「おいおーい、ずいぶん面倒くさそうな雰囲気だな」
そこから出てきたのは昨日の疲労などまるで感じさせない、暗い金髪の男――バロットだった。彼に続いて少し艶の落ちた赤髪の女性――サラが眠そうな様子で現れる。
「お前らは……」
シルヴァはじっと二人を見つめる。そこに敵意はすでにないが、残ったのは疑問と微かな困惑だった。
バロットは初老の医者へ言った。
「治療は終わったんだろ? こいつが生きてるのはアンタのおかげだ。そんな顔してんじゃねえよ」
「……私は落ちこぼれですから。まともに"治癒魔法"を扱う才能があれば……!」
目を伏せて、拳を震わせる老人の姿には、シルヴァの腕を繋げなかったこと以上の、挫折を感じさせる。
"治癒魔法"――俗に"治癒師"と呼ばれるごく一部の魔法使いが扱うことのできる上級魔法だ。それは努力だけでは習得できない次元にあり、扱うには類まれなる才能が必要になる。故にその存在は限られ、"治癒師"はどんな現場にあっても重宝された。
通常の医者では治せないほどのケガや病気も治してしまう"治癒師"――理由はどうあれ、その存在を憧れとする者が多いのは明白だった。
数多なる者が"治癒師"を夢見し、数多なる者が勉学に励み――数多なる者が自身の凡才を前に膝をついた。この初老の男も、その一人だった。
バロットはため息をついて、医者の老人の前に立った。彼を見下ろし、力強く告げる。
「命を繋げただけで十分だ。高望みしてんじゃねーよ」
「おい……!」
言い分としては最悪だ。医者の心を抉る言葉にシルヴァは体を起こしてバロットを睨みつける。が、その視線を受けたバロットは反省するどころか、逆にシルヴァを睨みつけ返した。その威圧に情けなくもシルヴァは怯んでしまい、目を背ける。
ピリつく雰囲気に欠伸をしながらサラが口を開いた。
「生きてるだけで万々歳よ。アンタも、そこのアンタも、私たちもね」
はあ、と手を口に当てると、サラはふらふらとシルヴァのベッド付近によろめいた。それから、シルヴァにかかっている掛布団をじっと見下ろすと、糸が切れた人形の如く、そのふかふかな布団へと崩れ落ちた。
「ちょ、ちょっとー!!」
ガタン、と椅子を弾いてシアンが叫ぶ。シルヴァもぎょっとして掛布団から自身の体を出した。
バロットが額に手を当て、静かに言った。
「サラ嬢はまだ疲れが抜けてねえんだ……。色々と足りてないからな、怪我は爆速で治癒されてるが、精神力はまだ……あ」
ぽん、とバロットは何かを思いついたように手を叩いた。それからもう一度初老の医者の方へ向き直すと、今度は腰を曲げて拝み手を見せる。
「すまねえな、お医者さん。ちょっと席を外してくれねえか」
片目を瞑りそう頼み込むバロットに、医者は小さく笑った。それから席を立つ。
「……わしのできることはもうない。後は君らに任せよう」
医者は薄い笑みをバロット、そしてシアンとシルヴァへ向けた後、部屋の出口へ向かう。
それを遮ったのは二つの声だった。
「待って!」
「待った!」
シアンとシルヴァの声が重なり、医者の足が止まる。
声を出した両者は思わず見合うと、唇を緩ませた。怪訝そうな顔で振り返った医者を二人で見ると、合図もなく同じ言葉を言ったのだった。
「ありがとう」