120 お前を、この手で
サラは波羅夷を振り下ろし、地面ごとシェルムを斬り込んだ。しかしそれはシェルムが振りかぶった槍に阻まれ、爆音と強大な衝撃を放ち相殺される。
「っ!」
衝撃によってサラの体が後ろに持ち上げられる。サラは何とかバランスを取って地面に両足をつけ、力を込めた。
しかしシェルムはその隙を狙い、一歩サラへと踏み込んでいた。慌ててサラが構えた際には、すでにシェルムは至近距離で槍を突く寸前だった。サラがそれに気づいたところで槍は止まらない。その刃は真っ直ぐにサラの心臓を突き刺し――。
「……」
サラの体は赤い火花となって虚空へ消えていく。シェルムはそれを目にしても驚くことなく、槍で火花を振り払うと後ろへ振り向いた。直後、シェルムが向いた後ろの虚空に迸った火花から、九つの尾を揺らしながらサラが現れ、波羅夷を手にしたまま膝をつく。
「その状態でも身代わりにするやつ、使えるんですね」
「……っ」
サラがシェルムの攻撃をかわした術。彼女の異能である幻を見せてシェルムを欺いたのではない。シェルムが槍で突き刺したサラは実体であって、それが幻でないことをシェルムは知っていた。
『瑠璃怪火』、サラが会得した魔術形態。その一つに受けた攻撃に対し、狐火を身代わりにして回避する技があった。それを知っていたシェルムは攻撃を回避したタネを一瞬で見破る。
しかし今サラの周囲に狐火はない。シェルムはふと考える。
「狐火を媒介にしないとできないと思っていたんですがねぇ。普通の状態でも……」
「……く」
「使えることには使える……と?」
震える小鹿のような足で踏ん張り立ち上がるサラを見ながら、シェルムは興味深そうに言った。
「あぁなるほど。狐火がない状態だと魔力か肉体か、はたまた霊格かのどれかが噛み合わないんですね。そうそう使えるようなものじゃない、つまるところ効率が極悪なわけだ」
シェルムは笑いながら、しかしどこか落胆したような表情で足を震わすサラへと歩いていく。利き手には槍を携え、サラを睨むその眼には深い殺意が孕んでいた。サラもそれに対し睨み返すも足の震えは止まらない。
「!」
シェルムが地面を踏む足に力が入る。刹那、シェルムは地面を蹴ってサラに急接近した。赤い槍がサラの喉元へと振りかざされる。サラの足は回避できるほどまだ回復していない。サラは動けなかった。
だが、動けなければ動けないなりにできることはある。サラの眼はしっかりと迫るシェルムを捉えていた。
飛び掛かってくるシェルムを先読みして、サラは力を振り絞り波羅夷でカウンターを放った。一閃の太刀筋がシェルムを迎え撃ち、彼の体へ大きな切り込みを入れる――それは一瞬の出来事だった。
――その一閃が赤い壁にぶち当たり、止められたのも一瞬の出来事だった。
「くそ……!」
「……」
槍を持つシェルムの右手、そこに隠れるように左手を右腕の下から出していた。その左手を使い、"鬼"の力で太刀筋を防ぐ壁の盾を生成したのだ。しかしその盾も波羅夷の一閃の威力には完全に耐えきれず、太刀筋を止めたと同時に割れて多くの赤い破片が周囲に飛び散った。
何よりダメージを受けたのは波羅夷を振るったサラだった。太刀筋を壁に遮られ、その反動が腕を伝って前進へ響いたのだ。それに耐えきれず、ぐらりと体が崩れる。
シェルムは冷静に槍を構え直した。
「アンタの出せる一手、すなわち僕が詰められる一手。それは剣術によるカウンターしかなかった。なれば、警戒するのも当然でしょ」
そう言いながら、槍を振りかぶる。サラは避けようにも足が動かず、その眼を見開いた。
「さよなら。成りそこないの先祖返りサン」
顔面にシェルムの赤い槍が向かう。サラにはもう対抗手段は残っていなかった。それを理解していたからこそ、シェルムは顔面を綺麗に劈こうと、迅速さよりも正確さを求めた。彼の脳内はサラの最期に対する興奮で染まっている。だから、不吉な金属音に対する反応が遅れた。
「――」
サラの顔に槍が突き刺さるよりも先に、シェルムへ無数の鉄の槍が襲い掛かる。シェルムは槍の矛先をサラから反らし、横から吹雪いてきた鉄へ向けてそれらをはじき返した。
その隙にサラは渾身の力で波羅夷を振るうが、シェルムもそれに気付いていた。鉄の槍を弾きつつ、襲い掛かってきたサラを蹴り飛ばして意識を刈り取る。サラはその強力な蹴りによって、限界を超えて維持していた体が意識と共にその場で倒れた。
無数の鉄の槍――否、"何らかの力で歪曲し折られた鉄のフェンス"を弾き終わったシェルムは、つまらなそうにそれを行った人物を見つめる。
「……今、物理的に弾いたよな」
『支配』の力で鉄のフェンスを折り、槍代わりにして放ったのはシルヴァだった。彼はシェルムに人差し指を向け、観察した結果理解しつつある鬼の能力を語る。
「僕の魔弾は体にすら到達できなかった。……それは、あれが純度100パーセントの魔力だったからだ。お前には魔力での攻撃には滅法強い。が、物理的な攻撃は効くらしい。普遍的な武器でも貫ける!」
虚無の短銃は使用者の魔力を装填し、魔弾として放つ武器。実際に鉛の弾が発射されるわけではない。発射される物質は純度100パーセントの魔力――つまり、そこに物質は含まれていない。
魔力で作られた非物質の弾――だからこそ、シェルムはそれを完全に遮断できたのだと、鉄のフェンスにおける攻撃を槍で退いたシェルムを見て、シルヴァはそう推測した。そして説明するように口にする。
つまり、魔弾での攻撃は通用しないが、物理的な攻撃ならば十分通用するということ。これならシルヴァも加勢できる。シルヴァは歯を噛み締め、『支配』の力を起動する。
そんなシルヴァを今度は睨みつけ、シェルムは地面を蹴った。
「……あのさァ! 邪魔すんなよクソガキィ! お前と! 俺は! 格が違う! 俺たちの領域にお前は力不足なんだよ!! 水を差すんじゃねぇ!」
高速で真正面から接近してくるシェルムだが、それは想定内だった。漂う砂埃がぴたりと静止する。
シルヴァは『支配』の力で砂粒の一つ一つや瓦礫を操り、自分のすぐ前に砂と瓦礫の壁を作った。それを見たシェルムは笑う。
「んな壁如き!」
赤い槍が一振り。その一振りで一瞬にして砂の壁が瓦解する。再び砂埃となって漂い、砂の壁で隠されていたシルヴァがシェルムから丸見えになった。
砂の壁が突破されることを恐れてか、シルヴァは砂の壁とは距離を取っていた。しかしその距離僅か4メートル。槍の射程外ではあるものの、一歩二歩踏み込めば充分に届く距離。シェルムは単純でつまらなそうな表情で、一歩足を踏み入れた。
――カチリ。
何か、嫌な音がシェルムの耳を捉えた。スローモーションになる視界。シェルムの瞳に映るシルヴァの姿。その手には握られているはずの短銃がなかった。シェルムは眼球で自分の顎の下を見る。
そこには上へ、シェルムの顔へ銃口を向けた虚無の短銃が浮いていた。シルヴァの支配の力でそこに設置されていたのだ。
「ゼロ距離だ。防げるか?」
シルヴァの声が冷たく響く。シェルムがそこで気付いても遅い。シルヴァは支配の力で短銃の引き金を引いた。
鳴り響く銃声。
両脚を地面につけ、立ち尽くすシェルム。
シルヴァはそれを固唾をのんで見つめる。
「……危なかった」
シェルムの口が震えた。顎の下からが赤黒い血が滝のように滴る。
「もし、銃口が心臓に向けられていたのなら、魔力を霧散させよりも先に、魔弾が心臓に届いていた」
ポタポタと滴る血液。シェルムはシルヴァをじっと見つめていた。その瞳は先ほどまでのように、つまらないようなものを見る瞳ではない。素直にシルヴァを見つめていた。その瞳には、単純で純粋な感心と畏敬が含まれている。
「顎でよかった。脳に届くよりも先に、魔弾を霧散できた。顎を貫通して舌に穴が開いたが、俺はまだ生きてる。――お前を、この手で殺せる」
シェルムはふらりとぐらつく足で、強く地面を踏みしめた。赤い槍を構え、シルヴァへ真っ当な殺意をぶつけた。
そのプレッシャーにシルヴァは心臓をわしづかみにされた感覚を覚えた。足が震える。逃げるにしても、速さでは完全にシェルムが上回っている上に、シェルムはたった今余裕と油断を捨てた。顎への一撃はシェルムの意識を変えるのには十分だったのだ。
シェルムは全意識をシルヴァへと向け、警戒しつつ赤い槍を握りしめる。
「名前は要らん。だが詫びる。俺はお前を嘗めていたよ」
その隙を見てシルヴァは後ろへ下がろうとしたが、今のシェルムに油断はない。シルヴァが足を動かそうとした瞬間、赤い光がシルヴァの左足を貫いた。その痛みにシルヴァは跪く。シルヴァ程度の技量で、今のシェルムからは逃げられなかった。
シェルムの意識はシルヴァへと向いていた。
「これで終わりだ」
倒れたシルヴァへシェルムは赤い槍を振りかぶり――。
「な……っ!」
「……」
シェルムは、密かに背後から接近し、シルヴァを狙うタイミングを図って奇襲をしたシアンの斧を防いだ。
"狙い"がいとも簡単に頓挫され、シルヴァは歯を強く噛み締めた。
振り向きもせず、シアンの攻撃を防いだシェルムは静かに告げる。
「本当に嘗めてたよ。あの説明も、屋敷の中から虎視眈々と僕らを見ていたこの小娘に向けて言っていたんだろ? あぁ、すごいな。思った以上に凄かった」
「バレて、たんだ……」
シアンの頬に汗が流れた。キリキリと赤い槍とシアンの斧が拮抗する。シアンの腕は力みで微かに震えているが、シェルムの腕にはそれが見られない。力ではシェルムの方が上のようだった。
シェルムはニッと笑った。
「だが、所詮はその程度だ!」
シェルムはシアンの斧を弾く。同時にシアンを蹴り飛ばした。シアンの無防備だった腹に強烈な蹴りがさく裂し、そのまま吹っ飛んだ。シルヴァはその隙に近くに落ちていたフェンスの尖った鉄の棒を手に取り、シェルムへ振るう。が、それもシェルムには通じない。
シェルムはいとも簡単に腕で止められる。そしてすぐに取り上げられ、逆の手に持った赤い槍を振り下ろした。
――舞う血飛沫。シルヴァの視界は赤く染まる。
「……ガ……っ!」
シルヴァの目の前には、血反吐を吐いたシェルムの姿があった。
シェルムが槍を折り下ろす寸前、急にシェルムの喉が切り裂かれたのだ。シェルムの体がビクンと撥ねる。そして続けざまに腹へ一閃され、シェルムの腹が裂かれた。
喉と腹、その二つに深い切り傷が刻まれ、シェルムは槍を手放して力なくあお向けに倒れた。そこにはすぐ血だまりができ、シェルムはかひゅうと間抜けな呼吸音を鳴らす。
「……てめぇの敗けだ、バァカ」
シルヴァの目の前の虚空。そこから一つの人影が一瞬にして現れた。シルヴァもここまでは想定していなかったので、目を見開く。そこに現れたのは"透明"化を解いたバロットだった。手には血塗られたナイフが握られていて、それでシェルムを二閃したのだろう。
倒れ込んだシェルムを上からのぞき込むバロット。シルヴァには彼がどんな顔をしているかは見えない。が、少なくても笑ってはいないだろう。
「ほんと、馬鹿だよお前は」
薄れゆくシルヴァの意識の中で、バロットの声が聞こえた気がした。
感覚がもう消えていた左腕の痛みがぶり返してきて、それをきっかけに体中の悲鳴が合唱を始める。意識が持たない。
ああでもいいや、シルヴァは真っ黒となった意識の中で微妙な満足さを感じていた。
――僕らは、"勝った"。
口は動かなかった。しかし頭の中だけでも、自分にそれを宣言できた。今はそれだけで良い。もうそれだけで、あとは微睡みへ沈んでしまおう。ゆっくり、休もう――。
シルヴァの体は糸が切れた人形のように、地面に倒れ込んだのだった。