119 落とし物
ミリアの視線がシェルムに刺さった。シェルムはその視線を懐疑的な思いで捉えた後、すぐに自分の意志とは外れた言葉を吐いた喉に吐き気を催した。
――『この場所が、僕の誇りです』。
脳内で反芻した全く持って理解できぬ自分の言葉。シェルムは思わずその場で跪き、両手を地面についた。そして思い返してみる。
確かに自分は自分の口で自分の言葉を話したはずだ。たった数秒前の、その時の記憶もしっかりと残っている。シェルムは確かに"自分の意志"でそう告げた。
それを口にした瞬間の感情でさえ思い出せる。けれど全く持ってありえない感情であったことは、今になって理解し始めていた。それが意味することはつまり、口にした数秒前の自分はその感情に完全に同調していたということ。
正体不明の感情で言葉を口走ったのは自分。正体不明の感情と言葉を拒絶したいのは自分。その矛盾した存在が表裏なく存在している自分であると思えば思うほど、こみ上げる吐き気は強くなって、動悸は激しくなってくる。
「僕は……」
自分を見失いそうになって、シェルムは近くにいた人間へと救援と理解を本能的に求めた。上半身をあげて、最も近くにいた人物へ救いを求めて尋ねたのだ。
「僕は、誰ですか」
――これを不幸か幸運か、不幸中の幸いか、豪運の中の影か、それは分からない。
「……ふむ」
しかし、シェルムが答えを求めた人物が彼女ではなかったら、もっと違う生き方を選択していたのは間違いないだろう。
彼女――ミリアは顎に手を当て、珍しくちょっとばかり思考したのだった。
*
「あの人は、言っていた気がするよ」
時は戻り、場面はコルマノンのライニー家の屋敷の庭。すでに半壊したその庭で、シェルムはバロット、サラ、そして左腕を欠損したシルヴァと対面していた。
シェルムはどこか懐かしくもあり、"本来の穏健"な表情をちらりと見せた瞳で、小さくぼやく。
「哲学的な問題なら人間の数だけ答えは存在する。物理的な問題で、その"僕"とやらが今まで存在して、今はどこにも存在しないのなら――」
シェルムの周囲に赤い粒子が集まっていく。それらはそれぞれ複数のグループで固まっていき、シルエットを形成していった。彼と対面していた三人は警戒して半歩下がる。
「どこかで落としたのだろう、と。来た道を戻りつつ探せば見つかるってね」
「……ハァー」
バロットがシェルムの言葉に大きくため息をついた。サラも心底いやそうな顔で波羅夷を握りなおしつつ、腰を低く下げる。
「あの人が考えそうなことだな」
「まだ終わりじゃない。話は最後まで聞けよ、なァバロットさぁん?」
バロットの呆れたような言葉に反応したシェルムの口調はあからさまに崩れてきていた。シルヴァはいつでも発砲できるよう、『虚無の短銃』を構えて照準をシェルムの額へ向ける。
シェルムは胴体を前に曲げ、頭を下げた。両手で左右のこめかみをガシっとつかみ、静かに続ける。
「それで、来た道に"落とし物"がなかったら、誰かが拾ったんだろう。誰かが拾ったということは、誰かが持っているということだ。再びそれを手にしたいのならば、奪い返せばいい……時も場所も、情緒も関係ない! 話し合いも思いやりも、ただの手段! 取り返し方は数多にあれど、どれを使っても奪われたものは変わらない! だから僕は、俺ぁ選んだのさ!! 一番! 身近で簡単で、情熱的で単純な暴力をさァ!!」
シェルムの両手に赤い粒子が集い、一瞬にして槍が形成された。同時に集まっていたそれぞれの赤い粒子は赤いカラスへ成り、雄たけびをあげた。
バロットは叫ぶ。
「来るぞ!」
赤いカラスは羽根を揺らし、一斉に突っ込んできた。バロットは魔力で両手にナイフを顕現し、投擲しようにも途中で体がよろめいた。同時に顕現したナイフは消滅し、舌打ちをする。そんなバロットをサラは横から押しのけた。
「いてっ……」
「っ!!」
サラは波羅夷を思いっきり振るった。紫色の太刀筋が実体化し、そのまま向かってきた数匹のカラスを真正面から切り裂いていた。切り裂かれたカラスは一瞬膨張すると、赤い光とともに爆発を巻き起こす。
「……ッ!」
この爆発が至近距離で行われてはたまったものではない。唇をかみしめ、シルヴァはサラの太刀筋が取りこぼした数匹のカラスを狙い、『虚無の短銃』の引き金を引いた。四発の魔弾がシルヴァの手を離れたが、命中したのは一羽のみ。それは赤い爆発を巻き起こし、残った三羽は空中で迂回して再び三人へ降下を始めた。
カラス一匹一匹なにやら意志があるようだ。ただで玉砕する存在ではないらしい。シルヴァは叫ぶ。
「カラスは僕が!」
「分かったわ!」
さらに一発二発と、飛び回るカラスへ魔弾を放ち牽制する。彼女もそれにうなずくと同時に、カラスの隙をついて地面を蹴った。神速の勢いでシェルムの前へと躍り出る。それを見たシェルムの口元が薄く緩んだ。シルヴァはそれを横目で見た後、すぐカラスへと視線を戻した。――情けない思いを感じつつ。
残念だが、シルヴァではシェルムの相手は務まらない。それはシルヴァ本人も痛感していたし、サラも同意見だったのだろう。
「――!」
シルヴァは空中で飛び回る三羽のカラスを睨みつけると同時に、『支配』の力を発動した。カラスは一瞬の内に支配化へと変貌し、その場で凍ったように止まる。
「潰れろ……!」
自分の無力感を『支配』にこめて、カラスを押しつぶした。カラスは『支配』の力によって圧縮されひしゃげると、他と同じく赤い爆発を巻き起こし消えていった。
「シェルムは……!」
シルヴァはすぐさまシェルムと、彼の相手をするサラの方へ顔を向けた。
「くぅ……!」
「クソが……!」
「――」
刀と槍の、二つの洗礼された太刀筋が闇夜に一閃ずつ煌めいていた。その殺意に孕んだ軌道は命を刈り取るものだったが、同時に人を魅了するものでもあった。間髪いれずぶつかり合い、火花を散らし煌めきあうその剣撃には思わずシルヴァも息を呑む。
――どうサラを援護すればいい。
一瞬一瞬の内に何度も打ち合う彼らの戦闘に、シルヴァがつけ入れられる隙間はなかった。短銃を握った右手が汗で群れる。
「僕は……」
――何にも役に立たないじゃないか……!
悔しくて歯ぎしりするシルヴァ。その無力感というのは、本格的な『支配』の力に目覚めていなかった頃を想起させた。観客にもなれず、劇を舞台の外から見つめるような感覚。ないはずの左腕がいやにうずいた。
「僕は……何も……」
『それは君らのおかげでもあるんだ。だからそんな顔すんなって。……これじゃ、ありがとうも言いづらいじゃんか』
「……!」
不意に思い出したのは、とある男の声だった。シアンと一緒に街を出て、すぐに出会った強い男の言葉。
――ああ、そうだった。僕は、変わったんだ。……変わることができるんだ。
シルヴァは一歩前に踏み出した。そしてしっかりと二人の剣劇を見据える。
――役に立たないで終わらせない。絶対に、役に立つんだ……!
その瞳にはさっきまで薄れていた光が灯っていたのだった。