118 だれか
「愚かな男だ」
ミリアは目の前で自害し、すでに亡き者となっている首が外れた遺体にそうぼやいた。しかし言葉とは裏腹に、遺体を見下ろすミリアの視線はグードルを蔑むようなものではない。
ミリアとグードルの一連の光景はミリアの部隊全員が見ていた。
土壌を操る異能を持つ男――クロドールにより、ミリアとグードルは土の壁で隔離されていた。その土の壁であるが、外側には上へと登れる取っ手がつけられており、"元々"そういう計画だったのだ。
「えげつねぇ~」
疲れ切って顔中に汗を浮かべたクロドールが力なく笑う。黒い長髪の垂れ目な女性――カーテルは目を細めてミリアを見下ろしていて、その後ろからウィスペルが彼女の肩に手を置き言った。
「いいじゃん。私は好きだ」
ウィスペルは小さく笑う。
「とてもシンプルじゃないか」
「ん~まぁそんなもんかねぇ」
彼女らと同じく、隣で見ていたバロットはケラケラと笑いながら手元のナイフをクルクルと回した。彼の後ろにいるサラは面白味もなさそうにグードルの死体を見つめている。
「……」
そんなミリアが率いる第六小隊の面々であるが、その中で唯一顔色が優れない少年――シェルムは眩暈と吐き気を感じていた。
自害したグードルと、それを一言で蔑み済ませたミリア、そして一人の人間が死に追いやられ、実際に目の前で死亡したというのに全く気にしていない同胞たち。
シェルムの感性は疲弊していた。自分の価値観や道徳観が何の前ぐれもなく踏みにじられていくこの環境は、まるで毒の霧を吸い続けているような気分だった。
「シェルム」
「……!」
濁った空気にミリアの凛とした声が伝わる。シェルムはおびえた顔を見上げた。
「作戦通りだ。捕獲した遺体を動かせ。そして敵陣へ帰還させろ」
「……はい」
シェルムは目を伏せつつ、うなずいた。
正常だったはずのシェルムの道徳観や感受性、それらの支柱は氾濫する戦争の土石流を前に、跡形もなく消え去りつつあった。残っているのは支柱に対する哀愁と、柱を失った嫌悪感と絶望感。
頭では理解していたけれど、それは今の時点では不必要だった。シェルムはそのガラクタと化した感情を足の底に押し込めて、壁の上からミリアの隣へ飛び下りる。
シェルムの異能は"憑依"。今回の作戦は、その異能でグードルやその他の敵兵の死体を操り、予測される敵基地へと奇襲をかけるというもの。
それに必要な複数の遺体を作るために、ミリアの小隊はわざわざ敵一個小隊を潰したのだ。大胆、というよりは無謀な決行だったとシェルムでさえ思っている。しかしやり遂げてしまったのだ。
――……流されていく。
グードルの遺体に手をついて、シェルムは億劫する。
――自分が、どこかに流されていく。
自分という存在が消えたら、そこに何が残るのか。シェルムはただ悲しい気分がした。
「……?」
グードルを"憑依"する過程で、シェルムはちょっとばかりむず痒い感覚に襲われる。気のせいか、はたまた小さな虫が脇腹あたりをくすぐったのか、そんな程度のことだろうと、シェルムは思っていた。
しかし、
「……ッ」
薄らぐ視界に、さすがのシェルムもこれが"異常"であることに気づく。グードルにかざした手を動かそうにも、まるで動かない。シェルムは体のどこかも動かせないまま、"憑依"を実行し続けるしかなかった。そして感じていたむず痒さが、外部から何かが頭へ流れ込んでくる感覚であると、その時に気づいたのだ。
――これが、シェルムが自覚しうる中で一番古い、"同期"現象となるのである。
「――!」
低くよどんだ声が頭の中でとどろく。何を言っているのか分からない。けれども、何故か他人のものとは思えない声だった。
『戦争というのは空虚だが、無意味ではない』
呼び起される言の葉。シェルムは唇をかみしめる。
『無様だろうと卑怯だろうと敵兵の屍の上に立て! その見せかけの楽園は家族も仲間も守れる聖域である!』
誰かが言っていた。喉の奥に熱が迸る。僕が言ったのではない。僕が言ったのではない。僕が言ったのではない。僕が言ったのではない。
――かつて、俺が言ったのだ。
「……どうした」
ミリアの声でシェルムの意識は回帰する。彼は右手を広げ、ゆっくりと握りしめると静かに立ち上がった。
「……ここが、楽園なんですね」
「……」
ミリアはじっとシェルムの後姿を見つめていた。何かを諭すわけでもなく問うわけでもなく、ただその青い瞳でじっと見つめていた。
「問題ありません。ミリアさん」
グードルの死骸がピクリと痺れる。それから右手の指が芋虫が這うように動き出すと、その不慣れな動作で体を起こした。
シェルムはミリアの方へ振り返る。
「この場所は、俺の誇りです」