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石の花  作者: 藍上央理
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(1)

 死んだ後、生まれる前に、必ず魂が通る世界がある。

 そこには白色とも虹色とも真珠色ともつかない魂がひしめいている。死ぬ前の記憶をなくし、自分という境界がなくなってしまう。  

 弾けて、うねり、霧散していく。交じり合い、引き裂かれ、再び群れをなした。

 そいつは気がつくとここにいた。

 いやがおうでも引き寄せられ、引きちぎられていく自分の意識を必死でかき集め、自分という存在にしがみついていた。そいつは自分自身を離しはしないが、勝手にひっついてくる意識も自分のものにした。目にもみえず、あらゆる五感でも悟れないけれど、それはぶよぶよと無限の世界にテリトリーを広げていった。

 いつしか世界はそいつのものになっていた。

 そいつは混沌とした無限から解き放たれる機会を伺っていた。

 突如として開く魂の門があるのだ。新しく生まれ変わるためにそして、死んでしまった魂が帰ってくるために門は開かれる。

 そいつは門から入ってくる魂ををたやすくからめとり、まだ新鮮でぴちぴちとした記憶を貪った。

 にんげん? かたち? ひとつ? 

 不思議な言葉を蓄え、それは思考を持ち始めた。

 いのち? し? 

 そいつは言葉を理解すると同時に、耳を澄ませ始めた。

 からだ? たましい?

 自分の欲しいものはそれだ。

 体が欲しい!

 そいつは耳を澄ませたとき、大きな耳を持った。見ようとしたとき、大きな目が見開いた。身をかがめたとき、ひしゃげた肉体を得た。より多くの知識を得ようとして、頭を手に入れた。つかみとろうとして巨大な手がのびた。歩み寄ろうとして足がはえた。逃げ惑う魂を飲み込もうとして、醜く裂けた口を得た。そいつは形を得たが、ここでしかなりたたない偽りの代物だった。

 本物が欲しいと、それは貪欲に願った。

 穴のような鼻をひくつかせ、匂いがしようものならそこへ飛びつこうと身構え続けた。永い時を、それは飽くなき飢えと欲望に、なんにもない世界をうろつき回るのだった。




 夜と昼の境にひとつの国がある。

 猛々しい山峰に月を捕らえ、冷えびえとした微笑を降り注ぎ、もっさりとした樹海のこずえに太陽を支え、きらきらしい黄金の笑い声がその国を満たしていた。

 白亜の塔が金と紺とに染め分けられ、華奢な柱が街のツルバラの天蓋を支えている。

 ひと続きの回廊のような大通りにサンゴ色のバラがツルをのばし、少女の細腰めいた柱に巻き付いている。

 表通りを歩く、色鮮やかなトーガをまとう富貴の人々。金糸銀糸の刺繍飾りを胸元にほどこし、長い裾を編み上げのサンダルを履いた足で蹴り上げて闊歩する。

 水色の透き通ったタイルがすじになって通りにのび、まっすぐに宮殿へと導いていた。

 象牙の宮殿。

 静止した滝を流れ落ちる白いツバキの花をかたどった彫刻が、宮殿の正面を飾っている。純白の尾羽を長々と地に垂らした鳥が、ホロホロとそぞろに歩いている。その小さな頭にサクラ色のボタンの花のような冠をいただいている。

白い鳥が歩くたびにその肉冠はふらふらと揺れた。

 青い石だたみが宮殿のぐるりを囲み、その庭を白く脱色した髪を結い上げた宮女たちが笑いさざめきながら通り過ぎて行く。肌はほんのりとピンクがかったミルク色で、ほんの少し夜の色が潜んでいる。小鼻に濃い緑の宝石や血のような宝石が咲き、それは彼女たちの生まれつきのふたつの宝石に似せていた。宮女たちは金や銀の鎖で胸元を止めた、ゆったりとしたシルクのドレスを着ていた。たおやかな細い腕が互いの手を取り、竪琴を取りして、庭の池に集って行った。

 池には水バショウが茂り、小さなカモがその茂みに巣を作っている。

 池の底の色とりどりのタイルが、陽の緋色にきらめき、月の青銀色に沈んでいる。

 宮女たちはふざけあって、溢れる胸元をさぐりあい、ころころと笑いあった。白い首を上へ向け、宮女たちは期待に満ちた瞳で、宮殿のきざはしにある王の部屋を仰ぎ見た。白と青の世界にポツリポツリと紅玉の石がはめこまれ、王の部屋のテラスへの白いきざはしにも赤い花が咲いたように見えた。

 王は若く、美しい。

 月のように冷えびえとした面差し、太陽のように暖かく神々しい髪、しなやかにはりつめた雄馬のような四肢。

 宮女たちは口々に言い囃した。自分自身を飾り、王の御前にさらけ出し、その目に留まるように努力した。

 王は青年に達したばかり、まだ子を持たない。王は若く美しい王妃を求めていた。

 王は夢見るような口調で言う。

 それこそ、一対の宝石のように、自分と並んで見劣りのしない素晴らしい乙女。息はバラの香、話せば言葉は花となり、歩けばそこに緑が芽吹き、触れればそこはきらきらしく輝く。

 それを聞き、宮女たちは非難の声を上げる。

 そんな女などいない。世界を探しても地の果てを尋ねたとしても、そんなたいそうな女は存在しない。

 大臣は言った。

 息はペパーミントではだめか ?

 だめだ。

 歩くたびに花を撒いてはだめか ?

 だめだ。

 王よ、あなたの捜し求めておられる乙女は人間にはいない。天上の乙女か、夢の中の乙女だ。

 そんな押し問答が交わされたのは、ほんのひと月まえ。宮女たちは、夜が明けても陽が暮れても姿を見せない王そのひとの部屋を見つめた。

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