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石の花  作者: 藍上央理
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(2)



 

 若い王は、薄紫のトーガを胸元に引き寄せた。まだ、びりびりと肩の筋肉が震えている。しかし、そんなことは、もはや気にもならない。

 そうだ、この目に映る、この乙女を眺めていると、あらゆることがどうでもよくなってくる。王はうっとりと、目前に佇む白亜の像を見やった。この乙女こそ、我が心より求めていた乙女だ。

 永遠に若く、花の香を纏い、つま先が地に触れれば宝石を撒き散らす。永遠にこの王だけを愛し……それ以上を望まない。

 片手ののみをカチンと大理石の床に落とし、床に微かな傷を作った。

 我が手で作り得たとも思えない、繊細な目鼻だち。ふっくらと開き、緩やかな息吹すら感じそうな唇。少女らしい丸みを帯びた頬。なにもかもが真綿のように純白、真珠のように光沢を帯びていた。純潔の乳房を小さな指で隠し、乙女の左手は誰かを呼び止めようと宙に差し伸べられている。虚ろだが、しっかりとその白い瞳は若い王の顔を捕らえ、微笑をたたえていた。髪のひとすじひとすじまでが滑らかに肩をすべり、おくれ毛の一本一本が乙女の頬をかすめている。

 彼女からは生気が漂う。王はそう感じた。まるで、生きているようだ。それなのに恥じらいもなく裸身をさらし、無邪気に若い王をいざなっている。ふざけて逃げ出すように、愛らしい足を後ろに引き、わずかにつま先だっている。それとも、今しも王に歩み寄ろうとしているのだろうか。

 若い王は期待に満ちた両手を差し伸べ、白亜の乙女が自分の胸に駆け込んで来るのを待った。乙女の髪に飾られた白いバラのつぼみは揺れもせず、若い王の薄紫のトーガの裾だけが風に煽られ、ばさばさと揺らいだ。

 王は落胆のため息をついた。

「私はこの国の王だ。とても貴い存在なのだよ。そのひざを折って、私を拝さねば」

 王はさりげなくつぶやいた。

 乙女の顔はじっと王を見つめるが無言だ。

「この国で私を敬わないものはない。それは私が神にも等しいからだ。石から人を生み出せるほどにね」

 王は待った。

 乙女は憎めない笑顔を浮かべたまま。

 王はもの柔らかくささやいた。

「ねぇ、おまえがもしもため息をついて、小さなスミレが唇からこぼれようと、私は驚かないよ」

 乙女は歩き出しもしない。

「その愛らしいつま先が床を跳ねるたびに鈴の音が響いたとしても……」

 乙女の目は虚空を見つめるだけ。

「おまえの手が私をいだいて、花のつぼみの唇に触れることを許してくれたとしたら、私は天にも昇る心地がするだろう……」

 王はじれったげに乙女の手を取った。

「寝ても覚めてもおまえのことだけを考えるよ。おまえの微笑みが絶えぬように私はどんなことでもしてあげよう」

 しかし、白亜の乙女は愛らしく微笑むだけ。身じろぎもせず、静止したまま。

 若い王はうらめしげに少女を睨みつけた。所詮、これはただの白いでくのぼうなのだ。それなのに、なぜこうも見とれてしまうのだろう。たとえ、瞳に針が刺されたとしても、自分は乙女の像から目を逸らせないだろう。たぶん、どこにもいない女だからだ。きっと王自身の中身から吐き出された産物だからだ。しかし、王には分かっていなかった。

 ただ、目の前にたたずむ少女に焦がれるだけ。

 ひんやりとした少女のつま先を指でなぞった。形のよい爪が真珠色に光っている。

 くるぶしもそのすねも、脚も、えくぼのようなへそも、両手の中におさまりそうな細腰も、指で辿り滑らかに上へと続く肋骨の形も、全てがあらゆる女の比にもならなかった。王の目に映る白亜の乙女は、この世の女の全てを凌いでいた。

 本物の乙女にするように、王は丁重にその手を握り締め、潰れやすい果実をもぎとるように優しく乳房に触れた。

 どんな娘よりも冷たく凍えていたとしても、王の体から熱をうばい、寒々と震えさせたとしても、王のかたくなな情熱が白亜の乙女を暖めめ、ぬくもりを感じさせていた。口づけは氷のようで、その唇は閉ざされ、王の愛撫を拒んでいた。

 王は失望にうなだれ、乙女から身を離した。

 テラスの透き間から、こちらを仰ぎ見る華々しい宮女たちの姿がかいま見える。

 ふと、王の脳裏をかすめる。

 退屈な、鬱陶しい、生暖かいだけの、まがいもの。ペチャクチャと自分の望まぬ言葉を発し、思いどおりにならぬもの。傲慢で高飛車な、人間の女 ……

 首を振る。いやいや、彼女たちもそこそこに愛らしい。たとえ、フルートのような声でなくとも、花の香を漂わせ睦言を語らなくとも。若い王のために努力して、口の中に香水を振り撒き、花のつぼみを食して、侍女たちに歩く側から花を散りばめさせる宮女たちもいるではないか。彼女たちの努力を認めようとテラスに歩み寄り、しかし、王はやはりと立ち止まった。

 完璧な自分だけの女が恋しい。私だけのものになってくれる女が愛しい。

 乙女を冷たい部屋に、置き去りにするには忍びない。

 それなのに乙女は悲しがりもせず、佇んでいる。王はすねた声音で言った。

「おまえは私を引き留めておこうともしない。おまえの声は、どんな音色だろう? 私になんとさえずるだろう? 私の手はこの扉を開こうとしている……おまえの声が聞けるまで永遠に開こうとするだろう。私は今にもここを出て行こうとしている ……おまえが引き留めるまで私は永遠にここを出て行こうとするだろう……」

 乙女が動き始めるまで、若い王は永遠の静止の呪縛から逃れようがなかった。

 王は寂しげに微笑むと、ゆっくりと乙女のそばへ寄っていった。石の乙女のつれなさが、きりきりと王の胸を締め付けていた。花のつぼみに口づけるように、そっとそっと唇を寄せた。少しでも乙女が身をよじれば……少しでも乙女が接吻を受け入れようとして……

 王は熱いつぶやきを漏らした。

「ねぇ、おまえ……愛しいおまえ ……ほんのひと月まえまでこの世にいなかったおまえ ……生みだしながら、この私の手が恋し、目が愛しみ、唇が焦がれたおまえ ……おまえの口から私を呼ぶ声が漏れることがあれば、私はこの声を失ってもいい。おまえの瞳に色が宿って私を見つめてくれたら、私は今すぐ盲いてもいい。おまえの愛らしい手が私の頬を包んでくれたなら、私は不具者になってしまってもかまわない。おまえが私を恋しいと言ってくれたなら、私はこの心臓が止まってしまってもくやまない。おまえが私を愛してくれるなら、私はどんなものでも差し出そう!」

 最後の言葉を、王は声高らかに叫んでいた。その声は荒々しい稲妻になった。玻璃でできた薄い天蓋がクモの巣の形にひびいり、木の葉のように床に舞い落ちた。

 稲妻は空気を裂き、街中に轟いた。

 青く澄み切った空はそれだけでブルブルと震え、開くはずのない魂の門が、うっすらと、本当にわずかに開いた。


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