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ユリスラ王国暦一五七三年五月上旬。
歴史的な一日は、よく晴れて澄み切った、青空の綺麗な日だった。
どことなく街は浮かれムードで、いつもとは違った空気が充ち満ちてた。国中が浮ついた雰囲気ではあるが、新祭月の祝賀のような陽気さはなく、厳粛な雰囲気も漂っている。
王城はそれ以上に緊張感で満ちており、そんな空気を初めて味わうフランツ・ルシナは、不思議な気分になっていた。
三十五年ぶりの一大行事に自分が立ち会うなんて、なんて運がいいのだろう。
いや運が悪いのだろうか?
その日の玉座の間は、大勢の人物に埋め尽くされていながらも、恐ろしいまでの静けさと緊張感が満ちていた。
入り口の大扉から玉座へと続く通路には、真新しい紅のカーペットが敷かれていて、その両側には、国の重鎮達がずらりと並んでいる。
フランツはいつも通りに自らの意志ではなく、正直に言うと強制的に、この記念すべき式典の一角に立っていた。
ありがたくも、王族の席の末端に座を連ねているのだが、どうしても落ち着かない。あわよくば逃げ出したい心境だ。
王都に来て半年にもならないのに、一般庶民である自分がこんなところに座っていていいのだろうかという困惑が、この場に及んで捨てきれない。
どう考えても自分は、この場所に不釣り合いだと思うのだ。
それだから一度は辞退したのに、世間的にはありがたく、フランツからすれば全くありがたくない友人、ユリスラ王国親王グレイグ殿下は聞き入れてはくれず、その代わりにあっさりとこう言ったのだ。
『いいじゃないか。どうせ僕が王座につくとき、フランツはその辺にいるんだろうからさ』と。
ため息混じりにグレイグが式典前に指さしていたカーペットを挟んで向かい側の席を見ると、そこには変装がすっかり板に付いてしまったフランツの仲間、リッツ・アルスターの姿が見える。
つまりグレイグが言っていた、その辺にいるということの意味は『将来大臣にしてやるから見てろ』という、簡単な脅迫なのである。
本当に勘弁して貰いたいと心から思うのだが、それと同時に何となく自分の将来はそこにありそうな気がして、気が重い。
それは当然、大臣職に就くという意味ではなく、将来長きにわたってグレイグに振り回される運命になるだろうという意味でだ。
そのリッツの玉座側の隣には、パトリシア王妃がいて、その後ろには女官の格好をしているアンナが付いている。
かくいう自分も、本日はアンナと立場は同じく、グレイグの従者扱いだ。だからグレイグの隣には勿論、大臣と同等の権力者である宰相シャスタ・セロシアの姿があった。
人知れずこっそりとため息を付いた。
実家を燃やして家出してきた一般庶民の息子が、何がどうして国の中枢部にいるのだろうと思うと、自分の流されてきた運命に頭が痛くなる思いだ。
これもそれも全てリッツのせいだと思うことにしよう。誰かのせいにでもしないとやっていられない。
諦めきってから玉座を見ると、そこには国王の正装に身を包み、王冠をかぶっているエドワードの姿があった。
質素ではあるが、細工の美しいローブに身を包み、真っ直ぐに前を見つめるエドワードは、恐ろしいくらいに国王そのものだった。
街をうろついているときには髪を無造作に縛っているし、アンナがいると三つ編みにされるのだが、今日は少々白髪が混じっているが見事な金の髪を、まっすぐに肩へと垂らしていた。
何もかもを見透かすような水色の瞳は冷たく澄み切っていて、いつもリッツと舌戦を繰り広げているエドワードとは別人だった。
とてもではないが、近づくことなどできそうにない。
もし初めて見たエドワードがこちらの方だったら、おそらくフランツは今のように接することなどなかっただろう。
これが器の大きさと、国王の威厳というものかと、フランツは改めて実感した。
王の後ろには、ユリスラ王国を象徴するユニコーンの旗が掲げられている。
いななく真っ白なユニコーンの背景の色は青と緑。その二色を分けるのは、金に縁取られた真っ赤なライン。
青は王都シアーズ。海の近くに住まう王族の色。
緑はシーデナの森。森に住まう精霊族の色。
赤は建国に際し、共に流した血の色。
遠い昔から伝わる伝承に基づいて作られた旗だそうだ。そういえば新祭月の建国の舞でも、その事はあらわされていた。
奇しくも現在の国王と大臣の立場と同じだと、これを教えてくれたシャスタが言っていたのを、不意に思い出す。
青の王族はエドワード、緑の精霊族はリッツ。共に血を流して取り戻した玉座。
確かにシャスタの言うとおりだ。
だがフランツは、建国の伝説に出てくるような美しく幻想的な精霊族ではないリッツをよく知っているから、不思議な気分になった。
建国神話に食い意地の張った精霊族が出てきたら台無しだから、伝説は伝説でいいのだと思う。
大扉の軋む音が、玉座の間に溢れていた微かなざわめきを綺麗に打ち払った。静まりかえった全員の視線が、扉の方へと一斉に向けられる。
フランツも反射的にそちらへと視線を向けた。
大きく開かれた扉の両側に立っていた兵士が恭しく頭を垂れる。
そこに男が一人立っていた。
影になって見えないその姿が誰であるかは、ここにいる全員、よく分かっている。
王太子ジェラルド。英雄王エドワードの息子にして、唯一の王位継承者だ。
ジェラルドはゆっくりと静かに、玉座で待つ国王の元へと進む。エドワードほどの輝きはないが、その分理知的な雰囲気を持っている。
迷いなく真っ直ぐに前を見るその姿は、物静かで穏やかな雰囲気を持つ普段のジェラルドよりも、なお一層眩しく感じられた。
歩調に合わせて父親譲りの金の髪が揺れている。ここからは見えないが、その瞳は母親譲りの紫の瞳をしていることも、顔なじみとなったフランツは知っている。
王都に来るまでは共に旅してきたエドワードの方としか面識はなかったが、国王暗殺未遂事件以後フランツは、エドワードよりもジェラルドと過ごすことが多かった。
それはフランツがエドワードを避けていたと言うわけではなく、ジェラルドがグレイグの父親だからで、特に深い意味はない。
だがフランツから見ると、エドワードよりも遙かにジェラルドの方が、上司として持つなら合う気がしている。
エドワードはフランツにとって偉大すぎるのだ。
ジェラルドが国王の前に辿り着き、その玉座に向かって跪くと、今まで座っていたエドワードがゆっくりと立ち上がった。
「我が息子ジェラルドよ」
静まりかえった玉座の間に、エドワードの威厳に満ちた低い声はよく通った。
「国王となるそなたに贈る言葉は、ただ一つだ。国王という立場に溺れず、王国の民と共に生きよ。国家の地盤は王家でも貴族でも軍人でもなく、国民である。人の道を知ることが、国の行く道を決めることだ。それを忘れ、自らの虚飾に溺れたとき、国家の地盤は崩壊する」
人の道を知ることが、国の行く道を決めること。内戦の正式な記録に初めて目を通したフランツは、そのエドワードの言葉の重さが理解できた。
言葉にすると簡単だが、人の道を知ること……つまり人を導くことは難しい。とてもではないがフランツには無理だ。
だが無理な道をエドワードは進んできた。そしてそれをジェラルドが継ぎ、グレイグへと繋がっていく。
とてつもなく重い道を、友となったグレイグは行くのだ。頭では分かっていたが、エドワードの言葉によってそれを改めて思い知った。
「そなたなら、この国の行く先を見誤ることなく進めるだろうと余は確信しておる」
そう言うと、エドワードは数段高くなっている玉座から一歩一歩確かな足取りで降りていく。
静かだ。静かな……それでいて澄んだこの雰囲気を何と称したらいいんだろう。
これが静謐という物なのだろうか。
いやそれも違う気がする。この一幅の絵画のような、それでいて重い真実の光景を、フランツは決して忘れないように心に刻む。
段を降りきったエドワードが、跪いたままのジェラルドの前に立ち、自らの頭上から両手で王冠を捧げ持った。
国王のその胸に去来する物は何なのだろう。
三十五年という長い時間全てなのか、国王になるべく内戦を起こしたその過去なのか。
個人的に親しくとも、国家を背負う自国の王の胸の内を知ることなどできそうにない。
エドワードは、そのまましばらく王冠を胸の前で捧げてから、静かにジェラルドの頭の上へと載せた。
「ここにユリスラ王国新国王、ジェラルドの戴冠を宣言する」
高らかなエドワードの宣言に、玉座の間がワッと沸きかえった。
新国王を湛える声が沸き上がり、教会の鐘が一斉に町中に響き渡った。
鐘の音が新国王の誕生を、国中に伝えるのだ。
そんな喧噪の中でフランツは、リッツの顔を見ていた。
エドワードからジェラルドへと王位が移った瞬間、リッツは小さく息をついて肩を落とし、微かに天を仰いでいた。
誰にも気が付かれず、見向きもされないまま、ため息を付いたようだった。
視線はその後ゆっくりと戻されて、あとはただただじっとエドワードに注がれていた。
その目が今まで見たどんな表情よりも、安堵と寂しさに満ちていたような気がしたのは、気のせいなどではないと思う。
きっとこの場にいるのが、フランツとアンナだけだったら、リッツはこう言ったろう。
『終わったなぁ……』と。
自分たちと知り合うまでの人生で、一番重要だったエドワード国王のことが片付いたのだから。
カーペットを挟んでこちら側にいるのにそんなリッツの声が聞こえてきそうで、フランツは沸きかえる人々の中で小さくため息を付いた。
一方、フランツと同じように戴冠式に参加していたアンナも、戴冠式から引き続き王宮の王妃の元に泊まり込み、一日みっちり国の行事に参加した。
その後、新国王誕生のパレードにまで付き添ったアンナが帰宅したのは、戴冠式の夜、結構遅くなってからだった。
本当なら、王宮でのパーティにも出席するようにパトリシアには言われていたのだが、ダンス一つまともに踊れないアンナには、社交界は敷居が高すぎた。
唯一踊れるのが村祭りの収穫の舞では、王妃と一緒にいるのに難があることくらい、自分でもよく分かっている。
顔を出しただけのパーティには当然、無理矢理に借り出されたリッツとフランツの姿もあった。
フランツは予想通り、むっつりと黙りこくったまま壁にもたれているだけだったが、思いの外リッツが社交界に馴染んでいるのが不思議だった。
大臣の変装だから口数少なく、だがきちんと女性に対応していたのは、見事だとしか言いようがない。
いつもはだらしないくせに、グラスを手に笑みを浮かべて女性と語らうその姿は、手慣れた大人だった。
その上リッツは長身でよく目立つ。大臣の礼服を着たその姿が、やけに堂々と格好良く見えるのが、何となく悔しい。
しかもリッツは、誘われれば辞退することもなく、女性と踊っていた。知らなかったけれど、大臣のリッツはどこからどう見ても完璧な大人で、立派な男の人だった。
それに引き替え、村祭りの田舎踊りしか踊れないアンナは、妙にこの空間に及び腰になってしまった。
完璧すぎるリッツと、田舎者過ぎる自分。
それを知ってしまうと、何だかちょっとつまらなかった。妙に心がささくれ立つのは、何故だろう。
むくれてないで、何かのためにリッツに習っておこうかなと、ちょっと考えたりしたが、それが役に立つ状況など今までの人生では考えつかない。
おそらくこれからも役に立つ事なんてあり得ないだろう。
自分に似合うのは社交界じゃなくて、広くてでっかな山や森なんかの自然とか畑とか果樹園だ。それは重々承知しているのだから。
だけど……ドレスを着て、クルクルと舞う人々を見ていると、なんかお姫様みたいでちょっとだけ羨ましい。
アンナだって女の子だから、ああいう風に綺麗なドレスを着て、王子様みたいな格好のリッツと優雅に踊れたらいいなぁとは思う。
そんなこと、夢のまた夢だけど。
とりあえず場違いな場所から王妃の許しを得て、アンナはいち早く抜けて帰宅したのだ。
途中から駆け足になったから、家に飛び込んだときには、少々息が切れていた。
「ただいま!」
談話室に駆け込むと、ジョーとエヴァンスとレフが、お茶を飲んでいるところだった。
「お帰り。遅かったじゃんか」
ジョーことジョセフィン・クレイトンが微妙に沈んだ声でそう答えた。見ると手元に置いてあるお茶のカップは減っていない。
お茶に添えてあるクッキーには、手さえ出していないようだ。食欲がないのだろうか?
「どうかしたの、ジョー?」
不思議に思ってそう尋ねると、ジョーは口を尖らせた。
「どうかしたのじゃないよアンナ。戴冠式終わっちゃったじゃんか」
その言葉でジョーの言いたいことが分かった。何で不機嫌で、元気がないかも全部。
「うん、終わったね……」
思わずしんみりとアンナもそう呟いて、ジョーが座っているソファーの隣に腰を降ろした。
どちらともなく、ため息を付く。
慌ただしかった今日一日は、思い出す余裕すらなかったけど、こうして思い出してしまうと、寂しい。明日でジョーとはお別れなのだ。
半年で仲良くなって、親友になったのに、次にいつ会えるのか全く分からない。
「本当に本当に行っちゃうんだよね?」
行かないで欲しいという気持ちを滲ませつつ、ジョーがそう尋ねた。
「……うん」
「どうしても延ばせないんだよね?」
「うん……ごめんね」
明日のお昼に、アンナ達は旅を再開することになっている。ジョーの気持ちは、アンナにも痛いほど分かっている。
アンナだって寂しいし、ここでジョーと一緒にこれからも過ごしたいと思う。
だけどアンナは、真実があるなら知りたいという気持ちが、抑えられないのだ。
自分の親のこと、自分が何なのかということ……そしてどれだけ生きる生き物なのかということ。
答えがあると分かってしまったから、それを知らずにはいられない。おそらく見た目からも人間と精霊族、もしくはそれに類する人種の混血なのだろうとは思う。
だけどもしかしたら、全く違うという可能性だってあるのだ。
それにリッツに『みんなの想い出を一緒に持ってあげる』と約束した以上、なるべく長く生きて、一緒にいたいと思っている。
考え込んだまま黙る。しばらく二人とも口を開かないでいた。お互いにさようならを言うのは寂しすぎるのだ。
田舎育ちでいまいち一般常識に欠けるアンナと、スラム育ちでやけに大人びているジョーのコンビは、ある意味とても上手くいっていた。
前に友達になったリラやディルとは違い、アンナはジョーに対して大人の心遣いをする必要が全くなくて、対等に付き合える唯一の友達になれた。
しばらく黙っていた後、ジョーが不意に大声を出した。
「分かった! 俺ももうガキじゃないしね。アンナを困らせるようなことは言わない」
ジョーは十三歳、十分世間では子供で通る年齢だ。だが大人びた口調で宣言されると納得してしまう。
スラム育ちのジョーは、田舎育ちで三十一歳のアンナよりも大人なのだ。
「だからさアンナ、約束してよ。絶対に一度は戻ってくるって。もしかしたらお母さんとかお父さんに会えるかも知んないけど、その時も親と一緒に暮らすって報告しに戻ってきてくれよな!」
そういうとジョーはアンナの目をじっと見た。
さよならは言わない、また会おうねって言えばよかったんだ。ようやくそれに気が付いた。
アンナはジョーの目を見返して、しっかりとジョーの手を握る。
「うん! 絶対に約束するよ」
もしも旅が終わったら、リッツに頼んでここへ連れて帰って貰おうと、アンナは心に決めた。
フランツはどうするか分からないけど、おそらくフランツもここに帰ってくるような気がする。実家に帰ったら放火魔だし、それにグレイグから逃れるなんて無理な気がするからだ。
自分一人では長い旅路を戻ることは無理だけど、リッツとフランツがいれば大丈夫だ。
「……ついでに師匠も帰ってくると嬉しいけどなぁ」
何気ないことのようにボソッとジョーが呟いた。アンナの親友であるジョーは、リッツの唯一無二の弟子だ。
「大丈夫だよ。私一人じゃ帰ってこれないもん。リッツに連れてきて貰うから」
明るくそう言うと、ジョーの顔が嬉しそうに綻んだ。
旅から旅にというのがリッツの普段の生活であるらしいけど、目的を達したらすぐに出発しなければならないとは考えられない。
おそらくシアーズに寄るぐらいの時間はあるだろう。
「本当? よかった~。じゃあ剣の練習続けておく」
リッツに本気で剣を習うようになったジョーの夢は、傭兵から、軍人へ傾いてきている。どうやら回りにケニーやアルトマン、グレイグやエドワードがいる状況が、ジョーをそうさせたらしい。
最初はあんまり危険なことをして欲しくないなぁと思っていたアンナだったが、最近はジェラルドやエドワードが軍を指揮するのなら、大変なことにもならなそうかなと、ちょっと安心していたりする。
「アンナ、ジョーのことは心配いらないよ。これから一年、学校に通わせることにしたからね」
声の主に目を向けると、そこには白髪のエヴァンスが微笑みながら座っていた。エヴァンスは戸籍上はジョーの養父だ。
「君がいなくてここに一人でいるのもつまらないだろうからね」
「そうなんですか?」
「ああ。普通の学校じゃつまらないかもしれんが、これも勉強だ」
養父らしいエヴァンスの言葉に、ジョーが肩をすくめた。
「俺の気ままな自由暮らしも、ここで終わりってことだよな」
背もたれに小柄な体を投げ出して大きく伸びをし、ジョーがそう口を尖らせた。その仕草、どこかで見覚えがある。
そう、リッツだ。さすが師匠と弟子、変なところで似ている。
「一人で家に籠もっておっても仕方あるまい?」
微笑みながらそう言ったエヴァンスに、ジョーはため息混じりに答えた。
「はいはい、分かってるよ……お養父さん」
一瞬驚いたように目を見開いた後、エヴァンスは嬉しそうに小さく呟いた。
「お養父さんか……」
「何だよ、嫌なのかよエヴァンスさん」
「いや、嬉しいよ、ジョー」
二人のやりとりに、アンナは心の底から嬉しくなった。
それと同時に安心した。これなら自分がいなくてもジョーは大丈夫だ。
アンナはそれがずっと気になっていたのだ。友達だと言って連れてきたジョーを、エヴァンスの養女にしたのは自分だが、それを二人がどう思っているのか、今まで聞けずにいたからだ。
だけどこれならきっと仲良くいてくれるだろう。勿論アニーも含めて家族三人で。
「ただいま~」
玄関から疲れ切った声が聞こえてきた。あの声は目下のアンナの保護者、リッツだ。ジョーと違って、アンナはリッツを父親だと思ったことはないけれど。
「お帰りなさい!」
笑顔でそう言いながらお迎えにでると、疲れ切った変装姿のリッツの隣に、もう一人の人物の姿があった。
「お邪魔するよ、アンナ」
「! エドさん!」
先ほどまでは近くに寄ることすらできそうにない雰囲気だった、元国王エドワードだ。
無造作に結った金髪に帽子と、いつもの変装姿のエドワードは何やら荷物を抱えている。
「王宮はうるさくて敵わん。私はもう引退したから、少しくらいならいなくても分からんだろう」
「……絶対分かるっつーんだ」
疲れているくせにリッツが力無く突っ込んだ。どうやらパーティにうんざりして、二人で逃げてきたらしい。
エドワードは一週間は続くであろう祝賀イベントを、この家に隠れて欠席するつもりらしかった。
「お疲れ様」
「おう」
死んだ魚みたいな目をしているリッツは、アンナの言葉にそう応えると微かに微笑んで、見上げるアンナの頭を軽く叩いてから、よろめきながら階段を上がっていった。
リッツにこれをされると嬉しい反面、自分はリッツにとって、まだまだ子供なんだなぁと実感する。
とりあえずリッツは、いつものように変装を解いて、着替えてくるつもりだろう。
そういえばリッツが変装をするのもこれで最後だ。見慣れた白髪に髭に片眼鏡がもう見られないのも、ちょっとつまらない気がする。
『あらあら、国王陛下!』
出迎えに来ていた幽霊メイドのアニーが呆れたように声をあげる。
「私はもう国王ではないのだがな。お邪魔するよ」
半分透き通っているメイドにも慣れてしまったエドワードが苦笑しながら、軽く片手をあげてそういった。
そういえば初めてアニーに会った時、エドワードは驚きもしなかったそうだ。もしかしてエドワードという人は、物に動じることなんてないんじゃないかと、アンナは思ったりもする。
『そうでしたわね。いらっしゃいませ元国王陛下。本日はお別れパーティですから、楽しんでいってくださいましね』
そうなのだ。今日は旅立つアンナとリッツとフランツとレフのために、アニーがパーティを開いてくれるのだ。
『準備ができたわよ。さあみなさん食堂へどうぞ』
こうしてまだ解放されないフランツを憐れみながらも、お別れパーティが始まった。
余談になるが、お別れパーティ中盤で帰ってきた疲れ切ったフランツが『遅かったなフランツ』とその日の主役だった元国王陛下その人に、にこやかに出迎えられたことで、半ば気絶しかけたのは、フランツの名誉のために秘密にしておこうと思う。




