突撃!旅路の晩ご飯4 クリームイエローの憂鬱<2>
リッツは調理場の椅子に座って本を抱え、苦悩していた。
時間はまだ午前中、アニーはジョーと二人、他の飾り付けを作っているから、この場にはリッツしかいない。
本日、恥を忍んで人気が少ない開店したばかりの時間を狙い、本屋に駆け込んだ。そこで『初めてでも簡単! ケーキ作りの本』なるものを、書店にいた奥さん達の痛い視線を一心に浴び、大きな体を必要以上に小さく縮めて購入。
それを元に材料を買ってきたのだが、帰ってきて本を開いてから、ため息が出た。
お菓子作りは必要以上に細かい。
「何で香料一つまみすら、グラムで計るんだよ。一つまみは一つまみだろうが」
リッツは『マロンクリームケーキの作り方』の項目に目を通しながら、本に向かって毒づいた。
小麦粉は、ふるいにかける? 混ぜちまえば分からなくないか? 何で混ぜるのにふるいにかけて細かくしないといけないんだ?
しかも卵を卵黄と卵白に混ぜて泡立てる……って、最終的に一緒になるんじゃないか、これ! 何でバラバラに混ぜるんだ?
っていうか、砂糖まで何で数回に分けなくちゃならないんだ?
「嫌がらせか……そうなのか」
あまりの細かさに、うんざりしつつもそう思ったのだが、どうも世間のお嬢さん方はこれを忠実に守って、ケーキを作っているらしい。何とも面倒なものだ。
ため息混じりにそう思うと、ふと心の中で何かがこうささやいた。
――いいんじゃないか、適当でも。全部材料は入るんだし。
そのささやきは、非常に魅力的だった。あまりに甘いその誘惑に抗うことはできず、リッツは木箱に整然と並ぶ卵を数個手に取った。
「悪く思うなよ」
どうなるか分からない運命に翻弄されるだろう卵を想い、そう一言断ってから、大きなボールに卵黄と卵白に分けずに割り入れた。
砂糖を目分量で一気に入れ、バニラビーンズの粉をポイッと一つまみ放り込む。
「つまりこれを、泡立てればいいんだろ、全体的にもったりするくらいまで」
力と根性には自信がある。とにかく泡立てれば何とかなるだろう。泡立て器を手に、リッツは大きなボールへ猛然と戦いを挑んだ。
……なかなか泡立たない。結局十分くらい混ぜたが、いまいち泡だったような気がしない。
確かに白っぽくなっていて、手応えも重たくなってきているが……。
大体において、もったりとクリーム状に流れ落ちるまでって……どんだけだ? リボン状にへらから流れ落ちれば大丈夫って、どうなんだ?
まったく分からん。
なんでこんな風に、抽象的に書かねばならないんだ、お菓子作りの本!
石積みの時に使う柔らかめの粘土ぐらいとか、煮詰まって固まったポタージュぐらいという、分かり易い例えはなかったのだろうか。
それにしても手が疲れたのだが、いったいどのくらい混ぜればいいんだろうか? ふと見ると『湯煎で人肌に暖めると、早く泡立ちます』とある。
「早く言え……」
自分がよく読んでいないことを棚に上げて文句をいい、かき混ぜながらも鍋にお湯を沸かす。
だがお湯が沸く前に、卵と砂糖とバニラビーンズが入ったものは、最初の量の四、五倍になってもったりとした。
「なんだ、できるじゃんか」
気をよくして、作り方の次の段階に進もうと本に目を落とす。小麦粉を分量通り計って、ふるいにかけ、三回に分けて入れる……とある。
「だいたいこんなもんだろ」
リッツは再び目分量で小麦粉をふるわずに一気に入れた。さっき成功しているから大丈夫だろうという軽い気持ちだった。
作り方を見ると『切るように、サックリと混ぜます』とある。
「サックリと混ぜる?」
意味が分からない。何をどうサックリ? 刺すわけじゃないし、へらでこねるのにサックリ?
「とにかく混ぜればいいんだろ、混ぜれば」
玉になっている小麦粉を、リッツは力の限り混ぜた。これがなかなか混ざらない。
だまができた小麦粉が卵を弾いて、馴染まないのだ。とにかく必死で全ての小麦粉を混ぜ合わせた。
「ほら、混ざったじゃんか」
それをバターを塗ったトレーに流し入れて、一七〇度で二十分焼く。
オーブンを閉じてリッツは大きく息をついた。一仕事終えた気分だが、これで終わったわけじゃない。
「よし、次はクリームだ」
買ってきた栗の密煮の瓶を開けて、栗を取り出し包丁で細かく刻む。それをこし器の上に載せヘラで丁寧にこしていく。
ふんわりとクリーム状になった栗をボールに移し、さらにそこへバターと生クリーム、ブランデーを入れて滑らかになるまでよく練る。
美しく輝く、このクリームイエローのペースト。完璧だ。これは売り物と変わらないぞ。見た目は。一口とって舐めてみたが、味も悪くない。
次に生クリームを泡立てる。今できるのはここまでだ。この後はスポンジができてからの作業になる。
スポンジができたら型で丸くくりぬき、栗の密煮の粒を置く。
それから生クリームを載せてこの黄金色のマロンクリームを絞り出してデコレーションする。
その上に溶かしたチョコレートを、細く糸状にかけて、仕上げだ。
……イメージでは悪くない。
「ふっ、さすが俺」
この辺りは、普段やる料理と殆ど変わらない。分量も適当でいいようだし、順調そのものだ。
やはり料理には、こういう融通が利かないと駄目だとつくづく思う。もしもこれで大成功だったら、相当すごいんじゃないか、俺?
一人満足げに一休憩していると、ケーキのスポンジが焼き上がる時間になった。
「よし、これで後は飾り付けるだけだな」
嬉々としてオーブンを開けると、予想外の光景がそこにあった。
「……お?」
トレーには、香りはいいがまったく膨らんでいない、謎の物体があった。へらでつついてみると、すさまじく堅い。
「スポンジと言うより……靴底か?」
トレーを作業台の上に置いて、しばし呆然と眺める。
どう考えてもこれは違う……。違うと思う。
指でつついてみると、かなり弾力があった。こんなケーキは口にしたことがない。
包丁で隅を切って口に放り込んでみた。鼻に抜ける香りはケーキだ。だがこの食感は……昔東国で口にしたことがある『モチ』という食べ物に近い気がする。
「とりあえず、作り直しだ」
リッツは再び卵を手に取った。今度は書いてあるように卵白と卵黄をきちんと分けて、砂糖も分けて泡立ててみる。
……力業より楽だった。やはり本に書いてあるだけあって、正しいのだ。
次に小麦粉をふるって入れた。きちんと三回に分ける。これがまた混ざりやすい。だが、さっくりが分からない。
再び小麦粉と卵の泡立てたものをしっかりと練って、完成。オーブンに入れた。
結果……リッツは呆然と椅子に座り込んでいた。
「おかしいよなぁ……」
目の前には『モチ』の様になったスポンジが二つ。二回目は書かれているとおりに作ったというのに、何が悪いのかさっぱり分からない。
時間は刻一刻と迫ってきている。調理場をアニーに明け渡す期限までは、あと一時間しかない。
残された手段は、もう一度作ってみる、これしかない。再び初めから卵を泡立て始めた。材料もこれでお終いだ。本当に最後のチャンスだ。
これが駄目なら、買いに行くしかない。だがアンナに作ると約束した以上、それを違えたくない。
ふるいにかけた小麦粉を入れて混ぜようとした時、リッツの後ろからそっと小さな手が差し伸べられた。
その手がこねようとしている泡立て器を、しっかりと掴んでいる。目線を落とすと、そこに赤毛の頭が見えた。
「……アンナ」
「えへへへ、見てられなくて」
リッツを見上げて照れくさそうにそういうと、アンナはさっさと泡立て器を生地から抜き取り、炊事場の流しに入れた。代わりに木のヘラを握る。
「小麦粉、入れてみて」
「ああ」
促されるままにリッツは小麦粉を一回分入れた。こねるでも練り込むでもなく、アンナはヘラを縦に使い、生地を何度も切るようにしながら小麦粉を混ぜていく。
リッツは理解した。これが『さっくりと切るように混ぜる』って事かと。こんな事詳しく書いてくれないと分かるわけがない。
最後の粉を入れ終わったところで、生地の状態を見ると先ほどまでのように粘りけを帯びていない。
「これをトレーに流し入れてっと」
手慣れた手つきでアンナはそれをトレーに流し込み、オーブンの扉を閉めた。
「これで大丈夫だよ。私ね、孤児院で毎月ケーキを作ってたから、得意なんだ」
楽しそうにそういって振り向いたアンナは、言葉もなく立ちつくすリッツを見て、一瞬で申し訳なそうな顔に変わった。
「……ごめん、迷惑だった?」
迷惑なわけがない。アンナが来なかったら、最後の材料まで全て無駄になっていただろう。リッツは汚れていない手で、アンナの肩を叩いた。
「いや助かった。ありがとうな」
「うん」
一気にアンナの表情が明るくなった。まったく分かり易い。それにしても、随分タイミングよく手を出してきたものだ。
「ところでお前、いつからいたんだ?」
そう尋ねるとアンナは困ったような顔で、上目遣いにリッツを見上げた。
「……怒らない?」
「怒るわけないだろ」
……可愛いから。
そんな顔をされると困るだろ、抱きしめたくなるじゃないか。口にも顔にも出さず、そう頭の中で思う。
「じゃあいうね。実はね……最初からずっといたの」
「……え?」
最初からだと? 全然気が付かなかったが……。
「だって、ジョーとアニーが飾り付けするから部屋に戻れって。部屋に戻ってもすごく退屈なんだよ?だからリッツに見つからないように、ずっと後ろにいたの」
「う、後ろ?」
「うん。見つかったら怒られるかもって、ちょっとドキドキだったよ」
そんな近くにいたのか……。気配に気が付かない自分は傭兵失格では?
いやいやそれよりもおかしな事を口走っていなかっただろうか? 心配だ。
色々な考えが頭の中をグルグルと駆けめぐる。だがアンナがいつも通りだから大丈夫だろう。そう考えることにする。
どうせ何かを口走っていたとしても、鈍いアンナに何か感づかれることはあるまい。
それにしても……最初からいたなら最初に間違えた時に言って欲しい。
「せめて二回目にこねる時に俺を止めてくれよ。材料が無駄になっちまった」
「だって……面白かったんだもん、真剣にケーキを作るリッツ。滅多にみられないよ?」
「……あのな」
力が抜けて椅子に座り込む。結局アンナに手伝って貰うはめになってしまった。まったくもって、これでは意味がないじゃないか。
せっかく完璧に作って驚かせてやろうと、必死に頑張ったというのに。しかもこの失敗したスポンジもどき、どうしてくれよう。
「これどうすっかな」
「失敗した奴?」
アンナは真面目な顔で弾力に富んだその物体をつつく。
「そう、それだ」
「う~ん」
何かを思案しているアンナをよそに、リッツは背を丸めて机に両手で頬杖を付いた。
「あと四十分しかないしなぁ……」
ため息混じりにそう呟く。失敗したケーキで何かを作るということも出来るかもしれないが、何も思いつかない。捨てるにはあまりに勿体ない。
「リッツこれ貰っていい?」
失敗作を指さしながら、アンナがそう尋ねた。
「いいけど、どうするんだ?」
そのままの体勢で投げやりにそう尋ねると、アンナはにっこりと微笑みながらリッツの顔を見返した。
「レアチーズケーキにするの。これはね、タルトの代わりに使うんだ」
「……へぇ」
この靴底……いやいや失敗作にそんな使い道があるとは。まったく想像がつかなかった。お菓子作りの世界は奥が深い……のかもしれない。
リッツ自身はもう二度と関わるのはごめんだが。
「リッツがマロンクリームケーキのデコレーションをしてる間に、隣で作るね」
そういうとアンナはリッツの視界から消えた。何か材料を取りに行ったのだろう。
自分もこうしていつまでも作業台に座っているわけにはいかない。とりあえずスポンジが焼けるまでに、チョコレートを溶かしておかねばならないのだ。
ため息をついて立ち上がろうとした時、ふわりと背中が温かくなった。柔らかく背中にかかる重みと共に、首にアンナの両腕が回される。突然のことに言葉が出ない。
「……!」
「えへへ、ありがとうね、リッツ。我が儘聞いてくれて」
体温の暖かさと、幸せそうなアンナの声が嬉しくて、何も言えない。だがアンナの次の言葉に、がっくりとうなだれた。
「リッツって、いつも優しくて、お養父さんみたい」
「お養父さんか……」
分かっているが、一瞬期待してしまった分、脱力だ。無駄なのを知っていて期待する自分が、馬鹿馬鹿しくて虚しい。
「ね、リッツの誕生日、まだだよね?」
「ああ。夏だからな」
誕生日など、もう四十年近く祝っていない。気が付くと過ぎている、そういうものだ。千年も寿命があると、毎年祝う意味が分からなくなってくる。
「誕生日何が欲しい? お礼したいからなんでも言って」
無邪気にアンナがそういった。首に回されたアンナの柔らかく、細い腕に手を触れそっと撫でる。何でもか……。
「……お前が欲しいよ」
聞こえないように小さく呟く。こんな男でもアンナに愛して貰えたら、最高に嬉しい。
「何? 聞こえないよ?」
文句をいうアンナに見えないよう、リッツはフッと自嘲の笑みを浮かべた。
馬鹿だな、自分は。隠し通すと決めたくせに、こんなにも簡単にその誓いを破りそうになってしまう。これでは意味がない。
顔を上げてアンナの目を見ながら、リッツはことさら明るい笑顔を向けてみせた。
「とんでもないものじゃなけりゃ、何でもいいぞ」
「もう、なんでもいいって一番困るんだから」
むくれるアンナの腕をそっと首から放し、リッツは立ち上がった。
「ほれ、時間がないだろ」
時計を指さしてみせると、アンナは目を丸くした。
「本当だ! 大変!」
「俺はデコレーションなんてしたことないから、話しかけるなよ。もし話しかけたら、どうなっても知らんぞ」
「は~い」
クレイトン家の人間のみで行われたパーティの席には、沢山のごちそうと並んで、人数分のマロンクリームケーキと、真っ白な生地も美しいレアチーズケーキが並んだ。
不格好ながら、味だけは確かと一応の絶賛を受けたマロンクリームケーキだったが、それを食べた全員が、いそいそとケーキを作るリッツを想像して笑いを堪えていたことは、言うまでもない。
ベタ甘の番外編でした(^^;)
次は8巻目『船旅は困惑を乗せて』をお送りします。
まだまだアンナ相手に混乱中のリッツと、相変わらずのアンナ。事務仕事で気力の果てているフランツに、飄々と我が道を行く元国王。
いつもの四人が、ユリスラ王国王都シアーズから旅立ちます。
王都編からエネノア大陸編に変わる前の、軽いインターミッションをお楽しみに。




