突撃!旅路の晩ご飯4 クリームイエローの憂鬱<1>
ユリスラ王国暦一五七三年二月中旬、アンナのメイド騒動とフランツの地下宝物庫侵入騒動から一週間。ここクレイトン邸は、非常に平和そのものだった。
リッツはほどよく暖かい談話室のソファーに寝そべって、数誌の新聞を捲っていた。最近の諸外国事情を拾い読みしているのである。
ふと顔を上げてみるとアンナはジョーと二人、フランツに借りたというゲームに講じ、エヴァンスはレフになにやら書類を見せて話し込んでいる。食後のいつもの光景だ。
ここにはいないフランツは、特別に借りた質実王エドモンドの執務記録を部屋で読んでいる。
リッツは小さく息をつくと、再び新聞に目を落とした。大臣の仕事として持ち込んだ書類も、気が付かないうちにフランツの努力によって相当数を減らし、深夜まで必死で片付ける必要も、今のところなくなった。
職場にフランツという優秀な秘書を雇ったので、仕事の方も順調に進んでいる。大きな事件もなく、ようやく普通の生活に戻った感じだ。
リッツは最近、生活スタイルを変えた。仕事から帰ったら毎日夜の街に繰り出す、という生活を少々改めたのだ。
出掛けるのは週に三度ほど。それ以外は出来る限り夕飯までに家に帰ることにしている。
最初はこまめに家に帰ってくるリッツを、全員が奇異な目で見たものだが、それが一週間続くと慣れたようで『今日は出掛ける日?』と気軽に聞いてくれるようになった。
家に帰ってくる表向きの理由は、今後旅に出るための資金を節約するためだ。飲みに出掛ける日を半分に減らしただけで、出る金の額もきっかり半分になった。
今は半分だが、旅に出る日が近づいてきたらもっと減らして金を貯めねばならない。
そしてリッツが帰ってくる本当の理由は、アンナだ。『夕食に全員が揃うと、とっても嬉しいの!』というアンナを喜ばせたくて、きちんと帰ってくるのである。
メイド騒動の後にアンナへの気持ちに気が付いてしまったリッツは、食後に何をするでもなくこうして談話室で、時折アンナの横顔を見ながら小さな幸福を噛みしめている。
今日もそんな小さな幸福を、新聞の影で味わっていたのだが、いつものように時間はのんびりと過ぎていかなかった。
「そういえば明日、誕生日なんだ~」
唐突にアンナの声が耳に飛び込んできた。新聞を捲る手が止まる。ちらりと見ると、アンナはフランツのゲーム『テリトリアル』から顔を上げずに呟いていた。
「何だか色々忙しくて、すっかり忘れてたけど」
同じようにゲームに講じていたジョーが、驚いたように軽く目を見張り、顔を上げてアンナを見る。
「そうなんだ。何かプレゼントしようか?」
誕生日プレゼント……か。悪くないな。頭の中でそう呟いた。
「いいよぉ、本当の誕生日じゃないし」
「本当の誕生日じゃない?」
いったいどういう事だろう。非常に気になる。気になるが突然割り込むのもどうだろう。小さく悩むリッツの耳に、二人の声が聞こえてきた。
「うん。あ、こことった」
「あ~、そこは……。あ~あ、やられちゃった」
「私の勝ちだね」
ゲームが一段落ついたらしい。リッツはそれに合わせて起きあがった。
「アンナ、明日誕生日なのか?」
何気なく聞こえた風を装って尋ねると、アンナは照れくさそうに笑いながら頷いた。
「うん。本当の誕生日は分かんないから、孤児院ではそういうことにしてたの。本当はいつ生まれたのか知らないんだ」
アンナの話によると、アンナが見つかった収穫祭は十月上旬、その時に村のおばさんが『この子は七、八ヶ月くらいだね』といったことから、実際に生まれたのは二月か三月頃だろうということになったらしい。
「それでね、三月は春の農作業準備で色々忙しいから、雪で作業の出来ない暇な二月を誕生日にしたんだって」
「随分と適当だね~」
驚いたようにジョーがため息をついた。本当にアバウトだ。
「アントン神官のやることとは思えないな」
養父の事を知っているリッツがそう呟くと、アンナはその言葉に過敏に反応した。頬を膨らませてリッツを軽く睨む。
「お養父さんは悪くないよ。きちんと決めたかったと思うもん」
その目つきに一瞬怯む。しまった無意識とはいえ、言わなくてもいいことを言ってしまった。
アンナにとってアントン神父を非難することは、絶対の禁句なのだ。なおもアンナは、むくれながらリッツに文句をいう。
「孤児院には沢山子供がいるんだよ? 私だけ誕生日を調べるなんて不公平だよ」
こう言う時は今までどう反応していただろうか?思い出せない。仕方ないから、すぐさま謝った。
「ごめん、俺が悪かった」
そういうとアンナは自分がむくれていたことに気が付いたのか、ふと口を閉じた。リッツを大きな目で見つめてから、照れ笑いをする。感情的になってしまった自分に照れているのだろう。
「ごめんリッツ。お養父さんの事だとつい力はいっちゃうんだ、私」
「いいって」
アンナが養父アントンをどれだけ大事に思っているか、よく分かっている。
アンナの中のリッツの重要度が、アントンを超えられたらいいだろうなとは思うが、それは夢……というより妄想に近い。
大体において今の絶望的な状況では、期待しても無駄というものだ。リッツは頭を軽く振って、その考えを払いのけた。
「それで明日が誕生日って事になってるんだな?」
「うん」
ようやく話を戻し、リッツはアンナに確認をした。誕生日か、何かアンナを喜ばせてやりたいが……。
そんな時ジョーがリッツの後ろで声をあげた。
「誕生日パーティしようよ!」
「パーティ?」
ジョーを振り返ると、自らの思いつきに瞳を輝かせている。リッツは心の中でジョーのアイディアに喝采を送った。
それはいい考えだ。アンナも喜ぶに違いない。
「俺さ、パーティって一度してみたかったんだよね。俺の誕生日は過ぎちゃったから、アンナの誕生日パーティしよう!」
「え~、パーティするほどの事じゃないよ」
照れくさそうにアンナが言うが、ジョーは気にしない。
「何言ってんのさ、誕生日は重要なんだよ?」
「……そうかなぁ」
困り顔のアンナを見て、ふと思い出した。アンナは明日で三十一歳になるのだ。
実年齢が誕生日に合っているならともかく、やはりこうもかけ離れていると、何らかの違和感があるのだろう。
かくゆうリッツは、今度の誕生日で百五十一歳になる。実感は勿論ない。十年分まとめて誕生日をすれば、それで人間の一年と同じなのだから。
「アンナは女の子だからな、やっぱり年齢が気になるところか? 三十を超えると色々思うところもあるんだろうな」
わざとからかい気味にそういうと、アンナは口を尖らせてリッツを軽く睨んだ。
「そういう事じゃないもん!」
だがその表情は長くは持たず、アンナはプッと吹き出した。リッツも微笑み返し、このチャンスに間髪入れずに断言した。
「じゃあ、やろうぜ、お前の誕生日パーティ」
「え?」
「身内だけなら、問題ないだろう? 何も派手にやろうってわけじゃないんだしな」
「でも……」
アンナを説得するよりも、事を先に進めてしまう方が早い。なおも考え込むアンナを無視して、リッツは振り返ってジョーに言った。
「ジョー、お前言い出しっぺだから、きちんと計画立てろよ」
「は~い、師匠」
ジョーが嬉しそうに両手をあげて返事をした。
「飾り付けと、それからプレゼントと……」
もうジョーの頭はそれでいっぱいになってしまったようだ。
ジョーはエヴァンスの元に歩み寄り、今までのこちらのやりとりを聞いていなかった、エヴァンスとレフに誕生日パーティのことを相談している。
「本当にやるの?」
イベント好きのアンナが、ソファーに座っているリッツの近くにやって来て、盛り上がるジョーに聞こえないか確認してから、小声で尋ねた。
他人の誕生日や、色々な行事には盛り上がるアンナだが、自分の誕生日をやって貰う段になって戸惑っているのだ。
他人のために何かをしてあげるのは得意だが、アンナはどうやらみんなが自分のために何かをしてくれる、という状況が苦手らしい。
「やるさ」
「……いいのかなぁ」
「いいんだ。新祭月以来めでたい事もなかったし、久々にみんなで楽しむのはいいことだぞ?」
肩に片手を置いて優しくそう諭すと、アンナはこくりと頷いた。どうやら納得したらしい。
「私も手伝った方がいい?」
「……主役が手伝ってどうする」
「だって~、落ち着かないよ」
貧乏性この上ないアンナの言葉に、リッツは苦笑した。アンナに何もせずにいろというのが無理な話だ。
だが誕生日パーティの主役が、嬉々として自分のパーティーの準備をしていては奇妙だ。
「いいから、まかせとけって」
「……う~ん、落ち着かないなぁ~」
困ったように少々首を傾げるアンナが可愛い。最近アンナの一挙手一投足が、可愛くて仕方ない。
その顔がもっとよく見たくて、肩にもう片方の手を置いた。怪しまれないようにそっと体をかがめてアンナの顔を覗き込んだ。
「なに、リッツ?」
そんな瞬間に突然顔を上げられて、間近にアンナの顔を見ながら思わず口ごもる。
「い、いや」
「?」
このまま黙っているものおかしい。それにそうだ、誕生日プレゼント。せっかく飲み代を切りつめているから、アンナに何か買ってやりたい。
「プレゼントは、何が欲しい?」
咄嗟にその言葉が口をついて出た。
「え? リッツがくれるの?」
アンナは意外な言葉を聞いた様な声をあげて、大きな目を丸くした。その驚かれ方が不本意だ。
「……何だよ、俺がプレゼントしたらおかしいか?」
「うん」
間髪入れずにそう言われて、がっくりと肩を落としてしまった。自分はそんなにケチに見えていたのか? 今までのアンナとの接し方が悪かったのだろうか?
だがアンナの考えはリッツとは違っていた。声を顰めてジョーやエヴァンスの耳に入らないよう、アンナはリッツに囁く。
「旅に出るから節約するんでしょ? 無駄遣いは駄目だよ」
「無駄じゃないだろう?」
食い下がるが、アンナは首を縦に振らなかった。
「無駄だよ。服も靴も本も全部最低限しか持っていけないでしょ? 新しい装備品は揃えるけど、それは自分でしないとだし……」
「……分かった」
ここまで言われてしまうと、仲間としてはこれ以上食い下がるのはおかしいだろう。
せめて何かプレゼントくらいさせて欲しいと思ったが、残念ながらかないそうにない。
その時、ふと思いついた。
「じゃあ、お前の食べたいものを作るよ。何食べたい?」
これなら断られまい。上手いこと考えついたものだ。自分で自分を褒めてあげたい。
だが、次の瞬間それは後悔に変わった。
「マロンクリームのケーキがいいな。ちっちゃくて可愛いのいっぱい!」
「……ケーキだと?」
「うん。生クリームとチョコレートも使ったのがいいな」
お菓子なんぞ、作ったことはない。リッツが得意なのは、適当に作っても美味しくできる雑多な料理なのだ。
「……買ってくるってのは駄目か?」
一瞬で作る気力を奪われて、アンナにそう提案してみた。だがアンナは容赦がない。
「買ったら高いもん。ちっちゃいのが一つで結構な値段なんだよ? 人数分買ったら大変なことになるよ。作った方が絶対に安いと思うけど?」
「……まあ、それはそうだが……」
困った、ケーキとは……。お菓子の基本、クッキーすら作ったことのない男に、そんなものが作れるのだろうか?
「私も手伝うよ。そうしたら早いし簡単だもん。ねっ?」
苦悩しているリッツに向かって、アンナはいかにも楽しげに、小首を傾げて可愛らしくにっこりと微笑みながらそういった。
可愛い……たまらなく可愛いが……見えてきた。アンナの魂胆が。
やることがないと落ち着かないから、リッツを手伝うという名目で、準備隊側に入り込む気だ。そうはさせない。
「分かった。俺も男だ。一旦口にした以上、やってみせる!」
「え~っ! 手伝うってば!」
リッツの予想外の言葉に、アンナは大声を上げた。
「いい。俺が作る」
「絶対に無理だよ、二人でやろうよ!」
「い~や、俺一人で何とかしてみせる」
今までの自分ならアンナに手伝って貰っていただろう。いや買ってきて誤魔化していたかもしれない。
だが今の自分なら出来そうだ……根拠はないがそんな気がする。
「明日のパーティ、楽しみにしとけ!」
「リッツ~、それって捨てぜりふだよぉ……」
自分の目論見が外れてしまったアンナのつまらなそうな言葉を背に、リッツは自室へと向かった。
とにかく明日は仕事は休む。大丈夫だ、優秀な秘書フランツが上手くやってくれるだろう。
それで愛する女のために、ケーキを焼くのだ!
この状況、何となく情けない気もするが、それはそれ、とりあえず本屋に行って材料を揃えねばならない。
この時点ではまだリッツは、その後に続く悪戦苦闘を知るよしもない。




