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新祭月休み、残り六日は本当にあっという間に過ぎ去った。ありがたいことに、王室や国の要職による形式的な集まりはあの闘技大会以降無い。
そんなわけで、それまでの煩わしさから解き放たれたリッツ達は、残りの新歳月を存分に楽しむことが出来たのだった。
この街に来て一ヶ月、三人で出掛けることなど皆無だったから、ジョーも入れて四人であちこちに出掛けて、賑わう店や飲み屋を冷やかして歩くのは、思いの外楽しかった。
皮肉な事に、旅をしていた時は相当貧乏旅行を強いられていたというのに、ここに来て初めてのリッツの大臣としての給料が入ったから、財布を預かるフランツにかなりの余裕が出来た。
御陰で、それまで節約の観点から出掛けることが出来なかったあちこちの劇場や、サーカス、有名レストランなどにも出掛けられたのだ。
なんにもなく平和というわけでもなかったが、楽しく陽気に新祭月が終わり、長い夢から覚めたように街は平常を取り戻し始めていた。まだ人々の中には祭りの余韻が残り、不思議な浮遊感があるが、すぐに元の生活に戻るだろう。
そんなわけで事務仕事嫌いのリッツは、一月になってすぐに泣く泣く仕事に戻っていた。
仕事始めはユリスラ王国首都シアーズにて実務をこなす文官・武官全てを集めて行われる、拝謁式だ。
昨日まで遊び歩いていたリッツは、玉座に座る国王の傍らに立ちながら、必死に眠気を堪えていた。今年の春までの約束だと分かってはいるものの、本当に自分には向いていないと、リッツはつくづくそう思う。
三十五年前、この職を捨てて当時の傭兵隊長に見習いとしてついて行ったことは、正しかったに違いない。
「皆、王国の民のために、一層の努力と……」
聞く者の心を動かすと言われるエドワードの演説も、リッツには子守歌でしかない。不思議なことに、昔からエドワードの言葉に反論することはあっても、酔いしれることはない。これは性格のなせる業か、持って生まれた特技か。
当時の仲間にいわせると既にエドワードの飼い犬になって懐ききっているリッツには、演説など関係ないということになる。
とにかくこの御陰で、エドワードとは主従関係ではなく友人関係が保てるのだ。
拝謁式が終わり一時の休憩の後、王国軍の観閲式が始まる。この間二時間。リッツにとっての苦行は、後数時間続くのだ。
休憩のために自らの執務室に戻るエドワードは、傍らに立つリッツとシャスタを振り返った。
「二人とも、休憩はどうするんだ?」
唐突なその問いに、二人は何とも答えられずにいると、エドワードは笑みを浮かべた。
「暇ならつき合わないか?」
エドワードが指さしたのは、執務室へと向かう廊下だった。どうやら何か話があるらしい。
「お前がそういう時は、断れないんだろう?」
ため息混じりの少々嫌みなリッツの言葉に、エドワードは涼しい顔で応えた。
「よく分かってるじゃないか」
肩をすくめてシャスタを見ると、シャスタは二人のやりとりに苦笑している。
「ではお聞きしましょう、陛下」
執務室には、すでに三人分の暖かいコーヒーの用意がされていた。エドワードには二人が断らずにこの部屋に来ることが分かっていたようだ。
何はともあれ、三人はそこでようやく一息つくことが出来た。
「あ~眠かったぞ~」
侍従がでていくとリッツは、ソファーにふんぞり返った。呆れたようにリッツを見つめるシャスタの視線は、少々冷たい。
「リッツさん、拝謁式で欠伸をしていましたね?」
「……見られたか」
「見られたかではありません。すでにあの頃とは立場が違うんですよ。少々面倒だと思っても、人目のあるところではしっかりと……」
「シャスタ」
永遠に続きそうなシャスタの説教を遮ったのは、叱られているリッツではなく、エドワードだった。
「なんでしょう、陛下」
「二人に話があって呼んだんだ。俺の時間をリッツへの説教で潰す気か?」
たしかにその通りだ。休憩は二時間しかないのだから、こんな話をしている場合ではないだろう。
だがシャスタは不満げにリッツを見つめた後、いつものようにため息を付き、綺麗に撫でつけた白髪交じりの髪をなで上げた。
「全く……仕方ありませんね。リッツさん、観閲式は気を付けてくださいよ」
「分かってるよ」
この二人といると、自分がまだ森からでたばかりの未熟な時代に戻ったような気になってしまう。もうあれから四十年はたつのに。
「陛下、お話をどうぞ」
シャスタは何事もなかったように、リッツの向かいに座り、コーヒーカップを手に取った。それにつられるようにリッツもカップを手に取る。玉座の間は広くて寒かったから、温かなコーヒーは非常にありがたい。
二人がそれぞれにコーヒーを一口すすり、一息つくのを確認してから、立ったままのエドワードは口を開いた。
「観閲式が終わってから会議を開く」
「会議?」
一瞬何のことか分からずにリッツとシャスタは、エドワードを見上げた。予定には無かったはずだ。だがエドワードが言い出すのだから重要な会議であるに違いない。二人は黙って続きを待った。思いつくところがないのだから余計な詮索は出来ない。
「ここ最近、憲兵隊が内偵を進めてきた麻薬組織が、急に動きを活発化させているそうだ」
エドワードはいきなり核心を話したりしない。外堀を徐々に埋めて話していくタイプなのだ。だから二人は待つしかない。
「大がかりな組織だ。手が足りなくなってきたのか、街のごろつきたちまで仲間に引き入れようとしているらしい。その中のひと組とリッツはやり合っただろう?」
「……? 何のことだ?」
「あの金の髪飾りさ」
それはリッツが酒場で喧嘩の仲裁に入り、伸してしまった相手だった。
「あいつらか!」
確かウォード一家という名前だった、らしい。あの後倒れたリッツに、その男たちのことを詳しく教えてくれたのは、彼らにひどい目に遭わされたジョーだった。
「これ以上の被害が出る前に、彼らのアジトを叩く。憲兵隊はそう結論を出した」
リッツは首を捻った。それは憲兵隊の仕事で国王が口を出す必要はないはずだ。正面に座るシャスタも、困惑したように首を傾げている。全くエドワードの話が読めないのは、彼も同じらしい。
「そしてだ、ケニー・フォートたち王国軍査察部第一小隊に、兄上の事件の捜査を続けさせていたのだが、思わぬところでこの二つが結びついた」
「なんだと」
リッツは思わず、手にしていたコーヒーカップを机に叩き付けた。コーヒーがカップからこぼれ落ちる。
「どういう事だ、エド!」
麻薬と王位継承を巡る事件……。結びつくはずのない二つが、結びついてしまった。
「落ち着けリッツ」
エドワードは、初めて二人の座っているソファーに腰掛けた。じっと彼を見つめる二人を気にするでもなく、少々冷めてしまったコーヒーに口を付けた。
「陛下、それはどういう事です? もったいぶっている場合では無いでしょう!」
思わず昔のようにエドワードを叱りとばしてしまってから、シャスタは慌てて黙った。
「……失礼しました」
「気にするな、シャスタ」
コーヒーをそのまま半分ほど流し込むと、エドワードは再び口を開いた。
「詳しいことはこの後の会議で聞いてくれ」
意味の分からない答えに、二人は憮然と黙り込んだ。それならわざわざこの場に二人を呼ぶ必要はなかったではないか。そんな二人の考えは顔に出ていたようで、エドワードは苦笑した。
「その前に、二人に話しておきたいことがあったんだ。そんなに怒るな」
あくまでもマイペースなエドワードに二人は従うしかない。これがいつも二人に対する彼の話の持って行き方なのだ。
「今回の麻薬組織の一斉捜索は、二つの組織が絡むこととなる。憲兵隊と査察部だ。元々相容れぬ組織だからどちらの人間が指揮を執ったとしても痼りが残るだろう」
「そうだな」
組織というものは、しかも違う意味で王都を守っていると自負している組織である場合、共に作戦行動をとることは、何らかの軋轢を産む。古来から決まっている人間の性みたいなものだ。
「そこで全く後の憂いを残さぬ人物を、二つの組織の指揮官として派遣することを考えた。それが相応しいことなのかを二人にも考えて欲しい」
謎かけのような言葉に、一瞬二人は飲まれた。そして次の瞬間リッツは思い当たったのだ、その憂いを残さぬ人物について。
「お前……まさか……」
驚愕して見つめたリッツに、エドワードが苦笑のような笑みを浮かべた。
「何です? 何なんです?」
困惑するシャスタに答えず、リッツは立ち上がり、エドワードに詰め寄った。
「指揮官は……ジェラルドだな?」
「その通りだ」
誰一人として身動きが出来なかった。部屋の中に痛いほどの沈黙が流れる。
その状況を破ったのは、シャスタだった。テーブルに両手を叩き付けて立ち上がったのだ。コーヒーポットが倒れて、中身が盛大にテーブルクロスへぶちまけられた。
「何を考えておいでです、陛下!」
テーブルに置いた手は、今や怒りのあまりクロスを握りしめて震えている。
「落ち着けシャスタ」
零れたポットを起こしたエドワードが、冷静に声を掛けると、シャスタはその冷静な声に一層の苛立ちを露わにした。
「落ち着けですと? 落ち着いて考えるのは陛下の方です! 何故王太子殿下をあえて危険に晒すのですか」
きっと相手がエドワードではなかったら、きっとシャスタは相手の胸ぐらを掴んでいるだろう。だが相手は彼の乳兄弟ではあるが、この国を治める国王なのである。
そんなシャスタの葛藤を知った上で、エドワードは真っ直ぐにシャスタに自らの思いをぶつける。
「危険を知らずして、何故危険から人を救うことが出来るのだ。ジェラルドは一度も戦場に出たことがないのだぞ?」
エドワードの問いかけに、シャスタは激しく首を振った。髪が乱れる。
「それでも殿下は命の重さを知っておられる! 民の思いの重さを分かっておられます。それだけではご不満か 今は平和の時代、我らの超えてきた戦乱の時代ではないのです」
力説するシャスタの、あまりに激しい剣幕に、エドワードも思わず立ち上がっていた。
「人の命を率いたことがないものが、国家の命運をかけてこの王国を率いていけるのか?」
「出来ます、ジェラルド様は、陛下のお子ではないですか!」
一瞬のうちにエドワードの表情が変わった。
シャスタが口にしたのは、エドワードの最も嫌う血縁の正当性だった。これには不快感を露わに、エドワードはシャスタにくってかかる。
「国を治めるのは血ではない、自らの思いだ。守られることしか知らぬ、そんなジェラルドに、その覚悟が定まっているのか、どうして分かるのだ。お前は甘いぞシャスタ!」
「甘くはございません! 間違っておられるのは陛下です!」
緊迫した二人の言い合いを見ていたリッツは、一番冷静だった。きっと王太子に接した時間が短いから、思い入れがこの二人ほどないのかもしれない。
「落ち着け二人とも」
二人の言い合いが感情的になってきたところで、リッツは立ち上がって怒鳴った。
「まずはエドだ。お前はこれからの会議で詳しいことを聞くんだろ? まだどんな状況になっているのか今の時点で分かってないだろうが。とりあえず会議で、報告を聞いてから結論を出せよ。結論が一日やそこら遅れたところで問題はない! 違うか?」
きっぱりと正論を言い切ると、エドワードは黙った。エドワードは、いつもとは逆にリッツに諭される時は、自分が冷静さを欠いていることを知っているから反論さえしてこない。黙ったエドワードから視線を外し、リッツは次にシャスタを見据える。
「それからシャスタ。もし危険な任務にジェラルドが就くことになっても、やつは絶対に死なない。それだけは保証する」
自信に満ちたリッツの言葉に、シャスタは眉をひそめて呻く。
「何の根拠があってそんな……」
だがリッツの言葉は、それで終わりではなかった。
「もしジェラルドが死にそうになったなら……俺が替わりに死んでやるよ」
「……リッツさん!」
息を呑むシャスタに、リッツはフッと自嘲の笑みを浮かべた。フランツやアンナには決して聞かせることが出来ない言葉だ。だがエドワードに最後までつき合うと言った以上、これがリッツの本音だった。
「その為に、今俺が王都にいるんだろう、エド?」
「……すまん」
静まりかえった室内で、リッツはことさら明るく二人の肩を叩いた。
「さて兄弟喧嘩も終わったことだし、そろそろ観閲式に行こうぜ。後は会議が終わってから決めればいいさ」
心の中に微妙な重さを残したままだったが、無事に観閲式が終わってから二時間後、その会議は開かれた。
参加者は国王、王太子、宰相、大臣の四人。
憲兵隊からは、憲兵総監、その副官、直接捜査を指揮している憲兵隊小隊長の三人。
そして査察部からは査察総監、副官、第一小隊長の三人。
合計十人という最低限の人数であったが、その事がこの事件の特異性を物語っていた。
体格がいい男の憲兵総監と痩せぎすの女性の査察部総監は、共に無言のまま示された席に座っていた。
日ごろ決して仲が良いとも言えない、この二つの部署のトップは、円卓を挟んで向き合い、互いの顔を窺っているが、これから何が始まるかは見当が付かないだろう。
この二つの組織は、別々の目的を持って別の犯罪を追っていた。まさかそれが国王の中で一本の線で結ばれたとは、夢にも思っていないに違いない。
リッツとシャスタもまた、無言で座っていた。特にシャスタは観閲式後もずっと押し黙ったままで、自らの苦悩に押しつぶされているかのように見える。
そのシャスタから、間二席空いてリッツが腕組みをしたまま目を瞑ってじっと座っていた。何かを話す必要もないからだが、それ以上に大臣は寡黙である、というイメージを作った以上、壊さぬよう心掛けているのだ。
リッツが唯一動いたのは、緊張し、それ以上に不安を抱えて入ってきた顔なじみ、ケニーに目配せした時くらいだった。それだけで強ばっていたケニーの肩の力が幾分か抜けた事が分かった。
それくらいこの会議場には、えも言えぬ奇妙な沈黙が満ちていたのだ。
小会議場にエドワードとジェラルドが現れたのを合図に全員が席から立ち上がり、頭を垂れた。
「顔を上げてくれ。今日は忙しいところを集まって貰い、申し訳なくおもう」
そういってエドワードは全員に座るよう促す。全員が席に着いたところで、エドワードが切り出した。
「まず皆に承知しておいて欲しいことがある。この会議の内容は本日の出席者以外には、全て他言無用である」
リッツとシャスタ以外の全員の顔に、ただならぬ緊張が走った。そもそも国王自らが集めた会議なのだ、何が話し合われるのか……想像するだに、おそれおおい。そんな静まりかえった議場に、エドワードの言葉だけが響いている。
「この顔ぶれで分かるだろうが、本日集まって貰ったのは、二つの部署に関わるひとつの事件についての意見交換、および今後の方針を話し合う為だ」
そういうと、エドワードはまず憲兵総監の顔を見た。
「まず、憲兵隊が現在捜査中の麻薬事件について、現在までの状況を聞こうか、エンゲルス」
「は。ご報告をいたします」
エドワードに促されて、太めのエンゲルス憲兵総監はこの冬の最中、ハンカチで汗を拭きながら書類を読み上げ始めた。
「昨年の夏頃、王都内で幻覚と筋力増強の二つの効果を持つ特殊な麻薬が流通し始めました」
憲兵総監の話を要約すると次の通りだった。
昨年の夏から、港湾地区で暴行傷害事件が多発するようになった。犯人たちは捕らえられた後、みな事件について奇妙な言動をしたのだ。
急に自分が恐ろしく強くなった気がした、目の前のものが全て愚かしく小さなものに感じ、破壊衝動を抑えられなくなった、と。
更に多数の犯人たちを取り調べたところ、その破壊衝動のきっかけとなったものが判明した。それは船乗りたちの間にいつの間にか流通し始めていた、疲労回復剤だった。
小さな小瓶に入れられたそれは、一粒飲めば確かに疲労回復効果と、痛み止めの効果が得られたという。この二つは船乗りにとって、ありがたい効果だったため、すぐに広く流通してしまったのは仕方ないことだった。
だがこの薬は、すぐに効きが悪くなる。だから一粒、二粒と多く飲む人間が出てくるのは自然なことだろう。
ところがこの薬の危険性はそこにあるのだ。
一回に二粒飲むと、およそ三分の一の人間が幻覚に襲われ、三粒以上飲むとほとんどの人間に幻覚と破壊衝動が現れることが分かったのだ。
他国から持ち込まれたというその疲労回復剤は、すぐさま流通が禁じられたのだが、その薬の依存性は非常に高く、麻薬としての取り締まりを受け始めた後も影で高額取引されている。
港から流入した為、その麻薬の出所が分からず、その上初めて検出された成分だった。特徴のひとつとして、この薬は香水のようにかぐわしい花の香りを持っている。
その花の名は月光桜。月の光の下でしか咲かない、樹木につく花で、このユリスラ王国には存在しない。東国の香りを好む船乗りの妻は多く、この薬をハンカチでくるんで携帯している者も少なからずいたそうである。
結局その正体が何であるかも分からないという状況で、憲兵隊は麻薬の専門の部隊を総動員して捜査していたのだという。
「昨年の十二月から突然彼らの組織が、混迷を始めました。徹底した隠蔽工作が突然行われなくなり、足りなくなった人員を集めるために街の浮浪者を雇い始めたのです。その結果我々はその麻薬組織内に、内定者を潜り込ませることに成功いたしました」
一息にそこまで話し終えると、憲兵総監はその太った体で、音が聞こえるのではないかと言うくらい大きく息を吸い込んだ。
「内定者は、スラム街及び港湾部でこちらの髪飾りを受け取ることによって、彼らの組織の一員となりました」
憲兵総監が促すと、隣にいた几帳面そうな副官が布に包んだ金の髪飾りを取りだした。刻み込まれたその形は美しい花の文様で、一見すると何の変哲もない高級な髪飾りである。
この花の文様……これこそが先ほど名前の出てきた月光桜の形である。リッツには勿論見覚えがあった。あのウォード一家から奪ったものと、全く同じ物だ。
「これと同じ物を、我々は検挙した密売人からあと数個入手しています。皆同じ物で、これが密売人と組織を結ぶ鍵となっていたのです」
差し出されたそれを、エドワードが受け取った。裏返して文字を読んでいるようだ。
――此は汝らに富をもたらす鍵となる――
なるほど富とは麻薬だったわけだ。
リッツはため息を付いた。売人が麻薬中毒者になる事はよくある。あのただでさえ乱暴なウォード一家が、これ以上暴れ回るようになっていたとしたら、スラム街全体の大迷惑だ。飲みに行くのも面倒になってしまう。
厳しい顔をしておきながらそんなことを考えていた間にも、話は先に進んでいた。
麻薬組織の動きが最近更におかしくなったという。彼らは表向きならず者の集まりなのだが、幹部はそうでもないらしいのだ。
内偵者たちは、何とか本拠地を探ろうとしたのだが、なかなかそれを知ることは出来ず、その上どう関わろうと、中枢の幹部たちの顔を見ることすら出来ない。
せめて何か手がかりにならないかと幹部たちについて探りを入れたのだが、幹部への連絡役である人間が口を割ることはなかった。最近では、連絡役さえも滅多にスラム街へ顔を出さなくなったそうだ。
「しかし金も麻薬も動いている……」
ポツリと呟いたエドワードの一言は、静まりかえった議場によく響いた。
「それでは次に、査察部の報告を聞こう。ジレット」
「はい陛下」
ジレット査察総監は、化粧っ気の無い顔を引き締め、肩まである髪を軽くかき上げて、女性としては少々ハスキーな声で書類を読み始めた。
「査察部が調査していたのは、スチュワート元偽王による、国王暗殺未遂事件でございます」
それを聞いたとたん、憲兵隊側が目を見開いた。そんな話は前代未聞だろう。もしそのような事件が王宮内で起こっていたなら、間違いなく彼らが捜査に乗り出すはずだ。
「どういう事かね、ジレットくん! 何故そのような重要事件を我々憲兵隊、及び近衛兵に先立って君たちが調査しておるのだ?」
興奮のあまり立ち上がって唾を飛ばしながらまくし立てるエンゲルスに、ジレットは冷淡に答える。
「忘れておいでですか憲兵総監殿。我々査察部は国王陛下並びに宰相閣下、大臣閣下直属の部隊なのですよ。内密に事件捜査を進めるのは、当然(ヽヽ)です」
向かい合う二人のトップは、二人とも五十代。片方は猛烈な怒りを燃やし、もう片方は瞳に冷たい炎を燃やしている。そもそもこの二つの組織は犬猿の仲だ。
部下たちが慌てて双方を納めようと立ち上がった時、今まで黙ったままだったシャスタが顔を上げて、じっと二人を見据えた。
「陛下の御前ですぞ、見苦しいことはおやめなさい」
彼の冷静にして穏やかながら、厳しさを含んだ言葉は、二人に冷水を浴びせかけたのと同じような効果を生んだ。いがみ合う双方のトップは黙って席に座る。
「終わったかね?」
全く動じない国王の言葉に憲兵総監と査察総監は、身を縮めた。
「ではジレット続きを頼む」
「はい陛下……。我々は事件の後、内密に将官以上の全武官と省庁の長官以上の人物、及びに有力貴族たちの夏から秋にかけての移動状況を調査いたしました」
この中から、スチュワート邸で逮捕された召使いたちの証言などと一致する人物を絞り込んでいったのだという。
召使いたちは直接彼らの顔を見たことはなかったが、いつ、何人があの館に来たのかはよく覚えていたから、絞り込みは比較的スムーズに進んだという。
だがまだ捜査を初めて一ヶ月、そうそう全員の状況を調べられるわけではない。そんな中で、疑いが最も濃厚だと思われていた下級貴族の一人が他殺体となって発見された。
「死体の発見場所がスラム街だったことから、物取りの犯行として簡単に事件は片づけられました。下級貴族で貧しいとはいえ、被害者は貴族。ここできちんと捜査されていれば……」
後半は明らかにエンゲルスに向けられた嫌みであったが、エンゲルスは先ほどのこともありじっと耐えている。
「査察総監、続きを」
シャスタに静かな視線を向けられて、ジレットは咳払いをして話を続けた。
「我々はその事件を知って、被害者の家に捜索に入る許可を得ました。そこで見つけたのが、こちらです」
副官から受け取り、ジレットが差し出したものは、あの金の髪飾りであった。そして小さな小瓶……。
「髪飾りはひとつではありません、三つありました。明らかに彼は、これを配る側の人間だったのです」
自信に満ちた言葉に、エンゲルスは悔しがっている。大きな事件を抱えて他に手が回らず、見逃してしまった事が悔しい……という以上にその事件の重要物証を査察官に押さえられてしまったことが悔しいのだろう。
そんな彼を見下したように鼻で笑って、ジレットは続ける。
「そもそも彼は、国王陛下の暗殺などに関わることが出来るほど、貴族社会に馴染んでおらず、裏の社会を知っているわけでもありません。ですから彼はこの件と関わることで、もっと上の人間から利用されていたのではないでしょうか」
それを途中報告という形でまとめて国王に提出したところ、本日の会議への参加を求められた……とういうことだった。
「この二つの報告を聞き、余は一刻も早く麻薬組織を壊滅させるべきであるとの結論に達した。理由は分かるか?」
まだ自分の部署のことしか考えられない双方には、この二つを結びつける結論が出ないようだ。だがリッツには何となく読めてきた。
この麻薬を使った者は皆、自分が恐ろしく強くなったように感じ、破壊衝動を抑えられなくなった、といった。しかも筋力の増強効果があるという。
この麻薬を大量にこの街の井戸水に投与したら、一体どういう事が起こるだろう。暴動が起こる……いや、それだけではすまされないだろう。
――もしその人数が多ければ、無差別な殺戮が繰り広げられるにちがいない。
想像の中に広がる、血塗られたシアーズの街の光景……。
それにもし近衛兵に、もしくは王族の親衛隊に職務の直前これを服用させることが出来れば……麻薬の効き始めた兵士が、意志と関係なく王族を殺してしまう。それに気が付いたリッツは、エドワードを見た。
「無差別虐殺……か」
突然の恐ろしい言葉に、全員が今まで黙ったままだったリッツを見た。困惑しているようだ。だがエドワードはリッツに頷いてみせる。当たりだ。エドワードは口を開いた。
「この麻薬を、貴族が自由に城内へ持ち込める状況だとしたら、余と余の親族を殺めることは非常に容易い。しかも自分の手を汚さず、暗殺者に自分の存在を知られることなくな」
その言葉と先ほどリッツが口にした『無差別虐殺』で、全員が国王の置かれた状況を理解し、麻薬組織の早期壊滅が必要であるわけを痛感した。
「エンゲルス、ジレット」
「はっ!」
名前を呼ばれた二人と部下たちは、一斉に立ち上がった。
「事は緊急を要する。憲兵隊、査察部それぞれから一小隊十五人を選び出し、三十人の部隊として、一週間後に組織壊滅へ向かえ。これ以上の人数になれば、目立つ故、少数精鋭の組織とせよ」
「承知いたしました」
「くれぐれも内密に事を進めるよう頼むぞ。敵に知られてしまっては元も子もないからな」
「は!」
「この二つの小隊の指揮を執る人物は明日連絡する。憲兵隊、査察部どちらの人間でもないから、いがみ合う必要も詮索する必要もない」
「御意にございます」
深々と頭を下げる人々に、エドワードは頷き返した。
「頼んだぞ」
一礼してでていこうとする人々に、エドワードは思い出したように声を掛けた。
「……指揮を執る人物の相談役として、大臣の親族である青年に付いて貰うことになっている。皆の知らぬ人物だが、信頼に値する男であることは、余と大臣が保証する。それではよろしく頼んだぞ」
国王の意図が分からず、困惑しつつも頭を下げて憲兵総監、査察総監と部下たちはでていく。去り際にケニーだけがリッツを振り返って頭を下げた。彼にだけは大臣の親族の青年が、大臣本人であることが分かっているのだ。
三人と共に残ったジェラルドに、エドワードは立ち上がって語りかけた。
「ジェラルド、お前にこの部隊の指揮を任せようと考えている」
「……そんな……」
思わぬ事にジェラルドは絶句した。よろめきながら立ち上がると、真っ直ぐに父の顔を見つめる。
「父上、私は部隊の指揮なぞ取ったことがございません。私にはこのような大役……」
だが彼はエドワードから視線を外した。最後まで言い切ることが出来なかったのだ。
リッツとシャスタ、そして彼が尊敬して止まぬ父……王国救世伝説として、今も讃えられる三人の真っ直ぐな瞳に読み取れるのは、たったひとつのことだけだったからだ。
そこにはこう書かれている。お前が次の国王なのだと。この二小隊を率いることさえ出来ないのなら、お前は国を率いることが出来るのかと……。
「……考えさせて頂けませんか。せめて覚悟を決める時間が欲しいのです」
沈痛な面持ちでエドワードにそう告げると、エドワードも黙って頷いた。今までこのような状況に置かれたことのない王太子だ、迷って当然だろうとリッツは思う。
誰でも本当の戦いに出る前は、恐怖に震えるものだ。それは勇気ある者も、臆病者も変わらない。初めから人を殺めることに恐怖を感じない者を、人は殺人鬼と呼ぶのだろう。
一礼してでていくその後ろ姿に、リッツは深い苦悩を見た。




