アンナの大冒険<5>
Ⅷ
「逃げ切れたかな」
「逃げ切れてるといいね」
その頃アンナは、ジョーに連れられてあちこちの袋小路をグルグル回った後、狭い裏小路に積み上げられた荷物の裏に隠れていた。壁に届くぐらいに高く積み上げられた荷物は、二人にとって絶好の隠れ場所だった。
まだ男達の怒声が聞こえてくるから、二人で息を潜め、黙って男達が行き過ぎるのを待った。声はちょこっとづつ小さくなる。
ようやく声が聞こえなくなったところで、大きく深呼吸したジョーが、ここぞとばかりにアンナに文句を言い始めた。
「お前、何であそこであんなこと言うんだよ」
「? 何が?」
何を怒っているのか、さっぱり分からない。
「あいつらが探してる男を知ってるなんて、普通いうか?」
「だって、知ってるんだもん」
知っていることを知っているということは、正しいと思う。だけどジョーはその答えにがっくりとうなだれた。
「何かおかしい?」
「お前もうちょっと世間知った方がいいぞ」
見た目同い年だけど、本当の年齢では相当年下の少年に言われてると、ちょっぴり傷つく。
「だって、知っていることは素直に教えてあげた方がいいかなぁと思ったんだもん」
小声でそう抗議すると、ジョーは大声で怒鳴った。
「時と場合によるよ!」
言ってしまってから、慌ててジョーは自分で自分の口を押さえた。アンナも慌てて口を噤む。せっかくやり過ごしたのに、呼び寄せたら意味がない。
「何でこんな目に遭わなきゃ行けないんだよ」
「ごめんね」
何だか落ち込んだようなジョーの言葉に、思わず謝っていた。確かに自分にも責任の一端はあるかも知れない。
でも納得できないこともある。
「嘘ついたら駄目だって、お養父さん言ってたよ」
「……お前を育てたヤツ、神官みたいだな」
荷物にもたれかかって皮肉に呟いたジョーに、アンナは驚いて思わず顔を覗き込んでしまった。
「何で分かったの?」
がっくりとジョーが地面に手をついた。意味が分からない。
「あのね、皮肉言ったんだけど」
顔を上げたジョーがそう呟いた。
「え? 皮肉?」
何がどう皮肉かさっぱり分からないから聞き返す。脱力したようにジョーが説明してくれた。
「神官みたいに融通が利かない親だって言ったの」
「そうだったんだぁ」
「そうだよ。世間にはさ、知っているけど言わぬが花って事もあるんだよ。それを全部しゃべってどうすんだよ。特にこのスラム近くの街でさ」
「……何か……ごめん」
教会育ちのアンナからしてみれば、知っていることは隠し立てせずに素直に人に話すと言うのはとっても自然なことで、かえって隠したりすることは不自然だった。
全てをきちんと話した方が、全てきちんと上手くいくとお養父さんには教わってきたし、それはどこにいてもそうなのだと、そう思っていた。
そういえば前にリッツに言われた気がする。人を騙すウソと人を助けるウソがあると。人を助けるウソなら、それはいいことだって聞いた。これも同じ事なのだろうか?
もしかしたら本当に、ジョーに比べて自分は世間知らずなのかも知れない。何かちょっと落ち込む。
「難しいね」
ため息をつくアンナに、ジョーは肩をすくめただけで何も言わなかった。黙りこくってため息をつく二人の元に、人の声と足音が近づいてきた。そっと覗いてみると、それはウォード一家だった。
「くそ、あのガキどもどこへ行きやがった」
リーダー格の男が苛々したようにそう呻き、荷物を蹴飛ばした。思わず声をあげそうになったが慌てて自分の口を押さえる。
「兄貴、とりあえずひと休みしましょうぜ。おらぁ疲れちまった」
「そうさ。ここなら誰も来やしねぇ。人目を忍んで休むにゃあ、絶好の場所さ」
「そうだな」
荷物に隠れたままのアンナとジョーは無言のまま顔を見合わせた。どうやらこの場所はこのウォード一家お気に入りの場所だったらしい。とんでもないところに隠れてしまった。
「兄貴、あのガキどこへ行ったんですかねぇ」
「ちょこまか動きやがって、腹の立つ奴らだぜ」
ウォード一家はすっかりとこの場所に腰を落ち着け、くつろぎ始めている。
どうしよう、これでは逃げるに逃げられない。
ゆっくりとジョーの顔を眺めると、ジョーはすっかり青ざめている。まさか自分から大ピンチを招き寄せてしまうなんて、思っても見なかったのだろう。
でもこのままここに隠れているわけにはいかない。もし見つかってしまったら、物陰から出ることも出来ずに、そのまま捕らえられてお終いだ。
とりあえず、ここから逃げ出さなければ。
見つからないようにそろりそろりと荷物の影から顔を出して見ると、男達は荷物の上に腰掛けて、それぞれ皆のんびり道の向こうを見ている。アンナ達が通るのを見張っているのかもしれない。
今二人がいるのは、この男達の後ろに当たる。もしかしたら、ゆっくり後から出て荷物を積んである壁を静かに登れば逃げられるかもしれない。
そう思ったアンナは、一緒に外を覗いていたジョーを振り返った。周りを見渡していたジョーも同じ考えらしく、黙って頷く。
どう考えてもそれしか手段がないなら、やってみるしかない。
ぼんやりと道を見張っている男達の後から、物音を立てないよう細心の注意を払いつつ、二人は荷物の山を登り始めた。この荷物の一番上からなら、壁を容易に越えることが出来るだろう。
黙ったまま静かに、だけど急いで登る二人に男達は全く気が付いていない。
もう少しで登り切るというところで、二人はホッとしたように顔を見合わせた。
だがホッとしたのと同時に、集中力の糸がプツリと切れてしまった。特にこんな状況に全く馴れていないジョーは、もうすぐという気のゆるみが大きかった。
「あ……」
掴んでいた荷物が、ゆっくりとこちらへ倒れかかってくる。うっかりと軽い荷物に手をかけてしまったのだ。
「危ない!」
思わずそういってアンナはジョーの手を掴んだ。
「声……出しちゃった……」
思わず呟いてしまったが、すでに遅い。男達の視線は全てこちらを向いてしまった。
「こんなところにいやがったか!」
「とっつかまえろ!」
またもや大ピンチである。
「あと少しだったのに……ごめんアンナ」
「仕方ないよ、逃げよう!」
ようやく体制を整え直したジョーは、また箱を登り始めた。下の方から迫ってきた男達は、この荷物を登るのに悪戦苦闘している。
アンナとジョーぐらいの子供なら、崩れずに上手く登れた荷物だが、大人が登るには相当困難だ。何より体重差が大きい。
「大丈夫だアンナ、逃げられそうだよ」
「うん」
再び登り始めた彼らを見て、兄貴と呼ばれている男は、苛々したように怒鳴り散らした。
「バカ野郎! 登れなかったら足下から崩しちまえばいいんだよ」
男の言葉に子分達は頷き、早速下の方から荷物を崩しにかかった。
「揺れる! 落ちそう!」
「頑張れアンナ!」
二人で必死に荷物にしがみつくが、こちらは子供二人、そして敵は大人五人。敵うわけがない。
みるみる間に荷物の山が切り崩され、アンナ達が立っているところが徐々に低く崩されていく。頑張ってしがみついているものの、もうすでに限界だ。
このままもし男達の間に落ちたりしたら、一貫の終わりだ。なにせこの男達は、子供にだって平気で暴力を振るうとジョーが言っていたのだから。
「もう駄目だ……」
ぐらぐらと揺れる足下に、ジョーが絶望的な悲鳴を上げた。必死に荷物を登りながら何とかジョーを助けられないかと考えたが、アンナもついに力尽きた。
登れなくなってただ荷物にしがみつく。
「よし、いっぺんに荷物をたたき壊してやれ!」
「おう!」
絶体絶命ってこういう事を言うのかなぁ、とアンナは暗澹たる思いでそう思った。
いつもなら何かあればリッツが助けてくれるし、フランツも助けようとしてくれる。でも今は普通の少年、ジョーと二人っきりだ。
二人がしがみついた一角だけ残されていた荷物についに男達の手がかかった。
「もう駄目~」
だがその時、一筋の光明が見えた。
「待て!」
何者かが男達を止めに入ったのだ。
閉じた目を恐る恐る開けた二人の目に飛び込んできたのは、帽子をかぶって長い髪を無造作に縛った男と、剣を杖のようについている背の大きな男の二つのシルエットだった。
「なんだてめぇは」
男に聞かれて答えたのは、帽子の男だ。
「下衆に聞かれて名乗ると思うか?」
「貴様、馬鹿にしてんのか?」
その挑発するような、だが何か楽しんでいるような落ち着いた口調に、アンナは確かに聞き覚えがあった。困惑する人々の中で一人、アンナは嬉しくなってしまう。
「ふ、特別に名乗ってやろう……。俺はエドワード、この国の平和を守ってる正義の使者だ」
あまりにあまりなその台詞に、兄貴と呼ばれた男は口をあんぐりと開けたまま固まった。やっぱりエドワードは騒ぎが好きなのかも知れない。
「……そりゃあそうだけどよ……」
隣に立つもう一人の男……リッツが、エドワードに向かって呆れたような声で文句をいう。でもエドワードは素知らぬ顔だ。
「嘘ではあるまい?」
「まあな……」
確かにエドワードは嘘は言っていない。エドワードは確かにこの国を守っているからだ。
正義の味方としてではなく、国王としてだけど。
アンナの前身から、恐怖と緊張感が抜けていく。これで絶対大丈夫だ。リッツが来てくれたら、絶対に助かる。
アンナがホッとしながらそう思っていた一方、リッツはアンナの元気そうな姿を見て、胸をなで下ろしていた。
アンナに何かあったら、どの面下げてアントンに顔を出せるのかと、内心思っていたのである。なにせアンナを預かっている立場なのだから、
リッツにはアンナに関して多大な責任がある。それにこの純真無垢なアンナが、街のごろつきに何かされでもしたら、リッツは自分で自分が許せない。
元はと言えばリッツが撒いた種だからだ。
実はあの水の跡を追って、リッツ達はあっさりとウォード一家に追いついていたのだ。だがアンナとその友達とやらの姿を見つけることは、出来ないでいた。
とりあえずこの男達を捕まえて、引き渡すところに引き渡した後、ゆっくりとアンナ達を探そうとこの路地に入り込んできた矢先、荷物から落とされかけているアンナ達を発見したのである。
口を開けたままになっていた男が、首をブルッと震わせた。ようやく我に返ったらしい。
「怪我したくなければすっこんでな!」
思い切りドスをきかせて男はそういう。おそらく今までの相手はそれで彼らから逃げ去っていったのだろう。
だが知らないとは恐ろしい。一国の王と大臣を相手にどうする気だというのか。これでもエドワードとリッツは内戦で最強のコンビだったのだ。
エドワードは男の虚勢に、フッと含み笑いのようなものをもらした。思い切り楽しんでいるのがリッツにはよく分かる。
稀代の英雄と歌われる国王だが、本当はこういう奴だ。リッツがいない間どうだったかは知らないが、昔はよくこうして率先して、一緒に騒ぎに顔を突っ込んだ物だった。
「そうはいかん。子供達を返してもらおう」
エドワードは、すらりと剣を抜いた。刃先が薄明かりにキラリと煌めく。よく磨き込まれている物だということを相手に見せつけたのだ。
「返さんといったら、どうするんだ?」
だが男はそんなエドワードの仕草に気が付きもしせず、懐の短剣を抜いてエドワードに尋ねた。だがその答えを言うべきはエドワードではなく自分だ。
リッツはよろめきながら前に出た。日暮れ直後の薄明かりの中でも、男達にはっきりと顔が見えるようになっただろう。
「用があるのはそいつらじゃなくて俺だろう?」
男はリッツの顔を見た瞬間に、驚いたように息を呑んだ。流石に散々痛めつけられた男の顔は、ちゃんと覚えているとみえる。
「お前、昨日の……」
「そうだ。そんでお前が必要なのは、こいつだろう?」
防寒具のポケットからリッツは髪飾りを取りだし、掲げて見せた。
「兄貴!」
「やっぱりてめぇが持っていやがったか」
「ま、偶然だけどな」
リッツ達の登場で男達の視線がアンナ達からそれた。その隙に一瞬アンナを盗み見ると、気が付いたアンナが小さく頷いた。
アンナと少年はそろそろと荷物を降りて壁際に張り付いた。物音を立てなかった御陰で見つかってはいない。
この男達、この程度で今まで追っていた子供の存在を忘れてしまうとは、きっといつまで経っても出世できないに違いない。
まあその御陰で助かったが。
壁を伝ってそろりそろりと移動をするアンナ達を目の端に捕らえながらリッツは、よろめく体で鞘ごと剣を抜いて構えた。
この期に及んでも、やはりアンナとの約束を守り、無益な殺生は避けるつもりだ。
「それをこっちへ渡しな。ガキどもと交換だ」
「嫌だといったら?」
「決まってるだろう、ガキどもを殺す」
そういいながら後を振り返った男は、ようやくアンナたち二人が壁づたいに移動しているのを発見した。
「ちっ、ガキめ!」
呟いた男の声に、手下が慌てて子供を捕らえようとするが、手遅れだ。
「……返して欲しけりゃ、かかってこい」
リッツは髪飾りを防寒具の中に仕舞い、剣を正面に構えてアンナと少年に向かって怒鳴った。
「走れ!」
「うん!」
いうなりリッツはアンナたちと男の間を裂くように、男達の方へ向かって走った。アンナは必死で道路の方へと走り、少年はそれに倣う。
「リッツ! 無理するな」
そう隣を走るエドワードが言った。
「お前こそな、ご老体」
二人で男達の元へ突っ込むと、片っ端から剣を振るった。いつもの大剣と違って軽い。でも目眩で重心がとれないから、もの凄く扱いづらい。
それでもこんな奴らには十分だ。
馬車の襲撃以来久々にエドワードと共に戦うが、流石は元は相方、動きやすい。コンビネーションがないようで、しっかりと連動した動きを取っているのだ。
エドワードは剣で短剣を器用に跳ね飛ばし、戦意を失わせ、リッツは武器が無くなった男達を力業で沈めていく。熱があって上手く動けないこんな時には、この動きは非常にありがたい。
どんなに離れていても、やはりエドワードは親友で相棒なんだなとしみじみ実感し、王都にかえってきたことを噛みしめた。
一方のアンナは、ようやく一息ついていた。
この騒ぎの最中、安全なところに落ち着いた二人が振り返ると、すでに今までいた荷物置き場は乱戦状態に陥っていた。
勿論混乱しているのはウォード一家の方だけで、リッツとエドワードは彼らの攻撃を受けたり、ペースを乱されたりなどしない。
さしてスピードはないが、全ての動きに無駄がなく見事な剣捌きを見せるエドワードと、とにかく力業でねじ伏せる風邪引きのリッツ。
初めてその二人を見たジョーは目を見張り、完全にその二人の動きに飲まれてしまっていた。
アンナもリッツが大剣以外を使用しているのを初めて見たから物珍しかった。大剣と違って、総ての動きが速いんだなぁと、素人ながらそう思う。
「あれがアンナの仲間かよ」
呆然としたようにジョーが呟いた。
「うん。そうだよ」
「……すっげぇ……すごすぎ!」
上気した顔でジョーがそう叫んだ。仲間が褒められて、何だかとっても嬉しい。
ジョーとアンナの二人が逃げ回ることしかできなかった相手を、リッツとエドワードはものの数分で片付けていく。
「すっげ~、プロの傭兵みたいだ!」
ジョーが感極まったように吐息混じりでそういった。でもリッツは元々傭兵隊長さんだったんだよ、とは言えなかった。あまりに興奮しているジョーには、そんなことを言う暇がなかったのだ。
アンナは再び仲間に目をやった。
そんな風に憧れられているとはつゆ知らず、リッツは目眩でくらくらしながらも剣を振るっていた。
手元が狂うせいで、全く手加減が出来ない。もし鞘を取ったりしたら、間違いなく皆殺しにしてしまう。
アンナと見ず知らずの子供の前で、大領殺戮はまずすぎる。
「怪我したくないヤツは降参しろ! 俺は今日手加減できねぇんだ!」
リッツは一人、また一人と力任せの一撃を足なり腹なりに打ち込んでいく。
「ううっ……」
食らった男達は立つことも出来ずに床に突っ伏して呻いている。
数分後、残ったのは、あの兄貴と呼ばれたリーダー格の男だけだった。剣を構えたリッツに怯えながら、じりじりと男は下がった。
「あの髪飾りはヤバイ物らしいな」
もし本当に何らかの密売をおこなう鍵となるのなら、国王と大臣として放っておくことは出来ない。それにアンナを助けに来て、この髪飾りの持つ意味まで分かったならば、一石二鳥ではないか。
それはエドワードとて同じ考えだったらしく、長く話せば咳き込むリッツに代わり、一歩前に出た。
「さあ、話してくれないか?」
剣を抜いているエドワードが、そう男に詰め寄った。
「うるせぇじじい! 関係ねぇだろう!」
「……じじい?」
その瞬間、男は言ってはいけないことを言ってしまったのに気が付いたようだった。
「ほう……私をじじいと……?」
男は血の気を失って紙のように白くなる。吹き出しそうになりながら、リッツは必死で堪えた。
ちらりとエドワードを盗み見ると、目が今までの楽しげなものから、ギラリと冷たい光を放つものに変わっている。
こりゃあ怒ってるな、とリッツはなおも可笑しくなった。自分では年寄りだと言うこともあるくせに、こういう言われ方をすると腹が立つのだろう。
そこのところはリッツと一緒だ。
「……今じじいといったな? この私のことか?」
だが子分達の手前、男は這いつくばって謝ることもできないらしく、必死で強がった。
「じじいにじじいといって何が悪い!」
「……いい覚悟だ」
エドワードは、素早く剣先を男の首筋に当てた。その素早い動きに、男の目はついて行けずに、目が泳ぐ。
「ど、どこに……」
剣の行方に焦る男だったが、首筋に冷たく当たる金属の感覚が、男に全てを理解させた。エドワードは、剣を男の首筋に当てて軽く叩いているのである。
「ひぃっ!」
首をピタピタと撫でる金属の感覚に、男は小さく悲鳴を上げる。
「動くなよ、若造。剣を引いたならお前の首が落ちるぞ」
こうなると、もう子分達への見えもへったくりもないだろう。
「話す! 全部話す! 殺さないでくれ!」
「ほう……その前に言うことがあるだろう?」
「あ、あんたは若い! じじいなんて言って悪かった。許してくれ」
恐怖のあまり男の膝はがくがく震えた。彼はエドワードの性格を知らない。本当に斬られると思っているのだ。
でもリッツには分かっている。エドワードは本気ではない。これは完全にお遊びだ。
「エド、遊ぶのはよせよ」
「この男に目上の者に対する礼儀を教えたまでだ」
「どうだか……」
エドワードは、剣をスッと戻して鞘に収めた。それと同時に男はへなへなとその場に座り込み、惚けたように目を見開いて気を失った。
「……ほら見てみろ。小物相手に可哀相だろ?」
本気で同情などしていないが、そういって肩をすくめてみせた。
「そうだな。所詮小者だしな」
とりあえず事が済んだリッツは、アンナの方を振り返った。
「無事かアンナ」
「うん!」
「どこも怪我してないか?」
「大丈夫だよ」
どこまでも陽気なアンナの返事を聞いて、リッツの力が急に抜けた。膝から力が抜けるとは、こういう事を言うのだろう。
今までは緊張感で何とか持っていたが、それが無くなるといままでの反動がどっと出る。
そういえばエヴァンスにかろうじて立てるようにして貰っただけで、本当は立てる状態ではなかった。思い出すともう駄目だ。
「アンナ……」
声に出すと異変に気が付いたのか、アンナが慌てたように駆け寄ってくる。それを確認できぬまま、ゆっくりと視界が斜めになっていく。
「リッツ!」
「風邪が治ったら、説教だ……」
「おい、リッツ!」
そのまま視界が真っ白になった。思い切り地面に叩き付けられて、もの凄く痛かったが、もう何とでもなれという気分だ。
「リッツ!」
慌てて駆け寄ろうとしたエドワードとアンナの声を最後に、意識が遠のいた。
目の前でリッツに倒れられたアンナは慌てた。
かろうじてリッツの頭が地面に叩きつけられる前に受け止めて、リッツの頭は今アンナの膝の上にある。
しばらくして、馬の駆けてくる音が聞こえた。足音はこちらへ徐々に向かってくる。全く意識のないリッツの頭を撫でていたアンナは、顔を上げてそれを確認した。
「ヤバイ、憲兵だ!」
ジョーが慌てたように狼狽え始める。
「どうしたの?」
尋ねると、ジョーはこちらに向かって怒鳴った。
「このままでは喧嘩両成敗で掴まっちまう!」
「……何で?」
「何でって……」
狼狽えるジョーを見てからエドワードを見ると、エドワードは穏やかに笑っている。どうやらジョーの言っているようなことはなさそうだ。近づいてくる馬の上に、アンナは見覚えのある軍服姿の人物を発見して手を振る。
「あ、ケニーさんだ! ケニーさ~ん」
「え? 知り合い?」
呆けたようにそう聞いたジョーに、アンナは笑顔で頷いた。
「うん。お友達だよ」
「!」
ケニーの後には、必死でケニーにしがみついている人影が見える。その人影はアンナの呑気な呼びかけに、虚ろな目をあげた。フランツである。
「フランツも来たんだ!」
「アンナ……」
恨みがましい顔でフランツがこちらを睨んだ。どうやらまたまたフランツに心配をかけてしまったようだ。反省しなければ。
ようやく馬から下りたフランツは、その場に立ってぜいぜいと荒い呼吸を整えている。
「御無事ですか!」
馬を下りたケニーが、青い顔で髪を振り乱してエドワードに駆け寄って尋ねた。
「ああ。リッツ以外はな」
言われて初めて、アンナの膝を枕に意識を失っているリッツに気が付き、ケニーは益々青ざめた。
「! 何があったんですか! 大丈夫ですか?」
エドワードは肩をすくめて、ケニーに事情を話している。
「風邪で倒れただけだがな。気が抜けたんだろう」
「……先に言ってください。寿命が縮まります」
大きなため息をつき、流れた冷や汗を拭いながら、ケニーは手綱をエドワードに手渡した。
「ん? なんだ?」
困惑するエドワードに、ケニーは小声で耳打ちした。
「宰相が探しておいででした。急いで戻った方がよろしいでしょう」
「うむ……感づかれたか」
エドワードが呻く。
「どうしたんですか?」
「シャスタが探しているらしくてな」
苦虫を噛みつぶしたような顔に、ついアンナは吹き出した。きっとエドワードは帰ったらどこに行っていたのかと白状させられた上、説教を食らうのだろう。
前にリッツに聞いたのだが、怖いもの知らずのエドワードとリッツのコンビに説教が出来る人は、シャスタとエドワードの妻パトリシアしかいないそうだ。
「……最後まで見ていたかったが仕方あるまい。報告はあげてくれ」
「かしこまりました」
エドワードは渋々馬に乗り、こちらを振り返った。アンナとエドワードの目が会う。アンナはにっこりと笑うと頷いた。
リッツの事は任せてくださいと、暗に伝えたのだ。それが分かったのか、エドワードは微笑んで馬首を城へと向けた。
「では後は任せる」
「はっ」
去っていくエドワードの後ろ姿を見守りながら、アンナは膝の上にあるリッツの頭を撫でる。黒髪は結構堅いんだなと初めて知った。
何故だかほんわりと幸せな気分になった。いつもはアンナを子供呼ばわりして、決して内面を見せてくれないリッツが、アンナの膝の上で眠っている。
こんな風に無防備にされるがままになってくれることは滅多にないから、ちょっと楽しい。それにこんなに体調が悪いのに、アンナのために来てくれたことが、とても嬉しかった。
リッツは本当に優しい。
「アンナ……」
呼ばれて見上げると、不機嫌そうな顔をしたまま腕を組んでアンナを見下ろし、文句をいっているフランツの姿がいた。
「えへへ。ごめんね」
「笑って誤魔化すな」
フランツは大きなため息をついた。どうやらフランツにもとても心配させてしまったようだ。
アンナは周りを見渡した。ジョーはおろおろと歩き回り、ケニーと共に来た憲兵は、倒れているウォード一家を縛り上げて、連行する準備をしていた。
これで一件落着だ。何はともあれ、アンナ迷子事件は、ここに幕を閉じたのである。
Ⅸ
事件の後、リッツは昏々と眠り続けていた。
自分がシチューを買わなかったせいか、それとも無理をさせてしまったからなのかと、アンナは気が気ではなかったけれど、フランツには、そもそもアンナが買い物にいったのが原因だと怒られた。リッツの熱に浮かされた寝言を真に受けたのだとフランツはいうのだ。
それならそれで申し訳ない。リッツの役に立とうと思ったのに、結局リッツに迷惑を掛けてしまっただけなのだろうか。
リッツの目が覚めればその答えを教えてくれるだろうから、早くリッツの目が覚めればいいのに。
その間、事件はもの凄い早さで処理されていた。
まずウォード一家。
彼らは憲兵に連行され『陽気な海男亭』主人への暴行容疑及び、とある有名な密輸団への協力容疑で厳しく取り調べられている。その密輸品は、某国から流れ込む麻薬だそうだ。
どうして彼らがその密輸団に加わることが出来たのか、そこのところが重要となってくるらしい。
勿論あの鍵は証拠品として、リッツの防寒着から取り出されて憲兵に渡されている。その際にケニーによる配慮で、その場で彼らを伸した人物に関しては全く表に出ることはなかった。
まさか国王と大臣だと言えるわけもない。もし言ってしまったなら、大騒ぎになりかねないのだ。だから黙っていたほうがいい。その後にケニーが笑ってこういった
「知らない方がいい事が、この世には結構あるんだよ、アンナちゃん」
そういうケニーは何となく、知らない方がよかったことを沢山抱えて苦労していそうな気がする。
そして分かりづらいあの場所に、すんなりとケニー達がたどり着いた理由も聞いた。『港湾地区案内所』なる組織の老人から、憲兵に通報があったのだそうだ。
その老人は憲兵隊の中では有名な人物で、あの地区で起こった事件なら、彼に聞くのが一番早いともっぱら重宝がられている情報屋なのだそうだ。
そもそも憲兵隊はスラムや港湾部の事件をつぶさに解決することは出来ない。普段は色々な小さな事件や物事を、この港湾地区案内所が引き受けているのだそうだ。
その話を聞いて、アンナはその人物が誰だか分かった。アンナとジョーを助けてくれたあのおじいさんだ。
アンナも知らなかったけど、老人は自分の元に転がり込んできた子供二人が気になって自分の手飼いのものに後を追わせていたらしい。
その御陰で憲兵隊とケニー、フランツは素早くあの場に到着できたのだった。
そんな風に事件が処理されていく中、この家にも変化が起こっていた。一人住人が増えたのだ。
ウォード一家が連行された後、ケニーとフランツ、憲兵隊の一人によってようやく馬に乗せられたリッツと共に家に帰ろうとしたアンナに、ジョーが切り出したのだ。
「俺、帰るよ」
「待ってよ、ジョー。帰る前に家を教えて。遊びに行くから」
慌ててメモ用紙を取りだしたアンナに、ジョーは困ったような顔をして頬を掻いた。
「……家なんて、ねぇよ」
「え?」
「軒下とか、日雇いで住めるところを探して、転々としてるんだ」
アンナは言葉を失った。ジョーは何となく気まずい顔をしながら踵を返した。
「じゃあな」
「待って!」
歩いて行きかけるジョーの服を、アンナは反射的に掴んでいた。
「今日だけ、今日だけウチに来なよ。だってほら今日はもの凄く疲れたでしょ? ゆっくりお話も出来なかったもん。ね、ウチにおいでよ」
「だけど……」
言いよどみながらジョーは無表情なままのフランツを見た。何だかやけに緊張したような顔だ。
「フランツがどうかしたの?」
「……そうじゃないけど」
言いよどむジョーをじっと見ていて、ようやくその理由に突き当たった。
アンナは慣れているけど、初対面でこの機嫌の悪さのフランツを目にしたら、絶対に怖いに違いない。
もしかしたら、嫌われているように感じるのかも。
「フランツなら平気だよ」
「でも……」
言いよどむジョーに、アンナはにっこりと笑って見せた。フランツに怯えているジョーを安心させるべく、アンナはフランツにニコニコと話しかけた。
「ね、いいよね今日泊まっても。あのね、ジョーはね、私を助けてくれたんだよ。だからいいよね?」
「……僕は構わないし、リッツも構わないだろうね」
フランツの表情は相変わらす変わらないが、アンナには彼が、承諾してくれていることが分かった。
「よかった。ジョー、いいって泊まっても」
ジョーは全くフランツの表情の違いが分からなくて困惑したらしいが、何となく納得してくれた。
そんなわけで一泊泊まりに来ただけのはずのジョーだったのだが、これがまた意表をついた展開になってしまう。
家にたどり着くと、待ちかねたようにアニーとエヴァンスが飛び出してきた。
『アンナ! 無事だったのね!』
「何でそんなに心配してるの?」
『当たり前でしょう! もう、本当に心配したのよ!』
涙ながらにアンナをしかりつけたアニーの姿を見て、ジョーは完全に固まった。そういえばアニーは体が透き通っているのだった。
「……幽霊?」
よろりと一歩下がってしまったジョーに、アンナは笑顔でアニーを紹介した。
「うん。ウチのお手伝いをしてくれてるアニー」
『よろしくね』
「今日ね、泊まっていくの」
『分かったわ』
「……」
初めて幽霊を見たジョーは固まったままだ。
そんなジョーに困ったように小首を傾げていたアニーだったが、アンナから事情を聞いてにこやかに笑い、手をさしのべた。
『いらっしゃい』
ジョーは恐る恐るその手を掴み返した。身震いしたのはアニーの手の冷たさに驚いたからだろう。
「お、お邪魔します」
その瞬間、アニーはハッとしたような顔をした。小さく首を傾げて、それからふんわりと微笑んだ。
『あら、女の子なのね。替えの服、ないかも』
「え?」
その場にいたジョー以外の全員が絶句した。
「女の子?」
「……悪いかよ」
ふて腐れたようにジョーがそっぽを向いた。
「えっと、ジョー、名前教えてよ」
「ジョセフィン、みんなジョーって呼ぶ」
「ジョセフィン!」
そしてその日からジョーことジョセフィンは、この家でエヴァンスの養女として暮らすことになったのである。
まさか自分も、散々アンナに文句をいっていた『神官』に育てられることになろうとはジョー自身も、予測していなかったそうだ。
Ⅹ
リッツが目を覚ましたのは、それから二日後だった。無理をしたせいか、全く意識が無く、熱に浮かされていたらしい。
目が覚めるとすぐにもの凄い勢いで食事をし、ようやく人心地着いたところで、ケニーが持ってきていた報告書に目を通した。
大体の報告書に目を通し、事件の概要を掴み終えたところで、アンナがショートヘアの少女と共に部屋にやってきた。俯いたその少女に見覚えはない。
だがあえて何も聞かずにアンナに微笑みかけた。
「ようアンナ。心配かけたな」
そういうと、アンナは涙目で首を振った。アンナはおそらく自分のせいでリッツが寝込んだと思っているのだろう。
でもリッツの自業自得なのだ。悪かったと心の中で反省する。元はといえば喧嘩をした上、庭で寝てしまったり、うわごとでシチューが食べたいといいだした自分のせいで、アンナには何の罪もない。
アンナがそっとリッツのベットに手をかけて覗き込んでくる。本当に心配していたようだ。
「もう大丈夫なの?」
安心させるために、アンナの頭に手を乗せると、優しく叩く。
「勿論だ。お前と一緒にいたあの子、どうした?」
リッツは隣の少女を見ながらそう尋ねた。アンナの友達だろうか? 小綺麗で質素なワンピースに身を包んでいる。
「ここにいるじゃん。ジョーだよ」
何を言われたか一瞬呑み込めず、黙ってしげしげと少女を眺めた後、リッツは頭を掻いた。
「……女の子だったのか。俺はてっきり……」
「どうも」
まだまだ言葉遣いがぞんざいなジョーに、リッツは笑った。どうやらこの格好も好きでしているのでは無いかもしれない。
アンナはジョーが孤児であること、この家に住むように薦めたことを話した。
「それでね、エヴァンスさんがね、それなら養女にって。子供はできないから丁度いいって言ってたよ」
「そうか」
幽霊と神官では確かに子供は無理だ。それはそれでいいかもしれない。
実をいうと、リッツはその先のことも考えている。まだフランツやアンナにも伝えていないが、彼らは春先に王都を出る。その際にエヴァンスにこの屋敷を渡すつもりなのだ。近い将来この家はエヴァンスの元に返る。その時に養女でも家に住むものがいてくれるのはいいことだ。
アニーとエヴァンスだけではこの家は広すぎる。
「あのねリッツ、ジョーがリッツにお願いがあるんだって」
「ん? 何だ?」
ベットに体を起こして座っていたリッツに、ジョーは歩み寄った。
「俺、傭兵になりたいんだ。剣を教えてくれ」
「は?」
「すっげー格好良かったんだ、あんたの剣! 俺将来傭兵になる!」
「……本気か?」
「うん!」
ワンピースにこの言葉遣い、そして傭兵になりたいとは……。
養父エヴァンスは苦労するに違いない。
「駄目かな?」
「……分かった。何とかしてやるよ」
「やった!」
最初のリッツの仕事は、この少女に剣を教えることになりそうだ。
そんなわけで城での仕事だけでも大変なリッツは、また一つ宿題を抱えてしまったのだった。
これで5巻が終了です。お読みいただきありがとうございました。
久しぶりにコメディ要素多めでしたが、いかがだったでしょうか?
さてさて次巻は6巻『月光桜の誘惑』になります。
この巻は、完全にシリアス展開で進みます。いうなれば、王都編の一番の山場となるお話です。
国王暗殺を企むのはいったい誰なのか、それを止めることがリッツにできるのか。
過去の遺恨に巻き込まれたアンナとフランツは……。
またいつも通り、序章と第一章同時公開です。
お楽しみに~。




