<10>
ついにその日の朝がやって来た。
三人と、その周辺の人々の中で眠れたものは誰もいなかっただろう。
例外というものは大体どんな時も存在するが、この日ばかりは例外はいなかった。
場慣れたリッツでさえも、うっかりフランツを真っ二つにしてしまう夢を見て、何度も飛び起きたほどだ。リッツがそうなのだから、フランツなどは、ほとんど眠れなかっただろう。
リッツがルサーンやその手の者たちに連れられてその広場に着いたとき、すでに街の人々は皆集まってきていた。
シグレットとルサーンの部下達によって、観客は全て中央広場の中心から離れ、店先ぎりぎりに立っている。怪我をするのはリッツたちだけで十分というところなのだろう。
広場を廻る馬車の乗客たちも、何事が始まるのかとこちらを見て身を乗り出していた。リッツが考えたとおりのお祭り騒ぎだ。
といってもお祭り騒ぎのふりだけしようと思っていたのに、こうなるとは夢にも思わなかった。
広場の片隅には、アンナが縛り付けられている椅子があり、その横にシグレットと、フランツそしてフランツを見張るようにシグレットの取り巻き達がいる。
リッツは観客に目をやり、遠巻きに眺める人々の中でしっかりと最前列を確保したネットやディル、リラの姿を見た。彼らも緊張をみなぎらせて、やつれた顔をしている。
偶然泊まってしまったばかりに迷惑をかけてしまい、何だか申し訳ない気分だ。
それからリッツはゆっくりとアンナとフランツに目を向けた。二人とも予想した通り、ひどい顔をしている。
縛られたまま椅子に座っているアンナは寝ぼけたのか、三つ編みが恐ろしく左に傾いているし、フランツは目の下にくっきりと隈を作っていた。
大丈夫だろうか、特にフランツは。多大な不安がよぎったが、ここまで来たら後には退けない。
大勢の人のざわめきが響く中で、一人の人物のよく通る毅然とした声が広場に響き渡った。
「こんな朝から何の騒ぎだ」
人々の間をかきわけて現れたのは、ヘレボアと数人の部下達だった。彼らは堂々と広場の中央まで進み出る。
そんなファルディナ駐留部隊を取り囲むように前に立ちはだかったのは、ルサーンとシグレットの手の男達だ。
「何だね、君たちは!」
彼らは街のごろつきだが、正規の部隊を前に一歩も引かなかった。この街では駐留部隊よりも彼らの雇い主の方が権力者なのだ。
「何をしておると聞いているのだ!」
この作戦に関わっているから全て分かっていながらも、大声で事の次第をただすヘレボアに、広場の片隅から悠々と歩み寄ったのは、ルサーンとシグレットだった。
「なぁに、隊長さん。すぐすみますよ、邪魔しないでいただきたい」
横柄なルサーンを脇に無理矢理寄せて、シグレットがヘレボアの前に立った。
「ヘレボア隊長、宝の噂を知っていますね? 約束しましょう、我々は以後けっして二手に分かれて争わない。ただし、この一騎打ちが妨げられずに終わったらね」
「どういう事だ」
眉を寄せるヘレボアの受け答えは、本当に何も知らない人のようだ。さすがは駐留部隊長まで上り詰めた男である。ヘレボアは、苦々しい顔でルサーン達の顔を交互に見て、吐き捨てるように言った。
「私的決闘は、禁じられている。それでもやるかね?」
「私的決闘ではありません、正当な権利を争うため街人全員の意志で行われる戦いです」
ヘレボアは顔を紅潮させた。彼は演技ではなく、本気で怒っている。
「本当に住民全員の意志だな?」
確認するように睨みを利かせるヘレボアに、ルサーンとシグレットは笑みを浮かべながら、観衆を眺め回した。街人達は戸惑ったように、お互いの顔を見合わせている。
「ならばお前達が戦えばよかろう。何も旅の人間を使うこともあるまい」
だが正論を口にしたヘレボアに、彼らは薄笑いを浮かべて何も答えなかった。自分自身が危険な目に遭うことが嫌なのだ。だが宝は欲しい。しかも独占したい。
だから自分の欲望のために、本気で代理人に決闘をさせることに何のためらいもないのだ。
ヘレボアの目が恐ろしく鋭く光った。この馬鹿げたお芝居が済んだ後、この二人がどうなるのか、リッツはまだ知らない。だがこの様子からするとただでは済むまい。
「分かった、では私が公正に立ち会おうではないか」
ヘレボアはそういうと、こちらに歩み寄ってきた。そしてリッツに向かって小声で呟く。
「本当に決闘まで至ってしまうとはな」
「仕方ないさ」
「持ちこたえてくれ。査察官が来れば君たちを我々は英雄として伝える」
リッツは苦笑した。
「大佐。俺はもう英雄をやるのはこりごりなんだ」
リッツの本音だった。リッツは昔、人々からそう呼ばれたことがあった。トゥシルではない、もっともっと昔だ。疑問の目を向けるヘレボアから目を逸らすと、ヘレボアはそれ以上何も言わずに、フランツの元へ向かった。聞き取れないが何かを話しているらしい。
それからアンナの元に歩み寄り、シグレットを睨みつけた。
「この娘はほどいてやれ」
ヘレボアがシグレットに毅然と申し渡すと、シグレットは鼻で笑った。
「勿論いいですよ。逃げない保証があればね」
ヘレボアは再びアンナに向かい合った。
「逃げないだろう?」
「はい」
アンナは元気に答えてから、小声でヘレボアに何かをささやいている。その声は広場の体面にいるリッツに聞こえるはずがない。
アンナの縄を部下に解かせると、ヘレボアは人々の方を振り返った。ゆっくりと街人たちを見渡す。
「街の諸君、君たちは今まで他人の宝という、自分には関係ないことで争ってきた。そして今、ルサーンとシグレットが互いに雇った男を決闘させ、宝の交渉権を争おうとしている。これが君たちの意志か?」
その言葉に、街の人々のざわめきがぴたりと収まった。代わりに不安そうな表情を浮かべてお互いを無言で見つめ合っている。彼らに向けてのヘレボアの言葉は更に続く。
「彼らは命をかけて戦う、だから君たちも誓ってくれ、この馬鹿げた争いの後、サバティエリの家に危害を加えないということを」
燃えるような怒りを抑えながらも、冷たく厳しいその言葉に、街の誰もが視線をさまよわせ、俯く。そんな街人を見渡しながら、ヘレボアは更に厳しい言葉を投げかけた。
「それからこれを忘れないでほしい。この若者達の生死は、君たち全員の責任となる。彼らの上に死が訪れたとき、君たちは自らの欲によって一人の若者を殺した責任を問われる」
ヘレボアは真っ直ぐに人々を見据えて、再び強い口調で告げた。
「覚えておくがいい。君たちは自らの欲のために、どちらかの若者を殺すのだ」
隊長の声に、住民達は静まりかえった。彼らはようやく自らの手が届くことなど無いはずの他人の宝を勝手な理由を付けて我が物のように議論し、ていたことに気が付いたのだろう。
そして今、目の前で何の関係もない若者たちの命が賭けられていると言う現実の重さに、恐怖している。
「ふん、能書きはいい、早く始めるぞ」
だがシグレットのひと言で、この状況を止めようという住民は誰もいなくなった。
「その通りだ。勝った方が宝の交渉権を得る、それでいいんだよ。わしが勝つんだからな!」
この二人に逆らえる人間は、この場にいなかった。彼らはこの二人を恐れていた。この街の有力者である二人共を敵に回すことの恐怖を、全員分かっているのだろう。
「では始める。両者、前へ」
リッツとフランツは、お互いに広場の正面まで進み、久しぶりに正面から相手の顔を眺めた。
「まず握手をしてくれ」
ヘレボアの言葉に、素直に従う。手を握った瞬間に、リッツはフランツに小声で語りかけた。
「順番、忘れんなよ。忘れたらお前死ぬぞ」
フランツも短く答える。
「分かってる」
手を放すと、二人は静かに数メートルの間合いを取った。フランツの手には不思議な形状の物が煮きられていた。その正体が分からない。
神経を尖らせて見ていると、フランツは無意識にか、腰に差されたもう一つの武器に触れた。そこにはヘレボアのレイピアがある。彼にとってお守りのようなものかもしれない。
「王都防衛部辺境派遣隊、ファルディナ駐留部隊長ヘレボアの名にかけて、公正な勝負であらんことを」
ヘレボアは、リッツとフランツの顔を交互に見つめ、黙ったまま小さく頷いた。二人も、小さく頷き返す。
「始め!」
静寂の中で、ヘレボアの声だけやけに大きく響き渡った。ギャラリーは、先ほどのヘレボアの言葉のせいか静まりかえったままだ。
「さあ、どうする?」
小さく呟きを漏らしながら、リッツはフランツの動きに注意を払いつつ、ゆっくりと背中に背負った大剣を抜き取り、鞘を投げ捨てた。
この間鞘ごととれる仕組みにしたせいで、具合が悪くてこうするしかないのだ。
乾いた重い音が、いやに大きく響く。両の手にずっしりと馴染んだ両刃の大剣が、鈍い光を放った。
まさか真剣でフランツと立ち回るとは、夢にも思っていなかったが仕方がない。ようは、大怪我を負わせなければいいのだ。
「よし」
フランツも小さく呟き、短く縮めてあった槍を右手で構え、左側から、勢いを付けて右へと振った。槍が小気味いい音をたてて伸びると、カチリと音を立てて止まった。
「……なんだそれ」
二メートル近くに伸びた槍を、リッツは呆然と見つめた。そんな奇妙な武器は見たことがない。伸び縮みをする槍なんて、強度は大丈夫なのだろうか。
出方を見ながらまだ動かないリッツに、フランツは一瞬目を向けたが警戒心をそのままに、すぐに精神を槍の先に集中させた。
「炎よ、槍に宿り、我が力となれ」
フランツの一言で、リッツは理解した。付与魔法だ。彼は槍に炎を宿らせて、自分の非力さをカバーするつもりなのだ。
彼の持つ不思議な槍の先三〇センチほどの刃に、赤々と燃え上がる炎が宿った。
「おいおい、マジかよ。いつ覚えたんだそんなこと」
リッツの独り言は、もはやフランツには届いていないらしかった。恐ろしいくらいに集中した目に、リッツは小さくため息を付く。こうなったときのフランツは大変に危険だ。
集中してもいい、真剣勝負でもいい。頼むから打ち込む順序を忘れないでくれと祈る。
「つまり炎にあたらなきゃいいって事か」
いくらリッツといえども、服に火を付けられてはたまらない。だから上手くギリギリで避けつつも、炎は避けなくてはならない。
「リッツ、行くぞ」
フランツは真剣な目で、意識をリッツの姿、ただ一点を見据えた。おそらくもうリッツ以外に何も見えないに違いない。
そんなフランツの様子に、リッツは眉をひそめた。もしかするとこの状況では、観客の安全をも図りながら戦わなければならないかも知れない。
フランツは炎の精霊使いだ。
しばし周りの状況を確かめつつ、リッツはフランツとの差をじりじりと縮めていった。
静寂が彼らを襲う。
状況を全て頭にたたき込むまでは動けない。しばらく二人は睨み合ったまま、時だけが流れた。
ようやくリッツは、フランツに向き直り、大剣を構えた。
「こい!」
こうなったら、何とか時間を引き延ばすしかない。リッツは決心を固めた。
フランツはものもいわず、必死の形相でリッツに向かってつっこんできた。型なんてあったもんじゃない。
「くっ……」
槍の中程を剣先で押し戻しながら、フランツに冷静になるよう話しかけようとしたが、彼の目を見てそれはやめた。
すでにリッツの声など聞こえはしないだろう。
僅かに届いた槍先の炎が、チリチリとリッツの前髪を焦がす。炎を避けつつ、体を沈ませてリッツは剣身を槍の柄に沿って滑らせた。
力任せに押すだけの、フランツはリッツのその一瞬の動きによろける。そこをねらってリッツは槍を力任せに右手に払いのけた。
「あっ!」
対応しきれずにふらつくフランツに、リッツは、決めていたとおり右から剣を繰り出す。フランツはよろめきながらも必死で右に飛んでそれを避けた。
これなら打ち込んでも大丈夫そうだ。そのままフランツの隙をついて再び右へ。
「あっ!」
フランツが驚愕の声をあげた。一瞬何が起こったか分からなかったようだ。驚いたのはフランツ以上にリッツである。
フランツの避ける速度が、想像以上に遅い。剣は思い切りフランツを掠め、脇腹の部分の服を切り裂いた。
万が一もう少し避けるのが遅かったら、中身も少し切れていただろう。
「……早い」
フランツがぼそりと呟いた。手加減してもなお、早いリッツの動きに警戒しながら、彼はじりじりと後に下がり、再び体勢を整える。
必死でリッツの隙を探そうとする視線に気が付き、リッツはわざと隙を作った。フランツが戸惑ったように、瞳を泳がす。
勿論それはリッツの作戦である。フランツは集中しすぎて、打ち込める場所しか探していない。だからそれを逆手に取ったのだ。次に打ち込むのと反対方向を開けておけば、必ず彼はそこに突っ込んでくる。
予想通りフランツは、揺れないよう体に引き寄せて支えている槍で、がむしゃらに右へ突こうとした。
すかさず、リッツは剣を斜めに構えて、刃の中央で槍先を受け止めた。
今度は槍先の炎すら、全くリッツに届いていない。
「まだまだ甘いよ、お前」
言うが早いか、槍を上に向かってはじき飛ばす。その勢いに、フランツの槍が手から落ち、カラカラッと音を立てた。
「あっ……」
フランツが回転しながら地面を滑っていく槍に注意を向けた瞬間、リッツは動いた、本能的な恐怖からか、フランツは一瞬で転がるようにその場を逃れた。
彼が今までいたところに、槍を吹っ飛ばし上段にあがったままだった大剣を振り下ろす。
すんでの所で何とか逃げてくれたようだ。リッツは心の中で、あまりに疲れるこの戦いにため息を付いた。普通では考えられないくらいに気を使う。
せめてフランツに、剣技の心得が少しでもあったらと思うが、考えても詮無きことだ。
「……」
ゆらりと立ち上がったフランツから槍まで、数メートル。走ればすぐに届く距離だ。フランツは即座に槍に向かって駆けだした。考えるよりも先に、体が動いていたようだ。
「背中ががら空きだぜ、フランツ!」
素人丸出しのその動作にそう軽口混じりの声をかけると、フランツは振り向きざま両手の平を正面に構えた。
「行けっ、炎の球!!」
「おわっと」
繰り出された小型の火球に、一瞬リッツの動きが邪魔される。一撃でその四十センチほどの火球を斬り捨てると、その隙にフランツは槍を再び手に取っていた。さすがは精霊使いといったところか。
だがこれ以上火球を作らせるのも危険だ。二人以外にこの広場には大勢の観客がいる。そしてフランツは、まだこの炎の球をコントロールできていない。
槍を手に何やら考えているフランツに向かって、リッツは駆け出していた。剣を構えてフランツを見遣ると、フランツは槍を持ったまま両腕を頭の上に構え、力を込めて叫んだ。
「燃えさかれ、炎の精霊!」
フランツの手から、今までの旅では見たことのないくらい巨大な火球が放たれた。スピードも段違いだ。
フランツにはもう、魔法を手加減しようなどという考えは皆無らしい。
相手がリッツなのにである。
そこが彼の怖いところだ。
「お前なぁ!」
リッツは思わずフランツに向かって怒鳴ってしまった。その場で動きを止め、剣を両手で、正面に構える。
「沢山人がいるんだ、こんな大技使うんじゃねぇ!!」
迫りくる炎を前に、リッツは真一文字に剣を構えた。ここで消滅させなければ、ギャラリーに怪我人が出る。
剣を振るうことによって起きる風圧を広げるために、柄の少し下を掴んだ。
助かったのは、フランツが向こうで槍を構える暇がない、ということだった。もし一緒に突っ込んでこられたらやばい。
「うおおおおおお!」
気合いと共に、リッツは火球に突進し、力業でまっぷたつに切り裂いて、火球をその場で爆発させた。激しい爆音がとどろき、閃光が光った。
回りの観客が、恐怖におののき叫び声をあげ、逃げまどう。
「リッツ君!」
「リッツ!」
ネットとアンナの叫びと共に、精霊の炎は、一瞬にしてかき消された。煙が立ちこめる。地面には大きな焼け焦げが出来た。
「リッツさん!」
この決闘に絡んでいる人々の悲鳴を聞きながら、リッツは煙の中に佇んでいた。爆風による多少の被害は受けたが、すすけているだけで何の問題もない。
「アンナ!」
「何?」
「ギャラリーに怪我人はいないか?」
「大丈夫だよ!」
回りを見渡してアンナが叫び返す。
「よっっしゃあ!」
煙が完全に晴れたその瞬間に、リッツの目に飛び込んできたのは、槍を中段に構えて飛び込んでくるフランツの姿だった。しまった、こっちがいたっけ。
「うわあああああっ!」
彼は必死の形相でかかってくる。ギャラリーのこの騒ぎにも気がついてない。
かろうじて踏みとどまっているのは、ファルディナ駐留部隊の隊員と、ルサーン、シグレットそしてその取り巻き、それからネット達を含めて、数十人ぐらいなものだった。
そのルサーンやシグレットさえも青ざめて、今すぐにでもこの場から逃げ出しそうだ。彼らにも暴走するフランツの恐ろしさが分かったのだろう。
「参ったな、こりゃ……」
リッツは構えた姿のまま、横に少しだけずれて、フランツの槍先を避けた。顔の真横を槍先が通り過ぎる。
その直後を狙って、フランツが持っている柄の部分近くを叩く。
だが、フランツは先ほどのように槍を取り落としたりしなかった。手がしびれる感覚を、唇を噛んでぐっと堪えている。
頬が少々焦げて痛い。火傷をしてしまったようだ。だがこのくらいは、何てこともない。
リッツは剣先で、槍の返し部分を地面に押さえつけた。フランツはギリギリと槍を引く。横に滑らせればいいんだぞと言ってやろうとしたが、フランツは先にそれに気づき、力任せに槍を横向きに振り回して引き抜いた。
息を切らせつつもフランツは、再び構えなおして正面に突っ込んでくる。
ここまで冷静さを欠いているフランツが、打ち込む順をまだ覚えているのか定かではなかったが、ここは打ち込んでみるより仕方ない。
リッツは、フランツの右側によけ、その勢いで、大きく剣を横に払った。うっかり踏み込みをしすぎる。
「しまった」
フランツに一撃加えてしまったかと思ったが、剣先に触れたのは、槍の柄の部分だった。夢中だったせいか、フランツが先端から短めに槍を持ち、柄を余していたのが救いだった。
「何だ、この槍……」
リッツは、初めてフランツの持つ槍の特性に疑問を持った。これだけの打撃を加えても、へこむどころか傷も付かない。
再び、じりじりとリッツから間合いを取って後ずさるフランツに注意を払いつつ、リッツはその槍を観察した。
「鋼鉄……でもないよな」
リッツの剣は鋼で出来ているが、それが当たっても大丈夫で、伸ばして使うタイプなのに、へこんだりしない。だが撃ち合わせた感触では、この槍の中は空洞だ。
「もしかして……はは、まさかな。あの金属は王室にしか無いはず」
リッツがそれを見たのは、ただ一度だけだ。それとは、ミスリル銀と呼ばれている金属のことである。
この大陸にある全ての国の統治者は、等しく同じ量の伝説の金属を持っているらしい。だが、その金属の特製は、あまり知られていない。
神話の中に出てくる、女神から人間への贈り物だといわれ、普通の人間が手に入れることは通常出来ない。これに続く金属はかなり高価なものだが、人の手にも入る。だがその金属とフランツが持つ者では色が違った。
「だとしたら、何でフランツが持ってるんだ?」
リッツが苦悩している間に、フランツは呼吸を整えていた。先ほどからの戦いで、相当体力を消耗してしまったようだ。
いくら軽いとはいえ、槍を扱うのは初めてだし、これほど長く緊張しながら戦うのも初めてなのだ。無理もない。
考え事をしていたリッツは、フランツが必死でリッツを睨み付けている姿を見て、自分が全く隙のない状態を作っていたことに気が付いた。
これではフランツがかかってくる方向を、コントロール出来ない。
ようやくそれに気付き、フランツがこちらへかかってこれるように、剣を右手一本に構えて見せた。
その姿を見たフランツは、瞳に恐ろしいほどの殺気を燃えたぎらせた。リッツが情けない彼を挑発しているのだ、と勘違いしたのだろう。
そんなわけねぇだろ、といいたいがこの状態のフランツに何を言っても無駄だ。
フランツは、再びリッツに挑みかかってきた。今度は左斜め上に槍を構えている。斜めに振り下ろせば、攻撃範囲が広くなると考えているのだろう。
つまりフランツは、とにかくリッツに槍を宛てることしか考えていないようだ。
そうなると、リッツがフランツの左側に、打ち込むのが難しい。振り下ろされる前に、左側を叩き、槍と押し合った方が良さそうだ。
判断したリッツは、今までの受け身から一転し、フランツに向かって駆けた。
それを待っていたかのように、フランツが槍を片手に持ち替えて右手を真っ直ぐ前に突き出した。
「炎よ!」
「何?」
火球はリッツを真っ正面にとらえている。
「同じ手を二度喰うかっ!!」
そのままの勢いで、再び火球をぶった切ろうとしたリッツの目に、今度は火球の向こうで槍を構えるフランツの姿が飛び込んできた。
同じ手ではない、フランツは先ほどの過ちをただし、より確実な方法を取ったのだ。
「ちっ、甘く見すぎたか」
フランツは火球の真後ろに付き、同じ速度で、槍を構えたままリッツに向かってまっしぐらに突っ込んでくるのだ。
先ほどのように正面からそれを切れば、その真後ろにいるフランツも斬ってしまう。
だが消滅させなければ、火球はギャラリーに当たり炎上する。建物だって無事ではすまされないだろう。
リッツは一瞬判断に迷った。その一瞬の迷いが動作を遅らせる。火球はもう目の前に迫っていた。
「くそぉぉぉぉっ!」
見えないフランツの槍の動きを予測しつつ、火球に向かった。大きく振り上げた剣を、真っ直ぐに下へ振り下ろす。瞬間、炎が割れ、中に一筋の道が出来た。
すかさずリッツはその道に飛び込んだ。この道が持つのは、本当に短い時間でしかない。
両側に燃えさかる炎で目の前が紅く染まった。全身に焼けるような痛みが走る。
次の瞬間には、火球は彼を通り過ぎ、リッツは大きく槍を振り上げるフランツの姿を捉えた。
「この野郎!!」
フランツの槍を、手加減なく剣身中央に捉え、力任せにはじき飛ばした。
高い金属音を建てて、フランツの槍は宙を舞う。
武器を失い呆然とするフランツに足払いを掛けて倒し、すぐさま真後ろの火球を一気にぶった斬る。
火球は周りに被害を与えることなく消滅した。
「はあ、はぁ……」
体の所々が疼くような痛みを訴える。
リッツの足より、炎が元の姿を取り戻す方がほんの少し早かったようで、少々背中に火傷を負ったらしい。
だがあれ以上勢いを付けると、フランツまで斬ってしまいかねない。ギリギリの選択だった。
だいたいに置いて、破壊力の高い炎の精霊使いは、軍隊に置いて一人で一個大隊相当の戦力だと言われるのだ。
その精霊使いに本気で打ち込んではならず、演技をして戦うなんて、無茶な話なのだ。
何とかここまで無事に済んでいるのは、フランツが精霊使いとして未熟であるという、ただそれだけの理由だ。
火球が消滅すると、リッツはたたき落とした槍の行方を追った。手加減無くはじき飛ばしたそれは、高く弧を描きながらクルクルと宙を舞い、二人の数メートル先に深く地面に突き立った。
「くっ…」
座り込んでうめくフランツの額に、リッツはピタリと剣先を定めた。フランツの青い瞳が、ギラギラと殺気と湛えたままこちらを見上げている。
もうお互いの精神力が限界に近づいている。いくら時間を引き延ばさなければいけないとはいえ、これ以上は無理だ。
引き分けにしたかったのに、どうしてもこの状況から引き分けには持って行けない。こうなればリッツに出来る事はただ一つ。
書簡の送り主には申し訳ないが、ルサーンとシグレットを斬り捨て、この場からフランツとアンナを抱えてとっとと逃げ出すことだ。
住民たちは自分の馬鹿さ加減が身にしみただろう。首謀者がいなくなれば、もうきっと暴動なんて馬鹿なことは考えまい。
「……勝負あったな」
フランツに降伏を呼びかけた。だが燃えるような目でリッツを見つめたフランツは、腰からヘレボア隊長のレイピアを素早く取り出し、リッツの大剣を払った。
「まだだ!」
「お前な……」
レイピアでは、リッツの懐に飛び込む前にやられる事ぐらい分かっているのだろう。だがフランツはまだ、負けを認めたくないようだ。
実力を見定めることが出来ず、引き時が分からない事は時として致命傷になる。おそらくフランツは、人質に取られたアンナを助けるためという当初の目的が頭からすでに消え去っているだろう。
負けたくない、それただ一つだ。
「くっそ~」
リッツは、あの短い剣でかかってくるフランツをどうしたら斬らずにすむか、また作戦を立て直さなければならない。
だがフランツは、そんなことはお構いなしのようだ。彼はレイピアをリッツに向けて水平に構えた。突いてくるつもりだ。
「うわああああああ!」
なりふり構わず、フランツは向かってくる。
「仕方ないなぁ……」
リッツは剣を右手で真横に構え、左手で剣身の上部を支えた。姿勢を低くし、フランツのレイピアを垂直にとらえる。
尖ったレイピアの先が大剣とこすれて嫌な音を立てた。
「くっ!」
突くことを諦め、フランツはレイピアを両手に持ち替えて、リッツの剣をぐいぐいと押してくる。
リッツはその力に身動きを止めた。背中に激痛が走ったのだ。
「うっ……くそ、さっきの火傷か……」
耐えられずリッツは左手を放し、姿勢を一気に元に戻した。レイピアごと跳ね上げられたフランツは転倒する。
背中をかばうリッツには気が付かないのか、フランツは勝機ありと見たようでこちらに向かってじりじりと間合いを詰めてくる。
「……いける」
呟きながらフランツは、片手にレイピアを構え、もう片方を正面に突き出した。炎を使うつもりだ。
「だから、同じ手は喰わねぇって……」
リッツはフランツが集中する時間を与えず、レイピアをたたき落とた。
「いってるだろぉっ!!」
ついでにフランツの胸に、剣の柄で軽く一発入れてやった。
「ぐっ……」
一瞬呼吸が止まり、フランツは激しく咳き込む。リッツはそんなに思い切り胸に入れたつもりはないのだが、がら空きだった彼の体は、思った以上のダメージを受けたようだ。
「……もういいだろ、フランツ」
リッツが、再び剣を構え、静かに降伏を呼びかける。だがフランツはかたくなに首を横に振った。
「限界だろ?」
「……まだ……だっ……」
「負けず嫌いが……」
「うるさい!」
二人が沈黙し、フランツの苦しげな息づかいだけが響いている。走っていた馬車さえも、この危険な決闘が終わるまで、息を潜めて端に止めたままだ。
こうなったら、フランツを気絶させて担ぎ上げるしかないか……そう思っていると、残っていたギャラリーからざわめきが起こった。
リッツの人よりいい耳には、馬のひずめの音が徐々に大きくなってくるのが聞こえた。
「ユリスラ軍……」
リッツは頬を緩めた。何故だか分からないが、やたらとその到着が早い。しばらくすると、彼らはその堂々たる姿を現した。
高らかに鳴らされたユリスラ王国正規軍のラッパの音が、街全体を振るわせるように響き渡ったのだ。
「よし、間に合ったか!」
リッツは、大剣を下げ、大きく息を吐いた。街の入口から、徐々に騎馬の地を蹴る音が近づいてくるのが分かる。
「何の騒ぎか、道をあけい!」
ユリスラ王国軍所属の査察団が、ようやくのお出ましだ。
リッツは大きく一息ついた。ようやくこの馬鹿馬鹿しい緊張から解放される。
だが、リッツは忘れてはいけなかったのだ。この間のフランツとの練習のことを。彼は、集中すると全く周りを見ることが出来ない男なのだ。
しかも今は、集中どころか気力だけで動いている。
そしてその気力もリッツに勝ちたい、そのことただ一心だけなのだ。
そしてこれが一番の危険なのだが、彼は今小枝ではなく、本物の武器を持っている。
「お~い、ここだ」
警戒心を解いて、王国軍査察団に手を振るリッツに、フランツが落ちたレイピアを拾い上げ、静かに構え直したことが分かろうはずもない。
だから、フランツに声をかけようとしたアンナが見たのは、リッツの背後にゆらりとレイピアを構えて立つフランツの姿だった。
「リッツ! 後ろ!」
アンナの叫びと、フランツがリッツに向かって突っ込む瞬間、そしてリッツが殺気を感じて無意識に剣に手をかけたのが、ほぼ同時になった。
身の危険を感じたリッツの体は、条件反射で素早く、手加減なく、横一文字に相手を斬り捨てた。
アンナの目にはその瞬間が、やけにゆっくりと目の前で展開したように見えた。
「いやぁぁぁぁ、フランツ!」
「しまった!!」
胸のあたりを血に染めながら、何が起こったのか分からないような表情で、ゆっくり前屈みに倒れるフランツを、リッツは大剣を投げ捨てて受け止めた。
一瞬、誰も動けなかった。一番恐れていたことが起きてしまったのだ。
あれがまともに決まっていれば、フランツの命はない。立ちつくすアンナに、静かにフランツを足下に寝かせたリッツが怒鳴った。
「アンナ、早く来い!」
震えて、もつれる足で、アンナは必死に二人の元へ走ってきた。何度も転びそうになりながら、ようやくの思いで二人の元へたどり着く。
「治癒魔法だ、早く!」
震えるアンナに、リッツは怒鳴るように命じた。
「いいか、一番上級の治癒魔法だ。傷が深い」
「……分かった」
アンナは両手を前に組み、水の精霊ではなく、水の精霊王に祈りを捧げた。
彼女が知りうる中で最上級の治癒魔法だ。今ままでの旅で使ったことは勿論ない。でもそうしなければ間に合わない。
「全ての安らぎと癒しを司る水の精霊王よ、我の求めに応じその力を我に分け与えよ! 倒れし我が友フランツを、我が命の源をもって、癒しを与え!」
アンナを、輝く透き通った青の光が包み込む。
「我にその無限なる癒しの力を与えよ」
水の輝きを持つ光は、アンナの体から徐々に両手に集まり、溢れんばかりのまばゆい水の雫となった。
「フランツ、お願い助かって!」
アンナは両手に集まった光の雫を、フランツの傷に静かに落とした。雫は輝きを放ちながらフランツの体に吸い込まれていく。だがその雫は、全て使い切られることなく、アンナの元に戻った。
何だか変だ。
アンナも気がついたのか、リッツを見て小首を傾げた。
「……大丈夫みたい……」
「本当か?」
リッツの問いかけに、アンナはこくりと頷く。
「あのね、最上級の治癒魔法をかけてから言うのも何なんだけど、この傷、致命傷じゃなかったみたい」
「はぁ?」
思わず口をポカンと開けたリッツに、もっと呆然としているアンナが、力が抜けて間抜けな感じにほけほけと答える。
「致命傷なら命の水が全部なくなっても傷なくならないけど、傷が消えて私のところに戻ってきたよ」
「それって、どういう事だ?」
アンナの顔を穴の開くほど見つめると、アンナは半ば笑い出しそうになりながら説明してくれた。安心したので笑いがこみ上げてきたのだろう。
「確かに怪我は怪我だけど、すっごく浅いの」
「へ?」
「だってこの傷、皮膚表面だけで、内蔵まで達してないもん。広範囲だから血がどばって出ただけ」
言われてみれば確かに、リッツの手応えも軽すぎた。おそらく普通に攻撃する敵と比べて、フランツの踏み込みがかなり遠かったんだろう。
「じゃあ、何でこいつ気を失ってるんだ?」
「リッツに斬られたんだもん。もう死んだって思ったんだろうね」
リッツはがっくりとうなだれた。そのまま全身の力が抜けてしまい、思い切り後ろにひっくり返る。
「脅かすなよ!」
アンナが堪えきれずに吹き出した。笑いが止まらないアンナにつられるように、リッツも笑ってしまう。
ついには二人揃って笑いが止まらなくなってしまい、呆然と彼らを見ている人々の前で、ひとしきり笑い転げた。
なにはともあれ、こうして騒ぎは無事に終わったのである。




