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ファルディナ駐留部隊舎の会議室で関係者一同が顔を揃えたのは、ぼろぼろのリッツとフランツが着替えて、さっぱりしてからだった。
無機質な机のほとんどが端に片付けられて、椅子だけが人数分置かれていた。窓の近くには古ぼけたソファーが置かれていて、普段は休憩や仮眠に使っているのか、だいぶくたびれている。
窓の外を見ると、『緑の森亭』の客室が見えた。なるほどあちらからこちらが丸見えと言うことは、こちらも見られるということだ。
リッツは部屋の中を見渡した。ここには当然リッツとアンナとフランツ、それに三人に協力したネット、リラ、ディル、ヘレボアの四人がいる。そして四人から離れたところの椅子に縛られたまま座っている男が二人いた。
ルサーンとシグレットである。仲が悪い二人なのに、仲良く同じように縛られて椅子に座っている姿は滑稽としか言えない。
しばらく時間がたち、部屋の中に険悪な雰囲気が充ち満ちたところで、ようやく査察官が現れた。先ほどはかなりの人数を確認したのに、ここにいるのは七名だけだ。
最初に査察官を見たとき、結構な大人数にリッツは首を傾げた。ただの街のもめ事に、こんなに沢山の査察官がやってくるのは珍しい。一体ヒースはシアーズでどう報告したのだろう。
リッツがのんびりと査察官を眺めていると、査察官のうち一人は帽子をかぶっていて、何も言わずに入り口近くの椅子に腰を下ろして足を組んだ。一番階級が高いのはその人物だろう。
そして胡桃色の髪をした三十代ぐらいの査察官が、一同を眺めてから口を開く。階級章を見ると、少佐だ。そのすぐ脇にもう一人が控えている。こちらの方が階級が低く、副官であろうと察せられる。
「事情は、ヒース・アドニスから聞いて知っている。シグレット、ルサーン両者は、私的決闘罪と、自治領区騒乱罪において取り調べを行う」
査察官が申し渡すと、査察官のうち四人が、二人を両脇に挟んで立ち上がらせた。
扉を出て行きがてら、シグレットが血走った目でリッツを睨み付けた。
「最初から、私たちを罠にはめるつもりだったな?」
怒りのあまり震えるシグレットのひと言に、リッツは平然と笑って答える。
「当然だろ、俺は女性と子供の味方なんだよ」
「くそったれめ」
まさかリッツ達が王国査察団を待っていたとは、彼らは露ほども疑いはしなかったようだった。お互いのスパイかもしれないと疑うぐらいが、彼らの想像力の限界だったのだ。
恨みがましい目でリッツを睨んでいたルサーンとシグレットはだったが、査察官に引き立てられて部屋から連れ去られていく。いくらこの街の有力者であっても、王国一厳しい査察団に敵うわけがないのだ。
二人がいなくなって初めて、部屋にほっとした雰囲気が戻ってきた。縛られているとはいえ、この街の有力者であり、今まで人々を脅かしてきた存在と一緒にいたのでは、心が安まらないのは当たり前だ。
「さて」
胡桃色の査察官が口を開いた。とたんにまたその場の空気が凍り付いた。
「君たちにも、聞きたいことがある」
緊張感が高まった。ここにいる人々はみな、自分こそが騒ぎの原因を作ったと思っている人物である。当然のことながらリッツは、この事件の本当の首謀者が自分であることを自覚しているが、別に緊張感もない。
先ほどから査察官を観察していたが、どう見てもリッツが書簡を送った相手はいないようだから、気が楽なのだ。何かあったらさっさとアンナとフランツを連れて逃げてしまえばいいのだから。
ただ一つ気になっているのは、査察官の後ろに控えて、帽子を目深にかぶった年輩の男の事だけだった。
制服は確かに査察団のものなのだが、どこか雰囲気が違う。一度も顔を見ていないせいもあるだろうが、それ以上に気になるのは、どことなく知っている様な気がすることだった。それが思い出せないから余計気になってしまう。
だがリッツが首を傾げて椅子に腰掛ける男を眺めている間に、査察官は事の次第をただし始めていた。
リッツはしばらく黙って、その様子を見守ることにする。組織の話に無関係な人物が口を出すと、こじれると相場が決まっているからだ。
「ヘレボア大佐。貴官はどこから事件に関わっておいでです?」
胡桃色の査察官は、丁寧にヘレボアに尋ねた。階級だけを見ればヘレボアの方が格上だが、相手は査察官だ。
「初めから関わっている」
「……そうですか」
査察官はため息をついた。言う言葉が出てこないのだろう。軍に置いてこの騒ぎを知り放置していた責任は重いのだ。
しばらくして若い査察官は、ヘレボアをまっすぐに見つめた。
「この部隊の隊長でありながら、この決闘騒ぎを引き起こした責任をどう取るおつもりですか?」
ヘレボアは、その言葉に一瞬うつむき、すぐに顔を上げた。
「親子の命を守り、この者たちが街に残るには仕方のない手段だったが、いささか事が大きくなりすぎた。軍を辞させて頂きたい。責任は私が負うから、一般人は罪に問わずにいて頂きたい」
普通はそうなるだろう。何事もなくすんでいればヘレボアも知らん顔を出来たが、事件が大きくなりすぎたのだ。だがリッツは微かに笑う。
査察官はこの場で処分を下すことは出来ないはずだ。なぜなら猛烈な反対に遭うからだ。リッツの予想通り、アンナが叫んだ。
「駄目だよ! 隊長さんがいないと絶対この街が困っちゃうんだから!」
その言葉にかぶせるように、ネットが叫ぶ。
「そうですぜ隊長さん、あんたがいなかったら、もっと騒ぎがでかくなっちまうところだった。あんただけの責任じゃない! 兵隊さん、わしらも罰してください!」
「私も罰を受けます! だってヘレボア隊長さんにお手伝いをお願いしたのは私だもの! 隊長さんがいなくなったら泣いちゃうからね!」
「そうだよ、僕も!」
リラも目に涙をためて抗議する。その言葉にディルが力強く頷いた。元々軍の人間でもない彼ら一同は、規則や規律など何も関係なく、仲間であるヘレボアの味方だ。
大騒ぎするネットと子供達を前に、査察官は怯んだ。王城の中で秘密裏に動くことが多い査察官にとって、こんな状況は今まで無かっただろうから、どうしたらいいのか分からないに違いない。
何故なら本来この査察団は、防衛隊や憲兵隊のような一般人と接する部署ではなく、王国軍の特殊部隊であり、国王、宰相、大臣直属のエリート集団なのだから。
困り果てたのか、査察官はすがるように後ろに座る男を見つめた。すると後ろの男は僅かに見える口元で微笑むと、余裕をもって手をヒラヒラと左右に振って見せた。どうやら後にしろといっているようだ。
おそらく本当の意味でのこの場の支配権を持つのは、この男のようだ。男の合図に小さく息をつき、査察官は大きく咳払いをしてヘレボアに言った。
「ではこの件は後日に」
「後日って、悪いことにならないですよね!?」
「変なことになったら承知しませんぜ!」
「そうだそうだ!」
一般人に取り囲まれて、査察官はため息をつく。
「分かった。分かりました。あなたたちの意見は分かりましたから」
普通に話すと以外に若々しい男は、自分で言った言葉に、自分でため息をつく。
「では話を戻します。まずこの自治領区で起きている事件についてです。我々査察官は、アドニスの話でだいたいの事情を察していますが、確認をさせて頂きたい。サバティエリ家の方はいらっしゃいますか?」
査察官の問いかけに、おずおずとディルが手を上げた。
「君は……ディル君でしたね」
「はい、ディル・サバティエリです」
査察官は頷いた。
「お父さんの名前はなんとおっしゃいますか?」
「はい、ルヴィア・サバティエリです」
その瞬間、リッツが唸った。何処かで聞いたような名前だ。でもどこだったかが思い出せない。リッツが首を捻っている間に、査察官はディルに、父親のことを聞きだしていた。
髪の色、瞳の色、背格好、年などだ。それがどう事件に関係しているかよく分からないが、重要なことらしかった。
「分かりました。やはりこちらで調べたとおりのようです。ではディル君」
「はい」
「明日、あなたの家に伺わせて頂きます」
「……お母さんを捕まえるんですか?」
恐る恐る聞いたディルに査察官が笑った。
「違います。手助けに伺うんですよ」
査察官の微笑みに、ディルが安心したようにぎこちなく笑った。なるほどこの街で起こっている何かの事情を知っていて、宰相はこの柔らかな雰囲気の査察官を派遣したようだ。
「私の話はこれで終わりです。後はこの事件の本当の事情を聞かせて頂きたいのですが?」
査察官がそう言うと、後ろに座っていた男がゆっくりと立ち上がった。かなりの年のようだが、足取りはしっかりしていて、どこにも危ういところはない。それどころか堂々とした足運びだ。年は取っているが自然と頭の下がる、気品漂う雰囲気の男だ。
ざっと見たところ軍服を着ているのに、階級章もないし、所属を表す紋章もなかった。そんな軍人は軍にいるはずがない。その上帽子から流れ落ちる金髪は長く、後ろで無造作に縛っていて軍人らしくない。
「ケニー」
「はっ!」
「問わずともよい。大体の見当は付いておる」
「は?」
戸惑う査察官に、男は微笑んだ。口元しか見えないがそれが分かる。やがて一歩下がった査察官に替わり、男が全員の正面に立った。男が低くてよく響く、張りのある声で一同に問う。
「さあ、誰が首謀者か?」
男の一言にみなが俯く。みんな少なからず自分に責任があると思っているのだろう。だがその年輩の男は、帽子から唯一覗いている口元に皮肉そうな笑みを浮かべた。
「そう萎縮せんでもいい、ただ聞いてみただけだ。首謀者は分かっている」
男はそういうと、くたびれたソファーに座っていたリッツの方へと真っ直ぐにやってくる。全く迷いのないその足取りと雰囲気にリッツは戸惑い、半身を起こす。
今まで誰もリッツが主犯だなんて言っていないし、査察官の前でみんなが口をつぐんでいた。なのに男は迷いなくリッツの前に立ったのである。
「立てリッツ・アルスター」
「へ?」
今まで一度も査察官にフルネームを名乗った事はないのに、男はしっかりとリッツをフルネームで呼んだ。男の顔を見ようとリッツは帽子の中に目を凝らした。これ見よがしに目深にかぶられた帽子によって素顔はまるで見えない。
「こんな馬鹿なことをしでかすのは、お前しかいないだろう。そうだな、リッツ?」
その呼びかけ方に覚えがあった。体の何処かが懐かしさに震えている。
「まだまだお前は騒ぎが好きか? 困った奴だ」
だがその口調は、この場で絶対に聞いてはいけない人物のものだ。まさか、まさかそんなはずはない。こんなところにいるはずがない。
「……まさか」
そう思いながらも、ふらふらとリッツは立ち上がり、目の前に立つ男の帽子をゆっくりと取り上げた。先ほどの査察官はハッとしてそれを止めようとしたが、すでに遅い。
その隠された顔が、その場の全員の前で明らかになる。年の頃は五十代から六十代といったところだろう。長い髪は未だつややかで金色に輝いている。そして澄んだ水面のような叡智に満ちた美しい水色の瞳。
目があった瞬間、頭の中と目の前が、真っ白になった。過去が巻き戻され、一気に三十五年という年月を遡ってしまう。
そこに大切な親友の姿があった。目があった瞬間に、友は昔通りの楽しげな笑みを浮かべた。
「まさか声で気がつかないとは思わなかったぞ、リッツ。それとも、もう私のことは忘れたのか」
「お、お、お、お、お前、何で……!」
リッツはよろめきつつ一歩下がった。驚きすぎて言葉にならない。一気に血の気が引いてしまった。
「一応、覚えていたようだな」
嫌味っぽい口調に、反射的に怒鳴り返す。
「覚えてるに決まってるだろ!」
ずっと会いたいと思っていたが、反面一番会いたくないと思っていた。その懐かしい顔が目の前にあった。
嬉しいのか、泣きたいのか、嫌なのか、叫び出したいのか、自分でも分からないが、体が反射的に逃げだそうと一歩後退する。
その行動をお見通しの男はそれを許さずに素早く腕を伸ばし、リッツの長い耳を思い切り引っ張った。そこが弱点なのをよく知っている。ずいぶん離れていたが、リッツの事を両親と同じがそれ以上に知っているのはこの男だ。
「いてぇって!」
「貴様、何で便りもよこさない! 何度書簡をお前に送ったと思ってるんだ! 受け取っていないのか?」
「受け取ったよ! スイエンの海軍本部でちゃんと受け取った!」
「では何故返事をよこさない! 生きてるなら生きていると、そのくらい報告する時間はあっただろう! そもそも何故シアーズに戻らないんだ!?」
「シアーズは中継地だから何度か戻ってるよ!」
「では何故顔を出さない!」
「恥ずかしくって出せるか!」
「恥ずかしがるような男か、お前が!」
リッツが逃げ腰になるたびに、男はリッツの耳を引っ張る。ギリギリと締め付けるようにねじ上げられて半ば本気で悲鳴を上げる。懐かしくて少し嬉しいが、もの凄く痛いから勘弁して欲しい。
「痛いって! 本気で痛いっ!」
「長年の報いだ。これぐらい我慢しろ」
「我慢できるか! 放せエド!」
懐かしいこの男の呼び名が、驚くほど自然にあっさりと自分の口から漏れた。口にしたとたんに懐かしさで胸がいっぱいになりそうだ。
「ああ放してやるとも、逃げないと誓ったらな」
「逃げない!」
「絶対に逃げないか?」
「逃げねえよ! ホントに逃げないってば!」
ようやく耳を放されて、リッツは人より長い耳をさすった。
「いっつつ……。耳がとれたらどうするんだよ」
「それぐらいでとれるか、馬鹿が」
いくら掴みやすいからって、思い切り引っ張るのはやめて欲しい。痛みで涙が出そうだ。憮然と睨むと、友は人の悪い顔で笑った。リッツはぐっと詰まる。昔から彼に勝てた試しはない。
不意に服を引っ張られて見ると、そこにアンナが困った顔で立っていた。どうやら事の成り行きについていけない全員にせっつかれたらしい。
「リッツの知り合いなの?」
遠慮がちに尋ねたアンナに男は破顔し、アンナの前に膝をついた。
「この子はお前の娘か?」
「はぁ!?」
「報告に来た男に、お前が子連れだと聞いて、楽しみにしていたぞ」
「ち、ち、違いますよ!」
アンナが慌てて首を振る。リッツは憮然として文句を言った。
「人を勝手に子持ちにするな!」
「お前ほどの遊び人なら、数人はいそうだがな」
「今のところいねえよ」
「どうだかな」
リッツの言葉を無視して、男はアンナ達に笑顔を向けた。
「自己紹介が遅れてすまないね。私はこいつの友だ。だがね、友から手紙の返事すら貰えない、可哀相な男なんだ」
年甲斐もなくお茶目に両手を広げて、男は大仰なため息をついた。
「リッツの友達?」
観念してドサリと床に座り込んだリッツに、アンナが尋ねてきた。どこまで彼のことを話して良いのか分からずに懐かしい友を見上げると、彼は笑みを浮かべながら黙って頷く。
全てよし、そういうことか。全く参る。久しぶりに会ったというのに、信頼は健在だと口に出さずに伝えてくれているのだ。それが嬉しくて申し訳なくて、リッツは頭を掻きむしって、半ば呻くように答えた。
「俺の昔からの友だ」
「昔からの?」
「そ。エドワード・バルディアっていうんだ。俺はエドって呼んでる」
そういったとたんに、ネットとヘレボアは椅子から転げるように立ち上がり、床に座って平伏した。そうなるだろうと予測はしていたから、リッツはため息を付くだけにしておいた。
この名前を聞いて普通にいられるユリスラ国民はいないだろう。当然ながら、子供を除いてだが。
「え、え、どうしたの?」
前の街で国王と友達と話しておいたフランツが、二人の態度の示す意味を知って青ざめている。鈍いフランツでも、リッツの態度とヘレボアたちの態度を見ればそのくらい分かるだろう。
訳が分からないアンナと子供達に、じっと見つめられたリッツは、ため息混じりに頭を掻きながら説明してやる。
「本来は絶対この場にいちゃあおかしい奴さ。こいつはなにせ、この国の王様なんだからな」
「えええええええっ?」
「王様!?」
この意表をついた登場に、滅多なことでは驚かないアンナまでが飛び上がる。
「国王の名前ぐらい知っとけ」
リッツは、ようやく立ち上がりエドワードの肩を叩いた。
「俺の四十年来の友だ」
ユリスラ王国第三十七代国王エドワード四世。
本名エドワード・バルディアというのがリッツの友の名だった。
「友にしては、疎遠すぎないかリッツ、ああ?」
エドワードが、リッツの頬を無理無理に引っ張って伸ばした。悲しいがリッツは、出会った頃からの様々な理由から、エドワードに全く逆らえない。
「ひたひ、ひたひっへ」
「当たり前だ、痛くしている」
「はなへっへ」
エドワードの国王らしからぬ行動に、全員が呆然としている。だがエドワードは、リッツを相変わらずつねりあげながら平伏している二人に、優しく語りかけた。
「君たちは、私に平伏する必要はないぞ。何しろ国王は玉座にも着けぬほどのご病気で、寝込んでおられるはずだ。ここにいる私が国王であるわけがない」
ネットはおずおずと顔を上げ、戸惑いながらも椅子に座った。だがヘレボアは顔を上げなかった。彼は実際に国王に謁見したことがあるのだろう。つまり国王の顔を見て知っているのだ。
顔を上げないヘレボアに、エドワードは困ったように笑った。
「そうか、君とは会ったことがあるようだな……」
しばし考える仕草を見せた後、エドワードはヘレボアに語りかけた。
「ファルディナ駐留部隊隊長ヘレボア。余の命だ、顔をあげい」
「はっ、陛下」
「余がここにいることは内密にせよ」
「……はい」
「よって余は本日よりファルディナに滞在する間、国王ではない。余が国王だと知られるような言動、行動は慎め。よいな?」
「はっ!」
「まあ気楽にいこうではないか」
返事はしてみたものの、どうしたらいいか皆目見当が付かないらしく、ヘレボアは困惑したまま顔を上げた。苦悩するヘレボアと対照的に、アンナは興味津々だ。
「わぁ……王様だぁ~。どうしようフランツ、初めて見ちゃった! ね、触っても怒られないかな? 触ってもいいかな? ね、フランツ?」
まるで珍獣を見るような物言いに、フランツが慌ててアンナの口を塞いでいる。例え国王を前にしてもアンナはアンナだ。
「馬鹿、失礼だろ!」
フランツはそうも行かないらしく、完全に血の気が引いた顔でエドワードから離れた。きっとこの二人はエドワードがいる環境に慣れるだろう。なにしろ、エドワードが来たということは、リッツが王都へ連行されていくことを意味する。リッツはエドワードに、絶対に逆らうことが出来ないのだから。
エドワードに解放されたリッツは、再びソファーに崩れ落ちた。
「俺はな、シャスタの奴が来ると思ったんだ、何でお前がわざわざ出向いてくる?」
するとエドワードも、当然のようにリッツの隣に腰を下ろした。
「宰相をこっちに寄越すと、執務が滞るだろ?」
「シャスタ可哀相。お前が残って仕事しろよ。国王だろ? ふらふら出歩くなよな」
「シャスタは仕事を愛しているからな」
「あっそ。せっかくあいつと遊んでやろうと思って手紙書いたのに」
「あ……」
フランツとアンナが同時に声を上げた。二人は、そのリッツの手紙がいつ書かれたものであるか思い当たったようだ。そう、その手紙は当然ながらヒースに渡したあの手紙だ。
「馬鹿は休み休み言え。シャスタをよこしたら、お前はシャスタを説得して、またとっとと逃げ出すだろうが」
「うっ……」
「こんな手紙一つで逃げられてたまるか」
そういうと、エドワードは懐から封書を取り出した。リッツが書いてヒースに持たせた手紙だ。やはりエドワードの元に渡っていたようだ。
「逃げねえって書いただろ」
「いや、お前はシャスタが来たなら何とか誤魔化して逃げるつもりだった。それぐらいお見通しだ」
「ううっ……」
久しぶりに会ったのに、どうしてみんなお見通しなのだろう……。頭が痛い。
「今回の私の使命は、お前の首に縄をかけてシアーズの王宮に連れ帰ることだ。まさかまた私から逃げだそうとは思わないだろうな?」
「……思わねえよ」
リッツはむくれた。エドワードに逆らえるわけがないし、一番再会が怖かったエドワードに会ってしまったら、もう逃げ回る理由がない。
「シャスタは仕事押しつけられて大変だよな」
嫌味に抵抗してみたが、エドワードは涼しい顔で答える。
「生憎我が国には、三十数年以来大臣がいないからな、可哀想な宰相は、職責を捨て、さっさと逃げ出した大臣を相当恨んでいるぞ」
痛いところを突かれて、リッツはぐっと押し黙る。だが全員の視線と、エドワードの視線が痛くて、つい怒鳴り返した。
「そもそも俺は断っただろ? 出てく時は辞表も書いたよ! なのに何で席を空けてるんだよ! さっさと後任付けろよ!」
「何となく……な?」
「な? じゃねぇよ!」
「勝手に出て行きながら、何を威張るんだ、お前は」
お互いにけんか腰の二人の会話を聞いていたヘレボアとネットが呆然としたようにリッツを見る。もの凄く居心地が悪い。
「だったら、この印章を使った理由を聞かせて貰おうか?」
エドワードが指し示したのは、リッツが封印に使ったあのロウ部分だった。綺麗に切られた封印には、しっかりとリッツの押した印章の跡が残っていた。
「うっ……」
「これがまかり通ったって事は、この国の大臣は、今誰なんだって事だろうが」
「ううっ……」
反論の言葉が出てこない。リッツが大事に持っている鑞に押す印章は、宰相や国王に準ずるもの……つまり大臣の認証印なのだ。そこには細かい文字で『ユリスラ王国大臣 リッツ・アルスター』と彫られている。
それは後任者がいない現在も当然、軍の中枢部で認証されており、持っていけば即座に、国王と宰相の目に止まる代物なのである。
「あ、あのリッツ君、それは本当かね?」
おそるおそる尋ねるヘレボアに、リッツは首を横に振った。
「とんでもない、俺にそんな重役が勤まるように見えるか?」
思い切り気楽に聞こえるようにそういって見せたが、ヘレボアは硬い表情のままリッツを見つめている。そんなヘレボアに、エドワードが封書を放った。
「君の部下の事が示されている。確認したらどうかな、ヘレボア」
「拝見させて頂きます」
丁寧に封書を受け取ったヘレボアが中を改め、そして封印を見た。身動き一つせずに見ていたヘレボアがゆっくりと顔を上げた。
「リッツ・アルスター……か」
「……何だよ、大佐?」
「聞き覚えがある名だと思ったよ」
「え……?」
「士官学校の歴史書に名が載っている。精霊族にして内戦時の現国王の片腕。王国随一の剣士にして救国の英雄の一人……とな。戦乱から三十年以上経っておるから、一般人はとうに忘れたろうが」
「げっ……」
どうやらリッツがいなかった三十数年の間に、王国軍では面倒なことになっているらしい。これでは誤魔化しようがない。
「大臣ってのは、本当にその場限りで、お飾りだし、三十年以上前から俺は無位無官の傭兵だって!」
力の限り言い切ってみたが、ヘレボアから封書を受け取ったエドワードにあっさりと否定される。
「いいや、お前が未だにこの国の大臣だ。解任した覚えはない」
国王にこう言われると、逃げようがない。
「……お前さ、少ししつこくなったんじゃないか?」
リッツの皮肉に、エドワードは涼しい顔で答えた。
「さあな。お前さんの方こそ、あきらめが悪いというものだろう? 私より九〇歳も年上のくせに、子供並みだな」
「……八十六だよ」
静かにいがみ合っていると、おずおずといった感じにアンナが話しかけてきた。
「え~っと、国王様……」
見ると全員がアンナにこの場を何とか収めるよう期待しているのが分かる。どうやらこの状況ではアンナ以外の誰も、二人の間に入れなかったようだ。
「国王ではない。エドワードだ。君は?」
「アンナです。アンナ・マイヤースです。ヴィシヌからリッツと一緒に旅をしてるんです」
「ほう……旅をねぇ……」
エドワードは不思議そうな顔でリッツを見た。リッツは肩をすくめる。シアーズまで時間はあるだろうから、後々説明すればいいだろう。
「あと、あそこにいるフランツも一緒に旅をしています。一応仲間なんですよ。ね、リッツ?」
「おう……」
珍しくエドワードの当惑した顔を、見てしまった。確かに昔のリッツからすると、未成年者を連れて旅をするなんて、あり得ない状況だろう。でも成り行き上こうなってしまったのだから仕方ない。
そんなリッツの事情など知らないはずなのに、何かを分かったかのように、エドワードはアンナに向けて微笑んだ。
「君がリッツの仲間なら、私の仲間でもあるわけだな?」
「はい?」
「私のことはエドで構わんよ。君もだ」
不意に振られてフランツが卒倒しそうにのけぞった。普通はそうなるだろう。だがアンナはそんなに代わらない。
「分かりました、ええっとエドさん。ええっと……」
そういってからアンナは少し考え込んで、次に顔を上げたときにはにっこりと微笑んでいた。
「お腹すきません? そろそろ昼ご飯の時間だし」
視界の片隅で、フランツがアンナの言葉にぐらりとよろめいた。確かにもう少しましな言葉が出てこなかったのかと、リッツも思う。
だが、エドワードはポケットから懐中時計を取り出して、素直に時間を確認し頷いた。
「これはすまなかった。昼食にしよう」
全員がほっと息をついた。その場にいた人全てが、この場から解放されると思ったのだ。リッツも同感で、少し落ち着くために一人にして欲しい心境だ。エドワードと会うなんて、そんな心の準備は全く出来ていなかった。
だが、エドワードの次のひと言は、確実に一人の人物の寿命を縮めたに違いない。
「ネットといったな、君は?」
急に言葉をかけられて、ネットがどもる。
「は、は、はいっ!」
「君の宿は美味しい料理を出すそうだね」
「は、はい、恐縮です」
「それではそこへ食事に行こうではないか。ついでに泊まらせてくれるとありがたい」
「あっしの店に? わ、わたくしめの宿は、国王陛下をお泊めするようなそんな宿では……」
頭の中がパニックで真っ白になったネットは、慌てて断ろうとしたが、エドワードはにこやかに微笑んでそれを遮った。
「おや、国王なんてどこにいるのかね? 私はこの馬鹿の友、エドワードだ」
「へ、陛下……そんなぁ~」
ネットの心からの叫びを無視して、エドワードは続けた。
「さっきここの隊員に美味しい店を聞いた。『緑の森亭』というんだったね」
開いた口が塞がらなくて、顔が壊れ気味のネットの肩を、リッツはポンと叩いた。
「ご愁傷様。っつうか……悪いな……」
逃れられずにネットは力無く頷いた。
こうしてネットは宿を始めて以来、もっとも尊くて、もっとも扱いの難しい客を、彼の宿に受け入れる名誉を賜る羽目に陥ったのである。




