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寝台脇に置かれたランプからこぼれる炎の明かりが、男の顔面でゆらゆらと静かに揺れている。
その男は、粗末な木製ベットに体を委ね、土気色の顔をして微かに目を開け、何か物思いにふけっているようだった。今にも消えそうに細い炎の揺らめきが、今まさに死の国へと旅立とうとしている男の、最後の輝きのようにも感じられる。
質素な丸木造りの部屋には、贅沢と言えるものが何もなく、僅かに揺らめくそのランプの明かりだけがこの部屋の照明全てだった。
ベットと、サイドチェアー、小さな書き物机以外は、何もない部屋。
貧しく、家具の少ないこの家の中でも、特にこの部屋は生活感が乏しい。
死の間際のこの男は、微かに動く視線を巡らせた。自ら地位や名誉を投げ捨てて逃げた自分にとって、このわびしい部屋が、とても似合っているような気がしてならなかった。
だが……。
男は傍らの椅子に座り、微かに身体を傾げて編み物をしている女を見た。彼女の手にあるのは、古い綿糸で編まれた作りかけの子供用靴下だった。
1人でのたれ死ぬならいい。だが彼には最愛の家族がいた。家族に苦労を掛けたくないと常々思い続けていたというのに、結局重い荷を彼女たちに残していかねばならない。そんな自分がふがいない。
だが彼女はそれを、厭うことなく笑顔で引き受けてくれた。彼女の笑顔は、眩いあの世界にいた時と全く変わらない。それすらも申し訳なかった。
「お前には苦労をかける」
声を掛けると、傍らの女性……彼の妻がひっそりと静かに、柔らかくほどけるような微笑みを浮かべた。男の頬も緩む。彼女がいたから、どんな苦しみにも耐えられた。捨て去りかけた自らの希望も、その手の中に持ち続けられた。
彼女がいたから人生の転落すらも自分の中に受け止め、今まで生きてこられた。
「苦労なんてないわ」
「だが……」
男は知っていた。彼女の服が古い者の仕立て直しであることを。子供の靴下が、古いセーターの編み直しであることを。あの華やかな世界にいた彼女が、服一つに苦労していることも。
「大丈夫。本当に辛いことなんて無かったの。だって、あの子もいてくれるのよ?」
「……そうか」
「ええ。だから私は大丈夫。安心していいから」
妻はそういって笑いを浮かべて見せたが、その表情に微かに滲む深い悲しみが男にも感じ取れた。
ランプの炎がぱちりと小さくはぜた。
神聖ともいえる静かで静謐な空気が二人の間に流れた。
この夫婦は、これが最後の瞬間だと無意識のうちに感じ取っていた。だから彼女は、夫の言うことを一言一句も聞き逃さないよう、注意して耳を傾けた。
「せめてもう少し何かを残してやれればよかったね」
密やかなため息をつくと、男は辛そうに目を閉じた。
「私たちなら大丈夫よ、何とかなるわ」
「……そうか……」
静けさの中で、男はふと過去を回想した。華やかだった頃の自分と、質素なまでの生活に身を置いた自分。どちらが幸せだったろうか?
男の意識が朦朧と過去を彷徨っているのを、女はただ静かに見つめ、男が再び口を開くのを待った。部屋の中に聞こえるのは、ランプの炎がはじけるかすかな音と、お互いの呼吸だけだった。
永遠に続くかと思われた沈黙の中で、女は、大きく静かにはき出される男の最後のため息を聞いた。
「……あなた?」
返事が返ってくることはもうないと知りつつも、彼女は男に語りかけた。
「あなた……逝ってしまったの?」
男からの返事は、永遠に帰ってくることがなかった。女は伴侶が永遠に失われたことを知った。
彼は遠くへと旅だったのだ。
彼女を置いて……。
男は自らの人生の幕を、一人静かに回想の中で引いた。それは彼にとてもふさわしいと、彼女はぼんやりと考えた。
残された女は、揺らめくランプの明かりを呆然と眺めて、ただただ涙をこぼすだけだった。
「ただいま! お母さん、お父さんは?」
隣の部屋から、軽やかな足音が聞こえ、女の傍らに小さな男の子がやってきてそっと寄り添った。
男が残したものは、この家のある山と、ある秘密の財産とこの男の子だけ。
だが、それだけでも女の支えにはなるだろう。
「坊や、お父さんにお別れして……」
女の一言で少年は全てを悟ったようだった。
「お父さん、死んじゃったの?」
震える声で尋ねる少年に、女は黙って頷いた。
「……お父さん……お父さん! やだよ、起きてよ<」
男の亡骸に縋り付いて泣くわが子を見つめていると、止めどなく涙が溢れてくる。だが、彼女は涙を拭ってゆっくりと立ち上がり男の亡骸に背を向けた。
男との別れが済んだ後、彼女にはやることがあるのだ。それを完璧に成し遂げなければならない。
「何が何でもこの子を立派に育ててみせるわ。いつか本当のあなたを教えるまで」
女は扉に手をかけて、部屋を静かに出ていった。
彼女のなすべき事をするために。




