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呑気な冒険者たち  作者: さかもと希夢
消えた薬草を追え
14/224

<6>

 夕刻、商人達が大量に宿へやってきた。

 フィリアに介助して貰ってお風呂を終えたアンナは、少しだけ動く体で無理を言いまくって、リッツに抱きかかえられて、こっそりと食堂に身を潜めていた。古いカウンターには所々節穴や隙間があって、裏からリッツやフランツ、それから商人たちを覗くのに、何の不都合もない。

 リッツに至っては、頭を掻いて呆れられたが、しまいには『特等席じゃねえか』などと笑われてしまった。

 リッツが頭を掻いて呆れ顔をする時は、だいたいアンナを面倒な子供だと思っている時だから、ちょっと癪だったけれど、二階で寝ていなさいなんて好奇心旺盛なアンナに出来るわけがない。

 正直にいうと、たった一人で目覚めた時、アンナは怖くて不安で堪らなかった。アントンの元に返りたいぐらいに不安に震えてしまった。

 でも生きて目が醒めたと言うことは、リッツが本当に最後まで走ってくれたからだと気がついた。アンナを時折面倒がるリッツなのに、アンナのために一生懸命になってくれたことが嬉しくて、心の中でリッツに感謝した。

「よかった……死ななくて」

 アンナは一人の部屋で静かに呟く、他の二人にはいわないでおく本音をしみじみと噛みしめた。もうダメだと思った時、死んだら両親に会えるかもな、なんて考えたりもした。まだ両親とも死んでいると決まったわけでもないのに。

「よかった、生きてて……」

 深く安堵のため息をつき、水の精霊王に感謝の祈りを捧げる。

「安らぎと癒しを司どりし、水の精霊王よ、感謝します。何とか助かったみたいです」

 静かな時間の中で、そっと様子を見に来たリッツと目が合った。その瞬間のことは忘れられない。何故か髪が乱れたままのリッツが、アンナの顔を見て心底安心したように笑ったのだ。その笑顔がとても印象的で、それだけで何だか嬉しくて、不思議だった。

 それからは何だかドタバタとしてしまったのだが、さすがにリッツに風呂の介助をされそうになった時は、内心焦った。保護者だから、アンナが女だということをすっかり忘れ、面倒を見てくれる気でいたようだ。

 リッツの事はお父さんみたいで大好きだけれど、さすがにそれだけは恥ずかしすぎる。アントンに介助されるのも絶対に恥ずかしいけど、リッツだったらもっと嫌だ。

 それにアンナはもうそんな歳でもないんだけどなと思う。リッツから見たアンナは、どれだけ子供に見えているんだろう。アンナは自分では結構大人だと思っているんだけれど。

「ここが『女神の掌亭』か?」

 商人たちのざわめきでアンナは我に返った。いけないいけない。ボーッとしてては何のためにリッツとフランツを拝み倒してここに潜んでいるのか分からない。

 一応リッツたちから説明は全部聞いた。だけど内容のほとんどをちゃんと理解していない。だから後で話を聞くぐらいなら、ちゃんとここで聞いておきたいのだ。

 そっとアンナは穴からホールを見た。丁度いいことにアンナが両目を出せるだけの穴が開いているのだ。もともとここにもう一つテーブルが着いていたらしいが、板ごと外してしまったらしい。

 沢山の商人たちを前にして、フランツは全く動じずに足を組み、少し座り気味の目で前方を見据えていた。こんな事をしたことがないので内心はひやひや何だろうなと思うけど、無表情がフランツ自身を救っているようだ。

 フランツの無表情は、作っているものではないらしいと、旅の途中で気がついた。フランツは笑わないけれど怒る。怒るとすぐに分かる。不機嫌にもなる。不機嫌もすぐに分かる。だけど嬉しかったり喜んだりすることが出来ないようだった。

 きっと内心は嬉しいんだろうなと言うときもあるし、悲しそうだなと言うときもある。でもずっと感情を押し殺してきたから、自然と表情が動かなくなってしまったらしい。

 アンナはサラディオのヴィル・ルシナの顔を思い出してやるせない気分になった。アンナは孤児だけど、環境に恵まれて幸せに暮らしていた。でもフランツは本当の親なのに、表情すら父親に奪われている。上手くいかないことも世の中にはあるのだ。

 そんなフランツの隣にはリッツが仁王立ちで控えている。いかにも用心棒然としたその表情は、あまりに似合いすぎて、リッツの正体が益々分からなくなる。その表情は、やはりサラディオで傭兵を演じているときに見たものだった。

 妙にリッツには似合うけれど、アンナが好きな顔ではない。

 こうしている間にも、商人達は一人、また一人と増えていく。席はとっくに無くなって、立ったままじっと待っている商人もかなりの数になってきた。 だが、まだやってくる。全員が集まるまで、とにかく待つことしかできない。アンナも加わった先ほどの打ち合わせの中でリッツが立てた作戦とは、簡単にいうとこんなものだった。

 まずリッツが滔々と、薬草が街に入荷しないから、ヴィル・ルシナが怒っていることを伝える。それで、商人達を少々脅すことになれば、なおいい。

 そこで、フランツが今の現状を見に来たことを告げる。村から薬草が無くなっている事実をそのままヴィル・ルシナに報告してもよいのだが、自分が何とかしてやってもいいと、温情のありそうなところを示す。

 多分商人は乗ってくるだろうと、自信ありげにリッツが笑っていた。フランツもため息混じりに『もうけ話があれば商人は沸いてくる』と商人を虫扱いしていたけれど、どうやら集まるのは本当らしい。そこで、金額の要求に移るのだ。

 フランツの役回りは、いつもの無表情さで、サラディオの商人を見下ろし、村人を脅さないよう契約書を交わさせることだった。そのための契約書は、あらかじめルーベイ夫妻に紙とペンを貰って作成していた。この契約書は、フランツの努力の結晶である。

 一生懸命に契約書を書くフランツの字はかなり汚くて、ちょっと驚いたけれど、きっちりと契約書を書き込んでいくのはさすがだった。

 アンナにはそんなことさっぱり分からない。

 商人達が集まり始めて、約半時間。どうやらこれ以上やってくるものはいないようだ。十席しかない宿の食堂には、人いきれがするぐらいの商人達がぎっしりと詰め込まれていた。その数およそ四十人。

 誰もがひそひそと言葉を交わしながら、フランツとリッツの様子を窺っているのが痛いぐらいに分かった。身を隠しているというのに、アンナまで何だかドキドキしてきた。

 この大勢を目前にしているフランツは、さぞかしドキドキしているだろうけれど、でもこの人数に圧倒されることも戸惑うことも、フランツに許されていなかった。求められるのはただ冷静に人々を眺めていることだけだ。

 大変だなぁと、しみじみ思うけれど、助けようがない。アンナがここにいる絶対条件は、決して口を開かないこと。これただ一つだ。

 もし破ったら、俺が念入りに風呂に入れてやるぞと、リッツに怖い脅しを掛けられている。それだけは絶対に嫌だ。

「じゃあ、そろそろ始めようか」

 リッツが発した一言で、商人達の間からざわめきが消えた。水を打ったように静かになる。アンナも両手で口を塞いだ。

「俺たちが何故この村に来たのか……それはサラディオの商人達に聞いただろう?」

 商人達が、一斉にサラディオ商人達を見る。何だか居心地がよくなさそうだ。もしかしたら、何も事情を知らされず、やってきた者も多いのかもしれない。

「俺たちの街の商人だけ集めたつもりだったが、随分と沢山集まったようじゃねぇか」

 ことさら、野卑な言葉遣いをすることで、リッツは商人達を静まらせている。

 何だかリッツって色々な表情があって、役者さんみたいだ。ルーベイ夫妻に接するときは、丁寧で人がいいお兄さんで、アンナたちといると気は、陽気で明るい世話焼き兄さん、そして傭兵のふりをしているときは、本当に怖い傭兵さんだ。

「まず、お前らに聞くぜ?」

 リッツの低い問いかけに、サラディオ商人達は身をすくめる。

「我らが領主様は、薬草が手元に届かないことに、大いにお怒りだ。分かってんだろ?」

 リッツはこの演技を、かなり楽しんでいるみたいだ。

「理由によっちゃあ、お前らの商業権を取り上げるって、すごい剣幕だったぜ。ま、俺には関係ないけどよ」

 不適な笑みを浮かべるリッツに、大量の汗をかいたサラディオ商人が歩み寄る。紋章のことはフランツに聞いて知っているから、サラディオ商人だけは見分けが付く。

「そんな……なぁ、何とか取りなってくれるんだろ? この状況じゃ無理だって、あんたにも分かるだろ?」

 第一段階成功。心の中でリッツは、ほくそ笑んでいることだろう。

「さ~てね。ま、考えてやらんこともねえよ」

 何だかリッツは段々乗ってきたようだ。

「でもまぁ、街ででけぇ顔しているお前らが、おたおたすんのも、見てみてえ気もするけどな」

 もしかしてリッツ、サラディオで野菜を売るのに困った時の仕返しをしているのかもしれない、とアンナは気がついた。確かにあの時は大変だったと、しみじみ思い出す。

「そんな……」

 絶句する商人を、リッツは小気味よさげに見下ろした。これは演技じゃないやっぱり商人達にあの時の恨みをぶつけているのだ。

 仕返しってあまりよくないよなぁと思うけど、口を開くのは厳禁だ。

「俺は領主様に、お前らがおたおたして、何も手に入れられねぇうすのろだと報告することも出来る」

 商人の顔は、彼らの命である契約書くらい真っ白になった。そんなこと報告されては、本当にあの街で命取りだろう。

「何とかしてくれ!」

 商人が心の叫びをあげた。リッツが先ほどから腕組みしながら黙って座っているフランツを見た。打ち合わせでは、この辺でいいか? という合図なのだが、彼らにはそう見えないらしい。どうするかの裁定を、リッツがフランツに尋ねているかに見えるのだという。

 商人たちはこの場の支配者であるフランツの返答を、息を飲んで見守っている。でもフランツはリッツに向かって頷いてみただけだった。それを見て、リッツも頷き返す。この辺でいいだろうの合図だ。

 ここから本当の交渉に入るのだ。

「フランツ様はな、何とかしてやってもいいってよ、お前ら感謝しろよな」

 サラディオ商人達が、皆安堵のため息をもらす。フランツの考えは、そのままヴィル・ルシナに繋がっていると考えているからだ。もしフランツが家を燃やして家出してきたと知ったら、商人たちはさぞかしびっくりするだろう。

「俺とフランツ様が、何とか解決してお前らを薬草と一緒にサラディオに返してやるぜ」

 これには他の商人達もどよめいた。街に帰れないのは、彼らも一緒だからだ。口々に同じ街出身者と密談を始める。

 第二段階も問題なし。次は金を出させることだ。

 リッツは、ニヤニヤと商人達を見下したような笑みを浮かべて、話を続けた。

「……でもよ、まさか俺とフランツ様をただ働きさせようってんじゃないだろうな?」

 商人達は、一瞬静まりかえってから、一層声高に話し始めた。やっとサラディオ商人が彼らを集めた理由を知ったのだ。

 アンナはこの作戦を考え出したリッツの説明を思い出していた。

 もし本当に解決した場合、金がサラディオ商人達だけから巻き上げられて、他の国の商人がのうのうと薬草を購入して帰っていくのが、サラディオ商人には許せないらしい。薬草は欲しい、それを持って帰りたいが、自分たちだけが損をするのは許せない。

 でも薬草盗難事件が解決するという見込みは今のところない。だがこの得体の知れない男に任せて大丈夫なのだろうか?

 そう思い悩むはずだという。そこから金の計算になっていくから見ていろというのだ。

 びっくりするぐらいにリッツの読みは当たっていて、アンナはため息をついてしまった。リッツって……本当は何者なんだろう。

 アンナが考え込んでいると、サラディオ以外の街から来た商人が、口を開いた。

「勿論、成功したら報酬を払えばいいんだろ?」

 本当に金のことになった。この質問に全員が注目している。上手く行くか分からない話に最初から金を払うのは、皆嫌なのだ。

 だが、商人達は最初に契約を交わさなければ、約束を反故にする可能性がある。ここは始めに彼らと契約書を交わし、フランツの作った契約書に全員の署名をさせなければならない。

「何言ってんだよ、お前らが俺を雇うんだぜ? 一時期だけどな。報酬の半分は先に貰わなきゃ割にあわねぇよ」

 リッツの言葉に商人達は鼻白んだ。

「あんたの腕が信じられないんだ! 金を先に払えるか!」

 あちこちから、そうだそうだと声が挙がる。リッツは懐に手をつっこみ、取り出したものを床にたたきつけて見せた。それは証明書の束だった。

 一番前にいた、サラディオ商人が疑わしげに手に取る。そこにあるのは、この大陸に存在する一つを除いた全ての国の通行許可書と、いくつかの国の傭兵契約書だった。

 驚愕した顔でリッツを見上げた男が、恐る恐る聞く。

「本物か?」

「あたりめぇだろ、偽物持っててどうするんだよ」

 これを打ち合わせの段階で見せられたアンナとフランツも驚いた。これだけの通行証明書を持ち、最高と言われる軍隊を持つ国家の傭兵契約をしていたリッツはすごい。だってこれだけ多くの国に行ったと言うことなのだから。

 感心するアンナとフランツに、リッツは得意げにこういったのだ。

「どうだ、これだけの国の喰いもんを食べてきたんだぞ!」

「それすごい!」

「だろ!」

 思わず感動してしまったアンナに、リッツが得意げな笑みを浮かべ、フランツは大きくため息をついた。こんなにすごいリッツだけど、これ以上の何もリッツは話してくれなかった。

 詳しい話はまた今度と、あっさり身分証をしまわれてしまったのだ。リッツにはいえない理由が色々あるらしい。そこのところはきっといつの日か教えてくれるだろうと、アンナは勝手に納得した。

 商人達はその通行証と契約書を見て、本物だといちいち確認していた。リッツは、冷ややかな目でそれを見ていた。自分の元に返ってきた書類をテーブルの上に載せ、改めて商人達を見渡す。

「どうだい? これでも俺が信じられねぇんなら、この話はなかったことにしてもいいんだぜ?」

 リッツの一言に、とりわけ屈強そうな商人が他の人たちをかき分けてやってきた。

「まだだ、この俺と勝負して勝ったら契約してやる」

「疑い深い奴もいたもんだ」

 リッツは肩をすくめて、椅子に立てかけてあった大剣を手にした。

「外に出て貰ってもいいんだぜ?」

 今まで見えなかったその大剣の登場に、屈強そうな商人は黙った。この大剣を振り回すような男と、対等な勝負が出来るわけがない。普通の人ならそう思うに決まっている、とはリッツ本人の言葉だ。

 本当にそうらしく、男は肩を落とし、小さく呟いた。

「……分かった契約しよう」

 その男が認めた時点で、ここにいる全員が承諾したも同然となった。商人達が静かになって、ようやくフランツの出番だ。

「商人の契約は神聖なものだ、僕がこの契約書を作った。納得したら全員サインしてくれ」

 フランツが立ち上がり、契約書を見せた。

「この契約書は、現在リッツ・アルスターの雇い主であるサラディオ領主の息子フランツ・ルシナの名において違えることなく交わされるものとする」

 フランツは契約書を全員に見えるように高く掲げ、自分の方に向け、読み上げた。

「この契約書は、リッツ・アルスターを雇い、事件の解決を依頼することに同意した時点で有効となる。契約内容を読むから、聞くように」

 無表情のフランツが、微かに震えているのにアンナは気がついた。きっとものすごく緊張しているに違いない。何しろフランツは領主の息子を演じることが、ものすごく嫌で最初は抵抗していたらしいのだ。それでも頑張っているフランツは偉い。

「一つ、事件の捜査をしている間は、決して我々に関与しないこと。事情を聞きに行った時は別とする。

 一つ、事件の解決まで、村外で待機すること。決して村人に関わらないように。

 一つ、この件の解決報酬はエネノア大陸共通通貨、二〇〇ギルツとし、その半金を前払いとすること。勿論全員で金額を同等に割り振ってきちんと支払ってくれればいい」

「二〇〇ギルツ? 無茶な!!」

 商人達の間から悲鳴に近い声が挙がった。アンナも商人側だったら悲鳴を上げるかもしれない。二〇〇ギルツは、金貨二百枚のことだ。今までアンナは、そんな大金を見た事はない。

 ちなみに銀貨一枚はベルセ、銅貨一枚はサーデルという。ちなみに軽食を食べるには、五サーデルもあれば飲み物まで付いて十分だ。贅沢せずに一日三食食べて、一泊安宿に泊まると、大体一人三ベルセほどで済む計算だ。野宿ならば一日大体一人十サーデルもあればいいらしい。

 つまり二百ギルツあれば、野宿を考えると余裕で海のある王都シアーズにまでたどり着けるのだ。これでとりあえず旅費の件は全面解決だ。旅を続けるなら王都で職を見付けて稼げばいいらしい。

 王都は巨大な街だから、金を稼ぐのに苦労はしないと言うことだ。

 フランツもリッツに法外だと抗議したが、リッツのその説明を聞いて黙った。それにヴィル・ルシナの息子が謙虚じゃ、余計怪しまれるらしい。

 実際には、彼らは百ギルツしか貰う気がない。つまり前金を貰って事件を解決した後、黙って村を去る予定なのだ。百ギルツあれば、この旅が長く続いたとしても、とりあえず大丈夫だとリッツはいう。

 三人旅だから、いつかは尽きるらしいけど。

「全員で割り振れば、たいした金額じゃないだろう?」

 冷たい目で見られた商人達は、黙り込んだ。一生懸命計算しているみたいだ。やがて彼らのそろばんは、依頼した方が賢明だという結論を出したようだ。

「確かに、たいした金額ではなさそうだな……」

 誰かの声に全員が納得し、我先にと契約書にサインをした。滞在が長くなる方が、依頼料より高くつくことに気がつくと、決断は早かったようだ。

 契約と共に、彼らは自分の財布から半金を納めていく。こうしてフランツの作った契約書が、四十人のサインで埋まった。その隣には、うずたかく積み上げられた金貨と銀貨合わせて一〇〇ギルツがある。

「いつから調べてくれるんだ?」

 商人達の言葉に、リッツは自信満々といった表情で言った。

「勿論、明日からさ。ま、期待して待ってろよ」

 金額を納めて契約したことでホッとしたのか、商人達の間に力の抜けた空気が漂った。

「さあてめぇら、フランツ様はお疲れだ。とっとと村の外にでろよ。お前らが認めた契約だからな」

 リッツの一言で、商人達はゾロゾロと外に出ていった。最後に残ったのはサラディオ商人のリーダー格だった。

「フランツ坊ちゃん、頼みますぜ。あと領主様にもちゃんと取りなしてくだせぇよ」

「お前はしつけぇよ!」

 縋る商人を突き出すように追い払って、『女神のてのひら亭』から追い出すと、リッツは扉を閉めた。先ほどまでとは打って変わった静けさが食堂を包み込む。緊張の糸が切れたフランツは、まだ乾いていない契約書に突っ伏した。

「いやぁフランツ、ご苦労さん。上手くいったじゃねぇか」

 リッツはニヤニヤしながらフランツの背中を叩いた。フランツは突っ伏したまま呻く。

「リッツこそ、立派な詐欺師だ」

「そうか? 俺が役者にならなかったのは芸術界最大の損失だと思うがな」

 リッツは上手く行ったので上機嫌だ。緊張やら疲れは全く見せない。これが場慣れしているということなのだろうか。

「リッツ、リッツ! 起こして!」

 アンナはカウンターの後ろからリッツに声を掛ける。

「おう」

 いつもの笑顔のリッツに軽く抱き上げられて、フランツの隣に座らされた。

「お前もよく黙ってたな。偉いぞ」

「わ~い。褒められた~」

「絶対に口を開くと思ってたけどな」

「また子供扱いだ~! 黙ってるぐらいちゃんとできるもん」

 むくれると、リッツは楽しげに笑った。

「悪い悪い。お前だって俺に風呂の面倒を見られるのは嫌だもんな」

「嫌だよ! 恥ずかしいよ!」

 本当に本気で子供扱いだ。何だか癪だが仕方ない。

「それにしても、フランツ契約書読み上げるとこ、無茶苦茶らしかったぜ。堂に入っててよ。領主の息子みたいだったな」

 おちょくるリッツに、フランツは突っかかっていく気力もないらしい。

「悪かったね、本当に領主の息子で」

 ぼそりと呟いたフランツは、相変わらず契約書にうつぶせたままだ。

「フランツ、一ついいか?」

 真剣なリッツの声に、フランツが顔を上げた。その顔に、アンナは吹き出し掛けて手で口を押さえる。リッツも必死で笑いをこらえていた。

「なんだよ、リッツ」

 不機嫌に言うフランツをみて、我慢できなくなって、アンナはリッツと同時に吹き出した。リッツはフランツの顔を指さし、笑い転げる。

「お前、書いたばっかの商人のサインが、顔に写ってるぞ!」

「え?」

 フランツが慌てて顔に手をやる。勿論触ったからといって分かるわけもない。

「顔にまでサイン貰うなよ!」

 フランツは、リッツを睨み付けてから、鏡を見に食堂を駆けだしていた。

 残されたリッツは笑いが止まらないらしく、椅子に座って笑い転げている。

「そんなに笑ったら悪いよぉ~」

 言いながらもアンナの笑いも止まらない。端正な仏頂面に手書きのサイン。これが笑わずにいられるわけがない。

「楽しそうだね、二人とも」

 この騒ぎに食堂を貸してくれたモリスが、ようやく出てこれたというように伸びをした。フィリアは夕食を作ってくれているらしく、奧から微かにいい香りが漂ってくる。

「いや、ははは、すみません笑いとまんなくて」

 ようやくこみ上げてくる笑いを抑えると、リッツはモリスに向き直った。アンナも笑いすぎて目頭に堪った涙をそっと拭った。

「食堂借り切っちゃってすみませんでした。おかげで助かりました」

 軽く頭を下げるリッツに、モリスは重々しく頷くと、リッツの正面に座った。

「盗み聞きしてしまったようで悪いんだが……本当にアーリエを取り戻してくれるのかい?」

 トゥシルの人々にとっては、アーリエのことが大問題なのだ。アンナにもその気持ちが痛いほど分かる。

 農民にとって、自分が丹精込めて育てた収穫物は、自分の子供のようなものなのだ。それを出荷するときの誇らしさは農民にしか分からない。それを奪われたら、どんなに苦しいし辛いだろう。

 不安げなモリスに、リッツは人の良さそうな穏やかな笑顔を作った。

「任せてください、とは言い切れませんが、出来る限り努力はしてみるつもりです」

 それを聞いてから、モリスは心配そうに尋ねた。

「我々も君たちに、報酬を準備した方がいいのだろうか?」

 リッツは真剣なモリスに、手を振った。

「まさか。金なんて商人に貰いましたからいりません。それに、モリスさんとフィリアさんは、アンナの命の恩人だ、そんなことしたら罰が当たっちまう」

 そう言いながらリッツが、大きな手でアンナの頭を撫でてくれた。

「そうですよ! 本当に感謝してるんです!」

 感謝に報いるには、報酬を貰うなんてとんでもないことだ。でも集まったお金を、あらかじめ用意していた袋に詰めながら、リッツが思案顔でモリスを見た。

「強いて言えば……薬草のいいところを色々安く分けてもらえれば嬉しいかな」

「リッツ?」

 見上げると、リッツは片目を閉じた。こういう時のリッツは、任せて大丈夫だとアンナは知っている。黙ってリッツを見上げていると、リッツは人の良さそうな青年の顔で照れくさそうに笑う。

「実は俺、薬草買うの忘れて来て」

「薬草を買わないで旅を? 剛毅だねぇ」

 今度はモリスが笑うばんだった。だけどなんだろう。モリスの中にあった、思い詰めたような感覚が消えている。リッツが報酬を求めたことによって、モリスが安心したようなのだ。

 理由は分からないけれど、そこに何らかの意味があるのだろう。

「アーリエが戻ってきたなら、おやすいご用さ」

 モリスは笑顔で請け負った。契約書なんてないけれど、この約束は、決して違えられないことにアンナは気がついた。

「頼むよ。この村を助けてくれ」

 その顔は、誰よりも真剣だった。本当に彼らに事件を解決して貰いたいのは、商人ではなく、この村の人々なのだ。リッツもそれに答え、決然とした表情で答えた。

「任せてください。俺の名にかけて、必ずアーリエ取り戻して見せますよ」

 自信に満ちた笑みを浮かべてそう言いきったリッツが頼もしくって、アンナはリッツを見上げた。すごい人だなぁとしみじみ感じる。

 リッツの役に立つようになりたいなと思う。子供扱いされないように、ちゃんと仲間になれるように、役に立ちたい。

「じゃあ、夕食の支度をするかな」

 モリスが笑みを浮かべて立ち上がり、代わりに前髪を濡らしたフランツが戻ってきた。どうやら今まで顔をこすっていたらしい。白い顔にこすった痕が赤く浮き出ている。よほど落ちにくかったのだろう。

「落ちたか、文字?」

「おかげさまでね」

 憮然としているフランツに、リッツは金の入った袋を押しつけた。

「ほれ、旅費」

「……ああ」

 財布はフランツ。どんなに金額が高くても、リッツはあっさりとフランツに託す。何だかすごい。

「んじゃ、夕食まで、明日からの打ち合わせをするか」

 リッツの提案で、フランツも席に着き鞄を開けた。そこには紙とペンとインク瓶が入っていた。さきほど契約書を作り上げたのもこの紙だ。食べ物やおやつが一切入っていないこの鞄に、紙と本だけが入っている。アンナだったら考えられない。

「まず現場を見たいところだけどな」

 リッツの言葉にアンナは頷く。

「うん。行こうよ!」

「馬鹿か。お前は留守番だ」

「ええ~っ!?」

「あのな、死にかけた分際で付いて来るとか言うな」

「やだ。行く! 農民を苦しめる人をやつけるんだもん!」

 断言すると、リッツは頭を掻いてため息をついた。

「……じゃあ……まず別のことから始めようか。今できるのはとりあえず、ルーベイ夫妻に話を聞くことだけだな」

 リッツの提案で、夕食を共に食べながら、二人の話を聞くことになった。

 モリス・ルーベイの証言。

「アーリエが盗まれた前日の夜は、雲一つないいい天気だったよ。畑を前日に見に行ったら、アーリエの葉がそよ風に揺られていたぐらいだからね。アーリエをちぎり取るような風は、全く吹いてなかった。それにアーリエだけを持っていける風など存在しないだろ? 他の薬草畑は全く被害がないんだ。

 見知らぬ人間? う~ん、見なかったなぁ。なんせ宿を開ける準備と薬草刈り入れを同時にこなす忙しさだったから、周りを見ていられなかったよ」

 フィリア・ルーベイの証言。

「私は、翌日の刈り取り作業のために、色々と準備を整えてたわ。そうね、モリスよりも遅く寝たけど、何も見なかったし、聞かなかったわ。風? 私の経験では、風が吹くような天気じゃなかったし、竜巻が発生しそうな感じでもなかったわね……最近見知らぬ人を見たか? いいえ、見てないわ」

 結果……何も詳しいことが分からない。

 二人だけしか聞く相手がいないのでは、こんなものだ。しかもこの二人は夫婦で、大体が一緒にいる。証言も似たようなものにしかならない。

「う~ん、これはやっぱり現場に行ってみるしかないんじゃないか?」

 食後のデザートに、クルミのパイをつつきながらリッツが唸った。それに対しては、アンナも同感だ。ここでジッとしてても埒があかない。

「もう少し村の事情に詳しいやつに話を聞かねえとな。最近の人の出入り、村の噂等々、何より重要なものは情報だ」

「でも、村人に聞いたら、怪しまれないかな?」

 フランツの言うことはもっともだ。村を脅かす商人達が、何故だか分からないけど消えたと思ったら、変な三人組が事件のことを嗅ぎ回ってるのでは、何かがあったのだと警戒してしまう。

「う~む」

 唸るリッツを見ていて、アンナは気がついた。一番偉い人に聞けば一番詳しくないだろうか。

「ねぇねぇ、この村の一番偉い人に聞いてみたらどうかなぁ」

「偉い人?」

「村長さんだよこの村を一番良く知っていて、その上事情通っていったら村長さんでしょ?」

 田舎の村育ちのアンナには、困ったら村長さんか神官様、という田舎の流儀がたたき込まれているのだ。

「そうだよな、村長いるよなぁ……」

「うん。いるはずだよ」

 同じ農業の村と考えれば、村への人の出入り、畑の生育状況、その他諸々は全て村長に報告されているはず。しかもその村長が村人に親しまれる人物なら、噂話の類を知っているかもしれない。

「問題はどうやって会うかだね」

 フランツが呟いた。確かに突然尋ねていっても会ってくれる保証はないし、気むずかしい人物なら、村の内情を聞き出すのも大変だ。村人と親しく付き合っているかなんてことは、分かるはずもない。

 ひとまずその考えは置いておいて、他の案を考えてみようと、三人で頭を悩ませてみたが、結局時間を浪費するだけで良い案も浮かばず、やむなくルーベイ夫妻に再登場して貰う事になった。

「実は、村長にお会いしたいんですが……」

 神妙に言ったリッツに、モリスは気楽に答えた。

「村長さんだな、分かった」

 あまりにもあっさりと会えそうな感じになってきて、かえって三人は顔を見合わせてしまった。どうやら村人と親しく付き合っているという項目はクリアしたらしい。

「村長さんって、偉いんですよね? 会うの大変じゃないんですか?」

 流石のアンナも思わず聞き返す。だが、ルーベイ夫妻は何となくおかしそうに笑った。

「さっきフランツ君の額に、文字が書かれていただろ?」

「……ええ」

 不機嫌そうに眉をしかめるフランツに、モリスは笑みを浮かべながら言った。

「あの名前、なんて書かれていたか読んだかい?」

「……いえ?」

「君の額に書かれていた名前は『ノルス・グライブ』トゥシル村長の名前だった」

「え……?」

「つまり村長は様子を窺いに今日、来ていたんだと思う」

 あまりのことに言葉が出ない。

「全員が商人かどうかなんて、確認したわけじゃなかったもんなあ」

 やがてリッツが呟いた。確かにあの大人数では、商人以外が潜り込むのもたやすいことだっただろう。考え込んでいたリッツをみて、何かを思いだしたフランツは、急に自分の荷物を漁りだした。

「じゃあ僕らは、村長からも契約金を取ったことになる」

 フランツが言いながら、契約書を取り出した。村人達から一銭も貰わない予定だったのに、これでは元も子もない。

「確かあそこにいた全員がサインしたはずだ」

 フランツが契約書を大事そうに広げる。

「これ、見てもらえますか?」

 契約書をフランツに差し出され、モリスがそれを受け取った。慎重に一番前から見ていく。彼の手がある名前の上で止まった。

「これ、これが村長のサインだよ」

 モリスが指さしたのは契約書の最後の名前だった。確かにそのサインは少し他のものと変わっていた、所属している街の名前が空欄なのだ。契約書は、もしも何かあった場合に、個人の特定が出来るよう、所属の街と名前を書き込むように出来ていた。そこが書いていないと言うことは、所属する街がないということになる。

「そんな細かいことまで見なかったなぁ」

 リッツは苦笑した。そもそも全員を商人だと思っていたのだから仕方ない。

「もう夜も遅い。明日、村長のところに案内しよう。それでいいかな?」

 確かにこの時間で訪問するには非常識だ。だからモリスの言葉に、頷くしかなかった。それにフランツはかなり疲れているし、アンナも本当は結構きつい。やはり体は重くて、横になりたい。

「今日は終わりだ。今日は休んで明日捜査開始ってことにしよう」

 リッツはあっさりとそう言うと、アンナを抱き上げた。

「こいつもどうせ付いて来るんだから、先にベットに放り込んで休ませてくる」

「ひどいなぁリッツ。何だかものみたいだよ」

 ちょっとふて腐れながら抗議したが、リッツは笑って取り合ってくれなかった。もしかしてアンナはリッツに取って荷物と同じなんだろうか。そんなのは嫌だな。

 だが疲れているのは事実だから、遠慮無く送ってもらうことにする。

 こうして長い一日が終わった。

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