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呑気な冒険者たち  作者: さかもと希夢
消えた薬草を追え
12/224

<4>

 翌日大分日が高くなってから、慌てて飛び起きたリッツは、アンナとフランツのいる隣の部屋に駆け込んだ。ついつい、寝過ごしてしまったようだ。

 ベットの中に、フランツはすでにおらず、ベットは綺麗に整えられている。アンナは、幸せそうな寝顔で眠っていた。枕元には、ほんのり暖かい薬草湯のカップが置かれている。フィリアが飲ませてくれたようだ。

 何から何まで申し訳ない。

 アンナは、まだ眠ったままだが、どうやらもう大丈夫らしい。あとは目を覚ますのを待つばかりだ。

 安堵のため息をつくと、自分がとんでもない格好をしていることに気づき、また部屋に駆け戻った。

 寝癖のついたぼさぼさの頭で、床に投げ捨てるように置かれていた服を着て階下に降りていくと、席に着き、昼食らしいものを優雅に食べようと努力しているフランツの姿が目に入った。

 目元にはまだかなりの疲れが残っていて酷いくまがある、目つきもどこか座ってるし血走っている、どうやら組んだ足は筋肉痛により、簡単には元には戻せないらしかった。それでも組み替えようと努力する姿が、やけにおかしい。

 無理をしているくせに、まだそれをリッツやアンナに明かそうとしない、そんな妙なプライドが大人ぶっているようで、帰って子供っぽい。だがそれを笑うと、燃やされそうだから辞めておく。

 リッツは丈夫だが、それでも精霊に燃やされるのはごめん被りたい。

「おはようリッツ」

 その顔つきで疲れていないふりをされても、おかしいだけだから辞めて欲しい。だがここは気づかない振りをしてやり過ごすに限る。

「おはよう、いや~寝ちまった」

 頭を掻き、あくびをしながら座ると、フランツの視線が突き刺さる。フランツには色々聞きたいことがあるらしく、じっとパンをちぎる手を止めてリッツを睨んでいる。他人にはそう見えるが、本人は見ているだけかもしれない。

 とにかく今日は目つきが悪い。聞きたいのは当然アンナことだろう。自分のせいで怪我をしたと思いこんでいるのだから仕方ない。

「アンナは?」

 ことさら冷静にリッツに尋ねる。

「ま、ラッキーにも毒消しの薬草貰ったし、今は楽になったみたいだ。大丈夫だろ」

「そう……」

 頷いたものの何となく腑に落ちないと言った顔をしたフランツを無視して、どっかりと腰を落ち着け、自分の寝癖だらけのぐしゃぐしゃの髪をかき回した。

「で、お前の方は?」

「宿屋はここ一軒しかないんだ」

「なるほどな」

 ならば当然ここに来るだろう。あれだけの怪我人がいるのに、宿を取らない奴はいないのだから。

「本当にアンナは無事?」

 淡々と再び尋ねてきたフランツを見返す。そこで初めて無表情なのに、目だけは妙に感情的なことに気がつく。

 なるほど、フランツは目を見ると分かり易い。フランツはアンナの怪我に責任を感じ、心配しているのだ。

「無事さ。お前よりよっぽど元気だぜ」

「……そう」

 フランツは微かに安堵の吐息を漏らして、再びパンをちぎった。思ったよりも分かり易い人物なのかも知れない。そんなフランツの気を楽にするために、リッツは笑みを浮かべて肩をすくめた。

「ま、俺の不注意だ。そんなに気に病むなよ」

 寝癖を直すふりをしてそう締めくくったリッツに、フランツは何も答えずパンを口に入れた。

 目だけ見ていると明らかに気が楽になっただろうに、そのことを素直に表情に表すことが出来ないようだ。難儀なことだと思いながらも、リッツは少々自分をもてあまし気味のフランツが、黙ってパンをちぎるのを見ていた。

 話が終わったのを見計らったかのように、リッツの背後で食器の合わさる音が聞こえてきた。タイミングよく食事がやってきたようだ。

「リッツ君、おはよう。よく眠れたようだね」

 モリスが、暖めたミルクとこんがり焼けたトーストを持って現れる。昨日の男たちのこともあるから、明るく振る舞いつつも、どことなく怯えている様子が見て取れる。

 モリスの後ろに付いてきたフィリアは、手には目玉焼きらしきものを携えていた。

「おはようございます、すみません何だか色々お世話になっちゃって」

 二人の緊張を解すべく自然な笑顔で挨拶すると、モリスは少し緊張がほぐれたように笑みを浮かべた。その表情からは、あの男達と同等にやり合えるリッツが、自分たちを助けてくれないだろうかと、期待している節もあるようだった。

 二人は、食事を出すと、リッツとフランツのいるテーブルに腰をおろした。

 その様子からどうやら二人は、リッツに相談するかどうしようか、今まで話し合っていた事が分かる。言い出すきっかけを探る夫婦の様子には、リッツも気がついている。

 だがフランツは当然のことながら何故こんなところに宿の夫婦が座っているのか分からず、困惑している。

 フランツは無言のまま、テーブルに着いたまま押し黙ってしまった夫婦とリッツを、奇妙なものでも見るかのように交互に眺めている。

 昨夜はここへたどり着くのに精一杯で、村の中を見る気力もなかったらしいフランツは、村の異変に気付いていないようだ。

「俺から、色々聞かせて貰ってもいいですか?」

 言い出しにくそうな夫妻のかわりに、リッツは明るく切り出した。

「この村の薬草屋が、全て休業しているのは何故です? この季節には確か、買い付けの商人がわんさか来てて、村がまるで繁華街みたいになるはずなのに」

 リッツの言葉に、フランツは目を剥いた。本当に何も気が付いていなかったようだ。モリスは、疲れたようなため息をつくと、暗い表情で、ぼそぼそと話し始めた。

「実は、この村の薬草を作るのに欠かせない、ある特殊な薬草が……全て盗まれてしまったんだ」

「盗まれた?」

「全て?」

 二人の驚きの声に、夫婦は重大なうち明けごとをしているかのように重々しく頷いた。

「薬草は、『女神のてのひら』の別名で呼ばれる、アーリエという葉で、収穫日の朝に根こそぎ奪われたんだ」

 モリスは淡々と事件を語り出す。

 トゥシルの村人は全員で巨大な共同農場を作り、アーリエの栽培をしている。宿屋を経営しているこの夫婦も、例外ではない。そもそも宿屋はアーリエの買い付けに訪れた商人のために開くのであって、こちらの方が副業に過ぎないのだそうだ。

 畑は、一晩でまるで突風でも吹いたかのような様に新しい葉を全てちぎり取られていたという。それだけならまだましな方で、酷いところでは、土が巻き上がっているところもあったらしい。

 リッツは黙ったまま風の精霊使いでもいるのかと考える。一晩でそんなことを可能とするのは、風の精霊使いが最も適当だろう。リッツの知り合いにも風の精霊使いがいるから、何となくイメージできる。

 再び黙ってしまった夫婦のために、リッツはまた助け船のように質問する。

「昨日分けて貰った薬草は無事だったんですね?」

 リッツが尋ねると、夫婦は悲しそうにうつむいた。

「あれは去年のものさ」

「……なるほど」

 それならほとんど量がなかったのも分かる。アーリエは一年に一度しかとれないのだ。

「他の野菜畑や薬草畑はどうでした?」

「無事だった。アーリエだけがやられたんだ」

「……なるほど」

 数ある薬草の中で、アーリエだけがこの村でしか手に入らない特殊な薬草だ。つまり最も高価なものということになる。

 何も知らないフランツが、モリスを見た。

「薬草があれば、色々作れますよね?」

 淡々と尋ねた無表情なフランツに、微かに身を引きながらもモリスは丁寧に答えてくれた。

「アーリエがなくても、薬草を作れるが効果が半減してしまう。この村の薬草はアーリエと調合することによって効果を倍増した特殊なものなんだ。アーリエがなければ、安価で手に入る気休めという代物に変わってしまう」

 それからと前置きして、モリスは声をひそめる。こんな事を考えてはいけないのだがと独り言のようにいい、アーリエのもう一つの利用法を話した。

「そのアーリエは、悪用しようと思えばいくらでも利用価値があるものなんだ。あらゆる薬草の効果を高めるからね……例えば毒草なんかにも効くっていうことだよ」

「それを企んだ人間がいると?」

 リッツが眉をひそめて尋ねると、慌てたようにモリスが首を振った。

「いやいや、それは分からない。でもこの村ではそれが一番恐れられていることなんだ。この村以外でアーリエはきちんと成長しないし、ここ以外で育てたアーリエには、そういう効果がほとんどないことが確認されてる。多分この村の土が、二本の川の恵みを受けているからと思うがね」

 フランツはよく分からないようだったが、リッツはそういうこともあるのだろうと納得した。

 確かにこの村は、川の丁度二股に分かれた先にある。二つの川……シーデナの森から流れ出す川と、女神の山から流れ出す源流が合わさってこの場所で土を堆積させたのだろう。この二つの川は、昔から土壌を肥沃にしてくれるといわれている。

「アーリエは特殊な加工しないと効果が出ない。その方法を知っているのは我々の中から選ばれた職人たちだけなんだ。だから盗んでも意味がないと思うんだが……」

 それだけ言ったモリスは再び黙り込んだ。モリスが言いたいことは分かる。もし盗み出した犯人がその加工法を知っていたなら、危険なことになりかねない。

「アーリエは運び出されたのかな……」

 黙っていたフランツが、ポツリとつぶやいた。それを聞いてモリスは首を振る。

「いや、まだ村の周辺にある。あれだけ大量のアーリエを人目に付かずに全て運ぶことは不可能だ。優れた情報網を持つ商人ですら、アーリエが運ばれた噂を聞いてはいないんだ」

 リッツとフランツは神妙な面持ちで頷いた。

 確かに街道を支配する商人に全く知られることなく、一年分のアーリエをどこかに運搬することは難しい。彼らの情報網は、街道に沿って張り巡らされているのだから。

「それにアーリエは摘み取ってすぐに乾燥させないと腐ってしまう。もし乾かすことなく運び出したら、二日と持たない」

「二日か……」

「アーリエを盗み出すんなら、乾かすはずなんだ。でもあの量のアーリエを広げて乾燥させていれば、必ず目に付く。なのに誰もそれを見てはいないんだ」

「なるほど……」

 つまり薬草はこの周辺にあり、村人のやり方で乾燥させられたりもしていない、ということだ。

 リッツは、腕を組んで考え込んだ。脳裏によぎるのは、背中で徐々に冷えていくアンナの体温のことだった。

 あんなことがまたいつ起こるか分からない。ならば完璧に準備することが最も必要なのだ。

 どのみちこの村で薬草を手に入れないと、今後の旅に不安要素を残すことになる。出来ればこの村でいい薬草を安価の卸価格で手に入れたい。

 それにアンナはまだ眠ったままである。どのみち、今この村を動くことは、出来そうにない。この夫婦には貴重な薬草を分けて貰ったりと世話になったし、このまま出て行くなんて事は出来ないだろう。

 そこまで考えて、ふと今の話に昨日の商人が話に全く絡んでこないことに気がついた。商人には商人の掟があり、品物を盗み出すのは御法度のはずだった。それを破ったものは、商業権が奪われ、その街から追放される。

 その上、各街の商業組織に通達され、この国での商売が一生できなくなってしまう恐れさえあるのだ。だが昨日の商人は間違いなくサラディオ商人だった。

 いくらサラディオ領主ヴィル・ルシナが小悪党だとしても、掟破りまでは許さないだろう。それにそんなことをして、薬草の流通を止めてしまっては、もうけが減り、彼の収入が減る。そんなことはあの強欲な男にとって、何よりも許せないはずだ。

 だとしたらいったい何故、あの商人達は、彼らを脅し、薬草を全て取り上げてしまおうとしているのか……。

「リッツ?」

 思考に沈んでいたリッツの意識を、フランツが引き戻した。どうやら随分長いこと黙り込んでいたようだ。

「悪い。ちょっとな」

 疑問はまず早めに片付けておく方がいい。モリスに向き直ると、リッツは口を開いた。

「昨日のサラディオ商人は何故、お二人を狙ったんですか?」

 リッツの言葉に、フランツが息をのんだ。だが説明するのも面倒だ。後でまとめて話せばいいだろう。

「私たちを脅かしているのは、正式な商人達なの」

 黙ったままのモリスに代わり、フィリアがため息をついてそういった。

「彼らは薬草をどうしても手に入れたいみたいでね。手に入れられないと帰れないって、薬屋や、普通の農家から残さず薬草を持ち去ってしまったわ。去年のものまで全て……。代わりにお金を叩き付けるように置いてね。でもそれって私たちにとっては盗まれるのと何ら代わりはないわ」

 頷くリッツの傍らで、フランツがうつむいた。サラディオ商人の子であるフランツは聞いているだけでいたたまれないのだろう。

 そんな彼に気がつく様子もなく、フィリアは今までたまった不満をぶつけるように話し続ける。

「だからみんな、何とか自分たちの使う分だけ、私みたいに小麦粉壺に入れたりして隠しているの。見つかるとまた押し掛けて持って行かれるでしょう?勿論ここの立地上、サラディオの商人が一番多いわ」

 フィリアのため息に、フランツは怒りで頬を染めた。これはその商人達の行状に相当腹を立てているようだ。フランツだって商人の子で、商業ルールは嫌になるほど染みこんでいるだろう。ならば商人たちがどれほどの非道をしているか、よく分かるに違いない。

 拳を握りしめるフランツに気づいたリッツは、手だけで諫めた。このままではサラディオに戻って、自宅に火竜で再放火しかねない。

「この宿は、お客用の薬草ストックを全て持って行かれたよ。もう二人用しかない。それでも昨夜のサラディオ商人は、客が来たということは、隠している分がまだあるのだろうと、詰め寄ってきたんだ」

「そこに俺がでていったってわけか……」

 黙っているのも限界のフランツが、顔を紅潮させたままでリッツを睨み付け立ち上がった。

「サラディオの商人って、何?」

「落ち着けよフランツ」

「何があったか話してくれ!」

 大きな音を立てて椅子が床に転がる。それと同時に足の筋肉痛が戻ったのか、フランツは少々顔をしかめた。でもそんなことは彼にとって問題ではないようだ。彼のサラディオ商人嫌いは、もはや持病の域である。

「まあ、落ち着けよ、話すから」

 仕方なく、リッツは昨夜のことを話した。勿論、リッツがサラディオに知り合いがいるといったことは除いてだ。そんなことまで白状したら、燃やされるかもしれない。

「僕がいれば……」

 話を聞いて悔しそうにフランツは唇を噛む。確かにフランツがいれば、彼らは慌てて逃げていくだろう。何しろサラディオでの商業権が危なくなるのだから。

 だが残念ながらその頃フランツは、ベットで爆睡中だった。

「肝心な時に、僕は……」

 怒りに拳がふるえている。彼の感情は、サラディオ商人、中でもそのトップに立つヴィル・ルシナによって激高することが多い。まあ、あんなことがあってからまだ間もないのだから仕方ない。

 リッツに出来ることといえば、彼を宥めることぐらいだ。

「まあ、追い払ったんだからよしとしようぜ」

「でも……」

「仕方ねえじゃんか。終わったことはさ」 

 二人の様子を不思議そうに見ていた夫婦は、何かに気がついたようで弾かれたように顔を上げた。しまったとリッツが制止しようとしたが、全く間に合わない。

「もしかして、リッツ君の言っていた、ルシナ家に知り合いがいるって……」

「わーわーわー!!」

 大声でリッツが意味もなく叫び、ごまかそうとしたが、賢いフランツにばれてしまったようだ。フランツの顔色が変わる。やばい、非常にやばい。

 沈黙の中で、一人フランツは、体を小刻みに震わせた。怒らせてしまったようだ。やっぱりまずかったか。

「ルシナ家に知り合いが?」

 テーブルに両手をついて、フランツは低くそう呟いた。彼は、ルシナ家の一員として数えられるのが、死ぬほど嫌いなのだ。しかもその名前が利用されるのは尚更嫌いだ。

 リッツがそろそろっと立ち上がって後ずさる。急に激昂されて、前に火竜を出したように燃やされては叶わない。感情で暴走する精霊使いほどやっかいなものはないのだ。

「……そこのところを詳しく話してくれ」

「待て! 話し合うような目つきじゃないぞ!」

 本気で逃げ腰のリッツを睨み付け、フランツは椅子に座るように命令した。

「リッツ、座ったら?」

 口調は丁寧だが、すごみがある。

「嘘も方便っていうじゃんか、な?」

「な? じゃないだろ」

 なおもじりじり下がるリッツを睨み付けたまま、フランツは椅子を指し示す。目が、三白眼のようになっていて、本気で怒っているのが一目瞭然だ。

「ああいう時は、事を荒げないのが大切だろ?」

「座ったらっていってるんだけど?」

 感情が表情に出ない分、フランツの目はらんらんと輝く。このまま宿ごと燃やされてはルーベイ夫妻に申し訳ないから、渋々、リッツは椅子に座った。

 仕方ない。被保護者との間に後々にしこりを残さずにすます為にも、ここは怒られておくのがいいだろう。

「それで?」

「サラディオの商人だったから、ルシナ家の知り合いに言って、商売できなくしてやるって言ったんだ」

 傭兵隊長として戦場でその名を恐れられていたって言うのに、年若い庇護者に怒られるなんて全く持って、情けない限りだ。

 それでもまあ、焼死するよりましである。戦場にいると、精霊使いの恐ろしさは身にしみているのだ。

「僕は、自分が利用されるのがいやなんだ」

「ごめん!」

「ごめんでじゃすまない。僕は、サラディオもルシナ家も捨てたんだ!」

 あまりの剣幕に、夫妻は飛び上がった。申し訳ないなぁとリッツは心の中で二人に詫びた。本気で怒るフランツには悪いが、リッツの頭は既に他のことを考えている。

 当然今後どうするかということだ。探すにしても、何をどう探すのかさっぱり見当が付かない。商人たちが見ていないというのに犯人が街道を通ったはずがない。でも潜んでいるとしたら、一体どこなのかそれも見当が付かない。

 何しろ旅人の街道は、このあたりでは両脇を広い森に被われているからだ。森の中には泉のあれば、少し行けば川もある。食料さえ持ち込めば、どこにでも隠れる場所がある。

「聞いてる?」

 不機嫌にフランツに呼びかけられたリッツは、我に返った。そういえばフランツにくどくどと文句を言われていたのだった。

「あ、ええっと……」

 適当に誤魔化そうとした時、『女神のてのひら亭』を遠慮がちにノックする音が聞こえた。

「フランツ、お客さんだぞ。な?」

「だから?」

「私がでるんで、どうぞごゆっくり」

 張り付いたような笑顔を浮かべて、モリスが席をたった。席に取り残されたフィリアも、おろおろとするばかり。これには怒り心頭のフランツも、さすがに黙る。

 宿の客だったら、こんなに怒鳴り散らす人物が中にいたら、驚いて帰ってしまうだろう。そうなったら営業妨害だ。おそらくそんなことを考えているのだろう。

 本人に見えないように、リッツはこっそり笑う。商人の子なのが嫌なのに、やはり商人の子だ。しかも本人が、それに気がついてないのだからおかしい。

 静かになったフランツに、リッツは両手をテーブルにつき、深く頭を下げた。

「悪かった。でも暴力沙汰にしたくなくてな」

 リッツがそういってから、そっと顔を上げ、フィリアに聞こえないような小声で、フランツに耳打ちした。

「世話になってるのに、暴力沙汰起こして迷惑はかけられないだろ?」

 深いため息をついて、フランツは押し黙った。どうやら怒りつつも、論理的に考えて納得してくれたようだ。

 もしリッツがもめ事を起こしたら、商人達がわんさかこの宿に押し寄せてきて、リッツを出すように命じ、一悶着起きてしまうこと間違いなしだ。

 そうなればモリスたちに迷惑が掛かるだけではなく、フランツだって困ることになる。

 フランツは釈然としない顔で、リッツから目をそらした。

 とりあえず騒ぎを大きくせずに収めるには、サラディオ商人が相手なら、ここサラディオ自治領区内であれば、ルシナ家というブランドは、絶対の威力を持つ。事を平穏に収めるならそれが一番手っ取り早い。そんなことはフランツだって百も承知だろう。

 でも、理解しつつも、腹立たしいに違いない。

 テーブルに肘をつき、苦虫を噛みつぶしたように押し黙りながら扉の方を向くフランツに、リッツは安堵した。

 そんなフランツを見ていて、一番暴力沙汰から遠くにありそうなアイディアを思いついた。だがルシナ家の事でふつふつと怒りを燃やすフランツには、今はまだ話せそうにない。話したら大変なことになりそうだ。

 だけどそれをすれば、怪我人を出すことも、村人たちを恐れさせることもなく、事件を解決に導くチャンスを得られるかも知れない。

 今までのリッツは荒事を得意としてきたが、こうして年若い被保護者を二人連れて旅をしていく覚悟を決めたなら、最も二人にとってもいい解決法を考えてやらねばならないだろう。

 そう思いながら、リッツも扉に目を向ける。乱暴な叩き方ではないから、多分村人だろう。

「な、何ですか?」

 突然モリスのあげた大声に、リッツとフランツは、ハッとして立ち上がる。村人ではなかったらしい。

「今日は、お前に用事があるんじゃない、昨日の大きい男は何処だ?」

 扉を開け放って入ってきたのは、昨夜の男だった。連れてきた仲間は、五、六人だろうか? もしかしたら、昨夜の仕返しか?

 リッツは無意識に背中に手をやって大剣を取ろうとしたが、空を切った手に苦笑してしまった。寝起きだったのに、大剣をかついでいるわけがない。

「フランツ、なんか武器持ってるか?」

 小声で尋ねたが、何となくこのあとの返答は見当がついている。

「ない」

 フランツの返答はあっさりはっきりしていた。

「だろうな」

 食事に来るのに武器を持ってくる奴もいないだろう。仕方なくそろりそろりと立ち上がり、部屋の隅にあった箒を手にする。一人でも腕に覚えがある奴がいたとしても、とりあえずこれぐらいあれば何とかなるだろう。

 所詮相手は商人だ。

 だが、押し入ってきた相手の取った行動は、リッツの予想外のものだった。彼らは、リッツのところに来ると、頭を下げたのだ。

「へ?」

 これじゃあ、箒を手にしているリッツは、馬鹿みたいだ。フランツは、顔を見られないように、そっぽを向いた。そんなことしても無駄だろうに。だがそれを忠告する前に、リッツは男の言葉で絶句してしまった。

「あんたに、頼みがあるんだ。あんた、ルシナ家の私兵だろ?」

「はぁ?」

 とんでもない誤解だ。だがここにいる男達は、皆そうであることを信じ込んでいるらしかった。

「ちょっと待てよ、なんでそうなる?」

「ルシナ家の知り合いがいる、かなり強い……それだけで充分じゃないか。強い奴は、問答無用に私設傭兵部隊に入れられるって話だからな」

 確かに、リッツもつい六日ほど前、勧誘されたが、丁重に無視させていただいた。ルシナ家に知り合いがいるというと、こんな誤解をまねくのか。

「頼むよ、もうこれ以上の薬草集めは無理だ。領主にそういってくれ」

 彼らはお咎めなしでサラディオに戻りたいらしいが手ぶらじゃ帰れない。そこを取りはからえということなのだろう。

 そんなこと言われてもリッツにはどうすることも出来ない。と言うよりも今の状況では動きようがない。リッツたちが彼らを蹴散らしたとしても、彼らが薬草を狙うことをやめたりしないだろうし、薬草を探すにしても彼らが邪魔になる。

「う~ん……」

 リッツは箒を持ったまま、腕組みをして考え込んだ。

 策はある。あるがその場合一番嫌がるだろうフランツに視線を送ってしまう。

 背中でその視線を感じたフランツが、振り向きもせずに手でリッツの目線をはたき落とした。だが、二人のやりとりを、男達は見逃すはずもなかった。

「フランツ坊ちゃんですよね、そこにいるの」

 男が、ことさら縋るような声で彼を呼んだ。違うという風に首を横に振るが、それがかえって認めるようなものだった。

「俺たち、この村の外でテントを張ってたんだが、その近くをフランツ坊ちゃんらしい人が通ったんだ。見間違えかと思ってたが間違いない、あれはフランツ坊ちゃんだった」

 どうやらフランツは、この村に来る途中で見られていたらしい。それだけなら人違いで通るが、リッツの言ったルシナ家の知り合いがいるという言葉で、フランツだと決定してしまったらしい。もはや隠しようがない。

「……僕は、親父に何も言わない」

 仕方なく振り向いたフランツに、男達はもう跪かんばかりだ。なにせ、ヴィルのフランツへの溺愛は有名なのだ。彼の機嫌を損ねると、街での商業権が危ないことは知られている。

 男達は、黙りこくって、懇願するような目でフランツを見ている。

「……使えるな……」

 フランツにしか聞こえないような声で、リッツはぽつりと呟いた。やはり先ほど思いついたアイディアは有効だ。口元が緩みそうになるのをリッツは咳払いをするふりをして隠した。

「なに?」

 フランツも不審げにリッツにしか聞こえないように聞き返す。そんなフランツにウインクして、リッツは男達の前に立った。

「フランツ坊ちゃんと相談させてくれ。お前らをどうするかはそれから決める」

「リッツ、何を……」

 余計なことを言われないよう、リッツはフランツを鋭く見据えた。黙れと言うよりその方が早い。案の定フランツは微かにリッツから身を引いて黙った。

「大事な話だ。今日の夕方にでも出直してこい」

 男達は、黙って頷いた。どうやらその大事な話と、自分たちのことが関係していると思ったのだろう。

「分かりました、お願いします」

 まるで裁定を下される罪人のように素直に頷き、男たちは一人づつ静かに宿を出て行った。部屋の中に安堵のため息が漏れた。全員が全員、とりあえず一息つく。

「いや、どうなることかと思ったよ」

 始めに口を開いたのはモリスだった。

「それにしても、サラディオ領主のご子息とは……」

 モリスが、複雑な目でフランツを見た。助けて貰ったというのに、フランツがしかめ面でモリスを睨む。慌てたようにフィリアが夫を抓った。

「やめなさい、フランツ君、嫌がってるわ」

「僕は、サラディオを捨ててきたんだ」

 ボソッと呟いてフランツが俯いた。リッツは頭を掻く。フランツにとって、やはりルシナ家の呪縛は重荷なのだ。

 そんな重苦しい中で柔らかくフィリアが言った。

「暖かい薬草茶(ハーブティ)入れましょうね、落ち着くわ」

「……はい……」

 フランツは肩の力を抜き、無表情で頷く。裏表のないフィリアには、さすがのフランツも敵わないようだ。

 フランツを見ていると、フランツは自分の目の前にいる相手を、まず疑ってかかることに気がついた。でもフランツに対してほとんどの人間は、敵意を持っていたりしない。

 ここはサラディオではなく、みんながフランツの存在を知っているわけではない。

 もう少し力を抜いてもいいのだが、フランツにはそれも出来ないようだった。考えて見れば差し伸べられる手に総て思惑という名のラベルが貼られていたフランツにとって、いまだ対人関係は理解できないものなのだろう。

 お茶を沸かすために、モリスはフィリアにせっつかれて井戸へ水を汲みに出ていき、フィリアはお茶の材料を取りに行った。

「リッツ、さっきのはどういう事?」

 二人が出ていったのを見計らって、フランツは思い切り棘を含んだ口調と目つきでリッツを見据えた。少しだけ肩をすくめてから、リッツは咳払いをし、フランツを言い聞かせるように話し始める。

「フランツ、俺らには旅費がいるな? 勿論薬草だってここで買わないといけないだろ?」

「そうだね」

 険しい表情を崩さず、フランツが相づちを打った。

「それにだ、俺らはこの『女神のてのひら亭』に非常に世話になっている。何か恩返ししなくちゃいけない。これも分かるよな?」

「ああ、分かるよ」

 何せ行き倒れ寸前で薄汚れたフランツに、文句も言わずベットを貸してくれたのだ。しかも、ボロボロになっていたはずの服は綺麗に洗濯して繕われている。きっとフィリアが直したのだろう。

「世話になった俺たちは、彼らにお礼をする必要があるってわけだ。そこで俺はある非常にいい方法を思いついたんだ。聞いてくれるか?」

 なるべく明るく提案してみたのだが、リッツの提案に裏があると感づいたのか、目に嫌そうな表情を浮かべつつもフランツは黙って頷いた。

「俺は、実はユリスラ王国承認の、通行証を持っている。しかも傭兵としてな」

「それが何?」

「それで、当初は国王の名の下に、薬草を盗んだ犯人を捕らえに来たと、この街の商人達に信じ込ませて、薬草を盗んだ犯人を捕らえ、その上商人達から謝礼を頂こうと……こう考えたわけだ」

 唐突にそういうと、フランツの口がぽかんと開いた。

 最初に驚かせることで相手の意表を突き、後の話を簡単に進める。これもリッツの手の内だ。

「正気?」

「正気だ」

 至極真面目に頷くと、フランツは小さくため息をついた。

「国王の名を騙るって……不敬罪になる」

 深刻な表情で呟いたフランツに、リッツは頭を掻いた。

 実はリッツには二人に秘密の過去がある。だが今はそれを明かすときではない。

「大丈夫。以外と話が分かるから」

「……国王と知り合い?」

 フランツが声を潜めた。だがリッツに取って国王は遠い仲じゃない。どちらかというと懐かしい人物なのだ。

 まじまじと見つめられて、リッツは視線を逸らした。あまり詳しく話すと、過去がボロボロこぼれ落ちてしまう。だからふざけた口調でおどけて笑う。

「国王もな、昔は意外と放蕩息子だったぞ」

「そういえば今の国王は、内戦で王になったんだよね?」

 フランツが呟いた。意外と歴史に詳しいのかと身構える。

 リッツの秘密はまさにそこにある。だが待ってもそれ以上フランツが口にすることはなかった。心を閉じ、精霊使いの修行だけをしてきたフランツだから、詳しくは歴史を知らないだろう。

「リッツって……いったい……?」

 呟いたフランツに、リッツは苦笑した。詳しいことは話せない。話したくない。だから冗談で済ませば一番簡単だ。

「お前をルシナ家の人間だとばらしたお返しに、教えてやったんだからな、黙ってろよ」

 軽くそう言うと、フランツが肩をすくめた。フランツにはどこまでが冗談でどこまでが本気か分からないだろう。

「でだ、俺の秘密第一号をばらしたんだから、この作戦に乗って貰う事にするからな」

「第一号って、まだあるの?」

「秘密だ」

 本当はまだ色々ある。だがそれを明かしたくはなかった。フランツとアンナの保護者でいる間は、その秘密は不要だからだ。

 ため息をついたフランツに、リッツは笑いかけた。

「ま、それはいいとして、作戦を説明するぞ」

「……ああ」

「何だか俺は、奴らにルシナ家の傭兵だと誤解されちまったらしい。そこでだ、国王よりもホントっぽいルシナ家の名前をここで堂々と使おう」

「は!?」

 絶句したフランツにいちいち言い訳している時間も惜しい。このままたたみかけないとフランツは逃げてしまうだろう。

「俺が、実はフランツと共に、薬草の流通が滞ってる原因を調査し、しかもそれを解決に来たことにする。その間、商人達には村人にいっさい迷惑をかけないように約束させる。勿論、フランツ、お前の名においてな……悪いとは思うけど、それが一番効果があると思う」

「……」

 絶句のあまり言葉が出ないのか、フランツは言葉も無く口を開いて閉じた。このままたたみかけてしまえばこっちの勝ちだ。

「それで、調査、解決にかかるお金は、品物を持ってこない商人の責任だから、彼らが払うっと。これで一石二鳥、一挙両得。どうだ?」

 ことさら明るく言い切ったリッツを見たフランツが、がっくりとテーブルに倒れ込んだ。

「これじゃほとんど詐欺だ」

「詐欺じゃねえぞ。人助けといえ。それにお前の親父ならこれぐらいやりかねねえだろ?」

「……まあ……そうだね」

 渋々ながらフランツは作戦の有効性を認めたようだ。だがフランツは顔を片手で被って呻く。

「僕は……正直に言うと嫌だ。でもそれが一番いいのも分かる。確かにサラディオ領主の息子である僕が、僕の名において宣言すれば、商人達も大人しくしていると思う」

 リッツもフランツの複雑な心境は分かっているつもりだ。だがリッツは一人のフランツの苦悩より、助けてくれた恩人たるルーベイ夫妻と、商人に怯える村人全員の安全を選んだ。ルーベイ夫妻にとってこれが一番の恩返しになるからだ。

「少し、考えさせてくれないか? 僕にも考える時間が欲しい」

 言い残すと、フランツは全身を軋ませる筋肉痛をいたわりつつゆっくりと立ち上がり、二階に上っていった。

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