<8>
貨客船は定刻通り翌日の昼に、ユリスラ王国の隣国である、リュシアナ王国連合の港町ヴァレリーに着いた。
船が接岸し揺れが治まると、船倉にいたリッツとアンナは、慌ただしく船倉を追い立てられた。ランプと釘抜きは、船倉の隅にすでに隠してあったから、突然のことに慌てることもない。
急に明るいところに出されたリッツは、目を細めた。気が付けば、半日も真っ暗なところにいたことになる。
横のアンナを見ると、アンナも大きな目を細めて幾度もしばたいているのが分かった。明るいことのありがたさをしみじみと感じる。
船酔いが少し残っていて目眩を感じたが、たいしたこともない。おそらく思ったよりも早く仕事を終えて、結構よく寝たからだろう。
アンナが持ってきた食事を、想像していた吐き気が起こることもなく食べられたのも幸いした。
ようやく慣れてきた目で見渡してみると、甲板にはまだ船員達以外誰の姿もない。荷物を出すに邪魔だし、客と鉢合わせるのもまずいから、犯罪者は先に放り出そうというのが、船員達の考えなのだろう。
リッツもその考えが実にありがたい。なにより体を伸ばしたかったのだ。長身は色々と重宝なことも多いが、こうした状況では辛い。
だが感慨に浸る間もなく、リッツはあっさりと船員に両側を取り押さえられ、また身動きがとれなくなる。
仕方ない、開放感を味わうまで後少しの辛抱だ。小悪党の演技のままリッツは投げやりな態度で船員に文句を言い続けた。
そんなリッツの腰の辺りに、アンナがしっかりとしがみついていた。
こうしてくっついていないと、アンナまで両腕を固められて、リッツのように後ろから小突かれる羽目になりかねないからだ。
船倉にいる間に、アンナには決してリッツの名前を呼ばないことと、自分の名前を名乗らないことを堅く約束させた。
犯罪者として名前を残していくのは、リッツの立場上まずい。
そんなわけだから、アンナは一生懸命口を閉じようと努力しているようだ。その一生懸命な顔が、連行される犯罪者の相棒らしくて、船員に怪しまれることもなさそうだ。
船に横付けされたタラップの先には、一足早く降りて憲兵隊を呼びに行った船員と、憲兵隊員が三人立っている。
三人とも制帽を被っているから顔が見えない。あれは、本物のこの国の憲兵か……それともアルトマンの小隊か……それはまったく分からない。
意識して歩調を緩めると、船員が後ろから頭を殴った。
「ほら、とっとと歩け」
「いってぇな、言われなくても歩いてんだろ!」
むくれる振りをしながら大股に歩く。だが予想外なことが起きた。リッツの歩幅とアンナの歩幅が違いすぎたのだ。
腰にしがみついているアンナが、上半身だけ前に運ばれて、タラップの出っ張りに足を取られた。
「やべ」
小さく呟いて、反射的にアンナの体を支えようとしたが手が届かない。小悪党の演技をしている状況では、船員を振りほどくわけにもいかず焦る。
「わ、びっくりしたぁ」
リッツから手を放し、何とか転ばず踏みとどまったアンナが、笑顔をこちらに向けた。
考えてみればアンナは足腰が丈夫だ。足を取られたからといって、そのまま転倒することなどあるわけがない。ホッとしたのもつかの間だった。
「何をしてるんだ、このガキ」
二人を急き立てていた船員が苛立たしげにそういうと、アンナの首根っこを掴んで頭を殴ろうと手をあげたのだ。
気が付くと考えるよりも体が先に、その船員の手を掴んでねじ曲げていた。しまったと思っても時すでに遅しだ。今まではよかったが、今のリッツには例え演技中といえども、アンナに手を出す事だけは許し難い。
「うぉぉぉ」
苦しげな男の呻き声を聞きながら、リッツは内心がっくりした。せっかくサービスで最後まで小悪党の演技してやろうと思ったのに、これでは台無しだ。
「貴様!」
もう一人の船員に詰め寄られ、仕方なくリッツは船員を睨んだ。
「こいつには手を出すな。こいつに関しては、気が短いんだ」
今までとは違う雰囲気に飲まれたように、船員が顔をしかめ、腹立たしげに言葉を吐き出す。
「……子供を無賃乗船の手引きに使っておきながら、今更何を言うんだ」
「うるせぇ」
船員に警戒されると、ちょっとまずい。麻薬の取引を知っていたら、船倉が怪しまれてしまう。
さてどうしたものかと憲兵隊の方を見ると、憲兵隊の一人がゆっくりとした動作で、制帽を取った。そこにはとても見知った顔がある。
目があった瞬間に、その男は見事な口ひげを引っ張り、陽気な笑みを浮かべながらタラップを上がってきた。
緊迫した雰囲気に緊張していたアンナがその人物に気が付いて、嬉しそうに顔を綻ばせる。
「憲兵隊だ。こいつが無賃乗船者かね?」
余裕のある低い声でそう確認するのは、ユリスラ王国ではなく、こちらの国の憲兵隊の制服を着てはいるが、間違いなくユリスラ王国軍憲兵隊第三課第一小隊長アルトマンだった。
「そうだ。頼んだぜ、憲兵さん」
「分かった。引き取らせて貰おう」
後ろを振り返って合図をすると、アルトマンの後ろに控えていた二人の制帽を被った男達が、タラップを急ぎ足で上がってきた。
「それでは預からせて貰う。こいつらの乗船料は要求するかね?」
髭をしごきながら、のんびりとした口調でアルトマンが船員に尋ねた。
「できるんなら欲しいな。でもよ、金がねぇから無賃乗船だろ? 期待しちゃいねぇよ」
少々投げやりに、男がそう答える。憲兵隊とはあまり関わりたくないという態度が見え見えだ。
「それは賢明だな」
アルトマンはそれだけいうと、リッツを両側から抱えている男達に頷いて見せた。男達は頷き返すとリッツの両腕を持ったまま、アンナを促す。
一瞬振り返って船員の方を振り返ると、すでに船員は船内に戻っていくところだった。金になるならともかく、金がないなら憲兵隊に渡してしまえば後は興味がないということだろう。
「お疲れ様でした、閣下」
片方の腕を掴んでいた男がそう言った。リッツの身長では制帽に隠れたその顔は見えないが、声でその人物が誰か理解する。
「おう、相当疲れたぞケニー」
小声でそう呟くと、その声が聞こえたのかアンナが振り返り、マジマジと制帽の男の顔を見上げた。
「あっ、ケニーさんだ」
「アンナちゃん、久し振りだね」
そう、そこにいるのは査察官のケニー・フォートだった。もう片方の男を見てみると、それはゴードンという名のケニーの副官だ。
「お前ら、いつから憲兵隊になったんだよ」
連行される振りを続けながら呆れてそう尋ねる。
「そういうわけではないのですが……」
苦笑気味にケニーとゴードンは、言葉を濁した。そんな二人に変わり、アルトマンが答えた。
「残念ながら、まだ憲兵隊員になってはくれん。さぞかし優秀な憲兵隊員になれるだろうにな」
あまりにも楽しげにそういったアルトマンに、リッツは肩をすくめた。年齢はアルトマンの方が遙かに上だが、階級はケニーの方が上なのだ。
「そうなったら、アルトマンはケニーの部下って事になっちまうじゃんか」
「うむ。楽はできんようだな。ならば大臣を辞めたリッツくんでも構わんぞ。憲兵隊第三課は優秀な人材を求めておるからな」
「お断りだ。この年でもう一度下っ端からスタートはきつすぎる」
「残念だ。根本から鍛え直してやるのに」
「冗談きついぜ」
五人はタラップを降りて、港を歩き始めた。人混みに紛れたところで、ケニーと副官はリッツをようやく解放する。
やれやれ、昨日の夕方以来ようやくの完全なる自由だ。
朝と違って昼の港市場はそれほど活気に満ちているわけではないが、それでも他国だから王国の光景を見慣れたリッツには楽しい。
アンナにとっては初めての異国だ。全てが物珍しいようで、田舎者丸出しでキョロキョロと回りを見渡している。
「迷子になるなよ。ちゃんと掴まっとけ」
紐を付けるわけにもいかないからそう言うと、アンナは先ほどと同じように、リッツの腰の辺りに掴まった。
「ここでいい?」
確かにこの身長差では、掴まられるか手を繋ぐかしかない。だが手を繋ぐのは勘弁して欲しい。
「いい」
「じゃあ掴まってるね!」
アンナは元気にそう言うと、リッツのベルトをぎゅっと掴んだ。せめて腕にでも掴まってくれればいいのだが、それでも高すぎるか?
やれやれ、これでは本当に父と娘だ。がっくりすることこの上ない。
多少落ち込みながら凝った肩を軽く揉みほぐしていると、黙っていたケニーが口を開いた。
「閣下。実は小官は麻薬事件ではなく、別の任務でここにいるのです」
やけに暗い顔でそう言ったケニーだが、その深刻さとは裏腹に、困惑の色が隠せない。こういう表情をするということは、つまり彼らには気乗りしない任務と言うことだろう。
そうなると一つしかない。
「……エドの護衛か?」
「……ええ。この街にいる間だけです。陛下直々の命令ですので、断ることもできません」
ため息混じりの言葉に、首を傾げる。
「嫌なのか?」
「違います。このまま陛下が王都から去っていくのを止められないと考えると……」
確かにそれは、考えれば考えるほど頭が痛いことだろう。先々日まで国王だった男が、さっさと自国を出て行ってしまうのだから。
「まああれだ……あいつは気ままだからな」
慰めにも何にもならない口調でそういうと、ケニーと二人、同じようにため息を付く。
エドワードが昔から世界を回りたいと考えていたのは知っている。だが六十も半ばを超して元国王が他国放浪をするのはどうかと思うのだ。
物珍しげに回りを見渡していたアンナが、にっこりと微笑みながらひょこっとリッツの影からケニーを見た。
「じゃあケニーさんとアルトマンさんは、この街では一緒なんだね!」
「ああ」
「そうだが?」
リッツに体重を預けて歩きながら二人の方を見て、アンナは嬉しそうにそう言った。そんなアンナの言葉の意味が掴めずに、二人が困惑する。
だが次の言葉で二人とも微笑んだ。
「よかったぁ! お別れできなくて悲しかったんだもん」
そういうとアンナがリッツを見上げた。
「リッツもよかったね。ケニーさん達と仲良しだもんね?」
「……仲良しって言うか、なんというか」
「え~? 違うの?」
「仲良しってのもなぁ……」
言いよどむとアルトマンが、にっこりとアンナに向かって微笑んだ。
「仲良しさ。仲良し過ぎて私の名前を犯罪者の前で堂々と名乗ってくれてしまうほどな。そうだな、リッツくん」
満面の笑みで口ひげを引っ張りながら言われて、リッツは肩をすくめた。地下宝物庫強盗事件の時、強盗達に堂々とアルトマンの名前を名乗ったことが、ばれている。
「悪かったよ。あの場合、憲兵隊ってのが一番効果があったんだ」
「なぁに、構わん。仲良しだからな。なあアンナちゃん?」
「うん! よかったね、リッツ。お友達は多ければ多いほどいいんだよ?」
あまりに子供っぽいアンナの言葉に、返す言葉もなく苦笑してしまった。
仲良しという言葉は、ケニーやアルトマンとの関係に適切な言葉とは到底思えない。本来この二人と自分の関係は、上官と部下なのだ。
だがアンナから見れば、そういう風に見えるのだろう。
確かにリッツも、あえて上官然としないよう心掛けてはきた。軍において階級は絶対だろうが、自分は軍人ではなく、実力第一主義の傭兵の世界で生きてきた。
軍で実力のないものは、昇進しないだけだが、傭兵で実力のないものは死ぬ。それだけのことなのだ。
そのせいか、どうも軍における絶対的な階級至上主義になじめない。
リッツがそんな不穏なことを考えているとは、つゆとも知らないアンナが、しばらくすると小さなため息を付いた。
「私もお別れしたかったなぁ……。エドさんはみんなに内緒だって言うから、シャスタさんやジェラルド陛下やグレイグ殿下にも黙って来ちゃった」
その言葉の中にある、どうしようもない後悔に気が付いた。アンナにとってやはり黙っているのは心苦しかったのだろう。
寂しげなアンナの頭に手を乗せて、優しく叩く。リッツの手を頭に乗せたまま、アンナがこちらを見上げた。
そのじっと見つめる大きくて澄んだ緑の瞳を覗き込みながら諭す。
「もう会えないってわけじゃないんだ、そう落ち込むな」
「うん」
小さく頷いたアンナに、黙ったままだったケニーが優しく言った。
「私が陛下や殿下あての手紙を持って王都に帰るから、アンナちゃんは手紙を書くといいよ。仕事場が王城だから、それくらいは届けられるからね」
「本当ですがケニーさん?」
「本当だよ」
「お願いします」
さっきまでの寂しそうな顔はどこへやら、アンナは嬉しそうに顔を輝かせた。クルクルと変わる表情が豊かで、見ているだけで幸せな気分になる。
しかもその表情のどれもが、計算も打算もなく、純粋で可愛らしい。こういう顔を間近で見ていると、本当に幸せで胸が詰まる。
反面自分の二面性を引き合いに出してきて、後で落ち込むのだが。
ふと物思いに沈んでいると、アンナが見上げているのに気が付いた。見つめ返すとアンナが真顔になって言った。
「ねぇリッツ、お願いがあるの」
「ん?」
「この旅が終わって次の旅に出る前に、一度王都に寄ってもいい?」
「……」
アンナの言葉が予想外で、一瞬黙ってしまった。アンナのその言い方では、旅が終わっても自分とアンナは一緒にいるようではないか。
だがリッツは旅が終わってもアンナと一緒にいるとは、夢にも思っていなかったのだ。
この旅が終わっても永遠に近い時間を放浪する自分などに、アンナが付いてくる事なんて、絶対にあり得ない。
だから正直にアンナの言葉に驚いたのだ。
「だめ? ジョーに帰るって約束したの」
そう言うことなら理解できる。
アンナは親友のジョーに会いたいのだ。だからリッツがもう一度旅に出る前に、アンナを王都に連れて行って貰えないかということだろう。
それならばアンナを親元に返す前に、王都に寄ればいいだけのことだ。
「いいよ。連れて行ってやるさ」
アンナと完全に離れる前に、そのくらいの猶予があるのは、リッツとしても嬉しい限りだ。
「ほんと? よかったぁ~。ジョーにもリッツを連れて帰るって約束したんだもん」
「お前らはまた勝手に……」
わざとらしいため息を付いて文句をいうと、アルトマンが笑った。
「子供達に大もてで羨ましいことだ。いっそ退職後は初等学校の教師にでもなったらどうだね?」
アルトマンが、リッツのアンナへの気持ちを知ってもこの言葉は出てくるだろうか。おそらく出てこないだろう。
だから今は笑っておくことにした。
「冗談じゃないぜ。俺が教師になったら、優秀すぎて他の教師に妬まれちまう」
「たいした自信だな。リッツくんらしくていいぞ」
「ありがとうよ。あんたこそ定年後は、教職に就けばあってるぜ。その堂々たる態度と腹がな」
「私もそう思っているが、未だにお呼びがかからん」
退職まではまだ十年以上あるアルトマンに、そんな話が来るわけがない。
それにアルトマンは先日の王太子暗殺未遂事件での功績が認められている、現国王ジェラルドが最も信頼を置く軍人の一人だ。簡単に軍を離れられないだろう。
今はまだ知らされてはいないが、おそらくアルトマンは麻薬事件が完全に片付いて以後、段階的に二階級は昇進させられ、完全に階級上ケニーと並ぶだろう。
まあ、ケニーも昇進するだろうから、二人の階級差は軍にある限りずっと続くのかも知れない。
だがリッツは、この二人が階級と年齢を超えたところで、個人的な親交を暖めていることを知っている。
それに一役買っているのはアルトマンの腹をあれほど大きくした料理上手のアルトマンの妻であるらしい。
その後も馬鹿な話で盛り上がっているうちに、ケニーがとある建物の前で立ち止まった。
その建物はかなり大きく、窓の数だけ見ると五階以上はありそうだった。扉は開放されており、制服を着た男が二人立っている。
そこから見える内装は、赤を基調とした大柄な花をあしらえた、派手すぎないカーペットに、石造りの彫刻と、落ち着いた雰囲気を醸し出している。
古色豊かな銅板で作られた看板を見ると、そこには『潮風亭』との文字がある。
「ここが本日から数日間滞在頂く宿です」
ケニーの言葉にアンナが大声を上げた。
「ええっ! 高そうだよ? お金持ちじゃないと入れないよ!」
高級ホテルを目の前にしたアンナの言葉に、警備員が笑いをこらえている。保護者であるリッツは咳払いして誤魔化した。アンナの言葉はもっともだ。
今まで三人で旅してきた中で、高級な宿とは縁がなかったのだ。街に泊まる時は財布と相談して、安全が確実に確保できるが、高くはないギリギリラインをいつも探してきたのだから。
「リッツ、どうするの? お金なんてないよ?」
アンナがそう心配そうに言いながら、リッツを見上げた。
「心配するな。エドに宿泊代をつければすむ」
「リッツが借金するの?」
「まぁ。必要な場合はな」
そういうとアンナの顔が曇った。借金するなら泊まらなくても……と顔に書いてあるのが一発で読み取れる。
これは勿論冗談なので、それを分からせるためにアンナの頭に軽く手を乗せた。
「とまあ、冗談はさておき」
「冗談なの? 借金しなくていいの?」
「おう。お前ね、俺が半年どんな職業に就いてたと思ってんだよ」
「あ、大臣?」
「そうさ。知ってるか? 大臣ってな、宰相と同じぐらいの給料を貰ってるんだぞ? 国王の次に高給取りだ」
正直なところ、その給料はかなり高額だった。
クレイトン邸の維持費、アニーの給金、アンナとフランツとリッツ自身の生活費、高齢なエヴァンスに何かあった時のための、ジョーの成人するまでの生活費、旅をするために貯めていた貯金。
その総てに使っても、リッツの懐にはこの旅の間十分に夜遊びが出来るだけの金額が残っているほどなのである。
とはいえ、かなりの額をクレイトン邸の維持費に先払いしてきたから、かなり余裕のある旅が出来るとは言い難い。だがそれをアンナに言う必要もないだろう。
「なあんだぁ~」
安心してアンナは微笑んだ。それを確認してから、ケニーとアルトマンをゆっくりと見る。
「ケニーとアルトマンが案内したって事は、ここはタダだな?」
その言葉には暗に『タダじゃないとよそに行くぞ』というニュアンスを漂わせてある。二人はすぐにそれに気が付いて、苦笑した。
「勿論タダです。大公陛下には宿の名前を告げてありますので、お部屋でしばらくお休みください」
なるほど、エドワードが泊まるのに適したところを選んだというわけか。それならこのグレードの高さも納得がいく。
「じゃあ寝かして貰うわ。アンナはどうする?」
アンナのことだから、もっと街を見たいというのを予想していたのだが、意外にもアンナはリッツから離れなかった。
「私も寝るよ。座ったまま寝てたんだよ? あれじゃあ寝てるうちに入んないもん」
「そりゃそうだな」
考えてみれば数時間でも横になれたのはリッツだけで、アンナはずっと座り通しだ。そうなるとリッツも一安心だった。
迷子になられるよりも、一緒にいて貰った方が何十倍もましだ。それに放っておくと、またどこからか問題の種を拾い上げてきて、大事にするに違いない。
アンナのその困った癖は、一緒に過ごすようになってまだ一年にも満たないというのに、嫌と言うほど味あわされてきた。
「私の名前で部屋を取っています。ごゆっくりどうぞ」
ケニーはそう頭を下げ、港へと戻ろうとする。アルトマンもそれに倣った。
「アルトマン」
名指しで呼び止めると、多少真面目な口調に気が付いたのか、真顔でアルトマンが振り返ってこちらに戻ってきた。
「何だね?」
尋ねたアルトマンに、声を顰めて告げる。
「例の木箱は大箱で二つだ。両方に印を付けた。釘抜きで壁面に焼きごてを二つ。それから上の板を打ち直すときに、一カ所の隅に水色のハンカチを巻き付けて止めた。とりあえずそれで見付けてくれ」
焼きごてだけでは分かりづらい印を、アンナが工夫したのである。ハンカチは勿論アンナのものだ。
残念ながらハンカチは一枚しかなかったため、アンナは新品のハンカチを、勿体ながりつつ半分にしたのだ。
作戦が無事終了したら、エドワードに買って貰えといってある。
「偽装のために大豆の麻袋のど真ん中に、麻袋に入れられた麻薬の瓶が入ってる。調べてみたが、ありゃあ相当あるぞ。だけど麻薬の原液は一つもない」
もし、万が一にでも麻薬の原液があれば、それ相応の準備と覚悟が必要だ。だがここから見つからないという事は、もうないと思ってもいいだろう。
そもそも原液を管理していたのは、ウォルター侯爵一味だったのだから、下っ端如きがその存在を知っているわけもない。
「……了解した。世話をかける」
「別に構わねぇよ。その代わりといっちゃあ何だが、最後の敵を一網打尽にする時には、俺も仲間に入れてくれよな」
これは保険だ。
もし原液があり、あの怪物がいれば、憲兵隊だけでは手が足りないだろう。それならば怪物との戦いに慣れた自分がいた方がいいに決まっている。
笑みを浮かべ、片目を瞑ってそう言うと、呆れたようにアルトマンがため息を付いた。
「憲兵隊に任せてくれれば片が付くのに、お前さんも物好きだな」
だが口調からは嫌がっている感じを受けない。だからさらに畳みかけた。
「最近暴れたりなくてさ。こんな一大イベント逃す手はないだろ?」
「捕り物をイベントにされては堪らんな」
しばしリッツの顔を見ていたアルトマンがついに折れ、ため息混じりに苦笑した。
「……分かった。部下を呼びに寄越す。リッツくんの腕は分かっておるしな」
「サンキュ~。じゃあもう寝るわ」
「ゆっくり寝てくれ」
去っていくアルトマンの背中を見ながら、アンナが大あくびをした。
「リッツ~、眠いよ」
「そうだな。とりあえず寝るか」
食事はエドワードに奢らせるつもりだから、後でいい。とにかく今は眠かった。
それにアルトマンがあの麻薬の入った木箱を運び込む場所を確認しない限り、事は動かないのだから数時間の仮眠は余裕で取れるだろう。
『潮風亭』の入り口をくぐりながら、リッツも大きな欠伸をした。




