二人を縛っていたもの
「この七ヶ月あまり、おれは、どうしたら罪の償いができるのかということを考えてきました」
レッコーが話を始めた。
「初めは、自分のことを後回しにして人の役に立つことが、償いになると考えていました。でも、先日のブラドロの話を聴いて、まず自分と向き合わなければならないと気付いたんです――そこで、おれはなぜ、村のみんなにあんな嘘を繰り返しついていたのか、考えてみたんです」
「そうか」
タウロンが、先を促すように短く言った。
「そして気付いたんです。おれは……ギムデの教えに、反発していたんです」
「そういう話なら――」
タウロンが、少し慌てたように言う。周囲には、いつものように多くの僧侶がいた。
「場所を変えて、話してくれても良いんだぞ」
「いや、ここで話してもらいたい」
ファルゴが言った。
「レッコーが、それで構わなければだが。……我々には、その話を聴く義務があるように思う」
「ぜひ、聴いていただきたいと思います」
レッコーが言ったので、タウロンも頷いた。
「――おれは、小さい頃に両親を亡くして以来、神殿で育てていただきました。カルエレ様とアイナ司祭に……ギムデの教えを聴かされながら」
「うん」とタウロン。
「最も大切な教えは、『神を信じよ、同様に人を信じよ』そして『神を欺くな、同様に人を欺くな』というものでした。小さい頃のおれは、その教えを忠実に守っていました。しかし……いつからか、その教えに、違和感を感じるようになっていたんです」
「違和感?」
「つまり、嘘を全くつかない人はいないということです」
アイナがハッと顔色を変えた。
「人は誰でも嘘をつくのだとしたら、人を全く疑わないというわけにもいかないはずです。周りを見回してみても、嘘をつかない人も、人を疑わない人も、いやしないんです。それでもギムデの教義は、人を信じろという。考えれば考えるほど、どう考えて良いのか分からなくなりました。でも……それでも、おれは――」
レッコーは、決然とした表情で言った。
「おれは、アイナ司祭が大好きです」
しんとした食堂に、レッコーの声が響く。
「もちろん、カルエレ様のことも……だから、二人が大事にしているギムデの教義を受け容れられないとは、どうしても言い出せなかったんです。でも、教義に対する違和感を消すこともできなくて、二人が大事にしている教義の通りに生きられないことが怖くて……それで、うまく説明できませんが、あんな嘘をつくようになったんだと思います」
「それは……二人を困らせて、甘えていたということか?」
「そうです。もっと言えば、二人を試していたんです。教義に従って生きられないおれを、なお愛してくれるかどうか」
「なるほどな。正直であれという教えが、君に嘘をつかせたか」
タウロンがしみじみと言った。
「アイナ様、大丈夫?」
エーデが、青い顔をしているアイナに、気遣わしげに声をかけた。そして、レッコーを睨む。
「レッコー……取り消しなさいよ。まるで、カルエレ様とアイナ様が全部悪いみたいじゃない」
「違う。悪いのはあくまで、嘘をついたおれだ」
「それなら、なんで今更こんなこと言い出すのよ!」
「エーデ、良いのよ……」
アイナがエーデを、後ろから抱きしめる。
「優しいエーデ……でも、わたしは大丈夫だから。レッコーの話を聴かなきゃいけないのは、誰でもない、わたしなんだから」
「……レッコーが、極端なのがいけないのよ」
エーデがなおも言う。
「ギムデの教えっていったって、誰もそこまで、ギチギチに考えてやしないのよ。みんな、適当なところで妥協してるのよ……だって、人を疑わないなんて、そんなの理想よ、お題目よ! カルエレ様がレッコーの言うこと信じてないのだって、あたし、知ってたもん! 知ってたけど、そんなの当たり前だって思ってた。アイナ様だって――」
エーデはそこで、ハッと口をつぐんだ。
「司祭……」
レッコーが、何か言いかけた。しかし、ためらうように黙り込む。
広い食堂が、静まり返った。
「レッコー君」
口を開いたのは、タウロンだった。
「言ってみたまえ。君が言おうとしていることは、おそらく、司祭をも救うことになる」
「……司祭」
決意を顔に浮かべて、レッコーは言った。
「魔族が襲ってきたあの日、司祭は、おれの言うことを信じていませんでしたね」
「ええ、そうよ」
アイナが、不思議とはっきりした声で言った。しかし、すぐに顔を両手で覆って、嗚咽を漏らし始めた。エーデがレッコーとタウロンを睨みつける。
だが、アイナが次に口にしたのは、エーデにとって意外な言葉だった。
「やっと……やっと言えた」
「うん」
レッコーが頷く。
「レッコー、わたし、苦しかった。苦しかったのよ……」
「知ってたよ、司祭がずっと、そのことで苦しんでいたのは。でも、どうしてあげたら良いか、分からなかったんだ。ごめんね」
アイナは手で顔を覆ったまま、首を横に振った。
「わたしも分からなかったの。あなたを疑ってたなんて、言って良いのか。だって、わたしはいつも、あなたの味方でいてあげたかったんだもの……」
それだけ言って、アイナは静かに泣き続けた。
「おれが言いたかったのは、カルエレ様もアイナ司祭も、おれのことを疑って当たり前だったってことなんです。ずっと、それを言いたかったんです……」
レッコーが呟くように言った。
「わたしがいけなかったんだね」
ふと、カルエレが口を開いた。
「エーデの言った通りだよ。人を信じよという教え、わたしは決して厳格には守っていなかった。そんなことはできやしないと、心のどこかで妥協していたんだ。それなのに、アイナには教義に忠実であることを強要していた。だからアイナは、レッコーの言葉を信じていなかったこと、今まで言い出せなかったんだね。いつも教義に忠実なアイナが、レッコーのことだけは疑っていたなんて、言えないものね――そしてわたしの中のそんな欺瞞が、レッコーをも追いつめたんだ。わたしの、体裁ばかりの信仰が」
「カルエレ師、それは……」
タウロンが、焦ったように口を挿んだ。ギムデの司祭が、ギムデの寺院で口にして良いことではない。
だが、カルエレの表情は穏やかだった。
「言わせてください、タウロンさん。今、この子達のために正直であることこそ、信仰に適うと思うのです」
そう言われて、タウロンは黙った。
その時である。
「みんなに問いたい」
いつからそこにいたものか、食堂の隅に座っていたゲーンが、僧侶達に呼びかけた。
「ギムデの信徒になってから、一度でも嘘をついたことがある者は、手を上げてほしい」
瞬間、食堂の中がざわついた。しかし、徐々に静かになっていく。それと共に、ひとつ、ふたつと手が上がる。
とうとう、全ての僧侶達の手が上がった。
「みんな正直で、わしは嬉しい」
ゲーンは満足げにそう言ってから、カルエレの方へ顔を向けた。
「カルエレ殿、感謝いたします。我々は幸運にも、真の信仰を垣間見せていただいた」
「そんな……滅相もないことですわ」
そう答えて、カルエレは口をつぐんだので、再び沈黙が一同を包んだ。
タウロンが、レッコーの目を見ながら口を開いた。
「君が嘘をついていた理由と、アイナ司祭が抱えてきた苦しみ。君の話したいことは、これで全部かね?」
「はい」
「そうか……」
タウロンは少し間を置き、また話しだした。
「ギムデの教義が、アイナ司祭とレッコー君を縛り付けていたことが、明らかになった。しかし――」
話しながら、タウロンはアイナの方をちらりと見やった。若い司祭は、息を整え、懸命に話を聴こうとしているらしかった。
「信仰が人の精神を蝕む――それは絶対に、神の真意ではない」
レッコーは、タウロンが「絶対」という言葉を使ったことに驚いた。神の存在さえ疑うというこの若い神官が、「絶対」などという言葉を口にするのは、一度も聞いたことがなかった。
「そこで、ギムデの教義について、ちょっと考えてみよう。『神を欺くな、同様に人を欺くな』――これは良い。欺くかどうかは、己のことだからな。心がけ次第で、実行できるわけだ」
「はい」
レッコーが頷く。
「では、『神を信じよ、同様に人を信じよ』――これはどうだろう。君がさっき言ったように、人は誰でも、嘘をつく可能性がある。そのような人を信じるとは、どういうことなのだろうな」
タウロンはそこで、一旦言葉を止めた。
そこにいる全ての者が、じっとタウロンの顔を見た。
エーデ「アイナ様、大丈夫?」
アイナ(大好きって言われちゃった……ドキドキ)




