第二章 消えた光 エピソード6
足元が崩れたのは、穴に触れたときじゃなかった。
四人が同じ面に立って、位置を確かめようとした、その直後だった。
最初に違和感が出たのは、床の“硬さ”だ。
踏み込んだときに返ってくるはずの反発が、わずかに遅れる。遅れたあとで戻るのではなく、足の下の面そのものが形を変える。
ランドンが眉をしかめる。
「動いてるぞ」
言い終わる前に、面が波打った。
平らだったはずの床が、端から持ち上がる。ゆっくりではない。目で追える程度の速さで、しかし確実に形が崩れる。
アシャが体勢を低くする。
「これ、まずいな」
レイブンはその場で踏ん張るが、足場が一定じゃない。さっきまで平面だったところが、今は斜面になっている。
エメリーは周囲を見る。
壁と呼べるものがない。どこも同じ素材で、同じように歪み始めている。
「離れて」
短く言う。
「一箇所に集まると——」
言い切る前に、中央が沈んだ。
面の一部が下に落ちる。崩れるのではなく、押し込まれるように沈む。周囲がそれに引きずられて傾く。
ランドンが咄嗟に手を伸ばす。
「エメリー!」
腕を掴む。
だが足場が流れる。
足の下の面が横に滑り、踏み込んだ位置からずれる。踏ん張る力が効かない。
アシャがレイブンの肩を押す。
「こっち来い!」
レイブンは踏み出すが、その一歩が沈み込む側に入る。
膝まで沈む。
引き抜こうとするが、足が抜けない。底がないわけじゃない。ただ、面が押し下げられて、そのまま形を保たない。
エメリーが腕を振りほどく。
「掴まないで」
ランドンが歯を食いしばる。
「ふざけんな、離したら——」
「崩れる」
エメリーは言い切る。
「重さで形が変わる」
言葉通り、ランドンが引いた方向へ面が引きずられる。二人分の荷重が一箇所にかかって、さらに沈む。
アシャが短く舌打ちする。
「全員で沈むぞ、これ」
レイブンが顔を上げる。
足はまだ抜けない。
「どうするの」
エメリーは一瞬だけ周囲を見た。
波打つ面。押し込まれる中心。外側はまだ持っている。
「分ける」
ランドンが聞き返す。
「何を」
「重さ」
エメリーは一歩、外側へ踏み出す。
その瞬間、足場が崩れた。
中央だけじゃない。外周も同時に落ちる。
波が一気に内側へ集まる。
ランドンがエメリーの腕を掴み直す。
「離すな!」
エメリーは何も言わない。
ただ、反対の手でレイブンの手首を取る。
アシャがランドンの背中を押す。
「上げろ!」
誰を、とは言わない。
次の瞬間、面が完全に沈んだ。
足場がなくなる。
支えるものが消える。
四人の体が同時に下へ落ちる。
落ちるというより、引き込まれる。
視界が崩れる。
上下の感覚が消える。
光が歪む。
耳の奥で何かが鳴るが、音としては聞こえない。
エメリーは最後に、自分の手に残っている感触だけを確かめる。
誰の手かは分からない。
そのまま、意識が途切れた。
次に目を開けたとき、エメリーは固い床の上にいた。
光が目に入る。
ぼやけている。
すぐ近くで誰かが動いている音がする。
「……起きたか?」
声がかかる。
低くて、少しだけ気の抜けた調子。
トーマスだ。
エメリーは瞬きをして、視界を合わせる。
木の天井。見慣れた補修跡。光苔の配置も同じ。
さっきの作業場だ。
体を起こそうとすると、頭が少しだけ揺れる。
横でレイブンも同じように身を起こしている。
「ここ……」
レイブンが周囲を見る。
トーマスは腕を組んだまま、壁にもたれていた。
「いきなり倒れたからな。びっくりしたぞ」
大げさではない。淡々と言う。
エメリーはすぐに周囲を確認する。
床。
継ぎ目。
さっきの場所。
何も変わっていない。
「他は?」
短く聞く。
トーマスは首をかしげる。
「他?」
「二人」
トーマスは一度、作業場の中を見回す。
誰もいないのを確認してから、エメリーに視線を戻す。
「最初からいなかったぞ」
エメリーは何も言わない。
そのまま立ち上がる。
ふらつきはない。
レイブンもすぐに立つ。
「そんなはずない」
トーマスは肩をすくめる。
「俺が来たときは、お前ら二人だけだった」
嘘をついている様子はない。
いつも通りだ。
状況がどうであれ、言うことは変わらない。
エメリーは床にしゃがむ。
手を当てる。
押す。
反応は普通だ。
光を落とす。
細い線が下に伸びる。
分岐しない。
戻らない。
途中で消える。
さっき見た流れとは違う。
レイブンが低く言う。
「繋がってない」
エメリーは手を止める。
「ここじゃない」
トーマスが口を挟む。
「何の話だ?」
エメリーは立ち上がる。
説明はしない。
必要な情報だけを確認する。
「この区画の補修、誰がやった」
トーマスは少しだけ考える。
「記録なら残ってるはずだが……最近はヴェイルがまとめて入ってたな」
エメリーは頷く。
レイブンと目を合わせる。
言葉は要らない。
方向は決まった。
トーマスが二人の様子を見て、軽く息を吐く。
「まあ、なんかあったんだろうが」
深くは聞かない。
「立てるなら、まず水でも飲め。顔色は戻ってるが、倒れた直後だ」
エメリーはその言葉に従わない。
「行く」
それだけ言う。
レイブンも同時に動く。
トーマスは止めない。
「気をつけろよ」
軽く言う。
いつも通りの調子で。
二人は作業場を出る。
振り返らない。
残ったのは、何も変わっていない床だけだ。
その下に何があるかは、もうここからは触れない。




