◆帰宅 END◆ 忘却の劇場
やっぱり、私は元の世界に帰るべきだと思う。
異質な存在は、和を乱す。最初は小さな歪みでも、ついには大きな波紋をえがいていく。
そんな存在に、私はなりたくなかった。
この世界を大事に思い始めているからなおさら。
「私は、元の世界に戻らなきゃ」
口に出すと、その重責が肩にのしかかった気がした。
そう、どうして許されると思っていたのかな。私にそんな自由は、あるはずがないのに。
苦い感情が胸に広がる。
まるで、薬でも飲んだみたいに、じわじわと侵食していく。
私を観察していたクロウが、閉ざしていた唇を動かした。
黒い髪の向こうの、闇みたいな瞳が私を映してる。
「それがお前の答えか」
その時の彼は感情をあんまり映さない瞳に、わずかに色をのせてた。
さびしいそう? ううん、気のせい……だよね?
「クロウ? どうしたの?」
「……」
まばたきした彼の瞳は、もう私を映してなかった。
彼が腕を上げる。その手に持ってるのって、羽?
黒い羽をペンみたいに握ってた。それを、まるで指揮棒みたいに振るう。
「審判はなされた」
「っ!」
クロウが呟いたら、褐色がかった羊皮紙が彼をぐるっと取り巻いた。
宙でふわふわと浮かぶ紙に、何かを書いてる。
彼が指をとめた瞬間、紙から文字があふれた。
淡く金色に光る文字が、あちこちに跳び跳ねていく。意味をなしていない、でたらめな文字が弾けていく。
文字の向かう先はーー
「なにっ!?」
私!?
文字の光が、私にまとわりついてくる。押し寄せてくる文字が、視界を塗りつぶしていく。
金色の光の強さが、増している。まるで、太陽の光みたいに、直視できないくらいになっていって。
収束していく。光によって、私の世界が白くなっていく。
さっきまでしっかり見えていた、クロウの姿すら見えない。
「クロウ!? なにこれ!?」
光の向こうから、返事はない。ううん、そもそもまだそこにいるのかすらわからない。
まぶしい光に、目が開けていられない。まぶたを閉じても、突き抜けるくらい強い光。
つぶされていく、光に。
「っ!」
強すぎる光に、頭が割れるみたいに痛い。急に頭痛がして、耳鳴りまでしてきた。
痛い。痛い痛い痛い痛い痛いいたいいたい……!!
息を吸うたびに、痛みが治まるどころか悪化していく。
やがて、その痛みにのみこまれて、私は意識を失っていた。
◇◇◇
鳴り響くブザー音。辺りが暗くなる。
「!?」
ここはどこ?
とっさに、周りを見渡した。
並ぶのは、たくさんの座席。規則正しく並んで、等間隔に通路がある。
ここって、映画館?
すまなく見ても、観客はいない。少ない、じゃなくって姿が一つもない。私の貸し切り状態だ。
どうして、ここにいるんだろう。私はさっきまで、違う場所にいたのに。
そう、さっきまで、私は――
「……?」
私は、どこにいたんだっけ?
思い出そうとしても、思い出せない。
探っても探っても、出てこない。何をしていたのかさえ、思い出せなかった。
気づいた時には、座席にいた。だから、映画を見ようとしていたんだと思う。
……本当に?
疑問が何故か浮かんだ。ざわりと、心の中が揺らぐ。
忘れてはいけない、何かを忘れているような気がした。だけど、その『何か』があったかどうかすら、自信がなくてわからない。
正面を向けば、カラカラと音が聞こえた。暗闇の中に浮かぶのは、白く輝く大きなスクリーン。
映画館だから、映画が映っている。そのはずなのに、そこには何も映ってない。
故障?
目が離せなくて、ジッと観察してた。まるでシミ一つ無い紙の上みたいに、キレイな白。
『ああ、残念だ』
「っ?」
ふっと、声が聞こえた。アナウンス? 何も映っていないとはいえ、映画が始まっているのに?
でも、それにしたって声が近いような。上の設置された機器からっていうよりも、もっと近くで……そう、耳元でささやかれてるみたいに。
でも、周りには誰もいない。私だけしかいない。
なのに、声は聞こえてくる。……心霊現象?
内心冷や汗をかいていても、その声はため息を一つ吐き出して、お構いなしに話し続けてくる。
『あれは不足だったか。やはり、ゴミは変わらない。……事実は、結末は、変わらない』
何かを伝えたいっていう感じじゃなさそう。ただ、淡々と感想を垂れ流しているだけみたい。
声しか聞こえないけど、感情はわからない。内容からけなしているはずなのに落胆もしていないのかな。期待すらしてなかったから、落胆してなかったってこと?
平坦なトーンのまま、その声は、鷹揚なく告げる。
『駄作は、壊さなければ。今度こそ、正しきものを』
スクリーンに、ヒビが入っていく。まるで、ガラスみたいに。
小さな亀裂が広がって、やがて大きな蜘蛛の巣がはられていく。数秒しかしないうちに、スクリーンは見るも無惨な状態になってる。
砕ける。
内側から弾け飛ぶみたいに、全面からスクリーンが砕けて、落ちていく。
ガラスでできているはずがないのに、破片がキラキラと光る。
いきおいよく割れたそれは、周囲の闇に入っていくと見えなくなった。
残ったのは、何もない。無地の、黒い布だけ。
煌々《こうこう》と光で照らされて、残骸すらないその場所があった。
「……」
なんでかわからない。だけど、私は取り返しのつかないことをしたんじゃないの?
そんな予感がする。
身体中の血が沸騰したみたいに、ドクドク脈を打ってる。
逃げたい、けど、逃げ出せない。
足の裏が縫いとめられてるみたいに、動かせない。
『くだらない。つまらない。かけるほうがバカらしかった』
響く声。カラカラと鳴っていた映写機の音が、止まった。
『アンコールはなしだ。続きも、もはや存在しない』
明かりが、いよいよ、全て消えた。
『閉幕だ』
私の意識もブレーカーが落ちたように、プツンと途切れた。
◇◇◇
気づけば、私は見慣れた道の上に立っていた。
学校から家への帰り道。ありふれた場所に。
「え……」
劇場にいたはず……?
ぼんやりとしてるうちに、少しずつ思い出していく。
そう、いつものように学校へ行って、その帰りにスーパーに寄って、買い物を……。
私のそばのアスファルトには、その証拠にスーパーの袋が転がってる。学校用のカバンも、乱雑にあった。
何かの拍子に、両方とも手放したのかな?
このまま地面に置いとくと邪魔になるから、すぐに持ち上げる。袋の中身は……うん、大丈夫そう。
それにしても、さっきのは一体、何だったんだろう。
やけにハッキリと意識があったし、感覚だってあった。
これが白昼夢?
「疲れてるのかな……」
ポツリと呟いて、うなずいた。うん、きっとそうかな。
今日は、なるべく早く寝よう。
そうなると、ゆっくりしてられない。
やらなきゃいけないことは、まだまだあるんだから。
足を動かそうとして、何かを忘れているような気持ちになった。
地面に散らばったものは回収したはずだけど……。
「……」
思い出せない。
忘れ物は、何だったのか。
……だけどきっと、そのうち思い出せるよね?
すぐにでも必要になる物とかじゃないことを祈ろう。
そのまま、私は帰宅路に戻った。
変な感じだとは思うけど、気にしない。
だって、私にはそんな余裕はないんだから。
『ーー』
「……?」
誰かの声が聞こえたような気がした。
振り向いても、他の通行人すら見える範囲にいないから、空耳か。
前を向いて、歩き出す。
家までは遠いし荷物もあるけど、大丈夫。
だって、これまでもそうしてきたし、これからもそうでなきゃいけないんだから。
何故か軽く痛む胸を押さえつけて、私は先を行く。
これがきっと正しい、最善だと信じてる。
思いの外早く書き上げられました。
次回も1ヶ月以内に投稿したいなぁ、と……。
それでは、次回も。よろしくお願いします!