その26
三回戦まで勝ち進んだ。そして四回戦目の対戦相手が誰なのかも、すでに分かっていた。
台をはさんで、ハルと向き合った。
ハルともう一度打つため。そのための今日。もしかしたらぶつからずに終わるかもしれなかった。だがどうして、この時を信じて止まなかった。これはオレの単なる自己満足なのかもしれない。だけど他に解決策が見つからない、これしか思いつかない。
いくら目を背けても、本当の意味で逃げることなんてできやしないんだ。目の前のハルがそう証明している。
「ラブオール」
横回転をかけながら台の奥にサーブを打つ。フリックを打たせないよう、なるべく深い位置へ。ハルは球を無理矢理ねじ伏せてドライブショットを打ってきた。しょっぱな違う回転をかけくる、ハルらしい。バックハンドでブロック(ドライブの回転量に合わせてラケットの角度を変え、押すように打つ守備的な打法)する。ハルは容赦なくオレのバックに集中して攻めてくる。
忘れられない、中学二年。冬の大会。この体育館。先輩達がいなくなり、いよいよオレ達の部は落ちるところまで落ちていた。元々やる気のなかった二年生は、耳障りな先輩がいなくなったと言わんばかりに堕落し、そんな先輩に戸惑う一年生も部から遠のいていた。大会は形式上出るだけ。さっさと負けた方がらくという無気力さ。我慢の限界だった。
今度はサーブをかけられるだけ下に回転をかけ、台の浅くも深くもない中間、ハルの体中央に重なるように返す。ドライブもフリックもまともに受けていられない、限界までバックスピンをかけ、ツッツキ戦に持ち込もうとする。ハルはそれを見抜いてか、即座に体勢を低くし、思い切り体を持ち上げるようにループドライブを打ってきた。上回転のかかった球が山なりに返ってくる。狙いどおりにいかねえ、こっちもフォアハンドで打ち込む。力まかせな打ち合いの連続。ハルは打つタイミングがわずかに早い、一見五分五分な打ち合いに見えるが、ペースを握っているのはハルだ。流れを変えられずにネットに引っかかり失点。
団体戦で負けたというのにへらへら笑ってやがった。誰一人悔しがる奴はいなくて、気が付いたらその内の一人の胸倉をつかんでた。一触即発の中で、ハルが仲裁に入ろうとした。こいつはバカみたいに人が良いから、対戦相手だったオレ達の内輪もめにまで首突っ込もうとしたんだ。どこまでお人よしなんだ。
球が大きく浮いた。その先ではハルがラケットを高く構えている。落ち着け、ハルのラケットを、動作を一瞬でも見逃すな。ラケットの芯に当たる甲高い音と共にスマッシュが放たれる。球が来るであろう場所に向かって、ラケットの面を突き出した。スマッシュの速度そのままで球をハルの台目掛けてはじき返す。
卓球台がぶつかって揺れる音と、大げさなほど鈍い音が響いて、全員の視線が音のした方向に集まった。感触が手に残っていた。
そんなつもりなかった。ましてや憎くもない相手を、自分のことを理解してくれる数少ない友達を。ハルが急いで医務室に連れて行かれた。ハルを傷つけてしまった。
その場では何も異常がないと言い渡された。そのあとの試合は自粛したものの、ハル自身いつもどおりだった。傷つけたオレを慰めてくれる、普段と変わらないハルだった、その時までは。
後日、ハルの家に行った。大勢の人が集まっており、みんな黒い服を着ていた。玄関から棺桶が運ばれ、黒の車体に金色の造形があしらわれた霊柩車に積まれようとしていた。
「――突然だったらしいな――」
「――親より先に死ぬなんて――」
そんな……ばかな……だって、いつもどおりだったじゃんかよ……。
頭の中が真っ白になり、いつの間にかオレは、逃げるように駆け出していた。
台の浅い位置でバウンドした球に向かってハルが腕を伸ばし、フリックで攻めてきた。もう一度ライジングで返す。ハルの球速を逆手に取り、ハル自身返しづらくさせる。案の定、体勢が崩れた状態で打ち返してきた。高く浮いた球が近寄ってくる。
ハルの台目掛けて、球を叩き付けた。手を伸ばすハル。だが、球はラケットの横すれすれを通り抜けて行った。
「ゲームセット」
審判のコールをよそに、オレは台に突っ伏していた。目頭が熱い。
ハルのことが大好きだった。罪悪感に駆られていた。一度逃げ出したらもう取り返しがつかなくなっていた。
許してほしい。我がままなのは分かってる。だけどあの頃のように話したい、一緒に卓球がしたい。もう一度、友達になってほしい。
泣きながら、何度もハルにごめんと言った。腹の奥底に抱えてたものを全て吐き出してしまいたかった。
雨音と泣き声とピンポン球の打球音。潤んだ瞳で、ハルの顔がぼやけて見えた。
次回最終回です。