6(end)
「 ア」
「 きて、ミリーア」
何かに呼ばれた気がして、私は目を開けた。
どれくらい沈んでいたのだろう。
「起きたね、ミリーア」
聞き覚えのある声が、壷の外側から聞こえてきた。
ああ、これは、すべての元凶でもある……
『ラーシッド……』
あわてて身を起こすと、私は実体を失っていた。
そうだ。
私は主を失い、最後の『願い』をかなえた後、また野良ジンニーヤー(壷入り)に戻ったのだ。
『なぜ、ラーシッドがいるの?』
「君が主を失った後、すぐに君を封じた壷を探したんだよ。あのままでは、力の弱い君はすぐに消滅してしまうと思ったからね」
『それは、ありがとう、ございます……?』
よく考えれば、すべては彼の仕業なのだから、最終的に責任を取ってくれるのは当たり前の事なのではなかろうか。
そんな気持ちが駄々漏れの、お礼とは言いがたいお礼を口にした。
ラーシッドは、それに対して怒った様子も無く、ただ小さく笑う気配がした。
「君にね、聞きたいことがあってきたんだ」
『なんです?』
いつも私が彼に聞いてばかりだった。
彼は私にいつも答えをくれた。
だから、私は彼に問われたことには正直に答えると決めている。
「『アラジンと魔法のランプ ごっこ』をしていたことは、君は知っているね?」
『悪趣味だと思っていました』
「まあ、君なら気づくだろうと思ったよ。そのまま、君から聞いたのと同じ、『アラジン』という名の青年を何人も駒にしたんだから」
『私は、あなたのそういうところが少し嫌いです』
「君の事は好きだよ」
『そうですか、ありがとうございます』
「気のない返事だね。ああ、話がそれた。それでね、……君、何をした?」
ぐらり、と、地面が揺れた。
私の入っている壷が揺れただけなのであろうが、それと共に、一気に気温が下がったように感じた。
ラーシッドの発するプレッシャーが、気温が下がったと感じる空気を作り出していた。
私の実体の無いはずの体に、鳥肌が立っている。
「アラジンたちを争わせて、もっともふさわしい者を選ぶつもりだったんだよ。もちろん、怪我をしたり死んでくれたりすれば、血が流れる。それも目的のひとつではあったんだけれど」
ジンには、善と悪がある。
人間と同じように。
もともとそうだった者もいれば、あとから堕ちる者もいる。
悪のジンは血を好む。
ぞ、と、怖気がたった。
「イーフリートであるランの力を使って、力あるジンの封じられた遺跡を探し、封印を緩め、アラジンたちを向かわせて……。血を浴びて封印を解いたジンの力を得た『アラジン』たちが争いあう。
それはもう、大事になっただろうに。
ねえ、ミリーア。血に塗れて血に酔った『アラジン』が、君の語ってくれた物語のように王になったら、国は楽しいことになったと思わないか?
それなのに、『君の友人のアラジン』は、ことごとく邪魔をしてくれた。
第1の試練を超えてきたアラジンたちは何人かいた。けれど、君のアラジン以外は第2の試練の場にすら現れなかった。
ねえ、いったい、君はどうやって『君のアラジン』を助け続けたの?」
外の様子がまったくわからないことに、恐怖を感じたのはこれが初めてだった。
私は、震える体を自らで抱きしめ、頭上を見上げた。
見えるはずの無い、ラーシッドを見上げるように。
『私は、ただ』
私は、ただ、話に沿うようにしただけ。
そう、私がしたことは、私の知る物語に沿うように……
『私は、ただ、主に、……足腰の弱った主の健康のために、散歩をしましょう、と、そうお願いしただけ』
「……散歩?」
私の言葉の後、しばしの沈黙が落ちた。ラーシッドから向けられていた威圧の気配が消え去り、気の抜けたような声が聞こえてきた。
私は、こくり、と頷いた。
見えはしないだろうけれど。
『街を散歩して歩いただけ。そのとき、『アラジン』たちの家の近くを通ったかもしれないね』
私は、あのとき、アラジンと魔法のランプの話から逸れている原因は、『アラジン』が何人も存在していることだと思った。
それならば、あの物語のとおり、アラジンを一人にしてやればいいのだ。
「君の友人の青年以外の『アラジン』たちがあのとき現れなかったのは、君の仕業か」
『ちょっと、お腹を壊してもらいました』
私は、水を浄水できるだけでなく、腐らせてしまうことも出来る。
アラジンと名のつく人間の家の水を、散歩がてらちょっとだけ悪くしてしまったのは、私だ。
もちろん、後日すべての家の水をきれいにしに行った。
私が浄水した水を飲めば、たちどころに腹の具合もよくなる。……らしい。
やらかしてしまってから、どうやって償おうかと思っていたのだが、皆、水を飲んで腹を壊し、水を飲んで回復していた。いつの間にか私の水には特殊効果がついたのだと、そのときに知った。
アラジンたちが皆腹を壊してしまい動けない中、アリーは一人、話の流れに沿って力のあるランプのジンを手に入れ、成功への階段を駆け上がっていった。
実際、私は何もしていない。
私がしたことといえば、ほんとうに、ただその一度だけの手助け。それだけだ。
『私がしたのは、ただ、一度。……でも、』
私は、気がついてしまった。
『ラーシッドは最初から、『私のアラジン』を選ぶつもりだったのでしょう』
「……なぜそう思う」
私に助けさせないつもりだったのなら、私のいない街ですればよかった。
私に気づかれないようにやればよかった。
私がほかに話した物語はたくさんあった。
アリババだとか、シンドバードだとか、さまざまに。
なのに、アラジンを選んだのは、私がアラジンの話が好きだと、そう言ったからではないだろうか。
そして、もうひとつ。
『ラーシッド。主のお兄さんと同じ名前。主の家では、長男にラーシッドと名づけるんだって。……主は、あなたの、……子孫?』
「……ラーシッドなんて名前は、ありふれているんだよ。『アラジン』のように」
『主は、最初からジンである私に優しかった。昔、まだ戦が絶えない頃、一族を救うために力の強いジンにとりつかれて不死となり、皆に迷惑がかかるから、と、世界を彷徨っているかわいそうな人がいたんだって。
その人の名前がラーシッド。
彼がいつ帰ってきても家がわかるようにって、かならずラーシッドの名前を生まれた最初の子供につけるのが慣わしになったんだって』
知っていた?と、壷の外にいる相手に問いかければ、沈黙が返ってきた。
半人前の私を主のもとへとつかわせたのは、私を成長させるためでもあり、自らの一族の末裔を見守るため。長い年月を過ごしてきたラーシッドは、いろんな経験を経て、世界に当然のごとく存在する善も悪もその中に受け入れて、……性格もひねくれてしまっているのだろうけれど。
彼の持っている優しさは、きっと、常に輝きを放っている。
『私は、主の役に立ったかな?』
なんにも出来ない、力のないジンだけれど、すこしは私は彼のためになったのだろうか。
主の心の平安を守れただろうか。
ラーシッドの心の平安を守れただろうか。
『主を助けてくれた青年が『アラジン』という名前だって知って、ラーシッドは『アラジンと魔法のランプごっこ』を思いついたんでしょ』
私が確信を持って告げると、ラーシッドが深くため息をついた。
そして、いや、と否定の返事をくれた。
「君を壷に封じるその前に。男子に『アラジン』という名をつける慣習が多い街を探し」
ぴしり、と、何かが割れる音がする。
「我が一族の末裔がいる街を探した」
びし、と、今度はもっと大きな音。それは、私の足元から聞こえた気がする。
暗闇しかなかったそこに、光の亀裂が入った。
ジンの私にはまぶしいという概念はあまりないが、元が人間である。思わず目を閉じた。
「ミリーア。君をりっぱなジンに育てようと思ったんだ」
気がつくと、私は実体を伴って壷から開放されていた。地面には、割れた壷の破片が散らばっている。
地面から視線をあげればそこには、眉間にしわを寄せて苦悩するラーシッドの顔。
「君は二重に魂を持つ、稀なるジン。けれど、一度目の人生の記憶が、君をいまだに縛り成長を妨げている」
それはうすうす感じていた事実だ。私は、所詮私であるという意識を捨てられない。
それよりも、私はなぜラーシッドに抱きかかえられているのだろうか。それも、横抱きで。
「いろんなところへ連れて行き、君がもはや人間ではないのだということを自覚させようとしたが、……人間くさく泣き喚いて逃げ出すし」
そんな意図があって私を危険な目にあわせ続けたのか。まったく知らなかったというか、気がつかなかった。ただ単にラーシッドが鬼畜生なのかと思っていた。
「人間の主と共に生活させればジンの自覚も出るかと思えば、更に人間の部分が刺激されたのか、人間のように生活するし、命令以外のことにも気を利かせるし、まめまめしく自分の主の世話をして……普通のジンはそこまでしない。……知っているか? お前の主が死んだとき、誰がお前を嫁にもらうかでご近所で争奪戦が繰り広げられたのを」
なんですかその情報。私知らなかったよ、それ。なんでそんなことに? え? 祖父によく尽くす孫だと思われて、よく働く嫁候補として見られていた、と?
それはそれは……ジンになる前にそういう浮いた話がほしかったですな。
「あげく、『アラジン』といい雰囲気になるし」
いや、なってない、なってない。
向こうも私がジンだと知ってるし。
というか、ラーシッドの口調が途中からなんだか荒さを含んできた気がする。『お前』とか呼ばれたことがない……。
「もう少しお前のジンとしての力が成長してからと思ったが、あのままではお前とアラジンがくっつくという、物語として成り立たない展開になりかねなかったからな。早めに試練を与えたわけだが……。
少し心配したが、……まあ、反則的な力の使い方ではあるが、お前の持つジンの力を惜しみなく使い、自分の主ではない人間を王にまでのし上げさせたその手腕。
そして、主である人間の願いをすべて叶えたその回数、……ん、たった数年でこれだけの願いを叶えたのか、お前。内容は、まあ、子供のお使い程度のものばかりだが、まあ、数をこなしていれば問題ない。ぎりぎり合格ということにしよう」
……ん?
「ミリーア、お前は今日から、シャイターン(悪魔)だ。ジンの上の位へ昇格だ」
……は?
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『ミリーア、怒っているのか? ラーシッドは私の手伝いをしているだけであってだな……』
『ラン様のハゲ』
『ハゲてはおらんわ!!』
ラーシッドにとりついているジン、ラン・イフリートは、ただ単にイフリートというファミリーネームなだけであり、実質の彼のジンとしての位はマリード(魔霊)と呼ばれるもっとも位の高いジンであった。
ジンというのは、毎日毎日ポコポコ生まれているわけではない。新たに生まれるというのは、本当に稀なことなのだという。
そして、私のように、何も知らない状態で生まれてくるジンも、居ない訳ではないらしいが、それもとても少ないといわれている。
生まれたばかりのジンや、悪まっしぐらに向かっていくジンを導き、軌道修正してやるのがランのように上位のジンの仕事なのだそうである。さらに、弱いジンは、うっかり悪い人間に使役されないように、強くなるために修行をさせられる。ジンとしての位をあげていくその手段や方法はすべて、各ジンたちに任されているらしい。
私の場合、生まれたばかりで、何も知らず、以前の記憶があるばかりに悪まっしぐらに突き進もうとしていた、という三重苦な状態であったため、指導役のなかでも上級であるラーシッドとランの2名が担当となったのだという。
ミリーアという私の名前は、ラーシッドとランにつけてもらった名である。
名付け親になったジンには、名づけたジンの場所がわかるようになるのだそうで、つまり、私はどこに逃げても彼らには丸わかりなのだということだ。
「ミリーア」
『……。なんですか』
「悪かった。だから、この水の膜をどけてくれ」
ラーシッドとランは、私の魔法で作り出した水の幕のせいで、体育座りをしていじけている私のそばへはよってこれない状態である。
私は、すべてが仕組まれていたとわかり、シャイターンという位にあがったとたんに、使える魔法が増えた。
今までの私の苦労はなんだったのか。
やはり水が私の力の根源であり、使用できる魔法はほとんど水に関するものばかりである。
ああ、そうだ。
マッサージがうまくなっていた原因は、血流の流れやリンパのあれこれを私が無意識に操っていたというオチがつく。
私の技術が上がったわけではないらしい。でも、もともとそこそこのスキルはあったわけだから、これからも腕を磨いていこうと思う。
「ミリーア。もう許してくれ。
お前の教育と、私の望みと、ランの仕事、すべていっぺんに済まそうとしたことは謝る。
そして、まあ、確かに私たちの娯楽のために仕込んだことも認めよう。
けれど、これだけは信じてくれ。私もランも、お前の事をとても大事に思っているんだ。お前がお前の主や、アリーを思うように」
ラーシッドの言葉に、ぴくり、と私の体が反応を返してしまった。
それを見て取ったラーシッドとランは、怒涛の攻撃を仕掛けてきた。
どれだけ私の事を大事に思っているか、どれだけ心配しているか。そんなことを、恥ずかしげもなく言い続けるのだ。
あんたらは浮気が彼女にバレた彼氏か。
散々愛を語られて、食傷気味になるころに、私は、にっこりと笑って、二人のほうを向いた。
『私は、主とアリー、アリーのお母上のほうが、二人よりも好き』
結局のところ、私はずっとこの二人に遊ばれていたわけだ。暇つぶしの道具にされていたわけだ。
彼らの言葉は信じよう。
彼らの優しさも、信じよう。
でも、私は私の中にある人間らしい怒りの感情も、拗ねる心も、捨てることはないのだ。
主の事を、愛した心。 アリーを愛した心。 アリーの母を愛した心。
彼らの幸せが私の幸せ。
もう、そばにいることは出来ないけれど、あのうれしそうな笑顔を思い出せれば、私はジンとして生きていけるだろう。
誰かに仕える囚われのジンではなくなった私が、つくすことを強制されているわけでもない私が、それでもずっとこうして愛を胸に抱きしめていられるのは、すべてをあきらめていた私を一番最初に救ってくれたラーシッドとラン、二人のおかげ。
それを伝えるのは、どんな願いも叶えられると、自信を持てたとき。
いつの日か、私は、自分の願いを叶えよう。
千の夜、万の夜を終えてもあきらめずに、いつか、必ず。
end
ミリーア(みっちゃん)
>>>新米ジン。危うく悪性のジンになりかけていたところを、ラーシッドとランに助けられる。
>>>前世の記憶がある。以前は日本で生活していた成人女性。
>>>最初で最後の主である老人を、家族のように思っている。アリーは弟のように思っている。
>>>妙に強いジンに成長する、予定。水の特性を持ったジン。
ラーシッド
>>>マジュヌーンという、ジンにとりつかれる特性を持った人間(男)だったが、もう半分ジンになっている。
>>>すんごく長生きしているらしい。実は、とりついているジンはランじゃない。ランは相棒。
>>>とりついているジン(風の特性を持ったイフリートの位のジン)を完全に掌握しており、主導権を握っている。
>>>気長に罠を仕掛けるのが好き。癖のない黒髪に黒目、イケメン。
>>>ミリーアのことは、本人が思っている以上に大事にしている。
ラン・イフリート
>>>イフリートの位のジンと見せかけてのマリードという高位のジン。強い。男。赤い髪のイケメン。
>>>ラーシッドと同化しているジンとは別物。炎の特性を持つジン。
>>>世話好きで、指導役だとバレて以降は、ミリーアをかいがいしく世話してやる。保父さんみたいなかんじ。
>>>アラジンのことが気に食わず、ミリーアから引き離すために実はちょっとだけ王になる手伝いをしちゃった。↑二人には内緒。
ミリーアの主
>>>よぼよぼのおじいちゃん。若い頃はぶいぶい言わせていた、らしい。
>>>ラーシッドの子孫というか、末裔。兄の名前がラーシッド。
>>>ジンであるミリーアをみっちゃんと呼び、孫のようにかわいがった。
>>>最後は老衰で亡くなる。ジンの特性を理解しており、自分が死に主でなくなった後、他の心無い人間にミリーアがこき使われては困ると、最後の願いを長期にわたるものにした。(『アリーの母の世話を頼むよ』)
アリー
>>>本名アラジン。彼の住む街には同名がいっぱいいたので、愛称で呼ばれていた。
>>>汚れを落とせばイケメン。くるんとカールした黒髪がチャーミングと評判。(ご近所のおばさんに)
>>>偶然助けたじいさんの孫娘(?)に一目ぼれする。が、結局、後にジンだとわかった上に脈なしと判明してあきらめる。
>>>見事意地の悪い試練(いびり?)に打ち勝ち、とんとん拍子に出世していく。
>>>王宮で王女に一目ぼれ(2度目)
アリーの母
>>>超貧乏で、息子に苦労かけっぱなしなのをいつも嘆いていた、母。
>>>結構美人さん。みっちゃんが嫁に来てくれればいいのになー、と思っていた。
>>>王宮に呼ばれてからも、みっちゃんのことを心配して、アリーに様子を見に行ってほしいと頼む。
その後……
>>>アリーはじいさんが死んだことを知らなかったため、あわててじいさんの家にいくも、すでに別の入居者が。
>>>アリーはみっちゃんを壷から開放するために壷を探し回るが、見つけられず。




