第一話 あたしはあんたさ
「愛しています。リダ。永遠に……」
崩れ落ちた廃屋の屋根の隙間から、鉛色の空が見えていた。ポツリポツリと雨粒が空から零れ落ち、リーディアの頬を伝った。
雨粒は擦り傷に沁みたが、ミハルにぎゅっと強く抱きしめられ、その温もりに包まれていた。
剣を交える音、悲鳴が近くで聞こえて来ようとも、不安など無かった。
彼の柔らかな黒髪が頬を撫で、重ねた唇の甘さに一時の幸福を味わった。
「いつかまた、必ずお会いしましょう」
扉が開け放たれて、兵士達がドッと室内へと押し入った。
◇◇◇◇
リーディア・ベニーシェクは王城の一室でそわそわとしながら待ち続けていた。ラピスラズリの様な瞳を何度も瞬きし、宝石が埋め込まれた扇子を扇いでは、絹糸の様な金髪をふわりと揺らす。
——アレシュ様は、まだいらっしゃらないのかしら?
目の前に置かれたカップの中には、冷めきったお茶が注がれており、既に三杯目である為お茶菓子にすら手が伸びない。
——初めてお声がけ頂いたのに。ひょっとして、何かご用事でもできたのかしら?
コホン、と咳払いをした後、リーディアはすっくと立ち上がった。
「ご令嬢、どちらへ行かれるのでしょうか?」
すぐさま使用人に声を掛けられ、リーディアは「その……」と口ごもった。
「……お手洗いに」
恥ずかしそうに言ったリーディアに、使用人は「では、ご案内を」と言ったが慌ててそれを断った。
「わたくしは第一王子アレシュ殿下の婚約者ですのよ!? 王城は勝手知ったる庭ですわ! わざわざご案内いただかなくても結構よ!」
使用人が止めるのを聞かず、リーディアはズンズンと突き進み扉を開けた。
「ついてこないでくださいな!」
——アレシュ様が来て下さらないのなら、わたくしから会いに行けば良いということよ! 呼ばれるだなんて初めての事なのですもの。婚約者として、ようやく必要として頂けたのかもしれないわ。
「お待ちください! ご令嬢!!」
「ほっといてくださいな!」
ご令嬢らしからぬ速さで廊下を駆け抜け、引き留めようとする使用人たちの声を背後へと置き去りにした。
ふと、窓の外へと視線を向けると、王城の中庭で花を愛でる銀髪の男の姿があった。
——アレシュ様っ!!
リーディアの心臓が飛び出さんばかりに強く鼓動し、慌てて窓の陰に隠れた。
彼はサラリとした銀髪に惜しげもなく降り注ぐ太陽の光を反射させ、サファイアブルーの瞳を細め、少年の様な笑みを口元に浮かべていた。
「殿下、こちらで宜しいでしょうか?」
庭師らしきお仕着せを着た男がアレシュへと数本の薔薇を差し出して、彼はそっとそれを手に取った。
「すまないね、リーディアも喜ぶだろう」
——まあっ! わたくしの為に!?
窓の陰からチラチラと覗き込みながら、リーディアは高鳴る胸をぎゅっと抑えた。
上品に薔薇の匂いを嗅ぐアレシュの姿を食い入る様に見つめる。
——わたくしへの贈り物を用意するのに時間がかかってしまったのかしら? どうしよう。嬉しくて堪りませんわ……。
うっとりと見惚れていると、前方から歩いてくる人影に気が付き、慌てて窓から離れ、サッと柱の陰に隠れた。
——王城の大臣達ですわ! 見つかったらきっと叱られてしまいますわ。
柱の陰に身を潜め、大臣達が通り過ぎるのを待つ事にした。通過してさえしまえばこちらのもの、客間に戻ってアレシュ王子の来訪を待てば良いのだから。
「魔法師達の準備の方はどうなっておる?」
急ぎ足で歩きながら大臣達はリーディアが柱の陰に隠れている事に気づかずに、まくし立てる様に話し出した。
「準備万端に決まっておろうが」
——悪だくみでもしているのかしら? アレシュ様に告げ口しなくちゃ!
リーディアは息を顰めると、大臣達の話に聞き入った。
「器に別の魂を降ろす術など、本当に可能なのか?」
「聖女召喚の応用だ。成功例はあるとも」
——言っている事がさっぱり分からないわ。
「そうとも、あのリーディア・ベニーシェクの中身さえ変わればそれで良いのだ」
——え!? わたくしの話!?
「見目は良い、家柄も公爵家で申し分無い。だが、性格がの、重すぎる……」
——失礼ではなくて!?
ため息をつき合う大臣達に苛立ちを覚えながら、リーディアは柱をうまい事利用し、彼等が目の前を通過していくのを見送った。
◇◇
ステンドグラスに射し込む光が、色とりどりの輝きを放つ下で、リーディアはポツンと中央に座らされていた。
周囲には大臣に依頼されたであろう胡散臭い魔法師らしき老人達が数名、リーディアを取り囲む様にして耳障りな古い詠唱をしている。
——アレシュ様に誘われて礼拝堂に来たはいいけれど、いつになったら終わるのかしら。先ほど聞いた大臣達の話は気になるけれど、アレシュ様が御一緒なのだもの、危険なことなどあるはずが無いわ。
チラリと瞳を上げると、壇上に設置された椅子に腰掛けた銀髪の男が少年の様な笑みをニコリと向けた。
ドキン! と破裂しそうな程にリーディアの心臓がときめく。
——ああっ! やっぱり素敵っ!!
「完了しました」
魔法師らしき老人の一人が尤もらしく言い放ち、大臣達が「おお!」と歓声を上げた。
アレシュが身を乗り出して「試せるのか?」と聞くと、「無論です」と胸を張って答える。
アレシュが颯爽と立ち上がると、ゆっくりと壇上から降りた。背筋はすっと美しく伸び、歩く度に響く靴音すらも気品を放っている。
彼はリーディアの直ぐ目の前まで来たかと思うと、薔薇を片手に持ったまま、そっと手を伸ばして頬に触れた。
——!?
大臣達がどよめく。
「殿下! 試すとは、もしや……」
「構わないだろう? 試すには最も効果的な方法じゃないか」
「しかし……!」
アレシュが唇を近づける様子を、リーディアは思考停止したまま、まるで他人事の様に見つめていた。
ふわりと、薔薇の花の香りがリーディアの鼻をくすぐる。
「っくしゅん!」
リーディアがくしゃみをし、アレシュは僅かに表情を崩したが、そのまま口づけをしようとした。
ドン!!
リーディアがアレシュを突き飛ばした。そしてジロリとラピスラズリの瞳で睨みつけ、嫌悪感露わに言葉を吐いた。
「……あたしに何しやがるんだ、この変態っ!!」
突き飛ばされた胸を擦りながら、アレシュは満足気に微笑んだ。
「素晴らしいじゃないか。成功だ」
アレシュの言葉に、大臣達が歓声を上げた。
≪な、何が起こりましたの?≫
リーディアは小首を傾げようとしたが、動かなかった。それどころか自分の身体がまったく自由にならないということにゾッとした。
「『成功だ』じゃないよ、ったく。一体なんなんだよ、この状況!」
≪え!? わたくしの口が、勝手にしゃべってる!?≫
オロオロしようにも自由の利かないリーディアは、ただただ自分の目に映る光景を見せつけられるだけだった。
「確認だけれど」
アレシュがにこやかな笑みを向けながら言葉を吐いた。
「リーディア、君は僕のことをどう想ってる?」
≪も、もももも勿論、あ、愛していますわっ!?≫
「大っ嫌いだよ、ばーか!」
≪!!!!≫
「それは何より」
アレシュの表情から、ほんのわずかに緊張が抜けた。
「何が『それは何より』だ、えらそーに言……っくしゅんっ!!」
「花粉症かい? お大事に。さて、確認も終わったことだし、僕は執務室に戻るとするよ。……これは、もう不要だね」
くるりと踵を返すと、アレシュは薔薇を投げ捨てて颯爽と礼拝堂から去って行った。
「大成功だっ!!」
わっと歓声を上げて、大臣達と魔法師達は互いに手を取り合って喜んだ。
「殿下もご満足された様ですな!」
大臣達や胡散臭い魔法師達も上機嫌で去って行き、リーディア一人がその場にポツンと取り残された。
シン……と静まり返った礼拝堂内で、ガタン!! と音を立てて椅子が倒れた。
リーディアが突然立ち上がった為、その反動で椅子が倒れたのだ。
「で……ででで」
——殿下に! 口づけされそうになったっ!?
「あわ……あわわわわわ」
≪あーもう、あわあわうるせぇな。黙れよ!≫
突如脳内に声が響いた。リーディアは慌ててキョロキョロと辺りを見回したが、人影など見当たらなかった。
≪周りを見たところで仕方ないって、あたしはあんたの中に居るんだから≫
「貴方、どなたですの!?」
≪あたし? あたしはあんたさ≫
——わたくし、頭がおかしくなってしまったのかしら?
呆然としながら椅子に座ったリーディアの中で、笑い声が響く。
≪あたしだってびっくりだよ! まさかこんな形で過去の自分の身体に回帰する事になるだなんてね!≫
「一体、どういう事ですの!?」
悲鳴の様に叫んだリーディアに、未来の自分らしき者が『さあて』と笑った。
≪ただ、これだけは覚えておきな。あんたは未来で、第一王子アレシュに殺される≫
「……嘘、ですわ」
≪嘘なら、どれだけ良かったか≫
「だって、アレシュ様はわたくしを……愛してくださって……」
≪愛? あいつは誰かを愛するような奴じゃない≫
「……」
≪あいつは、あんたが思っているような男じゃない。信用するな≫
静まり返る礼拝堂に降り注ぐ色とりどりの光が、煩わしく思えた。




