22.診る
ユーリグゼナは、アルフレッド達の追及を受けたくなくて、足早に部屋を出てきた。本当は診察なんて気が進まない。むしろ嫌だった。でもこの間倒れてから、アナトーリーとヘレントールが彼女をひどく心配するようになった。アナトーリーは今日も同行するつもりだったらしいが、サタリー家からの返事をもらうと、大きなため息をついた。その後は「惣領の俺が行くと迷惑だ」と言い出して、ようやく一人歩きの許可が出た。
この間、ユーリグゼナがこっそり一人で町に出かけたときの二人の説教は凄かった。帰ってきてから久しぶりに本気で叱られ、ユーリグゼナは子供みたいに泣きそうになった。
(柚子茶飲んで帰ってきただけじゃない。ちょっと男を五人ぐらいぶっ飛ばしたけど。あとペルテノーラから来た人に会ったくらい……)
ユーリグゼナは男を飛ばしたことより、その人のことがはるかに心に鮮やかに残っている。
ぼんやりしているうちに、診てもらう部屋の前まで案内されていた。彼女は少し気を引き締めて扉を開けた。
「失礼いたします」
静かに扉を閉めて入室すると、背筋をピンと伸ばした初老の男が、椅子に腰かけたままユーリグゼナを見た。白髪交じりの金髪がさらっと揺れる。
「ユーリグゼナか」
「はい」
「初めまして。早速だが診たい。こちらの寝台に横になりなさい」
男は白い布がピンと張られた寝台を示す。ユーリグゼナは靴を脱ぎ、静かに横になる。とても緊張していた。初老の男は椅子から立ち上がると、透明感のある緑の目を細め、そっと両手をかざす。ユーリグゼナの頭から足の先までじっくり診た後、少し眉をひそめた。そしてユーリグゼナに言う。
「月の巡りはあるか?」
「……」
「……こんなじじいに言いづらいだろうが、大事なことだ。どのくらいある?」
「年に二回か三回でしょうか……」
初老の男は、ほぼ止まっているな、とため息をつきながら言った。
「頭と、下腹を直接触る。衣服を緩めなさい」
ユーリグゼナは嫌そうな顔をした。服の下は見られたくない。側人を置かないのはそのためだ。でも仕方がないのだろう。アナトーリーが彼自身も忙しいなか約束を入れてくれた。応えなければならない。彼女は意を決して寝台の上で釦を外しズボンを緩める。初老の男は、先に下腹に触れる。少し冷たいが不快ではなかった。そして彼女の頭に触れる。ユーリグゼナは気持ちが悪くなった。
「不快だろうが、少しじっとしていなさい」
言われた通り彼女はじっとしていた。すると、少しずつ緊張が解けるように緩んでくる。そして眠たくなってくる。こんなところで寝たら駄目だと頑張っていたが、少し眠ってしまった。彼女が起きると、初老の男は魔法陣を使い彼自身の手を洗浄していた。何か手に黒いものがこびり付いているように見える。ユーリグゼナが慌てて飛び起きようとすると、優しい声がかかる。
「少しは楽になったか?」
ユーリグゼナは頭が軽いことに気づく。そもそも重かったことにも今初めて気づく。
「澱がかなり溜まっていた。放っておき過ぎだ。これからは時々診せに来なさい。孫のところに来るついでで良いから」
「……はい。ありがとうございます」
ユーリグゼナはそそくさと衣類を整える。ぼんやりした頭で言われたことを考える。
(澱? 何の? なんで頭に?)
「これからは、もう少し周りの大人に頼るようにしなさい」
男は静かに言った。ユーリグゼナは、きょとんとした顔になる。男は手を洗うのを止め、目を細めながらユーリグゼナを見据えて続ける。
「大人は君たちのような子供に辛い思いをさせないために、大人になったんだ。君の周りの大人は、頼れば必ず答えてくれるだろう」
ユーリグゼナは頭の奥と鼻の奥がツーンとしてきた。彼の言葉は彼女には完全には分からない。でもなぜか温かい。泣きたいような気持ちになっていた。
男はまた手の洗浄作業に戻る。そろそろ退出しなければならない。だが、ユーリグゼナにはもう一つアナトーリーに頼まれていた課題があった。
(こんなお世話になった人に言い出すの、無理。でも……)
彼女はふうっと息を吐き、意を決して話し出す。
「あの……。お願いがあるんです!」
「?」
「王の結婚式で平民の方に甘酒を配りたいんです! どうか許可をお願いいたします!」
精一杯話していて、ユーリグゼナは男の方を見ていなかった。顔を上げて見ると、男は面白そうに彼女を見下ろしていた。
「アナトーリーだな。愚息に断られて、私に頼ってきたか」
「……」
「私も反対だな」
「なぜ、反対なのでしょうか」
「食べ物は稀に勝手に毒になることがある。大勢に配られて、病人が此処に運び込まれても困る。どちらにしても今は余裕がないから厄介事はごめんだと、戻って伝えなさい」
勝手に毒になるというのは、食あたりのことだろうか。甘酒の食あたりなんて聞いたことないな、とユーリグゼナは思っていた。
「甘酒は作る時に温度をきちんと守れば、冬場に外で配る分には問題ないように思うのですが……」
「そうだろうな」
「え?!」
「みんな甘酒以外も食すし、酒も飲む。飲食の許可を出せば、問題も起こりやすい。他の料理で腹を壊しても国が配った甘酒のせいになるぞ」
「え?!」
(そんな理由で反対なんだ。納得してしまいそう。でも………)
正論には勝てない。でもやりたいのだ。半分焼けでユーリグゼナは頑張る。
「飲食無しじゃ、お祝いの雰囲気が薄れます。セルディーナ様をお祝いしたいんです! みんなでお祭りがしたい! そして甘酒で温まりたい!
そういうわけで、ぜひ味見を。甘酒をご存じでないかもしれないと思い持参しました」
ユーリグゼナは持ってきた鞄から甘酒を出そうとする。男はくくっと笑いだした。
「そんなに甘酒が良いのか。ここでは出すな。診る場所だから」
「……すみません」
「孫の部屋で待っていてくれ。そちらで頂くことにしよう」
男は笑いながら控室に消える。ユーリグゼナはやり切った脱力感で、ぼんやりしてしまった。
(いやいや。ここからが大事)
気を取り直して、一度アルフレッドの部屋へ戻ることにする。提供するときと同じように温かいものを用意したいのだ。
「ユーリ……。相変わらず訳が分からない。なんでじいちゃんが俺の部屋に来るんだ」
「甘酒を試飲しに来る」
「そういうことじゃない。もの凄く忙しくて、俺も何日も会ってないくらいだぞ。なんでわざわざ来てくれるんだ?」
「甘酒が飲みたかったから?」
「違うだろう!!」
納得のいかない展開にアルフレッドが、ユーリグゼナに質問をするがなかなか埒が明かない。スリンケットとテラントリーはいつもの展開に呆れながらも、平然と見守る。むしろ用意された飲み物に興味があるようで、チラリと見ている。
トントントン
扉が叩かれ、側人が先触れする。程なく初老の男が入ってきた。先ほどはあっさりし過ぎるほどシンプルな白い服を着ていたが、ゆったりとした貴族らしい装飾のある服装に着替えていた。
「ペンフォールドと申します。いつも孫のアルフレッドがお世話になっております」
「じいちゃん!」
アルフレッドはペンフォールドに走り寄る。
「久しぶりだな、アルフレッド」
そう言うとペンフォールドは、アルフレッドの頭にポンと手を置いた。アルフレッドは拗ねたような嬉しそうな微妙な顔をして、また座っていたところに座り直す。彼のさらっとした見事な金髪が揺れる。ペンフォールドも空いている椅子に座る。ユーリグゼナは温めた甘酒をそれぞれの器に入れて渡す。
「こちらが甘酒です。あの……実際に平民の方に配る物を想定しているので、砂糖を入れてません。甘味に慣れている特権階級の方々には物足りないと思います。一度味を見たら、こちらの甘味をお足しください」
ユーリグゼナは砂糖やはちみつなどを机に並べる。アルフレッドが、どうりで大荷物なわけだ、と呟いた。ペンフォールドはスッと器を両手で持ち、軽く目をつぶる。彼の薄い金髪がさらっと頬にかかった。
「酒と言っても酒精がほぼ入っていないのだったな」
それだけ言うとペンフォールドは、息をかけ甘酒を少し冷ます。ユーリグゼナはペンフォールドの手を何気なく見て、顔を強ばらせる。先ほどの黒いものが手にまだこびり付いている。ペンフォールドはユーリグゼナの視線に気づいたが、すぐに素知らぬ顔で甘酒を見ながら小さく笑う。囁くように言った。
「時間たてば薄まる。私の役割だから気にするな」
「……」
「みえるのも難儀だな」
ユーリグゼナは周りに気づかれないよう、彼から目をそらす。納得がいかない難しい顔になる。そのやり取りに気が付かないアルフレッドが甘酒の感想を言う。
「何かなんとも言えない味だな……。ほんのり甘い。入っているのは穀物か? 体が温まる。寒い外で飲めたら嬉しいかもしれない」
スリンケットとテラントリーも一様に微妙な顔をしている。ユーリグゼナは三人に持ってきた甘味を追加するように勧めてみる。ペンフォールドは少し顔を緩ませて言った。
「私には懐かしい味だな。昔は特権階級にも砂糖は高価で手に入りにくかった」
「平民の町では未だに高価です。平民の方にはちょうどいい甘さだと思います。事前に試飲をお願いするつもりです」
ユーリグゼナは素材の甘さを理解してもらえて、少しホッとする。ペンフォールドは笑顔で言う。
「甘酒と芋は冬の楽しみだった。君たちは芋なんて知らないだろう? 子供の頃、唯一自由に取って食べれる甘味だったから、良く友と一緒に森で焼いて食べていた」
ユーリグゼナの目がキラリと光る。鞄をゴソゴソ探り箱を取り出す。まだ何か持ってきているのか? とアルフレッドの呆れ声が聞こえた。
「良ければこちらをどうぞ。芋のお菓子です。蒸して漉したものを布巾で丸めて作りました」
「……」
ユーリグゼナが箱を開けると、そこには二色の毬のようなお菓子が入っていた。二色なのは芋の黄色の品種と紫色の品種で半分ずつ作って一緒に布巾で絞ったからだ。色が鮮やかでコロコロ小さくて丸い可愛らしいお菓子だ。ペンフォールドはじっと見た後、ヒョイとつまみ食べてしまう。
「こんな上品な味ではなかったな。見た目も綺麗だ」
ペンフォールドは嬉しそうに言い、もう一つ手を伸ばす。透明感のある知的な緑色の目は、遥か遠いところを見ているようだった。
次回「前王の所業」は1月25日18時に掲載予定です。




