1.サイエンティストは電気うなぎの夢をみるか?
ハインリヒ・フォン・シュタイン博士は、ひび割れたメガネを指先で押し上げた。爆発の衝撃で視界が揺れているが、彼の脳細胞はすでにフル回転している。
「……ふむ。計算上、この新粒子加速器はドーナツの穴を無限に生成するはずだったのだがね。爆発のベクトルからして、ここはバイエルン州の南端か? 随分と空気が澄んでいる」
博士が周囲を見渡すと、太陽の光を浴びてキラキラと輝く金髪をなびかせ、せっせと薬草を摘んでいる少女の姿があった。彼女は舞台衣装のようなとんがり帽子を被り、横には木彫りの杖が置かれている。
「おがげさまで、現地住民を発見した。情報の非対称性を解消するとしよう。幸い、ドイツ語圏のようだしな」
博士は真っ白な白衣をなびかせ、メガネをキラーンと光らせながら、ズンズンと彼女へ歩み寄った。
「失礼。ご婦人。少々伺いたい。現在の座標、またはここの地域名、それと……」
「キャ、キャアアアアア!? 変質者ぁぁぁ!!」
魔法使いの少女、エレナは飛び上がった。無理もない。見知らぬ奇妙な白づくめの男が、不気味に光るレンズの奥から獲物を狙うような目で迫ってきたのだから。
「こ、こっちに来ないで! 『サンダー・ジャルト』!!」
彼女が杖を向けると、博士の胸元にバチバチッ!と激しい電撃が走った。
「……ぬ。おや? ……ふむ。今の刺激は……」
博士は倒れるどころか、髪を一本も乱さず(元から爆発で乱れていたが)、手帳を取り出してさらさらとペンを走らせた。
「ふむ……少しピリッとする。強力な静電気か。君、この乾燥した草原でウールのセーターでも脱いだばかりかね? あるいは摩擦帯電の極めて激しい体質とお見受けする」
「え、えええっ!? 『サンダー・ジャルト』が……効いてない!? というか静電気って何!?」
エレナは、魔物をも一撃で麻痺させる自慢の雷魔法が「冬場のドアノブ」程度に扱われたことに戦慄した。
「静電気にしては、放電の指向性が高いか。あるいは、私の三半規管が爆発の影響でバグったか。どちらにせよ、実に興味深い生体反応だ。まるで電気ウナギだね、君は」
「で、でんき……うなぎ……?」
「そう、電気ウナギだ。彼らは発電細胞を直列に並べたような構造を持っていて、最大で800ボルトもの電圧を生み出す。君の今のパフォーマンスも、おそらく体内の電解質を瞬間的に偏らせたパルス放電だろう。素晴らしい。ドイツの若者はこれほどまでに進歩しているのか」
「ど、ドイツ? 何を言ってるんですか! これは聖なる雷の力を用いた魔法……」
「魔法? ほう、なにかの隠語かね。オカルトは専門外だが、その『魔法』とやらを物理現象として再定義するのは私の得意分野だ。もう一度、今度はもう少し左胸のあたりを狙って撃ってみてくれないか? 筋電位のデータを取りたい」
「……」
「いやはや、まさかバイエルンの奥地で、生きた淡水魚の擬人化に会えるとは思わなかった。電気ウナギくん、君のその発電効率は——」
「私はウナギではありません!!」
エレナは顔を真っ赤にして叫んだ。
「私は勇者パーティの魔導師エレナです! 誰がヌルヌルした魚ですか! そもそも、私の魔法を『静電気』なんて言わないでください! れっきとした最上位の雷系攻撃魔法なんですから!」
「最上位の雷攻撃……? はっはっは、冗談が上手いな。ただの電位差による放電現象を魔法とは、君は中世からタイムトラベルでもしてきたのかね?」
博士はメガネをクイッと上げた。
「さあ、案内したまえ。ここがドイツの何県なのか、そして私の研究所へ戻る最短ルートを計算しなければならない。道すがら、君の『ウナギ回路』についても詳しく聞かせてもらおう」
「だーかーら! ウナギじゃないって言ってるでしょー!!」
こうして、物理法則(という名の頑固な思い込み)を纏った博士の、勘違い異世界調査が幕を開けたのである。
・・・・
「エレナ! 無事か!?」
地響きのような怒鳴り声とともに、草むらをかき分けて巨大な影が飛び出してきた。
身長二メートルはあろうかという巨漢、勇者パーティの鉄壁を担う重戦士ガストンである。彼は身の丈ほどもある漆黒のタワーシールドを構え、エレナを庇うようにして博士の前に立ちはだかった。
「下がっていろエレナ! この妙な格好の男……ただ者ではないな。俺の目が黒いうちは、指一本触れさせんぞ!」
「ガストン! 気をつけて、この人、私の『サンダー・ジャルト』を浴びても平気な顔をしてるの!」
「何だと!? ……おい、白装束(白衣)の不審者! そこを動くな! これ以上近づけば、我が盾の錆にしてくれるわ!」
ガストンは叫ぶやいなや、地面を蹴った。大盾に魔力を込め、物理的・魔法的な衝撃を数倍にして跳ね返す奥義、『不動の城塞』を発動しながら、博士を押し返そうと突進したのである。
ドォォォォン!!
激しい衝撃音が響き渡った。通常ならオークの一群をも吹き飛ばすその一撃を受けた博士は――。
「……おっと。ふむ、慣性の法則に逆らうとは、なかなかの質力だ」
博士は、まるで自動ドアに少しぶつかったかのように、ひょいと数歩後ろへ下がっただけで、再びメガネをクイッと直した。
「……は? 今ので……ちょっと弾かれただけだと……?」
全力の突進を受け止めたガストンの方が、腕に伝わる強烈な反動に困惑し、盾を構えたまま固まっている。
「素晴らしい! 君、今のは何だね? 運動量の保存法則を無視したかのような推進力、そしてこの盾の表面。チタン合金か、タングステンか? いや、もっと高密度の……」
博士は恐怖を感じるどころか、子どものような好奇心に目を輝かせ、あろうことかガストンの巨大な盾に顔を近づけてペタペタと触り始めた。
「これほどの衝撃を吸収しつつ、斥力を発生させる機構……。バイエルンの冶金技術は、私の知らない間にここまで進化していたのかね」
「せきりょ、きこう……? 何を言っている。これはドワーフの名匠が鍛えたミスリルの盾だ!」
「ミスリル? ああ、特殊な新素材のコードネームか、それとも商用名か?企業は販売のためいろんな名称を付けるから困る。いや、よい。実によく馴染む響きだ。しかし君、これだけの重量物を支える骨格と筋力……君の脊椎はどうなっているんだ? 強化外骨格を服の下に仕込んでいるのかね? ぜひ脱いで見せてくれたまえ。レントゲンを撮りたい」
「ぬ、脱げだと!? 貴様、やはり変質者か!」
ガストンは屈強な体を震わせ、盾を壁のようにして必死に博士を遠ざけようとする。しかし博士は、盾の「跳ね返す」という作用に、さらなる興奮を覚えていた。
「いやはや、実に見事な反作用だ。君が『壁』なら、私はその構造を解明する『ドリル』にならねばなるまい。エレナくんの『電気ウナギ細胞』に、君の『電磁シールド』……この地域の科学技術は、私の研究所より10年は進んでいる可能性があるな!」
「だからウナギじゃないって言ってるでしょー!!」
「俺はデン?ジ?じゃない! 戦士だ!!」
二人の絶叫をよそに、博士は手帳に「生体バッテリーと電磁シールドの相関関係」というデタラメなタイトルのページを書き加えるのであった。
・・・・
ガストンの盾を触りながら、博士が「この表面の滑らかさは……ふむ、我がドイツ職人の執念を感じる仕上げだ」とブツブツ呟いている背後で、エレナは顔を蒼白にさせ、杖を握る手を小刻みに震わせていた。
(……おかしい。絶対におかしいわ)
彼女は魔導師として、生物が発する「魔力」の揺らぎを感知する訓練を受けている。この世界では、道端の雑草から地を這う虫に至るまで、生命あるものには必ず魔力の鼓動が宿っている。それが世界の理だ。
しかし、目の前の男からは、魔力の波動が微塵も感じられない。
「ガストン、下がって! その人から……魔力が一切感じられないの。一滴も、微塵もよ!」
「何だと? ゼロ? そんな馬鹿な。魔力がないのは死体か、無機物の石ころだけだぞ。生きて動いている人間に魔力がないなんてありえない!」
「そうよ! だから怖いのよ! 生きているのに魔力がないなんて、この世の矛盾だわ。……考えられる理由は一つ。自らの魂を切り刻んで魔力を消し去った、とてつもなく高度な呪術か、あるいは……」
エレナはゴクリと唾を飲み込み、震える声で続けた。
「死を偽装し、腐敗すら止めて動き続ける高位の死霊の類よ! あの白装束も、死を象徴する装束に違いないわ!」
彼女の勘違いは、恐怖とともに加速する。博士が口にする言葉の数々が、彼女の耳には異世界の禍々しい「死の詠唱」にしか聞こえない。
「……ふむ。運動の保存則が……。先ほどの衝撃における移動距離と空気抵抗の推移……。個体の質量と速度の相関性を考慮すると……」
「……ひっ! また始まったわ! あの耳を刺すような不気味な呪文! 『シツリョウ』? 『ソウカンセイ』? 何なの、そのおぞましい響きは! 私たちの理解を越えた死霊の言語で、侵食しようとしているんだわ!」
エレナは耳を塞ぎ、ガタガタと震え出した。博士からすれば、ただ物理現象を独り言で分析しているだけなのだが、魔力こそが生命の証だと信じる彼女たちにとって、魔力を持たず未知の専門用語を吐き出す男は、もはや「生ける冒涜」そのものだった。
「エレナ、落ち着け! おい、貴様! その不気味な独り言を止めろ! 邪悪な呪術師め、正体を現しやがれ!」
ガストンが怒号を浴びせるが、博士は不思議そうに眉をひそめ、人差し指でメガネをクイッと押し上げた。
「……呪術師? ほう、この地方では科学者をそう呼ぶのかね。実にお粗末な言語体系だ。何度も言うが、私の中に君たちの言う『魔力』がないのは当然だ。なぜなら、そんなオカルトエネルギーは自然界の法則に照らし合わせても存在し得ないからね。存在しないものは検知できない。極めて論理的な結論だ」
「ひっ……! 『存在を否定』することで、生者の理を書き換えようとしている……!? なんて強固な意志、なんて邪悪な精神性なの……! 自分が一番の矛盾のくせに、それを論理だと言い張るなんて!」
エレナの目には、博士の背後に、あらゆる魔法を無効化し、概念そのものを削り取る「虚無の穴」が開いているような錯覚すら見え始めていた。
「ガストン、逃げましょう! この男、たぶん私たちだけじゃ勝てる相手じゃないわ。魔法が効かないどころか、生命そのものを否定しようとする、終焉の化け物よ!」
エレナは恐怖に顔を歪め、ガストンの太い腕を掴んで強引に走り出した。
「おい、待てエレナ! 俺を置いていくな! ……くそっ、あんな不気味な死神、関わりたくねえ!」
戦士と魔導師が、まるで天敵から逃れる野ウサギのように、草をかき分け全速力で逃走していく。その後ろ姿を見送りながら、博士はハッと我に返り、ひび割れたメガネをクイッと押し上げた。
「おっと、いかん。観察に夢中で肝心なことを聞きそびれるところだった」
博士は白衣をなびかせ、逃げる二人を追って猛スピードで走り出した。逃げる側からすれば、魔力を持たないはずの「死神」が、一切の息切れもせず(実際にはただの全速力なのだが)、距離を詰めてくるのだから、これ以上の恐怖はない。
「待ちなさい諸君! まだ聞きたいことがあるんだ! 追いかけるのは非効率だが、背に腹は代えられない!」
背後から迫る博士の鋭い声が、草原に響き渡る。
「教えてくれたまえ! ここはドイツの何県だ!? 私の研究所へ戻る最短ルートはどちらかね!? ああ、それと君たちの『電気ウナギ細胞』と『電磁シールド』のメンテナンスについても詳しく……!」
「また不気味な呪詛を吐いてるわ! 止まっちゃダメ、ガストン! 魂を吸い取られる!」
「わかってる! 誰が止まるか、くそっ気味の悪い奴だ!」
エレナとガストンは、叫び声を上げながら、夕闇の中へと消えていった。
博士は一人、ポツンと草原に取り残された。
「……ふむ。最近の若者は、道を聞かれても全力で逃げ出すほどシャイなのかね。あるいは、私のドイツ語に訛りがあったか」
博士は手帳を取り出し、「バイエルンの現地住民:極めて臆病、かつ放電や電磁力によるコミュニケーションを好む」と、新たな知見を書き加えるのだった。




