140 地獄
崖の下の沼地のような場所から、我が身を掻きむしる、人間らしき形をした者たちがいるのが見える。糞尿のような匂いがした。
所々見える木は、人の体が埋め込まれている。首から上だけさらされて、悪魔が引き抜こうとするたびに断末魔のような悲鳴を上げていた。
闘技場にいた者たちではない。
元々地獄にいる者たちだ。
うわあぁぁぁぁぁぁぁぁ
薄暗い中で、地鳴りがするたびに、プレイヤーが声を上げている。
種族関係なく、震えながら地面に膝をついていた。
ここが、地獄。
魂を裁く死の神でなければ、立っていることすら難しいらしい。
「なんで・・・こ・・・こんな、ああぁ・・・・」
「終わりだ終わりだ終わりだ終わりだ」
プレイヤーが手を振りながら、狂ったようにモニターを出す素振りを見せていた。
「クソゲーだ。死ぬ死ぬ、死ぬ死ぬ」
「安心安全なゲームじゃなかったのかよ。戻れねぇよ」
「せせせせせ、セーブポイントがどこかに。じゃなきゃ強制終了を・・・駄目だ通じねぇ、うわぁぁぁぁ」
「ししししし、しっかりしろよ」
「ギルドの・・者たちは?」
「ドラゴン族もエルフ族も、うわぁぁぁ、もう、どうにでもなってしまえ」
魔力も体力も、地獄に来た時点で吸い取られていた。
発狂する者はまだ力のあるほうだ。地面に這いつくばって、動けない者ばかりだった。
皆、パニック状態になり、狼狽えている。
地獄に来てしまったことに気づいているのかはわからないが、ただただ、何かに怯えていた。
『深雪、大丈夫か?』
『い、一応。でも、みんなが・・・』
深雪が息だけの声で、周囲に視線を向ける。
闘技場にいる者たちがどれくらいいるのかわからなかった。
元々地獄にいる者たちが、うろうろしているからだ。
ヒナもどこかにいるのだろうか。
ヴァイスが助けていればいいが・・・。
「蒼空君、大丈夫ですか?」
結花がいつものような声で、こちらを見下ろした。
『・・・結花、どうゆうつもりだ?』
「すみません。蒼空君、私、悪魔と契約してたんです。本当は魔女なんです。RAID学園に入る前から、ずっと魔女で・・・」
両手を広げて、黒いローブを羽織る。
「こうゆう感じなので・・・」
『・・・・・』
「私はこの姿が一番しっくりきます。皆さんと違ってRAID学園の制服は似合いませんから」
『悪魔・・・と契約・・・ワルプルギスの夜?』
「水瀬深雪・・・」
結花が魔鬼に触れながら、深雪のほうを見る。
「死の神ルーナ、天界の使者ルーナ、RAID学園の水瀬深雪・・・そして、『アラヘルム』の呪いを受けた『毒薔薇の魔女』」
『!?』
「貴女だけはわかりませんでした。本当は何者で、どうやって存在しているのか・・・」
― ユイカ。死の神が闘技場の者、連れて行った ―
「!」
魔鬼が爪を地面に立てて、唸る。
波動を感じ取った者が、悲鳴を上げているのが聞こえてきた。
「仕方ありません。今いる人数じゃ契約に支障がありますか?」
― ・・・いいだろう。珍しい者も多い ―
魔鬼の顔が、一瞬老人のようになり、周囲を見渡していた。
すぐに、顔のない状態に変わる。実体のつかめない、移ろう悪魔だ。
― 早くしろ。集まってきた悪魔が待ちきれない ―
「あぁ、そうですよね。では、契約を言います」
「な・・・・・・」
結花が魔鬼を見てから、後ろにいる虚ろな顔をしたRAID学園の生徒たちに目を向けた。
「今ここにいるすべての者を悪魔に捧げます。闘技場に関わった者すべてを。なので、RAID学園の生徒を全員、『アラヘルム』に連れて行ってください」
『!?!?!?!?』
『悪魔に捧げるって・・・そんなことしたら・・・・』
深雪が前に出ようとする。
グアァァァァ ギャアアアア
「!!!!」
魔鬼の体内から、男の叫び声が聞こえた。
深雪の手を引いて、下がらせる。
「魔鬼、私と契約しました。私の言うことに従ってください。この2人は、RAID学生の生徒です。危害を加えないでください」
― わかった ―
魔鬼がうねりながら、膨らんでいく。
『結花、お前は・・・』
「私は、魔女です。今はもう、RAID学園の生徒、ではありませんから」
うわああぁぁぁぁぁぁ
助けて助けて助けて
ああぁぁ・・・あぁぁぁあぁぁぁぁ・・・
正気だった者たちも、皆、割れた地面に這いつくばっていた。
魔鬼と同じような姿をした、悪魔たちが、取り囲んでいく。
― 契約は成立した ―
『待てって。地獄にいるつもりなのか? なんで、こんなことをした?』
「蒼空君」
結花がこちらに軽く手を振る。
「さようなら。蒼空君。今まで、ありがとうございます」
「・・・・・・・・」
「悪いことして、ごめんなさい」
シュンッ
瞬きすると、『アラヘルム』の闘技場のあった場所にいた。
闘技場は切り取られたように、更地になり、人影一つなくなっている。
建物のドアは、開けっ放しになっていて、カフェテラスの食事が残されたままだ。
クリエイターたちがいると言われていた建物すら、何の気配も感じない。
AIロボットも、何もかも消えていた。
結花の話していた”闘技場”はバトルに関わっていた『アラヘルム』全体も含まれていたのだろうか。
冷たい汗に、乾いた風が吹く。
深雪が呆然としたまま、座って、動けないでいた。
『こ、こんなことって・・・』
絞り出すように言う。
全身を震わせながら、頭を抱えた。地獄の恐怖が抜けていないようだった。
『ここで少し休んでいてくれ。死の神の剣はもう仕舞って大丈夫だから』
屈んで、深雪に視線を合わせる。目が充血していた。
『回復薬が必要か?』
『う・・・ううん、大丈夫。そそ、蒼空は何ともないの? 私は、まだ恐怖が抜けなくて・・・立ち上がれなくて・・・』
『俺は別に何ともない』
自分の着ていたローブを、深雪にかける。
『ごめん。死の神なんだから、や、やることあるよね・・・・私も・・・』
『いいよ。死の神とはいえ、地獄がきついのは当然だ。俺はRAID学園の生徒がいないか見てくる。ここで一人で待てるか?』
『・・・うん』
深雪が霞むような声で頷いた。
『・・・・・・・』
俺は何ともなかった。地獄を見ても、何も・・・。
『ソラ!』
深雪に背を向けると、ヴァイスが空から降りてきた。
「ヴァイス、他の死の神はどうしたんだ?」
『死の神の中で、地獄へ行ったのは2人だけだ。あとはみんな、観客を退避させてたんだ。でも、ほとんどが、連れていかれたけどな・・・』
「そうか」
死の神の剣を仕舞う。
『地獄で、何があったんだ?』
「結花が魔鬼と契約して、全員を地獄へ連れて行く代わりに、RAID学園の生徒たちを、ここに送り込んだ」
『あ、あの人数を連れて行ったのか・・・・・?』
「そうだ」
『・・・・嘘だろ・・・魔鬼が・・・』
ヴァイスが顔を歪める。
「RAID学園の生徒たちは見なかったか? 契約が確かながら、彼らは全員ここにいるはず・・・」
バタンッ
深雪が気を失って倒れていた。
「深雪!?」
『・・・地獄に行ったんだ。いくら死の神とはいえ、こうなるのが普通だ。特に、彼女は光の力が強いからね』
ヴァイスが指を動かして、ふわっと浮かせる。
『回復させながら行ったほうが早いだろう。RAID学園の生徒なら、『アラヘルム』の樹の近くで気を失っているのを見かけている。保護のルーンを持つ、シズが近くにいるから問題ない』
「そうか・・・」
『状況の整理が必要だな。これだけの生者を、死の神無しに地獄に送り込んだなんて、前代未聞だ。前の世界を含めても・・・』
「前の世界?」
『・・・・・・・』
ヴァイスが少し俯く。
『まぁ・・・そうだね。あとでゆっくり説明するよ。まずは、地獄の空気に触れてしまった者たちを、元に戻すほうが先だ」
「・・・・あぁ」
深雪がシャボン玉のような膜の中で、苦しそうに呼吸をしていた。
地獄で受けるダメージは、俺が思っていた以上のようだった。
ヴァイスの話では、俺が特殊で、神であっても地獄は多少のダメージを負うようだ。
ヴァイスは俺が闇の王だからではないかと言っていたが・・・。
俺にはあの、断末魔のような悲鳴に、どこか懐かしさを感じていた。
地獄にいた記憶なんてないのに、な。




