110 一縷の光
「そんな、あり得ないだろ・・・深雪が乗っ取ってるのか?」
「ううん。この体は深優のものだけど、今は深雪の記憶の部分で話しているの」
「よくわからないんだが・・・」
頭を掻く。
「ややこしいね。今はルーナであり、深雪だと思って」
掌を見つめてから、力なく笑った。
「・・・・・・・・」
テイアが唇をぐっと閉じて、鎖を手繰り寄せた。
壁に寄りかかって、鉄球を撫でる。
「深優は私をコピーして作られた人間だから、途中まで私と同じ記憶があるの。深優の部分が弱ってしまったから、一時的に私に代わった」
「え・・・・?」
「すぐに戻る。大切なこと、伝えるために出てきただけだから」
「黙って!」
フリージアが目を吊り上げて、剣を構える。
「水瀬深雪、君を苦しめてるのは闇の王だよ」
「どうして苦しめてるって思うの?」
「私知ってるの。貴女は何度も死んでるんでしょ? 外部の人間から気に入られているから、何度でも蘇っているのかもしれないけど、死ぬって苦しいでしょ?」
「・・・死・・・ね」
深雪がゆっくりと瞬きをする。
「そいつさえいなければ、死ぬことも無い。苦しむこともない!」
声高らかに言う。
「っ・・・」
腕に力が入る。
どいつもこいつも好き勝手言いやがって。
誰が俺に闇の力を与えたんだよ。望んで与えられたわけじゃない。
俺が死ねば、なぜか蘇る。闇の力を濃くして、蘇ってしまう。
大切なものになるほど死へと導くのは人間だけじゃなかった。
美しい草木、空をはばたく鳥、命あるすべての生き物を等しく殺してしまう。
「・・・・・」
闇はどうして俺を手放さない?
俺だって、生きる意味なんてない。
家族だと思い、大切になれば、力が勝手に動き出して、魂を闇に引きずり込んでしまう。
パパに囚われている深雪を救うことも、できないのに・・・。
「だから邪魔しないで。そいつは、堕天使と契約するしか殺す方法は無いから」
「その魔法使えないよ」
深雪が剣を持ち直す。
「ふふ、甘いよ。本を打ち抜いたくらいじゃ終わるわけないでしょ。ほら、まだ、魔力を保ってる」
指を動かして、本を浮かせた。穴が塞がれて、じんわりと青い光が走る。
「私はこの魔法を完成させる。闇の王を必ずここで殺す。下がってて」
「できないわ。後ろを見て」
「え・・・・?」
「ほら、村を守っていた女神リテが止めているもの」
女神像の女神が水瓶を持ったまま、台座を降りていた。肌は白くなり、ラピスラズリのような瞳が艶めいていた。
リテの水瓶からすっと伸びた光が、本の魔力を押さえている。
「目を覚ましててもらったの。ずっと動けなくて困ってたから」
「そんな・・・じゃあ、最初から・・・」
フリージアが一歩下がる。
女神リテは虹色の羽根を下げて、ゆっくりとフリージアに近づいていった。歩いた足跡が金色に輝いている。
『フリージア』
「リテ様・・・・・私・・・・堕天使と・・・」
『フリージア、貴女が苦しんでいたのはよく知ってるのですよ』
水瓶を置いて、フリージアを抱きしめる。
『でも、絶対に堕天使に魂を売ってはいけません。地獄に堕ちたら、もう、貴女の愛する人には会えなくなってしまいます。エルフ族から穢れた魂を生み出してしまうつもりですか』
「でも・・・でも、私・・・・闇の王が許せない・・・・」
『辛かったあなたを見るのは、私も辛かった。そうです・・・・私は・・・』
声を小さくして、何かを話していた。
「深雪、何をしたんだ?」
「ルーナだった頃の力を使ったの。私、天界の指揮官だったでしょう? 封印された者たちを、戦士として目覚めさせる力を持っていたから、試しに使ってみたの。この世界で、成功してよかった。堕天使との契約なんて、絶対やっちゃいけない」
手の甲をかざして、柔らかくほほ笑む。
「深優っていい名前だね。優しい深優にぴったりだと思う」
「・・・お前が深雪なら、もう出てこないでくれ」
「え?」
「聞いただろう? 俺の力は、お前を死に導く力だ」
深雪から離れる。
闇は気づけば、深雪をもう一度呑み込んでしまいそうだった。
「俺はお前から遠いところ・・・闇の中で生きる。闇の王として・・・冥界の王として・・・クリエイターやプレイヤーの敵として、無限の闇の力を使う」
何もかもクソだった。自由に生きることは許されない。
死に導く愛の基準さえもわからないのだから。
「あの、闇の王、テイアは・・・」
「悪いが、お前も危険だ。あまり、俺に関わろうとするな」
「っ・・・・・・」
テイアが言おうとした言葉を呑み込んで、鎖を握りしめていた。
深雪が軽やかに近づいてくる。
「闇の王、この体は彼女のものだから、私はもう出てこない。絶対にね。でも、これだけは覚えておいてほしいの」
「・・・・?」
サファイアのような瞳でこちらを見上げる。
驚くほどキラキラとして、思わず杖を落としそうになった。
頬を上げながら口を開く。
「私が、星空の下で闇の王子に話したこと覚えてる?」
「ん? 星空の下? 星座の話か?」
「ううん」
深雪が首を振って、剣を解いた。
「私たちの目標だよ。まだ、闇の王子だった頃、いつか・・・・・・・・・・」
「え・・・・・・」
ささやくように、尊い願いを伝えてきた。
肩の力が抜ける。
俺が、絶対叶わないだろうと記憶から失くしていた子供のような夢。
曇りのない、澄んだ声で真っすぐ、俺と深雪にとってあまりにも強い憧れを話していた。忘れていた・・・忘れなければならなかった一縷の光を・・・。
「・・・・そんな話をよく・・・」
「私にはとても重要なことだもの。そのためなら、全てをかけられる」
「無理に決まってるだろう。お前はともかく、俺はな」
「大丈夫、きっと叶えられるよ。私、信じてるの。自由になった、その先の未来」
「・・・・・・・・・・」
マントを後ろにやって、深淵の杖を剣に変える。
「・・・深優に戻れ。もう、時間だろう?」
「うん。絶対叶えようね。今度こそちゃんと、約束、守ってね」
「・・・・・・・」
「あ・・・・」
深雪の表情がぱっと変わる。
目をこすりながらきょろきょろしていた。
「あれ? 私は・・・どうして、確か力が無くなって・・・」
「深雪の記憶が出てきてたんだ。お前は力がだいぶ弱くなってるな。モニターを出してみろ」
「・・・・はい・・・・」
深優が指を動かしてモニターを表示する。
ステータスはがくんと落ちて、初期プレイヤー程度の力しかなくなっていた。
指を曲げて俯く。
「水瀬深雪が『アラヘルム』に戻ったから、私は本当に必要なくなってしまったのですね。パパに捨てられたのですね」
膝から崩れ落ちていた。
モニターがぶちっと切れる。
女神リテがフリージアから離れて、こちらに歩いてくる。
テイアが結花の眠る鳥かごに触れてから、鉄球を構えてリテの様子を伺っていた。
「リテ・・・・・」
『久しぶりです。闇の王』
女神リテはリゴーニュ村の守り神だった。
リテの像に祈りを捧げ、平和を祈る。この祠は、女神リテに捧げられたものだ。
『貴女は私の愛する者たちの魂を死へと導きました。とても危険なことです』
「・・・そうだ。ほんの短い時間を過ごしただけだけど、家族だと思ってたよ。俺には経験のない、温かな時間だった」
目を閉じると、思い出す。
ハーブティーの香りと、花びらを運ぶ風、エルフ族の笑い声。
「俺は死ねない。死ぬつもりもない」
『そうですね。でも、永遠の闇に封印することはできます』
「・・・闇の王を封印するつもりか?」
フリージアが女神リテの後ろで、涙を拭っていた。
『フリージアの気持ちはよくわかります。可哀そうに、ずっと苦しんでいたのです。闇の王、貴方は封印されなければいけない存在です。貴方にとってもそのほうがいいでしょう。望みを叶えてあげます』
深淵の剣を構える。黒い炎をまとわせた。
― 煉獄 ―
「知ったような口を効くな。俺の望みは、俺が決める」
 




