109 女神像の前で
「祠・・・澄んだ空気を感じます。祈りの力で守られていたのでしょうね」
テイアが雨水に濡れた髪を拭きながら、中に入ってきた。
回復の泉から石の皿に水を汲んで、深優に飲ませる。
「ごほっ・・・こほっ・・・・」
「脈は正常に戻ってきた。体を温めれば、じきに戻るだろう。しばらく休んでいろ」
「・・・・す・・・・すみません・・・ありがとうございます・・・・」
深優が目を閉じる。立ち上がって深淵の杖で魔法陣を描く。
― 混沌の守り(ユール) ―
眠る深優を囲うように、安息の結界を張った。
もし、RAID学園のプレイヤーやフリージアが出てきても、結界が確実に深優を守るだろう。
「闇の王は回復魔法も使えるのですね?」
「昔、軽く覚えた程度だ」
テイアが鉄球の鎖を引きずって、歩いてきた。
「それにしても、どうして深優だけが弱ったのでしょうか? 深優はそこまで弱いとは思えないのですが・・・・」
「さぁな。クリエイターが深優の体力を奪った可能性もある」
「クリエイターが、ですか? 何のために?」
「奴らの考えていることはわからない。特に、深雪の周りにいるパパとかいう奴らはな」
深雪が『アラヘルム』で何かあって、クリエイターが深優を完全に不要と判断したのだろうか。
あのときの深雪のように、遠隔操作で弱い状態にされるかもしれない。
深優と深雪が入れ替わったような状況に思えた。
女神像を見つめる。
1000年前、この地は豊かな緑に溢れていた。
鳥が飛び交い、エルフ族が花の蜜を集めて、柔らかな甘い匂いが村を包む。
クリエイターもプレイヤーも知らない古の村は、戦闘というシステムすら知らないくらい平和だった。
「闇の王、何か思い詰めているのですか?」
テイアがこちらを覗き込んできた。
「いや・・・別に・・・」
「嘘です。テイアにはわかりますよ」
びしっと指をさしてくる。
「物事が思うようにいかないのは当たり前です。少し休んでも、バチは当たらないですよ」
「お前に慰められるとはな」
「失礼ですね。テイアはこう見えて人生経験は豊富なのですよ」
短いスカートを揺らす。
「テイアはもちろん強いのですが、ティターン神族の中では落ちこぼれだったのです。でも、みんな優しくて、テイアを見捨てることはありませんでした。テイアが他のドラゴン族と戦って、負けてしまっても、です」
「ドラゴン族?」
「炎の谷に住むドラゴン族と決闘をしたことがあったのです。ドラゴン族が禁忌を破ったので、テイア一人で、殲滅させようとしたのですが、あと一人のところで敵の攻撃を喰らってしまいました」
テイアが袖をまくって、腕の傷を見せる。
鋭い爪で引っかかれたような、生々しい傷跡だった。
「これは、その時の傷です。すぐにゴーダン様が助けてくれたので、命は失わなかったのです。テイアはテイアのまま、ゆっくりと成長できればいいと教えてもらったのです」
「・・・そうか」
「はい。だから、テイアがゴーダン様の何かお役に立てるのは嬉しいことなのです。闘技場での戦闘を必ず勝ち抜いて、ゴーダン様を連れて帰ります!」
袖を降ろして、ほほ笑む。
「呑気なものね」
「!?」
いつのまにかフリージアが2つに結んだ髪をたおやかに揺らして、回復の水のそばに立っていた。
テイアが鉄球を構える。
「フリージア・・・・・」
「知り合い・・・なのですか?」
「まぁな」
フリージアがワンピースの裾を引っ張る。
「へぇ、闇の王が私のことを覚えてるんだ。ということは、この村のことも?」
「・・・・覚えてるよ」
「記憶があってここに来るとは・・・私としては嬉しいけどね。あのときは、まさか闇の王が原因だとは思わなかったけど・・・・」
フリージアが目を見開いてから、回復の水に手を濡らす。
全身が殺気に満ちているのが伝わってきた。
フリージアが小さく口を開く。
「ダダ ジモウ スウラ・・・・」
「ど・・・どこの言葉ですか?」
「リゴーニュ村の遊び歌だ」
「遊び歌、なんか詠唱に聞こえるのですが」
「・・・・・」
フリージアが唱えているのは、魔法を使う前の、心を清める祈りのような言葉だった。
ヒスイもよく唱えていた。
「な、なんだかわかりませんが、敵同士なのですか?」
「・・・俺は1000年前に、美しいリゴーニュの村を愛した。だから、この村には闇が覆い、生命を枯らし尽くした。次、俺が来たときには既に村は無くなっていた」
過去の記憶と能力を持って、転生した俺を、古のエルフ族は優しく迎えてくれた。
俺に肉の親や兄弟がいたのなら、こうゆう生活を送っていたのではないかと思う。
恐れも駆け引きもない、温かい場所だった。
もし、自分が死を呼ぶことを知っていたら、間違いなく近づかなかっただろう。今でも鮮明に思い出せる、大切な者たちだ。
「話が早くてよかった。私は生き残ってしまったことをずっと後悔していた」
「・・・・・・・・」
「きっと、闇の王がここに来たのも、みんなが呼んでくれたのね。私はここから動けないから」
長い瞬きをして、女神の像に額を付ける。
転生したヒスイの周りには、いつも妖精たちが集まっていたのを覚えている。
リゴーニュの村のエルフ族は、幼いころから遊び歌で魔法を浸透させていた。
平和であっても防衛のための魔法の研究を怠らない、頭のいい種族だった。
フリージアがゆっくり近づいてくる。
「その子は、ただの人形ね。じゃあ、興味ない」
深優を見て冷たく言い放つ。安息の結界が、フリージアの視線を遮っていた。
「俺に復讐をしたかったのか?」
「・・・・闇の王、私は君のことを忘れたことなんて一度もない。この祠で生きながらえてしまった者の定め、闇の王、君を許さないこと」
フリージアが水のように透明な剣を出す。
「愛する者の命を奪う、闇の王を殺す。そのためなら、私は持てる全てを捧げられる」
目が血走っていた。
「待ってください!!!!」
ドーンッ
テイアが俺とフリージアの間に鉄球を振り下ろす。
地面が揺れて、天井からぱらぱらと砂が落ちてきた。
「ティターン神族か」
「復讐は何も生まないのです」
「知ったような顔を・・・綺麗事を言わないで!」
叫ぶように言う。
「うっ・・・・」
ガンッ
「と・・・解けない・・・」
フリージアが手をかざす。光の縄がテイアを縛り付けた。
「この祠では神でも私には敵わない」
「悪いが・・・」
深淵の杖を地面に付ける。
パリン・・・
シュウウウウウウウウウ
「!?」
一瞬、祠が闇を覆い、テイアにかかっていた魔法の縄を割った。
闇が杖先に戻って収縮していく。
「どんな力を持っていようが、俺に敵うわけない」
「あ・・・・」
「俺は自ら死ぬつもりはない。お前に憎まれようが、恨まれようが、呪われようがな」
「っ・・・少しでも良心を求めた私が馬鹿だった・・・人の心があるのなら、自ら死ぬと思っていたのに・・・」
フリージアが奥歯を噛みしめた。両手を広げる。
バタン
扉が開き、奥のほうに本棚が現れる。青い光を放ち、一冊の本が浮いていた。
天井から鳥かごのような黒い檻が降りてくる。
「結花!?」
中野結花が中で眠っていた。
「・・・・こいつはプレイヤーだ。なぜ、お前に関係がある?」
「堕天使との契約は難しくて、プレイヤーと私の肉が必要だと言われた。プレイヤーを捕えておくなんて汚らわしくて嫌だったけど、仕方ない。これで、復讐を終えることができるんだから」
「この世界に堕天使は居ないはずです。聞いたことありません!」
「堕天使たちよ、私に力をお与えください」
テイアの言葉を無視して、言葉を続ける。
「契約します。贄と引き換えに・・・・」
シュッ
深優が剣から炎の玉を走らせて、遠くの本を打ち抜いた。青い光が消えていく。
「私の魔法が・・・どうして? 破られるなんてできないはずなのに・・・」
フリージアが混乱しながら、周りを見渡す。
「闇の王は殺させない」
「深優、お前、体は・・・」
「もう、大丈夫だよ」
安息の結界は解かれていた。
深優が立ち上がって、剣を光らせる。
「闇の王は私が守るって決めたの。混沌から愛された孤独な闇の王、私には彼が必要だから・・・」
「水瀬深雪なのか・・・?」
「・・・・・・・」
深優と重なって深雪を感じられた。
花のように笑って、短い髪をなびかせていた。
 




